発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

タグ:表現法

オーディオのイベント、ハイエンドショウトウキョウ2014の逸品館のデモのなかに「第2世代 波動ツィーター」の実演もありました。

これは、楽器のように高音を発生し、スピーカーの能力を飛躍的に拡大するオーディオ装置です。ツィーターというと高音を改善するようにおもわれますが、これはむしろ低音をひきしめ、音全体を躍動させ音楽の臨場感を高める効果がありました。

どうして、高音が低音をひきしめるのででょうか。つぎのような説明がありました。

たとえば、ティンパニーをフェルトのバチでたたく場合と、大きな和太鼓を木のバチでたたく場合をくらべてみると、かたい木のバチでたたいた方が高い圧力が発生するので、圧力の高い音波を発生させることができます。これにより、おなじ大太鼓であっても、ティンパニーよりも和太鼓の方が低音のもやつきや膨らみが解消しリズムがひきしまります。

一点を明確にアタックすると、場の全体にそれが響き影響をあたえ、全体の輪郭が明瞭になり透明感が増し、場がひきしまります。アタックと全体の場、大変おもしろい実験でした。

なお、実際の音楽では、ティンパニー的な効果と和太鼓的な効果とを場面によってつかいわけています。



▼ 波動ツィーター AIRBOW CLT-5

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顔の輪郭がはっきりしている人を見かけました。

顔の輪郭がはっきりしているといっても、写真や絵画を見ているわけではなく、その場に実際に存在している人の顔ですから、まわりは空気であり、顔の背後に背景がボヤーッと見えるだけのはずです。

どうして輪郭がはっきりしているように見えたのだろうかと考察したところ、その人は目や鼻の形がくっきりしていたのです。

顔の中心付近がくっきりしていると、それに影響されて顔の周囲、輪郭もはっきり見えてしまうのです。これは一種の錯覚でしょうか。

錯覚か現実かはともかく、中心部分をくっきりうかびあがらせると周囲の輪郭や境界もはっきりするという仕組みは、ビジュアルに何かを見せるときにつかえそうです。もっとも、そのことに気がついてすでにつかっている人はいるのかもしれませんが。


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新国立劇場の新制作、リヒャルト=ワーグナー作曲『パルジファル』を鑑賞してきました。

指揮:飯守泰次郞
演出:ハリー=クプファー
アムフォルタス:エギルス=シリンス
ティトゥレル:長谷川顯
グルネマンツ:ジョン=トムリンソン
パルジファル:クリスティアン=フランツ
グリングゾル:ロバート=ボーク
クンドリー:エヴェリン=ヘルリツィウス
合唱:新国立劇場合唱団・二期会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

今回のハリー=クプファーの演出のテーマは「歪められた教えからの解放をねがい、彼らは「道」を歩んでいく」でした。クプファーはつぎのようにのべています。

私が考えるこの「救済」とは、ドグマからの解放、キリスト教の教えの歪曲・悪用からの解放だと思っています。イエスの言葉、新約聖書の内容が歪められるなど、長い歴史の中でキリスト教の思想の上に降り積もってしまったたくさんの「瓦礫」、それを全部取り除くことがここでの「救済」だと私は捉えています。それが『パルジファル』の作品全体の精神的な構造から私が導き出した結論です。

視覚的には、「光の道」がジグザグではあるけれどもはるかかなたまでつづいていきます。この「道」をあるいていくことが今回の『パルジファル』の基軸になっていて、それは時間をあらわしながらも、飯守泰次郞と東フィルが奏するうつくしい音響空間につつみこまれ、溶けこんで大きな空間に変容していく、そんな様子をイメージすることができました。

また、クプファーはクンドリーについてつぎのようにのべています。

彼女は、十字架にかけられたキリストを嘲笑したために呪われ、何度も生まれ変わって大変苦しい人生を歩まなければならない運命にある女性です。「生まれ変わる」というのは、むしろ仏教の輪廻転生の思想です。

この輪廻転生が、また、時間が空間になることをイメージさせます。

そして、このようにして時間が空間化していく過程で、ドグマから、あるいはキリスト教の教えの歪曲・悪用から解放されていくのです。これが「救済者には救済を!」ということです。ワーグナーとクプファーはこのようなメッセージをわたしたちにつたえたかったのではないでしょうか。

視覚と音楽のシンクロナイズ。演奏も演出もとてもすばらしかったです。このようなすぐれた総合芸術を堪能できる機会はめったにありません。是非とも再演をしていただきたいと新国立劇場におねがいします。

そのおりには、第1幕の「ここでは時間が空間となる」と、全曲の幕切れの「救済者には救済を!」についてしっかり検証してみたいとおもいます。

なお、わたしの今回の席は最上階の一番うしろ(4階の最後列中央)でした。新国立劇場オペラパレスは言うまでもなくオペラの専用劇場であり、もっともうしろの席からでも舞台全体が見え、音楽もよくひびくように設計されています。NHKホールのような巨大な多目的ホールとはちがい、うしろの席でも十分たのしむことができました。

METライブビューイングで、プッチーニ作曲『トゥーランドット』を視聴しました。

指揮:アンドリス=ネルソンス 
演出:フランコ=ゼフィレッリ
出演:マリア=グレギーナ(トゥーランドット)、マリーナ=ポプラフスカヤ(リュー)、マルチェッロ=ジョルダーニ(カラフ)、サミュエル=レイミー(ティムール)

