発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

タグ:現地調査

特別展「ガウディ X 井上雄彦 - シンクロする創造の源泉 -」(東京・六本木、森アーツセンターギャラリー)を見ました(会期:東京会場は2014年9月7日まで、その後、金沢、長崎、神戸、仙台を巡回)。

アントニ=ガウディ(1852-1926)は、スペイン、カタルーニャ出身の、バルセロナを中心にして活動した建築家の巨匠です。

今回の特別展は、ガウディ自筆のスケッチや図面、大型の建築模型やガウディがデザインした家具などの貴重な資料約100点を通して、ガウディの偉業を紹介するとともに、漫画家・井上雄彦がガウディの人間像とその物語をえがきだすという企画です。

140905 音声ガイド
 


■ 展示構成

展示構成はつぎのようになっています。

第1室 トネット少年、バルセロナのガウディへ
1852年6月25日、ガウディはバルセロナの南に位置する田舎町で生まれました。子供の頃の愛称はトネットでした。自然の動植物をじっと観察する時間が長かったそうです。

第2室 建築家ガウディ、誕生
自由な発想とデザインがみがかれ、画期的かつ合理的な建築構造を形にしていきます。グエイの邸館やグエル公園、コロニア・グエル教会など、建築家ガウディの名を世にひろめた作品が次々とつくられました。図面やスケッチ・写真・模型、そして家具やデザイン・パーツなどが展示されています。

第3室 ガウディの魂 - サグダラ・ファミリア -
ガウディのキャリアと人生の結晶ともいえるサグラダ・ファミリア聖堂の建築の歴史と発展を関連資料でたどります。ガウディは、1831年、31歳のときにサグラダ・ファミリア聖堂に主任建築家としてたずさわりはじめ、1914年には、ほかのすべての仕事をことわって聖堂建築のみに身をささげるようになります。

サグダラ・ファミリア聖堂は未完の聖堂であり、なんと、着工から約130年もたった いま現在でも建設途中なのです。

現在でも建設がつづけられていますが、一方で、すでにできあがった部分の修復もおこなわれています。つくりながら一方で修復するという前代未聞のこの建築物は創造の本質をしめしており、創造とは過程であり、完成したら創造はおわることをおしえています。


■ 自然の造形を建築にとりいれる

ガウディは、自然界の幾何学的な形をはじめて建築にとりいれました。自然界がもつ完璧な機能に注目し、らせんや局面など生物の基本的な構造を多用しました。自然の機能にうつくしさを見いだし、うつくしい形は構造的にも安定していることをあきらかにしました。また、自然界に完全な実用性が存在するなら、それは崇高な装飾になるとかんがえました。

たとえば、理想の柱をもとめて、植物がらせん状に葉をのばして生長する様子を研究しました。

また、懸垂曲線をつかった建築物をつくりました。これは重力によって自然にできる形であり、ロープの両端をもってたらしたときに見られる構造を上下さかさまにして構造物にしました。鉛をいれた袋を均等につるしてアーチの耐荷重性をもとめました。

カタツムリの殻や落下するカエデの種から らんせんの形や運動を見て、らせん階段をつくりました。

双曲面の筒状になった採光口をつくり、屋根から入った自然光を、反射させて やわらげてつかいました。

葉の形状をとりいれて屋根をデザインしました。錐状面というこの曲面はおもさにもたえ、水はけもよいです。

このようにガウディは自然の造形から着想をえて、自然を教科書として仕事をすすめました。「創造性(オリジナリティー)とは起源(オリジン)に戻ることである」という言葉がとても印象的です。

ガウディの作品を見てているとあらためて自然を見なおすことになり、着想のためには自然観察が重要であることがよくわかります。 


■ 世界遺産「アントニ・ガウディの作品群」

なお、ガウディの作品の一部は、「アントニ・ガウディの作品群」(1984年登録、2005年拡張)として、バルセロナの以下の物件が世界遺産に登録されています。
 
カサ・ミラ、グエル邸、グエル公園、サグラダ・ファミリア聖堂の一部、カサ・ヴィンセス、カサ・バトリョ、コロニア・グエル聖堂の地下聖堂。



▼ 参考書

航空券を予約・購入するためには、H.I.S.などの旅行会社に行くのもいいですが、最近では、ウェブサイトで比較検討しながら自分で購入することがもできます。

わたしがよくつかっていて、おすすめできるのは次のサイトです。


DeNAトラベルは海外航空券専門サイトで、2都市以上訪問する周遊航空券も簡単に検索できます。スカイスキャナーは日本の国内線も検索できます。

いずれも、格安航空会社(LCC)もきちんとカバーしています。「航空券+ホテル」のセットで購入した方がお得な場合もあります。クレジットカードで決済でき、e-チケットをダウンロードし自分で印刷して空港にもっていけばよいです。

