発想法 - 情報処理と問題解決 -

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タグ:音楽

チャイコフスキー作曲『イタリア奇想曲』をききました(小林研一郎指揮、日本フィハーモニー交響楽団、サントリーホール、2015.3.7)。チャイコフスキーはイタリア旅行をしたときにこの曲の着想をえたそうです。

奇想曲(カプリチョ)とはイタリア語で「気まぐれ」を意味し、『イタリア奇想曲』にはイタリアの愉快な旋律が自由にちりばめられています。イタリアの開放的な雰囲気を反映して、チャイコフスキーのほかの作品とくらべると非常にあかるい雰囲気が印象的でした。

チャイコフスキーは、1979年の暮れから1880年の4月にかけてイタリアに滞在、イタリアの風土・文化・芸術に魅了されて大きな感銘をうけ、その感銘がさめないうちにローマで作曲の構想をねりはじめました。

私は数日前から、民謡の旋律を基にして『イタリア奇想曲』のスケッチを書き始めました。この曲は輝かしい未来を持つであろうと思います。これらの旋律の一部は出版されている民謡集から拾い出したものであり、一部は街を歩いている時に私自身の耳で聴いたものです。(チャイコフスキー、1880年1月4日付けの手紙より)

仕事などで何かの構想をねるときには現地にいるあいだに構想をねるとよいとおもいます。リアルタイムで情報を感じとれますから。帰宅してしまうとあっというまに情報の鮮度がおちてしまいます。

構想をねるということは<インプット→プロセシング>に相当します。情報処理の絶好のチャンスとして旅行や出張を活用したいものです。
 



スマートフォンが普及し、イヤホンで音楽をたのしんでいる方も多いとおもいます。たとえば、最近発売された iPhone 6 & 6 Plus は音質がとてもよく、よくできたイヤホンをつなぐだけで高品質な音楽をいつでもどこでもたのしむことができます。

今回、ご紹介するのは、オーディオテクニカのイヤホン“ATH-IM01”です。

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屋外で、あるいは旅行先でつかうのにベストなイヤホンのひとつです。iPhone 付属のイヤホンよりもはるかに音質がいいです。わたしは、出あるいたときにはいつもこのイヤホンをつかっています。

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このイヤホンは、低音から高音までの音のバランスがよく、聞きづかれしにくいのが最大の特色です。解像度も高く、明瞭な音をならしてくれます。曲によっては低音がたりないと感じることがあるかもしれませんが、その場合は、イヤピースをしっかり耳にフィットさせ、隙間がないようにすると低音がでます。

ケーブルは耳かけ式で、耳にかける部分にはワイヤーが入っています。ケーブル自体は、通常のイヤホンのものよりも太くて丈夫で、屋外でのハードな使用にたえられる設計になっています。ケーブルから生じるノイズ(タッチノイズ)はほとんどありません。イヤホン本体のR側のコネクター部分が赤くなっていて、左右の判別がしやすいのも便利です。

持ちはこび用の専用セミハード・ケースが付属しているのもよいです。普通のイヤホンは巾着袋のようなものがついているだけです。

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まとめ
  • 音のバランス、音質が非常によく、聞きづかれしにくい。
  • ケーブルからくるノイズがない。
  • 屋外での使用にベストなイヤホンのひとつ。

わたしは、これまで数々のイヤホンをためしてきましたが、このイヤホンは、あきらかに、スマートフォンを意識した設計になっています。iPhone などをつかって、屋外で音楽をたのしむ機会が多いのでしたらこのイヤホンがいいとおもいます。
 



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METライブビューイング(新宿ピカデリー)でヴェルディ作曲『マクベス』を視聴しました。

指揮:ファビオ=ルイージ 
演出:エイドリアン=ノーブル
出演:アンナ=ネトレプコ(マクベス夫人)、ジェリコ=ルチッチ(マクベス)、ルネ=パーペ(バンクォー)、ジョセフ=カレーヤ(マクダフ)

オペラ『マクベス』は、ウィリアム=シェイクスピアの戯曲『マクベス』を原作とし、イタリアの作曲家ジュゼッペ=ヴェルディが全4幕のオペラにした作品です。1847年にフィレンツェで初演され、1865年に大幅な改訂がなされ、今日ではこの改訂版の方がより頻繁に上演されています。

ヴェルディは、シェイクスピアを原作とするオペラ『マクベス』『オテロ』『ファルスタッフ』を作曲しており、いずれも名作となっています。

原作の『マクベス』は、1606年頃にシェイクスピアによって書かれた戯曲です。勇猛果敢ですが小心な一面もある将軍マクベスが、妻と はかって主君を暗殺し王位につきましたが、内面・外面の重圧に耐えきれず錯乱して暴政をおこない、貴族や王子らの復讐にたおれます。『ハムレット』、『オセロー』、『リア王』とならぶシェイクスピアの四大悲劇のひとつです。

オペラでは、マクベスよりもマクベス夫人を中心にしてドラマが展開していて、マクベス夫人の心の内面(深層意識)にある欲望が悪魔のような歌声で見事に表現されていました。