絶世の美女トゥーランドットを取り巻く真実の愛の音楽が壮麗な舞台のうえで展開しました。

今回のプロダクションはすでに四半世紀にもおよぶ長命な人気プロダクションであり、MET(ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)ならではの手間とお金のかかった絢爛豪華な上演でした。

『トゥーランドット』はプッチーニ最後のオペラであり、プッチーニが死去したため、召使いのリューが自刃した箇所以降が未完となって23ページにわたるスケッチだけがのこされ、フランコ=アルファーノが補作し完成させました。

ヴェルディ作曲『アイーダ』とともに、オペラ入門としておすすめしたい作品です。

METライブビューイング(銀座・東劇)で、グノー作曲『ロメオとジュリエット』を視聴しました。

指揮:プラシド=ドミンゴ 
演出:ギイ=ヨーステン
出演:アンナ=ネトレプコ(ジュリエット)、ロベルト=アラーニャ(ロメオ)、イザベル=レオナール(ステファーノ)、ネイサン=ガン(メルキューシオ)、ロバート=ロイド(ローラン神父)

『ロメオとジュリエット』は、誰もが知っているシェイクスピアの有名な戯曲です。フランスの作曲家シャルル=グノーはこの作品を全5幕のオペラにしました。グノーが作曲したオペラの中では9番目にあたり、『ファウスト』についで成功をおさめた傑作です。

フランス・ロマン派のかおりをつたえるすきとおったメロディーが、悲恋物語を、一層うつくしくかなしくしていました。指揮は名テノールのプラシド=ドミンゴという豪華版でした。

ストーリーについてはすでに誰もが知っているということもあり、オペラの場合はあくまでも音楽が中心で、情感ゆたかな楽曲でストーリーが表現されます。そこでは、言語で、因果関係を論理的につかむというのではなく、ふたりの深層意識からさまざまな出来事がわきだし具現化されていく、そんな様子がよくあらわれていました。

人間の意識の中軸には感情があって、感情は、わたしたちの意識をおおきくゆさぶります。人間は、基本的には感情の動物なのではないか、そんな感想をもちました。

本作は、シェイクスピアの戯曲に音楽をつけたというレベルのものではなく、まったく別の作品であり、あらたな創造がここにはありました。


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METライブビューイングで、トーマス=アデス作曲《テンペスト》を先日みました(注、MET=ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)。

これは、シェイクスピア最後の戯曲《テンペスト》をオペラ化した作品であり、作曲したトーマス=アデス(Thomas Adès, 1971年3月1日 ロンドン - )は現代英国の作曲家で、英国の大作曲家ブリテンの再来ともいわれ注目をあつめている俊英です。本作は、英国コヴェント・ガーデン王立歌劇場にて2004年2月に初演されました。




物語は、原作の戯曲にもとづいてファンタジックな世界が展開していきます。

ミラノ大公プロスペローは、弟アントーニオに地位をうばわれて追放され、ながれついた孤島で娘のミランダとともにくらしていました。

プロスペローはその孤島で魔法の力を手に入れることに成功し、妖精アリエルに命じて嵐をおこさせ、弟アントーニオとナポリ王のアロンゾが乗った船を難破させて孤島に漂着させます。

漂着した船には、ナポリ王子フェルディナンドものっていて、彼は、プロスペローの娘ミランダと恋におち、プロスペローの試練をへて彼女とむすばれます。プロスペローはアリエルをあやつって公国をとりもどし、魔法の力をすてます。




ロベール=ルパージュによる今回の演出では、イタリア・ミラノのスカラ座(歌劇場)を舞台にして演じられるというおもしろい形になっていて、メトロポリタン歌劇場のなかにさらに歌劇場があるという設定になっていました。現実におこっているとおもわれる出来事は、実は、劇あるいは幻ということになり、《テンペスト》を一層ファンタジックな世界にしていました。

また脚本は、シェイクスピアの台本をそのままもってきたのではなく、エッセンスをコンパクトにまとめあげたものであり、オペラは、ストーリーを展開させるというよりも、 登場人物の内面世界を、不協和音と叙情的な高揚とが交錯する現代音楽で表現していました。

オペラでは、言葉よりも音楽の方が重視され、原作よりも言葉の数が少ないので、ストーリーがわかりにくいと感じるかもしれません。オペラになったシェイクスピアを鑑賞するときは、あらかじめ、『あらすじで読むシェイクスピア全作品』(河合祥一郎著)などであらすじを予習してからでかけた方がよいでしょう。



▼ 注
METライブビューイング(東京・東銀座の東劇にて上映、MET=ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)
指揮:トーマス=アデス
演出:ロベール=ルパージュ
キャスト:
サイモン=キーンリーサイド(プロスペロー)、オードリー=ルーナ(妖精アリエル)、イザベル=レナード(ミランダ)、イェスティン=デイヴィーズ(トリンキュロー)、トビー=スペンス(アントーニオ)、アレック=シュレイダー(フェルディナンド)

METライブビューイングのウェブサイト >


▼ 参考文献
河合祥一郎著『あらすじで読むシェイクスピア全作品』(祥伝社新書) 2013年12月2日

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劇をきっかけにしてかんがえる - シェイクスピア作『尺には尺を』(演出:蜷川幸雄)-