これらのサイトをつかえば、検索条件をいろいろ変えてみて、さまざまな組みあわせを自分で比較しながらためしてみることができます

実際に購入するかどうかにはかかわらず、 模擬的に旅行を想像してみる、シミュレーションすることができ、それだけでもおもしろいです。まずは、検索条件をいろいろ変えてみてシミュレーションをたのしむのがよいでしょう。

そして、そのなかから旅の行き先を見つけだしてください。

Googleマップの便利さは言うもでもなく、どこへでかけても自分がいる場所を知ることができ、地図を見ることができます。Googleマップは地図の世界に革命をおこしました。

今回おすすめするのは、Googleマップの機能のひとつである「マイマップ」です。これをつかえば、自分のための専用地図を簡単につくることができ、さまざまに活用することができます。


■「マイマップ」をつくる
手順は以下のとおりです。

1. Googleにログインし、地図をひらきます。
2. Googleマップの検索欄をクリックします。履歴の下に表示される「マイマップ」をクリックします。
 
140827 マイマップ1

3. 「マイマップ」の「作成」をクリックすると、「マイマップ」ウインドウがひらきます。
4. 左上の「無題の地図」をクリックすると、入力欄がひらくので、「地図タイトル」と「説明」を入力します。「説明」は入力しなくてもかまいません。
5. 「無題のレイヤ」をクリックして、レイヤ名を入力します。
6. 検索欄に地名や建物名などを入力、検索して、それを地図上に表示させます。 

140827 マイマップ2

7. 表示された緑色のポインタをクリックし、ポップアップの下の「地図に追加」をクリックします。これで「マイマップ」へ登録されます。

140827 マイマップ3

8. Googleマップを普通にひらいて、検索欄をクリックすると「マイマップ」のリストが表示されるようになります。
9. 以上をくりかえしていけば、自分専用の独自な地図がつくれます。

「マイマップ」への登録はひとつずつ手動でもできますが、Googleドライブやエクセルのスプレッドシートからインポートして、たくさんのデータを一気に登録することもできます。



■ 事前に登録しておく
旅行先でたずねたい場所を事前にまとめたり、自宅や職場付近の飲食店マップをつくったり、ちかくに行ったときについでに寄り道できるようにあらかじめ登録しておいたり、さまざまに活用できます。

さらに共有機能をつかえば、移動経路入りの地図をブログやウェブサイトにはりつけることもできます。



■ 体験想起で旅をたのしむ
「マイマップ」は出かける前につくるだけでなく、帰宅後につくって活用する方法もあります。

出かけていって印象にのこった場所を「マイマップ」に登録しておいて、おりにふれて「マイマップ」を見なおし、それぞれの地点での体験を瞬時に想起するようにします

たとえば、その場所の目印となったイメージをおもいだします。何か まなんだことがあればその要点をおもいだします。

「マイマップ」は記憶情報を想起するためのインデックスとして利用できます。「マイマップ」にしめされた何カ所もの地点での体験を短時間でザァーッと想起すると、「圧縮体験」とも言えるおもしろいイメージ体験ができます。

このようなことをくりかえしていると、心のなかの整理が短時間ですすみ、自分の内面の見通しがよくなります

あたらしい旅のたのしみ方ができるのでオススメの方法です。



■ 特定の場所にむすびつけて記憶し、想起する
さらに、何か重要な事柄を学習し記憶したいときには、まだ行ったことがない場所にそれに関する本を持って行って、そこでその本を読んで理解し記憶します。その本の情報は、はじめておとずれたその場所の体験記憶として印象的に強烈に記憶されます。