一方で、みずからの手を実際によごしたのは夫のマクベスであり、運命に翻弄されていく姿がよくあらわれていました。

こうして、マクベス夫人の内面世界と夫マクベスの現実の行為の両者が、マクベス夫人の歌声と夫マクベスの演技とのコントラストによってうかびあがり、そして、音楽と演技とが融合して一本のストーリーになっていく様子がとてもおもしろかったです。総合芸術の醍醐味がありました。

それにしても、このようなおそろしい人間の内面世界をドラマチックにえがきあげることができるヴェルディは、やはり西洋音楽史上にのこる大作曲家といえるでしょう。オペラといえば、情緒あるうつくしい音楽で聴衆をたのしませるのが普通ですが、この作品は異質です。

本作の再演のおりには是非もういちど視聴して、音楽と演技が融合して、人間の深層意識がえがきだされる過程を検証してみたいとおもいます。


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今シーズンもMETライブビューイングがはじまりました。METとは、アメリカ・ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場のことです。

METライブビューイングは世界中の映画館で上映され、現代におけるオペラのスタンダードをつくりあげつつあります。多くのオペラファンは、まずライブビューイングを視聴して、そして気に入った作品があれば実際の劇場に足をはこぶというパターンを確立しつつあります。

こうした背景のひとつにはオペラの鑑賞料の問題があります。実際の劇場で上演されるオペラはチケット代がとても高額です。オペラは言わずもがなもっとも巨大な総合芸術であり、歌手以外にもかかわるスタッフが多数であり、装置も大がかりな物が多く、したがってお金がとてもかかり、それがチケット代に反映してしまいます。

しかし、ライブビューイングのチケットは1回あたり3600円と、普通の映画にくらべれば高いですが、オペラにしては手頃な価格です。

こうしてオペラファンはまずライブビューイングを見て、ときどき劇場に行ってライブを鑑賞するようになります。この過程では、ライブビューイングを基準にして、どの作品をライブで鑑賞するか、判断し選択するということがおこります。こうして、非常に多数の人々が見るライブビューイングがオペラのスタンダードとして確立されていきます。判断基準・評価基準が人々の意識のなかでできていくのです

これはかつて、ヘルベルト=フォン=カラヤンとベルリンフィルハーモニー管弦楽団が、LPやCDでクラシック音楽のひとつのスタンダードをつくりあげたことと似ています。

いずれも、メディアや情報化などの技術革新の時流にのって実現したことです

カラヤンのときは音声だけでしたが、今度のMETには映像も入っています。情報量は圧倒的に増えました。いいかえれば、今世紀になってから巨大な情報量をあつかえるようになり、ライブビューイングの配信は実現できたのです。

METライブビューイングのおもしろいところは、毎回 幕間に、歌手へのインタビューがあり、また舞台裏の様子をありありとうつしだしていることです。劇場では絶対に聞けない話を聞くことができ、劇場に行っても見られない所が見られるという特典つきです。これは今までになかった演出であり、あらたなチャレンジです。

今後、METライブビューイングは世界のオペラ水準を上げることに貢献するでしょうか、それとも、METの一人勝ちになるのでしょうか。

今シーズンのMETライブビューイングは名作が目白押しです。臨場感が味わえる中央の席で鑑賞するのがよいでしょう。また東京都内の場合、音質は、新宿・ピカデリーの方が銀座・東劇よりも圧倒的によいです。東劇は音が悪く、ヴァイオリンの音が金属音的に聞こえます。これはおもにスピーカーの善し悪しに起因します。オペラは長時間上演になりますので音質のよい映画館に行った方がよいでしょう。


METライブビューイング

iPhone 6 と 6 Plus が発売されてたくさんのレビューがでてきており、大方、非常に高い評価になっています。

デザイン、ディスプレイ、カメラ、iOS などについてはかなりくわしい解説や評価を見かけますが、音質(オーディオ)についてはどうでしょうか。

わたしが試聴したところ 新 iPhone は音質も非常によいです。もっとも iPhone は iPhone 5 から音質が特によくなったと言われていましたが。

iTunes と iPhone をつかって音楽を毎日たのしんでいる方も多いとおもいます。毎日のたのしみは欠かせないことであり、だからこそ音質にもこだわりたいものです。

iPhone の音質の最大の特色はそのバランスのよさです。音楽は第一にバランスがよくなくてはなりません。

iPhone のイヤホンジャックに、たとえばつぎのイヤホンをつなげば、非常にすぐれた音質で音楽を手軽にたのしめます。


外付けのポータブルアンプがはやっているようですが、そのような物は基本的には必要ありません。わたしもかつてポータプルアンプを iPhone につないで失敗したことがありました。iPhone には、よくできたイヤホンを直接つないでください。よけいな物は必要ありません。

なお、自宅やホテルの部屋などでゆっくり音楽にひたりたいときには、iPhone の設定を「機内モード」にすると若干ですが音質が向上します。

アップルの仕事は、技術化ではなくアート化をめざしているのではないでしょうか。あたらしい時代は、技術化をこえたアート化をめざした方がよいとかんがえられます。


上記の、オーディオテクニカ ATH-CK90PROMK2 はバランスも解像度もよい名機です。 わたしも長年愛用しています。メーカーのサイトによりますと生産完了になっているため在庫かぎりだとおもわれます。