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【指揮】ルイ=ラングレ
【演出】パトリース=コリエ / モーシュ=ライザー
【出演】
 ハムレット:サイモン=キーンリーサイド
 オフィーリア:マルリース=ペテルセン
 王妃ガートルード:ジェニファー=ラーモア
 新王クローディアス:ジェイムズ=モリス
 レアティーズ:トービー=スペンス
 ※ MET=ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場

デンマーク王室を舞台に、前国王の父親を謀殺された王子の復讐がえがかれます。シェイクスピアの四大悲劇のひとつをトマがオペラ化した作品です。1868年、フランス・パリのオペラ座で初演されました。『ハムレット』をオペラ化した作品は数多く作曲されていますが、このトマの作品がもっとも有名です。

トマ(1811年8月5日 - 1896年2月12日)はフランスのオペラ作曲家であり、『ハムレット』は代表作です。フランス東部のメスに生まれ、1856年以降は母校パリ音楽院で教鞭をとることになり、作曲科の教授に就任、1871年には同音楽院の院長に就任し、亡くなるまでその地位にありました。

今回のMETライブビューイングでは、ハムレット役のスターバリトン、キーンリーサイドが血糊のような赤ワインにまみれながら熱唱する第2幕、恋人・オフィーリアが第4幕で歌う「狂乱の場」などが見どころでした。

すでによく知られた有名なストーリーですが、あらためてオペラでとらえなおしてみると、人間の意識の深層を綿密に音楽で描写していて印象的でした。

これからも、シェイクスピア作品のオペラ化に注目していきたいとおもいます。


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《プラハの春》音楽祭に、日本人指揮者・小林研一郎が大抜擢されたことで話題になった、連作交響詩《わが祖国》全曲演奏をライブ収録したDVDです。

《プラハの春》音楽祭は、チェコの作曲家・スメタナの命日である5月12日に、スメタナ作曲《わが祖国》の演奏で幕をあけます。2002年のオープニングコンサートでは、ヨーロッパ人以外でははじめて小林研一郎が指揮者として大抜擢となり、「日本人初の快挙」と報道されました。

スメタナは「チェコ国民楽派」の祖として知られ、 愛国心とチェコ民族独立の意志を音楽のなかにこめて作曲しています。

このような民族色ゆたかな個性的な音楽を、しかも《プラハの春》オープニングコンサートにおいて外国人(ほかの民族)が指揮するだけでも話題になりますが、そのような民族や人種をこえて大きな感動をあたえる演奏になっています。

すぐれた音楽には普遍性があり、民族の個性をこえて万人に理解され受けいれられることをみごとにしめしているといえるでしょう。個性と普遍性とは高い次元では決して矛盾しないことをおしえてくれます


DVD:スメタナ作曲『連作交響詩〈わが祖国〉』小林研一郎指揮&チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、2002年「プラハの春」音楽祭オープニングコンサート・ライブ(2002年5月12日、プラハ、スメタナ・ホールに収録)


著名な小説家・村上春樹さんと、世界的な指揮者・小澤征爾さんが自由にかたりあった、ロング・インタビューの記録です。

目次はつぎのとおりです。

第一回 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番をめぐって
インターリュード1 レコード・マニアについて

第二回 カーネギー・ホールのブラームス
インターリュード2 文章と音楽の関係

第三回 1960年代に起こったこと
インターリュード3 ユージン・オーマンディのタクト

第四回 グスタフ・マーラーの音楽をめぐって
インターリュード4 シカゴ・ブルーズから森進一まで

第五回 オペラは楽しい

スイスの小さな町で

第六回 「決まった教え方があるわけじゃありません。その場その場で考えながらやっているんです」

印象にのこった言葉を書きだしてみます。

村上「僕も同じように、早朝の四時頃に起きて、一人きりで集中して仕事をする。キーボードを無心に叩く。小澤さんが集中して楽譜を読んでいるのと同じ時間に、僕の場合は文章を書いている」

小澤「細かいところが多少合わなくてもしょうがないということです。太い、長い一本の線が何より大切なんです。それがつまりディレクションということ」

小澤「音を分離するっていうのかな、音の中身が聞こえるようにするわけです。というのが今の風潮じゃないですかね」
村上「室内楽に近づいている」

小澤「レコードのジャケットがどうとか、そういうところじゃなくて、しっかり中身を聴いている。そういうところが、話をしていて、僕としては面白かったわけなんです」

村上「ショーンベルクは『音楽とは音ではなくて、観念だ』というようなことを言っているが、普通の人間にはなかなかそういう聴き方はできない。そういう聴き方ができるということは、もちろんうらやましくはある。だから小澤さんは僕に『スコアを読めるように勉強したら』と勧める」

村上「僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。
 リズムのない文章を書く人には、文章化としての資質はあまりないと思う。
 僕はジャズが好きだから、そうやってしっかりとリズムを作っておいて、そこにコードを載っけて、そこからインプロヴィゼーションを始めるんです。自由に即興をしていくわけです。音楽を作るのと同じ要領で文章を書いています」