そして、その場所を「マイマップ」に登録します。「マイマップ」でその地点を想起するたびに、その本と本の内容を想起することができます。「マイマップ」は情報インデックスとして利用できます。これは旅行先でもおこなうことができます。

すべての本についてこのような作業をする必要はありませんが、専門的な重要事項を記憶するときなどには有効です。



■ そのときの体験(記憶)にアクセスする
このように、どこかへ出かけたら、体験のひとまとまりを意識してつくるようにし、その目印あるいはインデックスとして、その地点を「マイマップ」に登録しておきます「マイマップ」を見て、その体験(記憶)に瞬時にアクセスできる仕組みをつくっておくと便利であり、アイデア発想のためにも役立ちます。

外国旅行に行く場合、現地語をつかってコミュニケーションをすると世界が一気にひろがります。英語圏以外の国でも英語が通じることはありますが、何といっても現地語です。

このときに役立つのが『旅の指さし会話帳』(情報センター出版局)です。現在までに、世界60ヵ国以上と地域の言葉をラインナップしています。

本書のなかにでているイラストを指でさして相手にしめし、また、相手に本書のイラストをさして発音してもらってコミュニケーションをしながら言葉をおぼえていきます。こうしていると、イメージと言葉が確実にむすびついて記憶されるのでとても効果的です。

140815 イメージと言葉

この学習法がおもしろいのは、自分が現地語をまなぶだけでなく、現地の外国人に日本語をおしえることにもなることです。まなびなら おしえ、コミュニケーションをしながら記憶ができ、とてもたのしいです。まったく現地語ができない場合でも本書を現地にもって行ってやってみるとよいです。

わたしはネパール語でやってきましたが、どこの国の言葉でも効果があがるでしょう。旅の一冊としておすすめします。

情報処理あるいは能力開発の観点から散歩をとらえたとてもおもしろい本です。単なる健康本ではありません。このような「知的散歩術」を解説した本はほかにはなく、一読をおすすめします。

本書から要点をピックアップしてみます。

観察力、記銘力、想起力を高める練習を散歩を通じて行ってほしい。

しっかりと観察力を働かせながら歩いてみよう。観察する際には問題意識の有無も重要な役割を果たす。特定のテーマを掘り下げる問題意識があると、関連する情報は無意識に目に飛び込んでくるものだ。

散歩をするときには、私たちの「感じる」能力を全開にする。

同じ風景を一度見ただけで満足しないで、何度も見ることを通じて見る力と見る味わいを深めていきたい。

散歩をしながら、より大きな範囲を「手にとるように、まるごと見る目」を獲得し、「街を一望し、景色も一望して」、本当に風景を楽しんでほしい。

ループを描いて歩くと私たちの頭脳は、自然にループの内部の空間の広さをとらえようと働き出す。すると脳の中の「空間処理の領域」を用いるようになる。

どこを歩いても、その歩いた全体像を「きちんとした地図として見通しよく描く」訓練が勧められる。

自然の植物を覚えれば心が豊かになる。

庭園や植物園を巡って四季をつかむ。

散歩をしながら、生活上のいろいろなヒントや発想のヒントをつかむことを楽しむ。

哲学者のカントや西田幾多郎、作曲家のベートーベンや思想家のルソーも散歩を通して思索と創造の「時」を過ごしたことが知られている。そのような先人の例にも学んで、創造的な散歩術をマスターしてほしい。

散歩中のインスピレーションは、(1)予め問題意識を成熟させておくこと、(2)散歩中の偶発的な刺激がその問題意識にあたらしい影響を与えてひらめきを誘発する、という二つの段階によって生みだされる。

私たちに浮かんでくるアイデアは、実はその場の環境が無意識の領域に作動した結果として閃くことが少なくない。そこで、そのアイデアの続きを得たかったり、さらに深めたりするときには、もう一度その場に行くとよい。

一回の散歩が次の散歩の期待につながるようになったら、日々の散歩は連続ドラマを眺めているのと同様の楽しみに変わるのだ。

繰り返しの散歩を通じて、よく知っている場所を鮮明にイメージできるようになると、それがそのまま皆さんの心象力(イメージを描く力)の強化につながり、さらに、イメージを描く意識の場そのものも確立されてくる。これが能力開発の基礎につながるのだ。

