発想法 - 情報処理と問題解決 -

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タグ:音楽

東京・上野では、毎年春に「東京春祭」(東京・春・音楽祭)が開催されていて今年で10周年をむかえました。

この音楽祭は、企画がおもしろくてプログラムが多彩であるばかりでなく、そのウェブサイトがとてもすぐれています。具体的には知りませんが、全体を企画・コーディネートしている人がすぐれていることが想像できます。

ウェブサイトをみて演奏会を選択できるだけではなく、それぞれの演奏会の楽曲や演奏者に関する豊富な情報が手に入ります。そこで、

 1)演奏会にいくまえに、ウェブサイトをざっとみて
 2)演奏会場で生演奏をき
 3)帰宅後、ウェブサイトを再度 視聴すると、

格段に味わいが増して理解がすすみ体験もふかまります。

高度情報化社会をむかえた今日、何らかのイベントを開催するときに、事前と事後にウェブサイトで適切な情報を聴衆・観衆につたえることが重要になりました。このような「ガイドサイト」の重要性が増してきています。 

よくできた「ガイドサイト」があれば、現場でのナマの体験とガイドでの解説とを組み合わせて理解をふかめることができます。

イベントは、その場でよいものを見せれればよいというだけではなく、よくできたウェブサイトをつくり、アウトラインや要点、トピックス、専門的な解説などの情報を適切に提供できるかどうかもその成否をわけるポイントになってきました。主催者には、イベントそのものを成功させるだけでなく、よくできた「ガイドサイト」をつくりだす能力ももとめられています。演奏会だけではなく展覧会などでも同様です。

▼東京春祭(東京・春・音楽祭)のウェブサイトはこちらです

ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』から序夜《ラインの黄金》(演奏会形式)をききました(注)。東京春祭(東京・春・音楽祭)において、音楽史上 空前絶後の超大作『ニーベルングの指輪』を、毎年1曲ずつ4年をかけて全曲 演奏するという大きな企画の初年度でした。

声楽と管弦楽の演奏のみの、舞台装置や演技なしの演奏会形式オペラ公演であったため、ストーリーをおいながらイメージを自由にえがくことができました。

《ラインの黄金》のあらすじはつぎのとおりです。

第1場ライン川の底。地底からやってきた みにくい小人アルベリヒは、ライン川の黄金をまもる3人の乙女たちから、ライン川の黄金をうばいとってにげさります。

第2場:黄金をうばいとったアルベリヒは、その黄金を指輪にして地底の支配者となり、さらに、神々のすまう天界までをうかがう勢いをみせます。天界にすまう神々の長ヴォータンは法によって世界を統治していましたが、みずからの支配がおびやかされることをおそれ、その黄金の指輪をうばいとるために地底の世界へとおりていきます。

第3場ニーベルング族のすまう地底アルベリヒは、指輪の魔力により、神々をたおし、世界を支配してやろうという野望をいだいています。

火の神ローゲ神々の長ヴォータンは、そのアルベリヒをたくみにだましてつかまえ、地底からひきずりだします。

第4場神々の長ヴォータンは天界への道をひきかえします。ヴォータンは、アルベリヒから指輪をねじりとります。

世界が暗闇に突然つつまれ、未来を知る大地の女神エルダが登場、「指輪を手放し、災いを未然にふせげ」とヴォータンにつげます。そこでヴォータンは、神々の城ヴァルハラを建設した巨人の兄弟に指輪をあたえます。

すると、巨人族の兄弟、ファーフナーファーゾルは指輪をめぐってあらそい、ファーフナーがファーゾルをなぐりころします。

神々は、虹の橋をわたってヴァルハラ城に入っていきます。

今回の演奏会形式とは、通常のオペラ公演とはことなり、舞台装置などの演劇上の演出をせず、舞台上にオーケストラがのり、その前でソリストが歌を歌うような形式の公演です。

通常のオペラの場合は、演出家がえがいたイメージがすでにあり、それをあたえられるわけですが、 演奏会形式では舞台装置と演技がない分、自由にイメージをえがくことができます。
 
演奏会形式は本当のオペラではないといわれればその通りですが、自分で自由にイメージをえがくという別の楽しみ方ができるわけです。このような、音楽をききながら連続的にイメージをえがくことは、とても効果的なイメージ訓練にもなります