音質はややおとりますが価格が若干ひくい同系列のモデルもあります。
もっと低価格のモデルとしてはつぎがおすすめです。


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わたしが興味をもっている小椋佳さん(シンガーソングライター)が話しをしていました(『関口宏の人生の詩』BS-TBS/2014.8.27)。

小椋佳さんは、「詞を書くとメロディーが自然にうかんできて歌うことができる」そうです。そして、「それを録音して記譜者(楽譜におこす人)にわたして楽譜にしてもらい、それが編曲者にわたって楽曲が完成する」のだそうです。

「うかんでくるメロディーはおなじ詞であってもそのときどきで若干ことなる」そうで、たとえば、「『シクラメンのかおり』は布施明さんが歌うのと、小椋佳さんが歌うのとでは若干ことなります。『愛燦燦』は、ひばりさんにわたした曲とそのあとで小椋佳さんが歌ったメロディーとがことなったので、ひばりさんは小椋さんにあわせてなおしてくれた」そうです。

自然にメロディーがわいてくる。これは、一般の人々から見たらおどろきですが、そういう素質をそもそももって生まれてきたということをあらわしています。努力してできることではありません。まず素質があって、そのあとで努力です。

誰もが、何らかの素質をもって生まれてきています。はやい段階で自分の素質を見極めることは必要なことでしょう。

音楽のたのしみ方にはライブとオーディオの二種類があります。

ライブはいうまでもなく舞台上での生演奏です。それに対して、オーディオ音楽は録音を再生した音楽です。ライブが舞台で上演される演劇に相当するとすると、録音は映画に相当します。

オーディオ音楽についてはいろいろなたのしみ方があるとおもいます。ひとつは原音再生をめざすものであり、生演奏をできるだけ忠実に再現するのがよいとするかんがえ方です。もうひとつは、オーディオ音楽は独立したジャンルであり、コンサートホールで聞く音楽とは別物であるというかんがえ方です。

ここで、舞台芸術と映画のちがいにも注目しなければなりません。舞台芸術は目前で実演するのに対し、映画はカットを編集してつくります。

しかし、舞台は実演しているといっても、舞台は現実ではなく、背景その他は現実を模して装飾されたものです。それに対して映画は、現実の世界でロケをしたり、撮影場のきわめてリアルなセットの中で撮影され、映像を見ているかぎりは現実のように見えます。

このようにかんがえてくると、舞台か映画かということは表面的なことであり、どちらにもそれぞれのよさがあります。むしろ、舞台か映画かといった表現手段よりも、どのようなメッセージを作者がつたえたいのかということの方が重要だとおもいます。

こうして、オーディオ音楽に録音再生芸術という独立したジャンルをあたえてもよいのではないでしょうか。ライブは演劇に、オーディオ音楽は映画に相当するのです。

すぐれたオーディオで聞く音楽はしばしばライブを越えます。また、今では絶対に聞けない歴史的名演が録音の再生というかたちでよみがえり、臨場感をもって大きな感動をあたえます。コンサートホールとはちがうよろこびを味わえることがよくあります。

オーディオ用に録音された音楽はしばしばカットや音を編集してつくりあげますが、それはそれでかまわないとおもいます。ライブではないのですから。むしろオーディオはライブを越えることをめざせばよいのです。

一方で、ライブはライブでオーディオとはちがうたのしみ方をすればよいのです。

演劇と映画、ライブとオーディオ、それぞれによさがあります。

オーディオのイベント、ハイエンドショウトウキョウ2014の逸品館のデモのなかに「第2世代 波動ツィーター」の実演もありました。

これは、楽器のように高音を発生し、スピーカーの能力を飛躍的に拡大するオーディオ装置です。ツィーターというと高音を改善するようにおもわれますが、これはむしろ低音をひきしめ、音全体を躍動させ音楽の臨場感を高める効果がありました。

どうして、高音が低音をひきしめるのででょうか。つぎのような説明がありました。

たとえば、ティンパニーをフェルトのバチでたたく場合と、大きな和太鼓を木のバチでたたく場合をくらべてみると、かたい木のバチでたたいた方が高い圧力が発生するので、圧力の高い音波を発生させることができます。これにより、おなじ大太鼓であっても、ティンパニーよりも和太鼓の方が低音のもやつきや膨らみが解消しリズムがひきしまります。

一点を明確にアタックすると、場の全体にそれが響き影響をあたえ、全体の輪郭が明瞭になり透明感が増し、場がひきしまります。アタックと全体の場、大変おもしろい実験でした。

なお、実際の音楽では、ティンパニー的な効果と和太鼓的な効果とを場面によってつかいわけています。



▼ 波動ツィーター AIRBOW CLT-5

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年に一度のオーディオのイベント、ハイエンドショウトウキョウ2014に先日いってきました。会報は、青海フロンティアビル(東京都江東区)でした。

わたしはおもに逸品館のデモを聞きました。目玉は、ペアで2千2百万円もする超高級スピーカー、Focal Grand Utopia でした。もはやライブを越えています。ゆたかにひろがる音場、繊細な高音、自然で重厚な低音、圧倒的な底力。こんな世界最高級のスピーカーで音楽をきけるチャンスはめったにありません。