その日その日の散歩コースで何か一工夫をして、その日だけの特徴的な体験ができたとき、その特徴となる体験のことを「目印体験」と呼んでいる。「目印体験」を生み出す工夫をする。

「目印体験」を明確に記載しておくと、思い出す際に他の散歩と区別する際に役立つ。

日付、曜日、時刻、コース、目印、感覚、発見、想起、発想、行動について記録する。

情報処理の観点から整理すると、散歩しながらの観察やその他の感覚体験は、自分の内面に情報をインプットすることであり、記憶したりイメージ(心象)をえがいたり発想をえたりすることはプロセシング散歩の記録を書くことなどはアウトプットにあたります。

 インプット:観察その他の感覚
 プロセシング:記憶、イメージ、発想など
 アウトプット:記録

同時に散歩は、情報処理の場である心身をととのえ確立することにもなります

「知的散歩術」は、情報処理に総合的にとりくめるきわめて基本的な方法であり、誰でもすぐにできる実践法です。インスピレーションや発想も、一ヵ所でじっとしているよりも散歩にでかけた方がえられやすいです。さっそく今日からこの「知的散歩術」はじめるのがよいでしょう。


文献: 栗田昌裕著『1日15分の知的散歩術』廣済堂出版、1997年

本書は、国立民族学博物館初代館長・梅棹忠夫が撮影した写真(一部スケッチ)と、彼が書いた文章とをくみあわせてフィールドワークのすすめかたの要点をつかむための事例集です。

本書を見れば、梅棹忠夫がのこした写真と言葉から、世界を知的にとらえるためのヒントを得ることができます。

本書は次の8章からなっています。

第1章 スケッチの時代
第2章 1955年 京都大学カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊
第3章 1957-58年 大阪市立大学第一次東南アジア学術調査隊、1961-62年第二次大阪市立大学第二次東南アジア学術調査隊
第4章 日本探検
第5章 1963-64年 京都大学アフリカ学術調査隊、1968年 京都大学 大サハラ学術探検隊
第6章 ヨーロッパ
第7章 中国とモンゴル
第8章 山をみる旅

梅棹忠夫は、「あるきながら、かんがえる」を実践したフィールドワーカーであり、彼が、世界をどのように見、どのような調査をしていたのか、それを視覚的・言語的に知ることができます。

本書の特色は、写真と文章とがそれぞれ1セットになっていて、イメージと言語とを統合させながら理解をすすめることができる点にあります。知性は、イメージ能力と言語能力の二本立てで健全にはたらきます

イメージ能力をつかわずに言語能力だけで情報処理をすすめていると効果があがりません。学校教育では言語能力を主としてもちいてきましたが、これはかなりかたよった方法であり、すべてを言語を通して処理しようとしていると、大量の情報が入ってきたときにすぐに頭がつまってしまいます。

そこでイメージ能力をきたえることにより、たくさんの情報がインプットでき情報処理がすすみます。そのような意味で、写真撮影はイメージ能力を高め、視覚空間をつかった情報処理能力を活性化させるために有効です

写真は、言語よりもはるかにたくさんの情報をたくわえることができます。たとえば写真を一分間見て、目を閉じて見たものをおもいだしてみてください。実にたくさんの情報を想起することができます。あとからでも写真をみてあらたな発見をすることもあります。

こうして、写真と言語の両方で記録をとっていると、イメージ能力と言語能力とを統合することで相乗効果が生じ、視覚空間と言語空間は融合していきます

現代では、ブログやフェイスブックやツイッターなどをつかって、写真と言語とをくみあわせてアウトプットすることが簡単にできます。旅行やフィールドワークに行って、ブログやフェイスブックなどにそのときの様子をアップするときには上記のことをつよく意識して、梅棹流の形式で表現してゆけばよいでしょう。


文献:梅棹忠夫著『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界のあるきかた』勉誠出版、2011年5月31日

140425 大興安嶺探検

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大興安嶺探検 (朝日文庫)