村上「マーラー自身作曲家=指示する人であり、指揮者=解釈する人であったわけだから、そのへんの兼ね合いは本人にとっても背反的だったのかもしれない」

小澤「斎藤先生が昔、僕らに良いことを言ってくれました。お前たちは今は白紙の状態だ。だからよその国に行ったら、そこの伝統をうまく吸収することができるだろう。その国に行ったら、そこの良い伝統だけを取り入れなさい。もしそれができたら、日本人だって、アジア人だって、ちゃんと分があるぞ、と」

村上「楽器の演奏技術だけじゃなくて、譜面を精密に読み込む能力みたいなものもやはり進歩したわけですか」
小澤「していると思いますね」


お二人はともに早朝に集中して仕事をしているそうですが、情報処理( インプット→プロセシング→アウトプット )の観点からお二人の仕事を整理してみると、村上さん(小説家)が「キーボードを叩く」(文章を書く)というのは、情報のアウトプットをしていることであり、小澤さんが「楽譜を読んでいる」というのは、情報のインプットをしていることで、お二人がやっていることはことなります。

村上さん(小説家)の仕事はつぎのとおりです。

〔インプット〕→〔プロセシング〕→〔アウトプット〕
素材を得る → 編集する → 小説(文章)を書く

一方の小澤さん(指揮者・演奏家)の仕事はつぎのとおりです。
 
楽譜を読む → 解釈する → 演奏する

小澤さんの仕事には、作曲家が書いた楽譜が必要であり、指揮者・演奏家の前には作曲家がかならず存在します。その作曲家の仕事はつぎのとおりです。

素材を得る → 編集する → 楽譜を書く

音楽という芸術は、〔作曲家→指揮者・演奏家〕という情報処理(仕事)の連携があってはじめ成立します。これは、情報処理を一人でを完結させることができる小説家とはことなります。情報処理を一人で完結させることができるという点では、小説家は音楽家とはちがい、画家や彫刻家と似ています。

ここに、音楽という芸術の特殊性、時間性を見ることができます。

指揮者や演奏家は、作曲家がアウトプットした楽譜を、みずからの心のなかにインプットして(読みこんで)、演奏という形態でアウトプットしています。音楽では、このような情報処理の連携プレーがおこっているのです

ほかの人がおこなった情報処理の結果を読みこんで、あらたな情報処理をおこなうということは、ほかの分野でもよくおこなわれています。たとえば先人の業績を勉強して、その結果をさらに成長させることは可能です。

小澤さんがのべているように、音楽の演奏は、時代とともに変化し向上します。楽譜はまったく同じであるのに、楽譜を読む能力と演奏技術が向上するために、実際に演奏される音楽は時代とともにどんどん成長していくのです。本書により、小澤さんとともに、音楽がどのように成長してきたのかを具体的にたどることができます。

このように情報処理は時間(時代)とともに成長するのであり、ここに情報の創造ともいうべき過程を見ることができます。〔作曲家→指揮者→演奏家〕の連携プレーはこのためのモデルとしてとても参考になります。


文献:小澤征爾・村上春樹著『小澤征爾さんと、音楽について話をする』新潮社、2011年11月30日


参考CD:

単行本:

特別展「医は仁術」(会場:国立科学博物館) (注) を先日みました。

本展では、江戸時代の希少な解剖図などの史料、医療道具などを通して、中国からきた漢方と西洋からきた蘭方が、日本で独自に発展して人々をいかにすくってきたかを展示・解説していました。

naiyo01

図 会場案内図


わたしの印象にのこったのは「飲食養生鑑」(いんしょくようじょうかがみ)です。

これは、江戸時代後期の浮世絵であり、体内の構造と働きを見せた戯画です。見ておもしろいため庶民の間でとても評判になり、養生の知識を庶民にひろめるために役立ったそうです。 

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写真1 飲食養生鑑


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写真2 拡大図


人の絵とともに、医学的知識が言語で解説されている図であり、絵(イメージ)の中に言語がうめこまれていて、イメージと言語がむすびついているところに大きな特色があります。

イメージの中に言語をうめこみ、イメージと言語とが統合された世界を表現することは、情報処理の観点からみても意義のあることであり、「図解法」を実践するうえで特に参考になります


注: 特別展「医は仁術」
会期:2014年3月15日(土)~6月15日(日)
主催:国立科学博物館、TBS、朝日新聞

 

ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』から管弦楽の部分をピックアップして編曲した作品です

編曲と指揮をしたロリン=マゼールによると、「ワーグナーの書いた音譜以外、いっさい追加しておらず、各曲はオペラの順番どおりにつなげてある」そうです。この作品は、重要な曲を単に抜粋したのではなく、いくつもの曲が切れ目なくつづき、まるで一曲の壮大な管弦楽曲のようにたのしむことができることが特色です。

以下の楽曲がピックアップされています。

『ラインの黄金』より
  「かくてラインの「緑色のたそがれ」が始まる」
  「ヴァルハラ城への神々の入城」
  「地下の国ニーベルハイムのこびとたち」
  「雷神ドンナーが岩山を登り、力強く槌を打つ」
『ワルキューレ』より
  「われらは彼の愛の目印を見る」
  「戦い」
  「ヴォータンの怒り」
  「ワルキューレの騎行」
  「ヴォータンと愛する娘ブリュンヒルデとの別れ」
『ジークフリート』より
  「ミーメの恐れ」
  「魔法の剣を鍛えるジークフリート」
  「森をさまようジークフリート」
  「大蛇退治」
  「大蛇の悲嘆」
『神々の黄昏』より
  「ジークフリートとブリュンヒルデを包む愛の光」
  「ジークフリートのラインへの旅」
  「ハーゲンの呼びかけ」
  「ジークフリートとラインの娘たち」
  「ジークフリートの死と葬送行進曲」
  「ブリュンヒルデの自己犠牲」