注:
東京文化会館、2014年4月7日、(東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.5)
指揮:マレク・ヤノフスキ
ヴォータン:エギルス・シリンス
ドンナー:ボアズ・ダニエル
フロー:マリウス・ヴラド・ブドイウ
ローゲ:アーノルド・ベズイエン
アルベリヒ:トマス・コニエチュニー
ミーメ:ヴォルフガング・アブリンガー=シュペルハッケ
ファーゾルト:フランク・ヴァン・ホーヴ
ファーフナー:シム・インスン
フリッカ:クラウディア・マーンケ
フライア:藤谷佳奈枝
エルダ:エリーザベト・クールマン
ヴォークリンデ:小川里美
ヴェルグンデ:秋本悠希
フロースヒルデ:金子美香
管弦楽:NHK交響楽団
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン


参考資料:

・『ニーベルングの指輪』のとてもすぐれた入門書です。


・こちらはコミック版です。絵がある分わかりやすいです。


・おすすめCD(ハイライト)です。名演をきかせてくれます。くりかえしきいてたのしめます。

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東日本大震災により家族をうしなってしまった子供たちや被災者の方々への応援歌として海上自衛隊東京音楽隊・河邊隊長が作曲したオリジナル曲〈祈り~a prayer〉を、自衛官唯一のヴォーカリスト三宅由佳莉(ソプラノ)がうたっています。

「小さな光たどり 暗い闇をあるく・・・」としずかにうたい、
「きみは希望 夢 未来 祈ってる」へとうたいあげます。
小さな光が天までとどくように、透明ですきき通った歌声がひびいていきます。

作曲者の渡邊一彦さんは、「幼少時に母を失った体験と東日本大震災とをかさねあわせてこの曲を作曲した」(注)そうです。不幸ではなく、かなしみをのりこえた未来があるというメッセージがつたわってきます。

「祈り」は、2種のバージョンがおさめられており、第2のバージョンでは、ながいピアノソロのあとに吹奏楽の合奏がつづきます。作曲家と歌手と楽団のシンクロナイズ、海上自衛隊東京音楽隊が見事な共鳴をうみだしています。

注:NHKニュースウオッチ9
 

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ヒーリングハープのCDが入っています。こまやかな波動をもつハープの音色が きく人の心身を解きほぐし、ふかい癒しと安心をもたらします。ハープはシンプルな楽器であり共鳴箱や増幅装置がないため、かなでる音楽はかえって心の中にひびきやすいです。

ハーピストの所れいさんは、キャビンアテンダントになって結婚して主婦をしていましたが、
「あ、私のやりたいのはこれだ」
と気がづき、もともと演奏していたハープを生かしてあらたな境地をきりひらきました。

ヒーリングハープ体験者のなかに「幸せのカギは自分の中にあるのだと気がついた」(注, p.40)という人がいました。ヒーリングハープがかなでる音楽は自分の外の空間にではなく、自分自身の心の中にひびいているのです。

ハープのかなでる音楽をゆっくりきいて、ポジティブな意識の変容をおこすことが大切です。そうすればあらたな気づきやひらめきもおこりやすくなります。


注:所れい著『悲しみが消えて喜びが満ちるヒーリングハープCDブック』マキノ出版、2013年
 

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オルフェウス室内管弦楽団の日本公演をききました(注1)。このオーケストラの特徴は、指揮者をおかず、各メンバーが自律的に演奏して音楽をつくるところにあり、この方法は「自律分散システム」を理解するための参考になります。

指揮者がいないため、特定のリーダーがオーケストラを仕切ってしまうことはありません。各メンバーが意見をだしあい合議的に音楽をつくりあげていきます。演奏者一人一人が高い能力をもち、お互いにその主体性を信頼し尊重しあうことがこのオーケストラを成功にみちびき、世界的な演奏水準をもつ結果となっています。

これは、オーケストラの「自律分散システム」といってもよいでしょう。「自律分散システム」とは、全体を統合する中枢機能をもつ「集中管理システム」とはことなり、自律的に行動する各要素の相互作用によって全体として機能するシステムのことです。現代のインターネットはその典型的な事例です。

オルフェウス室内管弦楽団のあるメンバーは次のようにかたっています。
「他のオーケストラでは、やるべきことを常に指示され、従順な兵士であること以外に価値がないかのようにあつかわれ、物事に影響をあたえることへの無力さを感じましたが、 一方、オルフェウスは私に関与させます。私は、音楽が進んでいく方向に関与することができるのです」(注2)