◆楽天市場
【中古】 大興安嶺探検 朝日文庫/今西錦司【編】 【中古】afb
 
《朝日文庫 朝日新聞社》今西錦司編大興安嶺探検 【中古】afb


本書は、1942年5月〜7月、今西錦司を隊長としておこなわれた、北部大興安嶺(ほくぶだいこうあんれい)探検隊の報告書です。支隊長には川喜田二郎、支隊員には梅棹忠夫がいました。

これは、地球上最後の地理的探検の記録であり、同時に、あらたなフィールドワーク(学術的現地調査)のはじまりをつげる貴重な論考です

大興安嶺とは、当時の満州国の北西部、満州・ソ連国境ちかくに位置する密林地帯であり、「満州高原」とよばれることもありました。
オロチョン族のわずかな人口が、野獣をおうて点々とすまいをうつしているだけである。北部大興安嶺の樹海は、南北が緯度にして三度、東西が軽度で五度のりろがりをもっている。そのなかには、北海道の全島がスッポリとはいってしまう。(42ページ)


白色地帯(航空写真もない、まったくの未知の地域)に入っていく場面はもっとも印象的でした。
6月15日から、支隊は、いよいよ白色地帯にふみこむことになった。航空写真のたすけをはなれて、目標のない大洋に にた世界にふみこむのは、やはり不安とあたらしい緊張とをともなう出発であった。(286ページ)

峠のうえからは、理想的な白色地帯の展望がえられた。いかに白色地帯という名にふさわしい、つかまえどころのないながめだった。特徴のない、わずかな尾根ひだが、かさなりあって錯綜した一大高原地帯が、あすの行程に予想された。(288ページ)

本書の解説で本多勝一さんは次のようにのべています。
これは「地理的探検の最後の花火」であると同時に、新しい学術探検への脱皮でもあった。 


白色地帯つまり前人未踏の地域にはいっていゆくことが探検(地理的探検)です。そして、探検をベースにし、探検的方法をつかって、今度は、 学術的な未知の領域に踏みこむのが「学術探検」あるいはフィールドワークです。本書の初版には、98ページにのぼる学術報告が実際にはついていたそうです(文庫版では割愛されています)。
 
具体的には、地形学・地質学・植物学・動物学・人類学などの分野がそれにあたります。従来の地理的探検時代における精神的・技術的伝統は、そっくりそのままこれらの分野の学術探検にひきつがれ、それぞれの分野ごとにその地域を学術的にくわしくしらべて成果をあげていきました。

ここで重要なことはその精神は開拓者精神であり、その仕事はパイオニアワークであるということです。パイオニアワークとは未知の領域にふみこんでいく仕事です。たとえば、未踏峰の山頂にたつこと(初登頂)もかつての典型的なパイオニアワークでした。
 
そして、その後、地球上には、初登頂できる山も地理的探検ができる地域もなくなり、さらに今日、21世紀に入り、学術探検ができる場所もほぼなくなりました。地球上は、ひととおり調査しつくされてしまったのです。

そこで、現在では、各専門分野の知見をいかして環境保全に貢献したり、あるいは専門分野にとらわれずに、 そこでくらす人々の心の中もふくめて、 ひとつの地域をひとつの場として総合的に探究することがパイオニアワークとなってきています。一方で、地球を、グローバルに総合的に研究することもあらたな領域となっています。

過去の人々と同じことをくりかえしたり、前例を確認したり、既存の常識にしたがったりするのではない、パイオニアワークという観点をもつことには大きな意味があり、そのために本書はとても参考になります。 


今西錦司遍『大興安嶺探検』(朝日文庫)朝日新聞社、1991年9月15日


自分の行ったことのない世界、常識とはちがう異空間について知ることは、自分の心をひろげ、また、潜在意識にインパクトをあたえることができるのでとても意味のあることです。


この本を書いた趣旨には、ひとつ大切なものがある。野外における人間科学の研究法について、ひとつの伝統をつくりあげようという試みである。

この本は、「遠征 その人間的記録」ともいうべきものである。あるいは、「ある探検隊の生態」なのである。

私たち隊員たちは何度も、テープレコーダーを前にして経験を語りあった。それらを、できるだけ編集したのが、この本である。

この探検隊の体験が基になり、『パーティー学』とう小著が生まれ、その縁で『チームワーク』『発想法』『続・発想法』が生まれ、「KJ法」が生まれ、「移動大学」という事業が生まれたのである。他方、この探検隊のご縁がヒマラヤの技術援助へと展開してきている。