実際にきいてみると実にうまくつながっていて時間がたつのもわれてしまいます。

マゼールは、ワーグナーのエッセンスをみごとにうかびあがらせています。すでに、『ニーベルングの指輪』を見たことがある人にとっては、楽劇(オペラ)の場面をおもいうかべながらきくことができます。一方、ワーグナーをこれからきいてみようという方にとっては『ニーベルングの指環』入門として有用です。

『ニーベルングの指輪』といえば、西洋音楽史上空前絶後の超大作であり、全作上演には実に約15時間を要します。マゼールはこれを約70分に圧縮し総集編をつくったわけです。どの曲をピックアップし統合して一本の楽曲にすればよいか、このためには高度な能力が要求されます。

音楽を演奏する(表現する)ということは、情報処理の観点からいうとアウトプットをするということです。アウトプットする場合、多種多量の情報のすべてをアウトプットすることには意味はなく、多種多量の情報を何らかの方法で統合してアウトプットすることになります。アウトプットの本質は情報の統合にあります

情報を統合する場合、いくつかの情報を融合・変化・発展させ圧縮して表現するという方法もありますが、マゼールは、もとの情報にはまったく手をくわえず、重要な部分をピックアップするという方法をもちいました。重要な箇所をピックアップして、それをもって全体を代表させるという方法であり、 いわば「代表選手」にすべてをたくすといったやり方です。音楽や映画の総集編をつくるときにつかわれる方法です。

ピックアップという方法は簡単そうでどうってことないように見えますが、実は、そこにはとても奥深い世界がひろがっています。 マゼールは実によくできたピックアップをしました。さすがです。

総集編のつくり方を参考にして、情報のアウトプットのために、ピックアップという方法を意識してつかっていくと仕事の効率・効果は高くなります


Blu-ray : “Ring Without Words” Richard Wagner, Lorin Maazel, Berlin Philharmonic, 2012
CD: Ring Without Words” Richard Wagner, Lorin Maazel, Berlin Philharmonic, 2005
(ロリン=マゼール指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団、リヒャルト=ワーグナー『言葉のない指輪』)



今回は、川喜田二郎著『発想法』の第 III 章「発想をうながすKJ法」から、第3場面「KJ法AB型による文章化」「 叙述と解釈をハッキリ区別せよ 」「 ヒントの干渉作用 」(94-111ページ)について解説します。

まず、要点をピックアップします。

KJ法AB型による文章化
図解から文章化に移るには、書き初めは、熟慮した図解上の位置から始めるのがよい。

叙述と解釈をハッキリ区別せよ
文章化するときの根本的な注意は、「叙述と解釈とを区別すること」である。

ヒントの干渉作用
些細なヒントをバカにしてはいけない。むしろそれを、支えになったデータとともに、しっかり定着させなければならない。

今回とりあげる「発想をうながすKJ法」の第3場面は、第2場面でつくった図解の内容を文章化する場面です。

この過程を、情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点からとらえなおすと次のようになります。

 インプット:図解を見る
 プロセシング:文章化の構想をねる
 アウトプット:文章を書く

ここでも、おこなっていることは情報処理であり、情報処理をつよく意識することが大切です。

次に、これらについて詳説します。

1. インプット:図解を見る
  • 文章化のために、つくった図解を見なおして味わいます。

2. プロセッシング:文章化の構想をねる
  • 書きはじめる箇所()をきめます。
  • ひとつのは、ひとつの節あるいは段落になります。
  • 2番目、3番目と、書いていく順序をきめます。

3. アウトプット:文章を書く
  • 要旨を書く場合は、大チームの表札すべてがうまくつながるように文章化すればそれが要旨になります。
  • 細部まで文章化する場合は以下のようにします。
  • 最初のの内容を文章として書きあらわします。
  • 大チームの表札が、その節あるいは段落の結論になります。
  • ひとつのについて書きおわったら、隣接するちかくのへうつります。
  • そのについても書きおわったら、隣接する次のへと順々に書いていきます。
  • たとえ話や実例を挿入してもかまいません。人々は、たとえによってコミュニケーションをしています。表現は、類似なパターンであらわすと効果的です。
  • 文章化は、図解のもっている弱点を修正する力をもっていて、図解化と文章化はたがいに他方を補強する役割をはたします。
  • 図解のときはわかったようにおもえていたことが、文章化すると話がうまくつながらないことがありますが、このようにこまったときこそあたらしいアイデアが飛び出すときです。アイデアはメモしておきます。
  • 叙述(事実)と解釈(仮説)とを区別して書きます
  • その解釈の根拠が、データに正直に根差した発想であることが重要です。
  • 文章化のためにひろいだされたデータ群をよくを見ていると、「データがかたりかけてくる」ことに気がつきます。
  • アイディアを促すような基本的な1小チームのデータ群のことを「基本的発想データ群」とよびます。
  • 些細なヒントをバカにせず、その支えになったデータとともにしっかり定着させます。
  • 図解から文章化へとただしく移行していくと、干渉作用の累積効果によって、出るべき仮説があたかも自然に成長するかのように生まれ出ることになります。これが文章化のもつ力です。
  • 小データ群に対しては、鮮明な分析を加えます。
  • 発想法の過程は全体としては総合化の方法ではありますが、その中で分析過程を拒否しているのではなく、「どの方向に分析を進めるべきか」に暗示をあたえるのが発想法です。