おもしろいのは、あくまでも音楽がひろがり、スピーカーからは音はきこえず、スピーカーの存在が消えてしまっていることです。まさに臨場感です。

中央の一点からボーカルがきこえ、そのやや右後ろからベースがひびいてきます。ボーカルがたち、そのやや右後ろにベースがたっていることがはっきりとイメージできます。

しかし、その場所に行ってみるとそのような音はありません。スピーカーのそばに行ってみるとスピーカーからはたしかに物理的な音は出ているのですが、スピーカーからはなれると音楽の響きがひろがります。物理的な音はスピーカーから出るのですが音楽は仮想の音響空間で響いています。音響空間ではスピーカーは消えているかのようで、音楽は、スピーカーそのものからは聞こえてこないのです。物理的な音と、空間に響く音楽とはちがうということです。

つまり、音楽の響きは耳ではなく意識で認識しているのです。わたしたちの意識は、2本のスピーカーから出てくる物理的な音を、意識のなかで融合させて有機的・立体的な音楽をつくりあげています。意識は部屋全体にひろがっていて、その意識の場のなかで音楽が響いているといってよいでしょう。

オーディオ装置で音楽を聞いてみると自分の意識のひろがりとその仕組みについて実感することができます。ここに、ライブとはちがおもしろさがあります。意識とは、情報処理の場あるいは仕組みと言いかえてもよいです。

また、5.1サラウンドのデモもありました。臨場感が一層増して、特に、オーディオ再生がむずかしい大編成の交響曲はすばらしかったです。

「失速する iTunesミュージック 焦るアップルの過剰マーケティングにU2のボノもあきれる」という記事を見つけました(Yahoo!ニュース/ダイヤモンド・オンライン、10月29日)。

アップルの音楽ダウンロードサービスの「iTunes music」が、2014年初頭から13%も売上を落としたことが話題になっているそうです。
iTunes music のようなダウンロード型サービスにかわって台頭してきているのはストリーミングサービスです。ストリーミングは、自分のストレージに楽曲を保存・所有せずにインターネットを介して聞けるサービスであり、最近のユーザーはもっと軽快な方法で音楽をたのしみたいとおもうようになってきています。

このあたりの事情はクラウドについて理解するとわかってくるとおもいます。クラウドとはグーグルがおこなっているようなサービスであり、データはストレージにではなくクラウドにおいておき、ネットでいつでもアクセスできる仕組みになっています。最近、クラウドがいよいよ本格化しはじめたということが言えるでしょう。

この意味では、iPhone も iPod、iPad、Mac もまだクラウドストレージにはなりきっていません。最近発売され話題沸騰中の iPhone 6 においてでもそうです。ストレージ方式をまだひきずっているのです。

いずれ、デバイスはすべてクラウドデバイスになる時がやってきます。そのとき、情報革命はさらに一段 先にすすむことになるでしょう。

アップルは、ヘッドフォンとストリーミングサービスの会社であるビーツを30億ドルで買収、アップルの iTunes も来年には、ストリーミングサービスを iTunes に統合するとのことです。

新国立劇場の新制作、リヒャルト=ワーグナー作曲『パルジファル』を鑑賞してきました。

指揮:飯守泰次郞
演出:ハリー=クプファー
アムフォルタス:エギルス=シリンス
ティトゥレル:長谷川顯
グルネマンツ:ジョン=トムリンソン
パルジファル:クリスティアン=フランツ
グリングゾル:ロバート=ボーク
クンドリー:エヴェリン=ヘルリツィウス
合唱:新国立劇場合唱団・二期会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

今回のハリー=クプファーの演出のテーマは「歪められた教えからの解放をねがい、彼らは「道」を歩んでいく」でした。クプファーはつぎのようにのべています。

私が考えるこの「救済」とは、ドグマからの解放、キリスト教の教えの歪曲・悪用からの解放だと思っています。イエスの言葉、新約聖書の内容が歪められるなど、長い歴史の中でキリスト教の思想の上に降り積もってしまったたくさんの「瓦礫」、それを全部取り除くことがここでの「救済」だと私は捉えています。それが『パルジファル』の作品全体の精神的な構造から私が導き出した結論です。

視覚的には、「光の道」がジグザグではあるけれどもはるかかなたまでつづいていきます。この「道」をあるいていくことが今回の『パルジファル』の基軸になっていて、それは時間をあらわしながらも、飯守泰次郞と東フィルが奏するうつくしい音響空間につつみこまれ、溶けこんで大きな空間に変容していく、そんな様子をイメージすることができました。

また、クプファーはクンドリーについてつぎのようにのべています。

彼女は、十字架にかけられたキリストを嘲笑したために呪われ、何度も生まれ変わって大変苦しい人生を歩まなければならない運命にある女性です。「生まれ変わる」というのは、むしろ仏教の輪廻転生の思想です。

この輪廻転生が、また、時間が空間になることをイメージさせます。

そして、このようにして時間が空間化していく過程で、ドグマから、あるいはキリスト教の教えの歪曲・悪用から解放されていくのです。これが「救済者には救済を!」ということです。ワーグナーとクプファーはこのようなメッセージをわたしたちにつたえたかったのではないでしょうか。

視覚と音楽のシンクロナイズ。演奏も演出もとてもすばらしかったです。このようなすぐれた総合芸術を堪能できる機会はめったにありません。是非とも再演をしていただきたいと新国立劇場におねがいします。