出かけた地方は、ヒマラヤでもっとも山奥の、ドーラギリ(ダウラギリ)峰北方の高原であった。そこで私たちは、チベット人のなかでかなり長いあいだ暮らしたのである。これらのチベット人は、同じチベット人たちのなかでも、とりわけ未開な人びとだった。だた、これほど感銘の深かった日々を私たちは一生のうちに、そう何度も味わうことはできないだろう。

ネパール北部のトルボ地方に学術探検をおこなう夢は、私が1953年に、マナスル登山隊の科学班の一員として中部ネパールを歩いてもどったころからである。前回の経験以来、私はチベット人の住む世界にひじょうな魅力を感じはじめていた。

ポカラ。この町が将来、世界屈指の山岳観光都市としてモダーンな発展をみるほど、ますます洗練した形で保存さるべきものだ。

もちろん技術援助は重要だ。けれど、各国が競争で、この国に技術援助や、資金援助をしているじゃないか。

タカリーはわずかに人口1万人にもみたないほどの少数民族である。しかも、こんなヒマラヤの大山奥に住む人々である。それだのに、彼らの身につけた文化は、すこし環境を改善するならば、西欧の近代的な資本主義社会のなかに投げこんでも、ちっとも不調和を感じさせないほどのものであろう。

ツァルカ村についた!

何ヵ月も準備し、二ヵ月も旅してたどりついた、その村だったのか。ポカラを出てから25日目、トゥクチェからでも2週間の旅であった。

ツァルカ村は、まるで大海のなかに浮かぶ一かけらの孤島のように思われた。

村は、海抜じつに4150メートルの高所にあった。全ヒマラヤを通じて、おそらく最高所の農耕地帯であった。こんな高度には、春まきオオムギの単作地帯のみが現れる。

チベット人たちは、生まれてから風呂にはいったこともなく、いわんや洗面などはしない。毎朝、村の下の支流まで降りていって、葉をみがいたり、顔を洗ったり、ヒゲをそったりするのは、われわれだけであった。

しかし、私たちがいるために、「文化変化」が起こりだしたのであった。
「すまないが、石鹸を一度使わせてくれない?」
「ヒゲをそりたいから安全カミソリを貸してくれ」

手はじめとして、彼らの家系図をつくる。詳細な村の地図をつくる。

家畜はヤク、羊、山羊だった。これらの家畜からバターやチーズをつくり、ヤクの毛や羊毛をつみ、皮を利用し、燃料を得る。また、増殖した家畜自体が商品ともなっている。

これに反して、畑はかぎられていて、村人の自給用の食物にもたりない。村は畜産を主とし、農耕をむしろ従とするのであった。

それから、チベット人のすべてに浸透している商業活動がある。
 
この村には共同体的結束がある。その反面、村人のあいだにはひじょうな個人主義がある。

鳥葬。

死体を刻んで鳥にあたえる葬り方。こんな奇妙な風習が、チベット人のあいだにある。

チベット人の葬り方に四種類あることをきいた。火葬、鳥葬、水葬、土葬である。水葬は、死体を川の中に投げこむものだ。

「人が死ぬと、魂はすぐ死体を去って、川のほとりや丘のうえなど、いたるところをさまようのです」

「土葬は、悪い病気で死んだときにおこなうものです。火葬をすると、天にいます神様がくさがるので、ふつうにはおこなわないのです」

刀で死体をバラバラにする。岩で頭蓋骨を砕く。鳥がたべやすいようにという積極的配慮は、この頭蓋骨の粉砕によって明白に証明された。

空を見上げると、いったいいつのまに集まったのであろう。ついさっきまでは一羽くらい飛んでいたような気もしたのだが、いまや十数羽の巨大なハゲワシが、大空をぐるぐると輪舞している。村人たちがチャングゥと呼んでいる鳥だ。