文献:川喜田二郎著『発想法』(中公新書)中央公論社、1967年6月26日
 
▼関連ブログ
ラベルづくり(取材→情報選択→記録)の方法 - 「発想をうながすKJ法」の解説(その1)-
グループ編成→図解化(イメージ化)の方法 -「発想をうながすKJ法」の解説(その2)-

本書は、国立民族学博物館初代館長・梅棹忠夫が撮影した写真(一部スケッチ)と、彼が書いた文章とをくみあわせてフィールドワークのすすめかたの要点をつかむための事例集です。

本書を見れば、梅棹忠夫がのこした写真と言葉から、世界を知的にとらえるためのヒントを得ることができます。

本書は次の8章からなっています。

第1章 スケッチの時代
第2章 1955年 京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊
第3章 1957-58年 大阪市立大学第一次東南アジア学術調査隊、1961-62年第二次大阪市立大学第二次東南アジア学術調査隊
第4章 日本探検
第5章 1963-64年 京都大学アフリカ学術調査隊、1968年 京都大学 大サハラ学術探検隊
第6章 ヨーロッパ
第7章 中国とモンゴル
第8章 山をみる旅

梅棹忠夫は、「あるきながら、かんがえる」を実践したフィールドワーカーであり、彼が、世界をどのように見、どのような調査をしていたのか、それを視覚的・言語的に知ることができます。

本書の特色は、写真と文章とがそれぞれ1セットになっていて、イメージと言語とを統合させながら理解をすすめることができる点にあります。知性は、イメージ能力と言語能力の二本立てで健全にはたらきます

イメージ能力をつかわずに言語能力だけで情報処理をすすめていると効果があがりません。学校教育では言語能力を主としてもちいてきましたが、これはかなりかたよった方法であり、すべてを言語を通して処理しようとしていると、大量の情報が入ってきたときにすぐに頭がつまってしまいます。

そこでイメージ能力をきたえることにより、たくさんの情報がインプットでき情報処理がすすみます。そのような意味で、写真撮影はイメージ能力を高め、視覚空間をつかった情報処理能力を活性化させるために有効です

写真は、言語よりもはるかにたくさんの情報をたくわえることができます。たとえば写真を一分間見て、目を閉じて見たものをおもいだしてみてください。実にたくさんの情報を想起することができます。あとからでも写真をみてあらたな発見をすることもあります。

こうして、写真と言語の両方で記録をとっていると、イメージ能力と言語能力とを統合することで相乗効果が生じ、視覚空間と言語空間は融合していきます

現代では、ブログやフェイスブックやツイッターなどをつかって、写真と言語とをくみあわせてアウトプットすることが簡単にできます。旅行やフィールドワークに行って、ブログやフェイスブックなどにそのときの様子をアップするときには上記のことをつよく意識して、梅棹流の形式で表現してゆけばよいでしょう。


文献:梅棹忠夫著『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界のあるきかた』勉誠出版、2011年5月31日


自分の行ったことのない世界、常識とはちがう異空間について知ることは、自分の心をひろげ、また、潜在意識にインパクトをあたえることができるのでとても意味のあることです。


この本を書いた趣旨には、ひとつ大切なものがある。野外における人間科学の研究法について、ひとつの伝統をつくりあげようという試みである。

この本は、「遠征 その人間的記録」ともいうべきものである。あるいは、「ある探検隊の生態」なのである。

私たち隊員たちは何度も、テープレコーダーを前にして経験を語りあった。それらを、できるだけ編集したのが、この本である。

この探検隊の体験が基になり、『パーティー学』とう小著が生まれ、その縁で『チームワーク』『発想法』『続・発想法』が生まれ、「KJ法」が生まれ、「移動大学」という事業が生まれたのである。他方、この探検隊のご縁がヒマラヤの技術援助へと展開してきている。

出かけた地方は、ヒマラヤでもっとも山奥の、ドーラギリ(ダウラギリ)峰北方の高原であった。そこで私たちは、チベット人のなかでかなり長いあいだ暮らしたのである。これらのチベット人は、同じチベット人たちのなかでも、とりわけ未開な人びとだった。だた、これほど感銘の深かった日々を私たちは一生のうちに、そう何度も味わうことはできないだろう。

ネパール北部のトルボ地方に学術探検をおこなう夢は、私が1953年に、マナスル登山隊の科学班の一員として中部ネパールを歩いてもどったころからである。前回の経験以来、私はチベット人の住む世界にひじょうな魅力を感じはじめていた。

ポカラ。この町が将来、世界屈指の山岳観光都市としてモダーンな発展をみるほど、ますます洗練した形で保存さるべきものだ。

もちろん技術援助は重要だ。けれど、各国が競争で、この国に技術援助や、資金援助をしているじゃないか。

タカリーはわずかに人口1万人にもみたないほどの少数民族である。しかも、こんなヒマラヤの大山奥に住む人々である。それだのに、彼らの身につけた文化は、すこし環境を改善するならば、西欧の近代的な資本主義社会のなかに投げこんでも、ちっとも不調和を感じさせないほどのものであろう。

ツァルカ村についた!