制御や情報の中心が存在する「集中システム」とはことなり,「自律分散システム」は、生物からなる生物社会、あるいは細胞からなる生体のように、自律的に稼動するサブシステムの集まりが全体として機能するシステムです。サブシステムがあつまって複雑な機能が達成できます。サブシステムのあらたな追加もでき、また故障に対しても頑健であるといわれます。

これからの時代、問題解決や情報処理に取り組むうえでもこの「自律分散システム」を役立てていきたいものです。

注1:
ベートーベン作曲 序曲《コリオラン》作品62
同 交響曲 第2番ニ長調 作品36
同 ピアノ協奏曲 第5番 作品73《皇帝》
ピアノ:辻井伸行
サントリーホール、2014.02.10

注2:

世界的に有名なオーケストラがスクラムに似た手法を採用
http://www.infoq.com/jp/news/2008/07/self-organizing-orchestra-orpheu 

 
オルフェウス室内管弦楽団の最新CDです。

ヴェルディ作曲のオペラ『ファルスタッフ』(METライブビューイング)をみました。このオペラは、シェイクスピア作『ウィンザーの陽気な女房たち』(The Merry Wives of Windsor)をオペラ化したものです。

ジュゼッペ=ヴェルディは19世紀を代表するイタリアの大作曲家であり、おもにオペラを作曲しました。ヴェルディの作品はオペラ界に変革をもたらし、西洋音楽史上もっとも重要な作曲家の一人です。

一方、ウィリアム=シェイクスピアはイングランドの劇作家・詩人であり、16世紀のイギリス・ルネサンス演劇を代表する人物です。

今回の『ファルスタッフ』は音楽と演劇、劇と曲を統合してできた作品です。ここに、音楽と演劇ということなる二つの分野、ことなる情報の統合作業という仕事をみることができます。統合というやり方は、様々な素材を編集し作品化する(アウトプットする)ための本質的な作業です。情報の統合こそがアウトプットの本質です。オペラ化されたシェイクスピア作品は統合出力の典型的な事例としてとても参考になります。

なお、ヴェルディがオペラにしたシェイクスピアの作品としては『オテロ』『マクベス』もあります。


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自分のアウトプットを見直して、自分で自分を見る

 
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小澤征爾さんなどの世界的な音楽家を数多くそだてた音楽教育者・故齋藤秀雄は次のようにのべています。

「バイオリンを弾いて、バイオリンの音をきかせようとしている人がいますが、それはバイオリン弾きであって芸術家ではありません。バイオリンという道具をつかってもっと奥にあるものをつたえようとするとき、その人は芸術家になっていくのです」(注)

奥にあるものあるいは作曲家のメッセージ(おおげさにいえば魂)をつたえることが音楽の役割です。楽器や音はそのための手段です。作曲家は、音をつかって何らかのメッセージを私たちにつたえようとしているのです。

齋藤秀雄はこうもいっています。「バッハの時代はこういう楽器(古楽器)でこういうふうに弾いていたのだから、現代でもそのように弾かなければならないというは、私たちのやり方とはちがいます」

つまり、バッハの時代のサウンドを再現するのが芸術の目的ではなく、バッハの心あるいはメッセージをつたえることがもとめられているのです。そのための手段として楽器があり音があるのです。どのような手段(古楽器か現代の楽器か)をつかったかは本質的な問題ではなく、心やメッセージがつたわったかどうかがポイントになります。

作曲家の心やメッセージを理解することなく、自分を出そうとしたり自己主張をするために演奏している奏者がときどきいますが、そのような人は論外です。

注:NHK/BS:サイトウキネンフェスティバルの10年、2013年3月放送

METライブビューイング(新宿ピカデリー)でヴェルディ作曲『オテロ』を視聴しました。

指揮:セミヨン=ビシュコフ 
演出:エライジャ=モシンスキー
出演:ヨハン=ボータ(オテロ)、ルネ=フレミング(デズデーモナ)、ファルク=シュトルックマン(イアーゴ)、マイケル=ファビアーノ(カッシオ)