そのおりには、第1幕の「ここでは時間が空間となる」と、全曲の幕切れの「救済者には救済を!」についてしっかり検証してみたいとおもいます。

なお、わたしの今回の席は最上階の一番うしろ(4階の最後列中央)でした。新国立劇場オペラパレスは言うまでもなくオペラの専用劇場であり、もっともうしろの席からでも舞台全体が見え、音楽もよくひびくように設計されています。NHKホールのような巨大な多目的ホールとはちがい、うしろの席でも十分たのしむことができました。

METライブビューイングで、プッチーニ作曲『トゥーランドット』を視聴しました。

指揮:アンドリス=ネルソンス 
演出:フランコ=ゼフィレッリ
出演:マリア=グレギーナ(トゥーランドット)、マリーナ=ポプラフスカヤ(リュー)、マルチェッロ=ジョルダーニ(カラフ)、サミュエル=レイミー(ティムール)

絶世の美女トゥーランドットを取り巻く真実の愛の音楽が壮麗な舞台のうえで展開しました。

今回のプロダクションはすでに四半世紀にもおよぶ長命な人気プロダクションであり、MET(ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)ならではの手間とお金のかかった絢爛豪華な上演でした。

『トゥーランドット』はプッチーニ最後のオペラであり、プッチーニが死去したため、召使いのリューが自刃した箇所以降が未完となって23ページにわたるスケッチだけがのこされ、フランコ=アルファーノが補作し完成させました。

ヴェルディ作曲『アイーダ』とともに、オペラ入門としておすすめしたい作品です。

METライブビューイング(銀座・東劇)で、グノー作曲『ロメオとジュリエット』を視聴しました。

指揮:プラシド=ドミンゴ 
演出:ギイ=ヨーステン
出演:アンナ=ネトレプコ(ジュリエット)、ロベルト=アラーニャ(ロメオ)、イザベル=レオナール(ステファーノ)、ネイサン=ガン(メルキューシオ)、ロバート=ロイド(ローラン神父)

『ロメオとジュリエット』は、誰もが知っているシェイクスピアの有名な戯曲です。フランスの作曲家シャルル=グノーはこの作品を全5幕のオペラにしました。グノーが作曲したオペラの中では9番目にあたり、『ファウスト』についで成功をおさめた傑作です。

フランス・ロマン派のかおりをつたえるすきとおったメロディーが、悲恋物語を、一層うつくしくかなしくしていました。指揮は名テノールのプラシド=ドミンゴという豪華版でした。

ストーリーについてはすでに誰もが知っているということもあり、オペラの場合はあくまでも音楽が中心で、情感ゆたかな楽曲でストーリーが表現されます。そこでは、言語で、因果関係を論理的につかむというのではなく、ふたりの深層意識からさまざまな出来事がわきだし具現化されていく、そんな様子がよくあらわれていました。

人間の意識の中軸には感情があって、感情は、わたしたちの意識をおおきくゆさぶります。人間は、基本的には感情の動物なのではないか、そんな感想をもちました。

本作は、シェイクスピアの戯曲に音楽をつけたというレベルのものではなく、まったく別の作品であり、あらたな創造がここにはありました。


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METライブビューイングで、トーマス=アデス作曲《テンペスト》を先日みました(注、MET=ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)。

これは、シェイクスピア最後の戯曲《テンペスト》をオペラ化した作品であり、作曲したトーマス=アデス(Thomas Adès, 1971年3月1日 ロンドン - )は現代英国の作曲家で、英国の大作曲家ブリテンの再来ともいわれ注目をあつめている俊英です。本作は、英国コヴェント・ガーデン王立歌劇場にて2004年2月に初演されました。




物語は、原作の戯曲にもとづいてファンタジックな世界が展開していきます。

ミラノ大公プロスペローは、弟アントーニオに地位をうばわれて追放され、ながれついた孤島で娘のミランダとともにくらしていました。

プロスペローはその孤島で魔法の力を手に入れることに成功し、妖精アリエルに命じて嵐をおこさせ、弟アントーニオとナポリ王のアロンゾが乗った船を難破させて孤島に漂着させます。

漂着した船には、ナポリ王子フェルディナンドものっていて、彼は、プロスペローの娘ミランダと恋におち、プロスペローの試練をへて彼女とむすばれます。プロスペローはアリエルをあやつって公国をとりもどし、魔法の力をすてます。




ロベール=ルパージュによる今回の演出では、イタリア・ミラノのスカラ座(歌劇場)を舞台にして演じられるというおもしろい形になっていて、メトロポリタン歌劇場のなかにさらに歌劇場があるという設定になっていました。現実におこっているとおもわれる出来事は、実は、劇あるいは幻ということになり、《テンペスト》を一層ファンタジックな世界にしていました。

また脚本は、シェイクスピアの台本をそのままもってきたのではなく、エッセンスをコンパクトにまとめあげたものであり、オペラは、ストーリーを展開させるというよりも、 登場人物の内面世界を、不協和音と叙情的な高揚とが交錯する現代音楽で表現していました。