ハゲワシは、まるでジェット戦闘機を思わせるシュッというものすごい羽音とともに、一機また一機と地上に着陸してきた。

翌日。背骨ひとつを残して、そこにはなにもなかった。


わたしは、学生のころ本書をよんで鳥葬の存在を知ってとてもおどろきました。ヒマラヤには自分の知らない世界がある。是非いってみたいとおもいました。

本書は、現地で記録をとるとともに、帰国後に隊員に自由にかたってもらった結果をあわせて「KJ法」をつかって編集し文章化したものです。「KJ法」をつかうと総合力で一本の紀行が表現でき、 探検隊のメンバーが一体化して、あたかもそこに一人の人格や個性があるかのようになってきます。

また、現地ではあちこち移動しまくるよりも、一カ所になるべくながく滞在した方が体験がふかまることもおしえてくれています。

旅行やフィールドワークにみずから出かけることも大切ですが、このような紀行文を読むことによって、普段とはちがう異空間を自由に想像してみることも重要です。古今東西の紀行はこのような観点からも大いに活用していきたいものです。


フィールドワークでは、現地あるいは現場の観察が必須であり、そのためには観察力を常日頃から強化しておくことが重要です。

観察とは、言語(書籍)からではなく、視覚情報を環境から吸収することであり、イメージで外界をとらえることです。つまり、言語を通さないで風景などをダイレクトに感じとり、言語をもちいないで映像としてその場をとらえることです。

そのためには視覚をするどくするとともに、イメージ訓練をするのがよいです。たとえば旅先で風景をみたら、目をつぶってそれを思い出す(想起する)訓練をします。時間があれば、風景をみないで思い出しながらその風景をノートにスケッチしてみます。風景を見ながらスケッチする(うつしとる)のではありません。あくまでも想起するところに訓練の基本があります。どこまで正確に想起してイメージをえがけるでしょうか。

このようなイメージ訓練をしながら、風景を構成する地形や川・建物さらに人に意識をくばるようにします。

このような観察はフィールドワークの入口として機能し、観察がよくできるとその後のフィールドワークを大きく展開させることができます。そして、環境や地域をよりよく知ることにつながってきます。

フィールドワークや旅行をするときに、Googleマップと Google Earth はとても役にたちます。

まず、フィールドワークや旅行にいく前に、Googleマップと Google Earth をつかって こらからいく場所のパノラマ的なイメージをえて、その場の全体を心の中にすっぽりいれてしまいます。これは、部分をつみあげて全体をつかもうとするのとはまったくちがい、全体を一気に見てしまう行為です。

そのうえで現地にいき、こんどは地上からそれぞれの場所の細部を詳細にみます。

そして帰宅後、もう一度 Googleマップと Google Earth を見直せば、前回以上に全体がよく見えてきます。さらに、よい発想がうまれたり本質が見えてくるかもしれません。

このような簡単な行為をくりかえしているだけでも、心の中に地図の記憶が生じ、心のあらたな空間を確立することができます。

私が仕事をしているネパール・ヒマラヤに、キバン村という村とガーラ村という村があります。キバン村はマガール族よばれる民族の村であり、部族社会をつくっています。一方のガーラ村はバフン・チェトリとよばれるアーリア系(インド系)の人々の村であり、カースト社会をつくっています。

現場では、外からクールに見る目と、村人(対象)の身になり内側から共感的に見る目とを相互に重視します。外からの目と内からの目の両者が相まって真実がわかってきます。前者の調査法はフィールドワークといい、後者のそれはアクションリサーチとよぶこともできます。

詳細は省略しますが、フィールドワークとアクションリサーチにより、ネパールの歴史と民族の対立を村々の間に読み取ることができます。


参考文献:
川喜田二郎・加藤千代著『神話と伝説の旅』(ネパール叢書)古今書院、1981.11.10
川喜田二郎・他著『ネパールの集落』(ネパール叢書)古今書院、1992.9.28
 

「私、生まれも育ちも葛飾柴又です、帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します」

京成電鉄金町線・柴又駅の改札口をでると寅さんの銅像がむかえてくれる。寅さんは、ちょうどいま柴又を旅立つところだ。柴又をなつかしんでか、あるいは おいかけてきた妹さくらの声がきこえたのか、参道の方をふりかえっている。

寅さんにわかれをつげ、駅前から参道に入る。参道をすすんでいく。おもったよりもせまくてこぢんまりしている。まるで映画のセットのようだ。だんご屋がある。高木屋老舗、映画のなかのだんご屋とらや(のちにくるまや)のモデルになった店である。大勢の観光客が草だんごを買っている。