『オテロ』は、ウィリアム=シェイクスピアの悲劇『オセロ』(Othello)を原作とする、全4幕からなるオペラです。ヴェルディが74歳のときに作曲、彼の26のオペラのうち25番目の作品です。1887年にミラノ・スカラ座で初演されました。

15世紀末、ヴェネツィア共和国領のキプロス島。ムーア人の将軍オテロは、剛毅な英雄として名声を得ていました。オテロに出世をこばまれたことをうらむ旗手イアーゴは、新婚の妻デズデーモナに夢中になっているオテロをおとしいれようと計画、デズデーモナと副官のカッシオの不倫をでっちあげ、オテロにそれをふきこみます。イアーゴの言葉を信じ、嫉妬にかられたオテロは、彼にあやつられるままに・・・

『オテロ』の真の主人公は、イアーゴ(ファルク=シュトルックマン)です。イアーゴは、さまざまな謀略をくわだて、オテロをひきずりまわし、デズデーモナを悲しみのどん底につきおとします。イアーゴは、周囲の人々を破滅へとおいこんでいく悪党のなかの悪党です。

イアーゴにとっては、悪意は、深層意識からわきでてくる、生きるためのエネルギーになっているのです。イアーゴにとっては悪意はすべての原動力であり、悪意に根拠など必要ありません。悪意をみがいて、ますます力づよく行動していきます。

そして、イアーゴの心の底からひびいていくる悪魔の歌声は、大きな波動となって周囲をつつみこみ、オテロとデズデーモナを翻弄していきます。二人は、それとは気がつかずに、ただその波動にのみこまれ転落していきます。これを運命とよぶのでしょうか。

それにしても、ファルク=シュトルックマンのイアーゴ、見事でした。


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DVDで、小澤征爾指揮、バイエルン放送交響楽団の演奏、ベートーヴェン『交響曲第5番』とR.シュトラウス『英雄の生涯』を鑑賞しました。

世界的な指揮者である小澤征爾さんはフランス音楽が得意だとおもっていましたが、ドイツ音楽もよいことがよくわかりました。これは、ドイツのいいオーケストラと組んだことが大きいとおもいます。以前、小澤さんの指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団で両曲を聴いたことがありましたがあまり感動しませんでした。

やはり、いい指揮者といいオーケストラ、よいリーダーとよい組織の両者がそろうとそれらの共鳴効果によりすぐれた作品ができあがるのでしょう。これは両者の合作といってもよいです。すぐれた交響音楽は指揮者とオーケストラとの合作によりなりたちます。

オーディオの祭典、ハイエンドトウキョウショウ2012にいってきました。

最近は、オーディオの高音質化がいちじるしくすすんでいます。

しかし、高音質になればなるほど個々の音は繊細によくきこえるのですが、録音時のノイズやひずみもきこえてしまうという問題が生じます。これは、映像が高画質(ハイビジョン)になればなるほど、粗も見えてしまうということと似ています。

また、個々の音がよくきこえるようになりすぎると、音楽がとてもかたくつめたくなり全体のまとまりやバランスも欠いてしまいます。これは、映像が高画質になればなるほど線がくっきりとうかびあがり、 かたくつめたい画像になって雰囲気やうるおいがうしなわれてしまうことと似ています。

高音質化と高画質化に一直線にとりくんでいるときりがなく、これらをつきすすめるやり方はまちがっているとおもいます。そうではなくバランスをもとめるべきです。私たちは、音を聞くのではなく音楽をきこうとしているのです。

かつてレコードは、ななめらかでバランスのよい音楽を再生していました。今回のあるプログラムで、なめらかでバランスのよい音楽を再生するためには、 アナログ回路(アナログ系)を改善するのがよいことをおそわりました。デジタルデータがアナログに変換されて音楽が再生されるのですから。

「オーディオの音質を向上させるのは、写真ではなく絵画の技法です。原音にこだわっている間は、生演奏を超えることはできません」(注)

そもそも音楽とは音の記録ではなく芸術です。たとえばベートーヴェンの交響曲第5番「田園」は、小鳥のさえずりや小川の流れ、村人の様子などを音であらわしていますが、ベートーヴェンは原音を再生しようとしたわけではなく、田園の原風景からエッセンスをとりだし、それらを音にたくして私たちにつたえようとしたのです。したがってすぐれた演奏をきけば、なまの現実をみる以上にそのエッセンスがよくわかるのです。