オペラでは、言葉よりも音楽の方が重視され、原作よりも言葉の数が少ないので、ストーリーがわかりにくいと感じるかもしれません。オペラになったシェイクスピアを鑑賞するときは、あらかじめ、『あらすじで読むシェイクスピア全作品』(河合祥一郎著)などであらすじを予習してからでかけた方がよいでしょう。



▼ 注
METライブビューイング(東京・東銀座の東劇にて上映、MET=ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)
指揮:トーマス=アデス
演出:ロベール=ルパージュ
キャスト:
サイモン=キーンリーサイド(プロスペロー)、オードリー=ルーナ(妖精アリエル)、イザベル=レナード(ミランダ)、イェスティン=デイヴィーズ(トリンキュロー)、トビー=スペンス(アントーニオ)、アレック=シュレイダー(フェルディナンド)

METライブビューイングのウェブサイト >


▼ 参考文献
河合祥一郎著『あらすじで読むシェイクスピア全作品』(祥伝社新書) 2013年12月2日

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劇をきっかけにしてかんがえる - シェイクスピア作『尺には尺を』(演出:蜷川幸雄)-


▼ 関連書籍




【指揮】ルイ=ラングレ
【演出】パトリース=コリエ / モーシュ=ライザー
【出演】
 ハムレット:サイモン=キーンリーサイド
 オフィーリア:マルリース=ペテルセン
 王妃ガートルード:ジェニファー=ラーモア
 新王クローディアス:ジェイムズ=モリス
 レアティーズ:トービー=スペンス
 ※ MET=ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場

デンマーク王室を舞台に、前国王の父親を謀殺された王子の復讐がえがかれます。シェイクスピアの四大悲劇のひとつをトマがオペラ化した作品です。1868年、フランス・パリのオペラ座で初演されました。『ハムレット』をオペラ化した作品は数多く作曲されていますが、このトマの作品がもっとも有名です。

トマ(1811年8月5日 - 1896年2月12日)はフランスのオペラ作曲家であり、『ハムレット』は代表作です。フランス東部のメスに生まれ、1856年以降は母校パリ音楽院で教鞭をとることになり、作曲科の教授に就任、1871年には同音楽院の院長に就任し、亡くなるまでその地位にありました。

今回のMETライブビューイングでは、ハムレット役のスターバリトン、キーンリーサイドが血糊のような赤ワインにまみれながら熱唱する第2幕、恋人・オフィーリアが第4幕で歌う「狂乱の場」などが見どころでした。

すでによく知られた有名なストーリーですが、あらためてオペラでとらえなおしてみると、人間の意識の深層を綿密に音楽で描写していて印象的でした。

これからも、シェイクスピア作品のオペラ化に注目していきたいとおもいます。


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《プラハの春》音楽祭に、日本人指揮者・小林研一郎が大抜擢されたことで話題になった、連作交響詩《わが祖国》全曲演奏をライブ収録したDVDです。

《プラハの春》音楽祭は、チェコの作曲家・スメタナの命日である5月12日に、スメタナ作曲《わが祖国》の演奏で幕をあけます。2002年のオープニングコンサートでは、ヨーロッパ人以外でははじめて小林研一郎が指揮者として大抜擢となり、「日本人初の快挙」と報道されました。

スメタナは「チェコ国民楽派」の祖として知られ、 愛国心とチェコ民族独立の意志を音楽のなかにこめて作曲しています。

このような民族色ゆたかな個性的な音楽を、しかも《プラハの春》オープニングコンサートにおいて外国人(ほかの民族)が指揮するだけでも話題になりますが、そのような民族や人種をこえて大きな感動をあたえる演奏になっています。

すぐれた音楽には普遍性があり、民族の個性をこえて万人に理解され受けいれられることをみごとにしめしているといえるでしょう。個性と普遍性とは高い次元では決して矛盾しないことをおしえてくれます


DVD:スメタナ作曲『連作交響詩〈わが祖国〉』小林研一郎指揮&チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、2002年「プラハの春」音楽祭オープニングコンサート・ライブ(2002年5月12日、プラハ、スメタナ・ホールに収録)


著名な小説家・村上春樹さんと、世界的な指揮者・小澤征爾さんが自由にかたりあった、ロング・インタビューの記録です。

目次はつぎのとおりです。

第一回 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番をめぐって
インターリュード1 レコード・マニアについて

第二回 カーネギー・ホールのブラームス
インターリュード2 文章と音楽の関係

第三回 1960年代に起こったこと
インターリュード3 ユージン・オーマンディのタクト

第四回 グスタフ・マーラーの音楽をめぐって
インターリュード4 シカゴ・ブルーズから森進一まで

第五回 オペラは楽しい

スイスの小さな町で

第六回 「決まった教え方があるわけじゃありません。その場その場で考えながらやっているんです」

印象にのこった言葉を書きだしてみます。

村上「僕も同じように、早朝の四時頃に起きて、一人きりで集中して仕事をする。キーボードを無心に叩く。小澤さんが集中して楽譜を読んでいるのと同じ時間に、僕の場合は文章を書いている」