何ヵ月も準備し、二ヵ月も旅してたどりついた、その村だったのか。ポカラを出てから25日目、トゥクチェからでも2週間の旅であった。

ツァルカ村は、まるで大海のなかに浮かぶ一かけらの孤島のように思われた。

村は、海抜じつに4150メートルの高所にあった。全ヒマラヤを通じて、おそらく最高所の農耕地帯であった。こんな高度には、春まきオオムギの単作地帯のみが現れる。

チベット人たちは、生まれてから風呂にはいったこともなく、いわんや洗面などはしない。毎朝、村の下の支流まで降りていって、葉をみがいたり、顔を洗ったり、ヒゲをそったりするのは、われわれだけであった。

しかし、私たちがいるために、「文化変化」が起こりだしたのであった。
「すまないが、石鹸を一度使わせてくれない?」
「ヒゲをそりたいから安全カミソリを貸してくれ」

手はじめとして、彼らの家系図をつくる。詳細な村の地図をつくる。

家畜はヤク、羊、山羊だった。これらの家畜からバターやチーズをつくり、ヤクの毛や羊毛をつみ、皮を利用し、燃料を得る。また、増殖した家畜自体が商品ともなっている。

これに反して、畑はかぎられていて、村人の自給用の食物にもたりない。村は畜産を主とし、農耕をむしろ従とするのであった。

それから、チベット人のすべてに浸透している商業活動がある。
 
この村には共同体的結束がある。その反面、村人のあいだにはひじょうな個人主義がある。

鳥葬。

死体を刻んで鳥にあたえる葬り方。こんな奇妙な風習が、チベット人のあいだにある。

チベット人の葬り方に四種類あることをきいた。火葬、鳥葬、水葬、土葬である。水葬は、死体を川の中に投げこむものだ。

「人が死ぬと、魂はすぐ死体を去って、川のほとりや丘のうえなど、いたるところをさまようのです」

「土葬は、悪い病気で死んだときにおこなうものです。火葬をすると、天にいます神様がくさがるので、ふつうにはおこなわないのです」

刀で死体をバラバラにする。岩で頭蓋骨を砕く。鳥がたべやすいようにという積極的配慮は、この頭蓋骨の粉砕によって明白に証明された。

空を見上げると、いったいいつのまに集まったのであろう。ついさっきまでは一羽くらい飛んでいたような気もしたのだが、いまや十数羽の巨大なハゲワシが、大空をぐるぐると輪舞している。村人たちがチャングゥと呼んでいる鳥だ。

ハゲワシは、まるでジェット戦闘機を思わせるシュッというものすごい羽音とともに、一機また一機と地上に着陸してきた。

翌日。背骨ひとつを残して、そこにはなにもなかった。


わたしは、学生のころ本書をよんで鳥葬の存在を知ってとてもおどろきました。ヒマラヤには自分の知らない世界がある。是非いってみたいとおもいました。

本書は、現地で記録をとるとともに、帰国後に隊員に自由にかたってもらった結果をあわせて「KJ法」をつかって編集し文章化したものです。「KJ法」をつかうと総合力で一本の紀行が表現でき、 探検隊のメンバーが一体化して、あたかもそこに一人の人格や個性があるかのようになってきます。

また、現地ではあちこち移動しまくるよりも、一カ所になるべくながく滞在した方が体験がふかまることもおしえてくれています。

旅行やフィールドワークにみずから出かけることも大切ですが、このような紀行文を読むことによって、普段とはちがう異空間を自由に想像してみることも重要です。古今東西の紀行はこのような観点からも大いに活用していきたいものです。


東京・上野では、毎年春に「東京春祭」(東京・春・音楽祭)が開催されていて今年で10周年をむかえました。

この音楽祭は、企画がおもしろくてプログラムが多彩であるばかりでなく、そのウェブサイトがとてもすぐれています。具体的には知りませんが、全体を企画・コーディネートしている人がすぐれていることが想像できます。

ウェブサイトをみて演奏会を選択できるだけではなく、それぞれの演奏会の楽曲や演奏者に関する豊富な情報が手に入ります。そこで、

 1)演奏会にいくまえに、ウェブサイトをざっとみて
 2)演奏会場で生演奏をき
 3)帰宅後、ウェブサイトを再度 視聴すると、

格段に味わいが増して理解がすすみ体験もふかまります。

高度情報化社会をむかえた今日、何らかのイベントを開催するときに、事前と事後にウェブサイトで適切な情報を聴衆・観衆につたえることが重要になりました。このような「ガイドサイト」の重要性が増してきています。 

よくできた「ガイドサイト」があれば、現場でのナマの体験とガイドでの解説とを組み合わせて理解をふかめることができます。

イベントは、その場でよいものを見せれればよいというだけではなく、よくできたウェブサイトをつくり、アウトラインや要点、トピックス、専門的な解説などの情報を適切に提供できるかどうかもその成否をわけるポイントになってきました。主催者には、イベントそのものを成功させるだけでなく、よくできた「ガイドサイト」をつくりだす能力ももとめられています。演奏会だけではなく展覧会などでも同様です。