さらにすすんでいくと、うなぎ屋や土産物屋などのいろいろな店が立ちならんでいる。参道は雑然としていて決して洗練されておらず、庶民くささがのこっている。ここは庶民のふるさとだ。

さらにあるいていくと正面に豪壮な門が見えてくる。帝釈天の山門、二天門だ。「柴又帝釈天」と彫った大きな石碑が立っている。この寺の正式な名称は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)、日蓮宗の名刹である。寛永6年(1629)、日忠上人の草創とつたえられ、本尊は、日蓮上人自刻の帝釈天の板仏だという。

二天門をくぐると左手に大鐘楼が見える。源公がうつ鐘はいつもここから聞こえてくる。正面には帝釈堂が、右手には本堂がかまえている。たくさんの子供たちがあそんでいる。御前様が今にもあらわれそうな とてもなつかしい空間だ。ここはもう寅さんの世界そのものである。左手には「瑞龍の松」が横たわり見事な枝をひろげている。日蓮宗の僧・日栄がこの松の根元に霊泉がわく様子を見て、ここに庵をむすんだという。さらにその左には御神水がこんこんとわきでている。寅さんはこの御神水の産湯につかった。

帝釈堂の裏にまわると彫刻ギャラリーがある。法華経の物語を視覚的に再現している。回廊式のギャラリーを一周していくと、けやき材に奥深く刻み込まれた彫刻が見事な三次元空間をつくりだしている。まるで木に命がやどったかのように躍動感にみちあふれている。大正11(1922)年に名匠・加藤寅之助が一枚目を創作、すべて完成したのは昭和9(1934)年だったという。

帝釈堂の裏手には大庭園(遂渓園、すいけいえん)がひろがる。しずかな回廊式庭園である。庭園をのぞむ大客殿には、直径約30センチメートルで日本最大級という南天の木をつかった床柱がある。

柴又界隈でくりひろげられた『男はつらいよ』の数々の名場面をおもいだしながら、帝釈天をあとにし、寅さん記念館へむかう。帝釈天の裏手から江戸川の方へすすんでいくと、土手のわきの小山の地下に寅さん記念館がある。

入口を入ると とらや(のちのくるまや)がまっている。ここでは、とらやそのものの中に入ることができる。とらやに入ると草だんごを食べる客席があり、その奥には茶の間と土間があり、土間の右手には寅さんがいつも二階にのぼっていく階段がある。

寅さんはいつもこの店にかえってくる。ひさしぶりにかえってくると、何だか中に入りにくいが、今度こそは、とおもって足を踏みいれる。しかしやっぱりけんかをしてしまう。とらやの客席にすわってそんな光景をおもいだしながら、しばらく夢の中をただよっていく。寅さんの世界を外から見ているのではない。寅さんの世界の中に入りこんでしまう。映画の世界は空想の世界である。しかしその空想の世界に実際に入りこんだ現実がここにはある。これは空想なのか現実なのか。なんとも不思議な体験だ。

寅さんの世界は、『男はつらいよ』をくりかえし見ることによって私たちの心の中につくりだされてきたものである。それは、ながい年月をかけて私たちの心の中にイメージとして記憶されたもので、架空であり空想である。

わたしたちは通常は、どこかの物理的な空間をおとずれ、そこに入りこむことによって、様々なイメージや出来事を心の中に入力し記憶し、心の奥にそれを蓄積していく。つまり物理的空間が先にあって、それから心の中にその世界が形成される。

しかし今日はちがう。寅さんの世界は心の中にすでにできていた。そのすでに存在した心の中の世界に、物理的に入りこんだといった感じである。今回は、心が先にあり、実際の空間はあとになった。常識とは逆の体験をしたことになる。心の中に入りこむといった体験である。このようなことによって寅さんに関する理解が格段にすすんだ。これは、何とも不思議なフィールドワークである。

寅さん記念館をでて、江戸川の土手にのぼってみる。この川のほとりでも数々の出会いと別れがあった。とおくに「矢切の渡し」が見える。すこし肌寒くなってきた。そろそろ日が暮れようとしている。



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