発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

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『知的生産の技術』の第2章「ノートからカードへ」で梅棹忠夫さんはカードの原理についてのべていて、この原理は今日でもとても役にたちます。カードは「知的生産の技術」の中核的な原理といえるでしょう。

まず、梅棹さんはノートの話からはじめています。 

追加さしこみ自由自在の、いわゆるルース・リーフ式のノートほうが(大学ノートよりも)便利だ、ということになる。かいた内容を分類・整理するためにも、ページの追加や順序の変更ができたらよいのに、とおもうことがしばしばある。
ルース・リーフ式のよい点だけをいかしたのが、ちかごろ売りだされているラセンとじのフィラー・ノート式のものであろう。きりとり線と、つづりこみ用の穴とがついている。一冊のノートになんでもかきこみ、あとできりとり線からきりとって、分類してルース・リーフ式にとじる。片面だけを利用し、内容ごとに — 学生なら学科ごとに — ページをあらためることにしておけば、追加、組みかえ、自由自在である。

わたしも、中学生のころは大学ノートをつかっていましたが、高校生になってからはルース・リーフ式のノートに切りかえ、大学生のときにもそれをつかいつづけました。

そのご大学院生のころよりフィラー・ノートをつかいはじめ、「知的生産の技術」にしたがって片面(表面)だけに記入し裏面は空白にしておき、ノートが一冊おわるごとにページを切りとり、二穴ファイルにファイルするといことをくりかえしていました。このフィラー・ファイルは蓄積されて、そのトータルの厚さは約2メートルぐらいにまでなりました。

結局、今世紀に入って iPhone をつかいはじめるまでは、フィラー・ノートはいつでもどこへでも持ちあるいて つかっていました。今でも、ヒマラヤのフィールドワークに行くときには予備ノートとしてフィラー・ノートを持っていきます。


つぎに、梅棹さんはカードについてかたります。

ノートのことを、くどくどしくのべたのは、じつはカードのことをいいたいからであった。

見方をかえれば、ルース・リーフ式やフィラー・ノート式ののーとは、じつは一種のカードなのである。すでにのべたように、それは、ページのとりはずし、追加、組みかえが自由になっている。そして、そのつかいかたにおいても、項目ごとにページをあらためる、あるいは片面だけを使用する、ということになると、それは要するに、みんなカードの特徴にほかならないではないか。
 
ノートの欠点は、ページが固定されていて、かいた内容の順序が変更できない、ということである。ページを組みかえて、おなじ種類の記事をひとところにあつめることができないのだ。

「知的生産の技術」の基本は、あたえられた前後関係をこわして、あらたな組みあわせを発見するところにあるといえるでしょう。固定した観念にとらわれずに発想せよということだとおもいます。 

そして、有名になったあの「京大型カード」ができあがったときの様子がのべられていす。

自分で設計したものを、図書館用品の専門店に注文してつくらせた。それが、いまつかっているわたしのカードの原型である。

このカードは、たいへん評判がよくて、希望者がたくさんあったので、まとめて大量につくって、あちこちに分譲した。

ついにわたしは、文房具店の店先で、わたしのカードが製品として売られているのを発見した。その商品には、「京大型カード」という名がつけてあった。わたしは、いさぎよくパテントを京大にゆずることに決心した。

わたしも、『知的生産の技術』を読んで「京大型カード」を買った一人です。東京・日本橋の丸善まで買いにいきました。こうして、フィラー・ノートをカード式につかう方法とカードそのものをつかう方法を併用する期間がながくつづきました。


一方で、カードの苦労についてものべています。

いずれにせよ、野帳からカードに資料をうつしかえるという操作をふくんでいた。口でいえばかんたんだが、じっさいにはこれは、容易ならない作業である。野帳の分量がおおいと、野外調査からかえってからカードができるまでに数ヶ月を要したりした。


この問題は、わたしの場合は iPhone と Mac をつかうことにより解消されました。

iPhone で記録したデータは iCloue により Mac に同期されます。現場のデータはそのまま Mac で処理することができるので、転記の手間はかかりません。

カードという形にこだわるのであれば iPhone と Mac に付属しているアプリ Keynote をつかえばよいです。1枚1枚のスライドはカードとしてつかえます。これにはボイスメモ(ボイスレコーダ)機能もついていますし、写真などをペーストすることもできます。Keynote に現場でデータをどんどん記録していけよいです。あとで、カード(スライド)を入れかえたり、あたらしいカード(スライド)を挿入したりできます。