このように、絵画が現場の記録写真ではないように、音楽も音の記録ではなく、作曲家がメッセージをつたえようとしているのですから、私たちは絵画をみるように音楽をきいて、作曲家からのメッセージをうけとり理解することが重要です。

このような観点からオーディオ装置をとらえなおすと、いかに忠実に原音を再生するかではなく、どれだけ作曲家のメッセージがつたわるかが大事であることになります。


注:逸品館メルマガ 2012-4-28

ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』における神々の世界は、人類が自我をもつ以前の世界(宇宙)をあらわしています。

人類は、自我をもつ以前は、宇宙(自然)の法則によって支配され、宇宙(自然)の中でただ生かされているだけの存在でしたが、神によって自我をあたえられてからは、その自我を拡大しながら、感情をそだて、英雄を生みだし、そして文明をきずきました。

しかし一方で、本来もっていた安らぎをうしない、矛盾と苦悩をかかえこむことになりました。

こうして人類の物語が生じてきました。

人類が、本来の安らぎの世界にもどるためには、自我から解き放たれなければなりません。自我から人類が解放されたとき、ふたたび、安らぎにみちた本来の世界が再生されます。しかしそれは人類の物語がおわることも意味します。

ワーグナーは、楽劇『ニーベルングの指輪』という物語を通して、法則と自我と安らぎについておしえてくれています。くりかえしくりかえしこの楽劇を視聴していると、このような奥深い世界からのメッセージをうけとめることができます。

参考文献:ポール=ハリントン著『ザ・シークレット TO TEEN』角川書店、2010.6.23。

METライブビューイング:ワーグナー作曲 <ニーベルングの指輪 第3夜>『神々の黄昏』を鑑賞しました(場所:新宿ピカデリー)。

指揮:ファビオ=ルイージ
演出:ロベール=ルパージュ
出演:デボラ=ヴォイト、ジェイ=ハンター・モリス、エリック=オーウェンズ、ヴァルトラウト=マイヤー
MET(The Metropolitan Opera) 上演日:2012年2月11日

第3夜では、神々の世界から人間界へと舞台をうつし、ギービヒ家をひきいるハーゲンと、無垢の英雄・ジークフリートの死闘がはじまります。

「指環」を、恋人のブリュンヒルデにあずけ、ジークフリートは人間界へと冒険に出て行きます。たどりついたのは、ライン河のほとりに建つグンター家の屋敷。アルベリヒの息子ハーゲンは、ブリュンヒルデが持つ指環を手に入れようと、ジークフリートに忘れ薬を飲ませて妹のグートルーネに心をうつさせ、ブリュンヒルデから指環をうばわせます。怒りにかられたブリュンヒルデは、不死身のジークフリートの急所をハーゲンにおしえてしまいます。英雄・ジークフリートはたおされ、「ジークフリートの葬送行進曲」がながれます。やがて世界は炎につつまれ、神々と英雄の物語は終わりをつげます。


神々の世界とは、法則がはたらいている世界のことであり、それは、自我をもった人間がうまれる以前の世界のことでもあります。この世界のことを、人間がくらす地上に対して天上の世界ともいいます。

はたらいている法則とは「引き寄せ」の法則であり、この根本的な法則があるがために、ひとたびひとつの「中心」が生じた場合、そこに、世界のすべてのパワーが引き寄せられてきます。そのパワーの中心こそがニーベルングの「指輪」であり、したがって、その「指輪」をはめたものは世界を支配することができ、すべての夢を実現することができるとおもってしまうのです。

一方、神々の長・ボータンは、ただ、法則によって生かされているのではなく、自らの意志によって自主的・主体的に行動できる「人間」をつくりだしたかったのです。その人間は、自らの意志によって前進し、自らの判断によってたたかい、自らの力によって敵をうちくだきます。このような人間、すなわち英雄を生みだしたかったのです。ここに、自我の確立、主体と環境との分離を見ることができます。

しかし、自我をもった人間は、自我を拡大していく存在にほかならず、それによって生みだされたあたらしい世界とは、愛と憎しみにみちあふれた感情の世界であり、平和と戦争とをくりかえす血なまぐさい世界であり、成功とズッコケのある滑稽な世界です。