小澤「細かいところが多少合わなくてもしょうがないということです。太い、長い一本の線が何より大切なんです。それがつまりディレクションということ」

小澤「音を分離するっていうのかな、音の中身が聞こえるようにするわけです。というのが今の風潮じゃないですかね」
村上「室内楽に近づいている」

小澤「レコードのジャケットがどうとか、そういうところじゃなくて、しっかり中身を聴いている。そういうところが、話をしていて、僕としては面白かったわけなんです」

村上「ショーンベルクは『音楽とは音ではなくて、観念だ』というようなことを言っているが、普通の人間にはなかなかそういう聴き方はできない。そういう聴き方ができるということは、もちろんうらやましくはある。だから小澤さんは僕に『スコアを読めるように勉強したら』と勧める」

村上「僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。
 リズムのない文章を書く人には、文章化としての資質はあまりないと思う。
 僕はジャズが好きだから、そうやってしっかりとリズムを作っておいて、そこにコードを載っけて、そこからインプロヴィゼーションを始めるんです。自由に即興をしていくわけです。音楽を作るのと同じ要領で文章を書いています」

村上「マーラー自身作曲家=指示する人であり、指揮者=解釈する人であったわけだから、そのへんの兼ね合いは本人にとっても背反的だったのかもしれない」

小澤「斎藤先生が昔、僕らに良いことを言ってくれました。お前たちは今は白紙の状態だ。だからよその国に行ったら、そこの伝統をうまく吸収することができるだろう。その国に行ったら、そこの良い伝統だけを取り入れなさい。もしそれができたら、日本人だって、アジア人だって、ちゃんと分があるぞ、と」

村上「楽器の演奏技術だけじゃなくて、譜面を精密に読み込む能力みたいなものもやはり進歩したわけですか」
小澤「していると思いますね」


お二人はともに早朝に集中して仕事をしているそうですが、情報処理( インプット→プロセシング→アウトプット )の観点からお二人の仕事を整理してみると、村上さん(小説家)が「キーボードを叩く」(文章を書く)というのは、情報のアウトプットをしていることであり、小澤さんが「楽譜を読んでいる」というのは、情報のインプットをしていることで、お二人がやっていることはことなります。

村上さん(小説家)の仕事はつぎのとおりです。

〔インプット〕→〔プロセシング〕→〔アウトプット〕
素材を得る → 編集する → 小説(文章)を書く

一方の小澤さん(指揮者・演奏家)の仕事はつぎのとおりです。
 
楽譜を読む → 解釈する → 演奏する

小澤さんの仕事には、作曲家が書いた楽譜が必要であり、指揮者・演奏家の前には作曲家がかならず存在します。その作曲家の仕事はつぎのとおりです。

素材を得る → 編集する → 楽譜を書く

音楽という芸術は、〔作曲家→指揮者・演奏家〕という情報処理(仕事)の連携があってはじめ成立します。これは、情報処理を一人でを完結させることができる小説家とはことなります。情報処理を一人で完結させることができるという点では、小説家は音楽家とはちがい、画家や彫刻家と似ています。

ここに、音楽という芸術の特殊性、時間性を見ることができます。

指揮者や演奏家は、作曲家がアウトプットした楽譜を、みずからの心のなかにインプットして(読みこんで)、演奏という形態でアウトプットしています。音楽では、このような情報処理の連携プレーがおこっているのです

ほかの人がおこなった情報処理の結果を読みこんで、あらたな情報処理をおこなうということは、ほかの分野でもよくおこなわれています。たとえば先人の業績を勉強して、その結果をさらに成長させることは可能です。

小澤さんがのべているように、音楽の演奏は、時代とともに変化し向上します。楽譜はまったく同じであるのに、楽譜を読む能力と演奏技術が向上するために、実際に演奏される音楽は時代とともにどんどん成長していくのです。本書により、小澤さんとともに、音楽がどのように成長してきたのかを具体的にたどることができます。

このように情報処理は時間(時代)とともに成長するのであり、ここに情報の創造ともいうべき過程を見ることができます。〔作曲家→指揮者→演奏家〕の連携プレーはこのためのモデルとしてとても参考になります。


文献:小澤征爾・村上春樹著『小澤征爾さんと、音楽について話をする』新潮社、2011年11月30日


参考CD:

単行本:

世界中で空前の大ヒットになっている『アナと雪の女王』を見ました。

何と言っても “Let It Go” がとても印象的でした。この曲も大ヒットしいて世界中でうたわれているそうです。

解きはなたれた ありのままの自分でいいんだ。完璧な “いい子” をもう演じなくていい。

ありのままの自分を肯定する「レット・イット・ゴー」がヒットする背景には今の時代があらわれてるとおもいます。精神的に抑圧された人々がいかに多いか。人々は物質的欲求ではなく、みずからの心の変化をもとめはじめました。世界中で吹きはじめたスピリチュアルの「風」とも共鳴しているでしょう。

自分を好きになってもいいのです。


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家庭などで音楽を再生するときに、オーディオ・システムをつかっている方がいらっしゃるとおもいます。

オーディオ・システム(オーディオ・コンポーネント)は、プレーヤーとアンプとスピーカーの3つの機器から構成されています。

プレーヤーとはCDプレーヤーなどであり、ディスクなどに記録された信号をとりだしてアンプに伝達する装置です。アンプとは日本語では増幅器といい、プレーヤーから入ってきたを信号を増幅する「増幅装置」です。スピーカーは、アンプからおくられてきた電気信号を音にかえてならす機器です。