▼東京春祭(東京・春・音楽祭)のウェブサイトはこちらです

最新バージョンである HTML5 とスタイルシート(CSS3)をつかって、最新のウェブサイト制作手法をマスターするための入門書です。

HTMLとスタイルシートを習得すれば、ウェブサイト制作に特別なソフトは必要ありません。Mac や Windows に付属のソフトですぐにつくりはじめることができます。

これからウェブサイトを制作される方は、最新バージョン(HTML5)でつくのがよいです。

しかし、最新バージョンをつかった良書は現時点では非常にすくなく、最新のHTML5 を銘打っている書籍であっても、文書型宣言が <!DOCTYPE html> になっているだけで、HTML5タグをつかっておらず、<div>要素をつかうなどして、ふるいバージョン(従来のつくりかた)で解説している本がほとんどです。

その点、本書は、最新バージョンをつかっていて、しかも、初心者にもわかるようにわかりやすく解説されているので、わたしも安心して学習をすすめることができました。

本書の例題と解説をよんで、ステップ・バイ・ステップでウェブサイトを実際につくっていけば、最新のノウハウを身につけることができます。応用テクニックやその仕組み、さらに踏み込んだ各種の情報や秘訣も理解することができます。

HTML5 と CSS3 をつかってウェブサイトをつくってみようという方に、現時点でもっともおすすめできる入門書です。

文献:エビスコム著『HTML5 & CSS3 レッスンブック』ソシム、2013年5月24日
 

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山田洋次監督作品『小さいおうち』(注)を先日みました。

日本映画界の巨匠・山田洋次が、直木賞受賞のベストセラー小説を映画化、東京郊外の “小さいおうち” でおこったちいさな恋愛事件の真実を、昭和と平成の2つの時代を通してえがきだします。

物語は、昭和10年から終戦直後と、平成12年〜21年頃という2つの時代が交差しながらすすみます。昭和の回想パートと現代の平成パートが、昭和の風景と平成の風景とを対比させます。

そして、
「あっ、・・・・・のか」

2つの物語が意外な展開のもとで最後に一気にシンクロナイズします。2つの情報が統合されて話は収束します

注:
原作:中島京子(文春文庫刊)、脚本:山田洋次・平松恵美子、音楽:久石譲
制作・配給:松竹株式会社、2014年

 
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情報処理の第3場面「アウトプット」の基本は情報を統合することです。よくできたアウトプットをするためには情報を要約する訓練を日頃からしておくのがよいです。

たとえば、ブログの記事一本を書くことは情報の要約にほかなりません。各記事に見出しをつけるのはさらなる要約であり情報の圧縮表現です。ブログを書くこと自体が情報処理の訓練になります。

情報を要約・圧縮するためには要点を整理し無駄をすて本質を把握しなければなりません。このような要約や圧縮は情報の統合的アウトプットとなります。また、情報を圧縮することにより情報処理は加速されます。情報を圧縮できる人は情報をふくらませることもできます。

このようなことがわかってくると、ある課題についてまなぼうとおもったら、適切に要約された書籍や資料をさがしだし最大限に活用するのがよいこともわかってきます。

本書は、気鋭のシェイクスピア研究者が、シェイクスピア全作品についてあらすじと解説をまとめたものです。手っとりばやく筋をたしかめたり、登場人物や人間関係をしらべたりできるコンパクトで便利な本です。シェイクスピア入門としても有用です。

本書を一気によみおえてしまい、シェイクスピアの全体像をまずつかんでしまうのがよいでしょう。 全作品の要約が一気に読めるところにポイントがあります。

そもそも情報処理は、インプット→プロセシング→アウトプットという手順になっていて、最終場面はアウトプットです。そのアウトプットにはかならず要約という作業がはいります。情報処理の結果をすべて記述することはまったく不可能ですから、著者の主観によって重要なポイントを要約し、整理・統合してアウトプットすることになります。

本書は、このような情報の統合的アウトプットのすぐれた事例として活用することができます。


文献:河合祥一郎著『あらすじで読むシェイクスピア全作品』祥伝社、2013年


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ヴェルディ作曲のオペラ『ファルスタッフ』(METライブビューイング)をみました。このオペラは、シェイクスピア作『ウィンザーの陽気な女房たち』(The Merry Wives of Windsor)をオペラ化したものです。

ジュゼッペ=ヴェルディは19世紀を代表するイタリアの大作曲家であり、おもにオペラを作曲しました。ヴェルディの作品はオペラ界に変革をもたらし、西洋音楽史上もっとも重要な作曲家の一人です。

一方、ウィリアム=シェイクスピアはイングランドの劇作家・詩人であり、16世紀のイギリス・ルネサンス演劇を代表する人物です。

今回の『ファルスタッフ』は音楽と演劇、劇と曲を統合してできた作品です。ここに、音楽と演劇ということなる二つの分野、ことなる情報の統合作業という仕事をみることができます。統合というやり方は、様々な素材を編集し作品化する(アウトプットする)ための本質的な作業です。情報の統合こそがアウトプットの本質です。オペラ化されたシェイクスピア作品は統合出力の典型的な事例としてとても参考になります。

なお、ヴェルディがオペラにしたシェイクスピアの作品としては『オテロ』『マクベス』もあります。


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