そして、自我によってつくられた世界、自我によってとらえたもの、この世に実在すると人間(英雄)がおもっている光景は、実は幻にすぎません。幻であるからこそ、自らの意志を顕在化させ、物語をつくることができるのですが、他方で、それは簡単に滅び消え去ってもいきます。実現がある以上、滅亡もおのずとおとずれるのです。

こうして、愛と憎しみが交錯する複雑な世界はやがて炎につつまれ滅び去り、神々も人間もいない、ただ、法則のみが存在する安らぎの世界、本来の世界にもどっていきます。

ルパージュ演出の『ニーベルングの指輪』の最終場面は波があるだけです。この波と、ワーグナーの音楽の波動こそが、ただ、法則があるだけの世界にもどったことをおしえてくれています。

METライブビューイングで、グノー作曲《ファウスト》 (新演出オペラ)をみました。

指揮:ヤニック=ネゼ=セガン
演出:デス=マッカナフ
出演:ヨナス=カウフマン(ファウスト)、マリーナ=ポプラフスカヤ(マルグリット)、ルネ=パーペ(メフィストフェレス)
MET上演日:2011年12月10日
上映時間:3時間53分(休憩2回/新宿ピカデリー)

オペラの原作はドイツの文豪ゲーテ、一生を高邁な学問に捧げた老哲学者(ファウスト)が、悪魔(メフィストフェレス)の助けをかりて青春を取り戻し、人生遍歴に出るという話です。

今回の新演出では、主人公ファウストは物理学者、幕開けは原爆投下後の世界と設定されています。ナガサキをおとずれたある物理学者が、人類を不幸へとみちびく物理学と決別したという実話にヒントを得たといいます。

物理学者ファウストと、悪魔メフィストフェレスの二人はほとんど同じ服装をしています。青年になったファウストは白のスーツ姿で胸に白いバラの花、一方のメフィストフェレスも白いスーツに赤いバラをかざっているというように。これは、悪魔メフィストフェレスは、物理学者ファウストの内面の化身であることをあらわしているのだといいます。つまり、悪魔は、実は、ファウスト自身の心の中にいるのです。外にいるのではなくて。

これは、人間の真理をついた演出です。悪魔は自分の心の中にいる。すべては自分の心の中のできごとである。すべては自分の心の中からひきおこされる。原爆もこのようにして生じてきたのです。

MET:The Metropolitan Opera

オーディオビジュアルの年一度の祭典である「ハイエンドショウ東京 2011」にいってきました。

あるプログラムでは、同じ曲を、条件を変えて3回ききました。すると、1回目よりも2回目、2回目よりも3回目の方がよりよい音で聴こえました。ところが主催者によると、最初のものほど圧縮されていないハイファイサウンドであり、最後のものは iPhone などでつかわれている MP3(圧縮フォーマット)であるというのです。これはどういうことでしょうか。常識とはことなります。高価な装置、高解像度の音楽データをつかってもかならずしもよく聴こえないことになるのです。

主催者によると、「人間のメモリー効果で、同じ曲を何回か聴いていると後ほどよく聞こえるようになる」とのことです。したがって、最近はやってきた高解像度の音楽にとりくむときには注意が必要です。比較的安価なシステムでも、好きな曲を繰り返し聴くことによって音楽をたのしむことは十分に可能なのです。

次のプログラムでは、デジタル音源を伝送するデジタルケーブルを変えると音が変わるかどうかという実験をしました。デジタルデータですから伝送されるデータがケーブルによって劣化することはありません。しかし、おどろいたことに、USBケーブルを変えると音が変わってしまうのです。アナログケーブルでしたらよくあることですがこれは不思議です。

主催者によると、「伝送されるデジタルデータそのものがそこなわれることはないですが、時間軸方向での信号の揺らぎ が生じたり(ジッター)、信号のタイミングがずれて生じる周波数の低いノイズが発生したりすると(ビートノイズ)、デジタル信号をアナログに変えるときに悪影響がでてしまう」とのことです。したがって常識とはことなり、デジタルケーブルの選択は高音質化のために重要になってくるわけです。

今日は、常識をくつがえす2つの実験に参加し、いい体験をしました。

151212 美術・言語・音楽

美術は視覚あるいは目の芸術であり、音楽は聴覚あるいは耳の芸術です。

これらに対し言語あるいは文学は、文字を見ることもできるし、音で聞く(あるいは音読する)こともできます。このような観点からは、言語は、美術と音楽との境界領域に位置づけることができます。
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