このように、プレーヤー・アンプ・スピーカーの3点セットが適切にそろってこそオーディオはなりたちます。

〔プレーヤー〕→〔アンプ〕→〔スピーカー〕

この過程は情報処理の過程になっており、プレーヤーからアンプに信号がインプットされ、アンプはそれを増幅し、スピーカーは音楽をアウトプットします

音楽の再生や表現もひろい意味の情報処理の一部であり、上記の3点がそろってこそ音楽の再生がなりたつということは情報処理の観点からも理解できます。

ここで、アンプ(プロセシング)に注目してみると、その基本的な機能は情報の増幅です

つまり、プロセシングでは増幅という機能が重要であり、増幅があってこそアウトプットに価値が生じてくるのです。ただ単に、情報(素材)を伝達しているだけではあまり意味がありません。

人がおこなうプロセシングにおいては、もっとも重要となる増幅能力はイメージ能力(心象力)です。イメージ(心象)には情報を増幅させる力があり、さらに、人の能力それ自体を増幅させる力ももちます。したがって、「増幅装置」としてのイメージの力に注目し、イメージ訓練をつんでいくことは大切な事です。


▼ 参考文献:菅野沖彦著『新レコード演奏家論』 ステレオサウンド、2005年6月
 
「オーディオで音楽を再生することは、音楽に生命をあたえ表現することである」と主張し、そのようなことをする人を「レコード演奏家」とよんでいます。「レコード演奏家」は受動的な音楽鑑賞者ではなく、能動的な表現者です。アウトプットの価値を高めていくと、それは単なる出力ではなく表現へと発展していきます。

 

ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』から管弦楽の部分をピックアップして編曲した作品です

編曲と指揮をしたロリン=マゼールによると、「ワーグナーの書いた音譜以外、いっさい追加しておらず、各曲はオペラの順番どおりにつなげてある」そうです。この作品は、重要な曲を単に抜粋したのではなく、いくつもの曲が切れ目なくつづき、まるで一曲の壮大な管弦楽曲のようにたのしむことができることが特色です。

以下の楽曲がピックアップされています。

『ラインの黄金』より
  「かくてラインの「緑色のたそがれ」が始まる」
  「ヴァルハラ城への神々の入城」
  「地下の国ニーベルハイムのこびとたち」
  「雷神ドンナーが岩山を登り、力強く槌を打つ」
『ワルキューレ』より
  「われらは彼の愛の目印を見る」
  「戦い」
  「ヴォータンの怒り」
  「ワルキューレの騎行」
  「ヴォータンと愛する娘ブリュンヒルデとの別れ」
『ジークフリート』より
  「ミーメの恐れ」
  「魔法の剣を鍛えるジークフリート」
  「森をさまようジークフリート」
  「大蛇退治」
  「大蛇の悲嘆」
『神々の黄昏』より
  「ジークフリートとブリュンヒルデを包む愛の光」
  「ジークフリートのラインへの旅」
  「ハーゲンの呼びかけ」
  「ジークフリートとラインの娘たち」
  「ジークフリートの死と葬送行進曲」
  「ブリュンヒルデの自己犠牲」

実際にきいてみると実にうまくつながっていて時間がたつのもわれてしまいます。

マゼールは、ワーグナーのエッセンスをみごとにうかびあがらせています。すでに、『ニーベルングの指輪』を見たことがある人にとっては、楽劇(オペラ)の場面をおもいうかべながらきくことができます。一方、ワーグナーをこれからきいてみようという方にとっては『ニーベルングの指環』入門として有用です。

『ニーベルングの指輪』といえば、西洋音楽史上空前絶後の超大作であり、全作上演には実に約15時間を要します。マゼールはこれを約70分に圧縮し総集編をつくったわけです。どの曲をピックアップし統合して一本の楽曲にすればよいか、このためには高度な能力が要求されます。

音楽を演奏する(表現する)ということは、情報処理の観点からいうとアウトプットをするということです。アウトプットする場合、多種多量の情報のすべてをアウトプットすることには意味はなく、多種多量の情報を何らかの方法で統合してアウトプットすることになります。アウトプットの本質は情報の統合にあります

情報を統合する場合、いくつかの情報を融合・変化・発展させ圧縮して表現するという方法もありますが、マゼールは、もとの情報にはまったく手をくわえず、重要な部分をピックアップするという方法をもちいました。重要な箇所をピックアップして、それをもって全体を代表させるという方法であり、 いわば「代表選手」にすべてをたくすといったやり方です。音楽や映画の総集編をつくるときにつかわれる方法です。

ピックアップという方法は簡単そうでどうってことないように見えますが、実は、そこにはとても奥深い世界がひろがっています。 マゼールは実によくできたピックアップをしました。さすがです。

総集編のつくり方を参考にして、情報のアウトプットのために、ピックアップという方法を意識してつかっていくと仕事の効率・効果は高くなります


Blu-ray : “Ring Without Words” Richard Wagner, Lorin Maazel, Berlin Philharmonic, 2012
CD: Ring Without Words” Richard Wagner, Lorin Maazel, Berlin Philharmonic, 2005
(ロリン=マゼール指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団、リヒャルト=ワーグナー『言葉のない指輪』)



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