Mac 上で情報を処理するときには、Keynote の「表示」から「ライトテーブル」を選択すれば、画面上にカードを縦横にならべて、入れかえ・組みかえ・追加・挿入・削除などを自由にたのしむことができます。プレゼンテーション用のスライドや資料もできてしまいます。

しかし、形にこだわらないのであればワープロソフト(Pages など)をつかえばよです。コンピューターが発明されて、データ(ファイル)の入れかえ、挿入、組みかえなどは、カット&ペーストで自在にできるようになりました。どのようなアウトプットの形式を選択するかによってアプリをつかいわければよいでしょう。

先にもふれましたが、「知的生産の技術」の基本は、あたえられた前後関係をこわしてしまって、あらたな組みあわせを発見するところにあり、固定観念にはとらわれずに発想することであると言ってよいでしょう。形にとらわれるよりもその原理・本質に気がつき、それを利用することの方が重要だとおもいます


iPhone と Mac を iCloud で同期させるときの現時点での注意点は、OS のバーションです。

iPhone の iOS を最新の iOS 8 にアップグレードした場合は、Mac OS も最新の Yosemite にアップグレードしないと、最新の iCloud Drive がつかえず、Keynote と Pages の同期はできません(注)。これは重大な問題です。

つまり、iCloude を使う場合はつぎの組みあわせでつかわなければなりません。

 iOS 7:Mavericks
 iOS 8:Yosemite

Mac OS X を Yosemite に当面アップグレードする予定のない人は、iOS を iOS 7 のままにしておいた方がよいです。

新 iPhone の場合など、iOS 8 になっている場合、iOS 8 にした場合は、Mac OS X を Yosemite にアップグレードせざるを得ません。Mac OS X のアップグレードにあたっては、アプリの対応のおくれなどの不備もありえますので慎重さが必要です。


▼ 文献
梅棹忠夫著『知的生産の技術』(岩波新書)岩波書店、1969年7月21日 
知的生産の技術 (岩波新書)

▼ 注:iCloud Drive をつかうときの現時点での注意点
iCloud Drive を利用するためには、サービスのアップグレードが必要です。

その場合、Mac では、OS を最新の Yosemite にアップグレードしないとつかえません。アプリの対応の問題がありますので、 Yosemite へのアップグレードには慎重さが必要です。

Mac の OS が10.9 Mavericks 以前の場合、Yosemite、iCloud Drive にアップグレードしてしまうと、それまでの Documents in the Cloud が利用できなくなってしまうので注意が必要です。

Mavericks あるいはその他の OS の場合でも、HTML5 が使えるブラウザで、iCloud.com にアクセスすれば、iCloud Drive のなかを確認できます。Yosemite にアップグレードしていない Mac や、iCloud コントロールパネルをインストールしていない Windows の場合です。

わたしもメンバーのひとりになっている日本ネパール協会は、今年、創立50周年をむかえました。12月6日には祝賀会を開催するそうです。50周年記念誌の制作にもとりくんでいます(注)。

50年前とくらべるとネパールも日本もすっかりかわりました。今では、ネパール人は日本にもたくさん住んでいます。

この協会は当初は、日本とネパールの唯一の交流の窓口として機能していました。日本に来るネパール人はこの協会にまず問い合わせ、ネパールに行く日本人もこの協会にまず問い合わせていました。

しかし今では、交流の第一歩はフェイスブックになりました。交流の方法も第一にネットワークを基礎にした自由なものになりました。フェイスブックでまずやりとりをして、そして行動にでます。

50年間で時代は本当に変わりました。日本ネパール協会の50年の歴史を見ているだけでも、情報化とグローバル化がいちじるしくすすんだことがよくわかります。


注:日本ネパール協会会報234号(2014年8月31日発行)
公益社団法人 日本ネパール協会

「林先生の痛快!生きざま大辞典」(TBS/2014.10.14)で、わたしの興味のあるアップル・コンピューターをつくった、スティーブ=ウォズニアックとスティーブ=ジョブズについてとりあげてました。

ウォズニアックは Apple I と Apple II を開発した優秀な技術者です。一方のジョブズは、アップルを世界的な大企業に発展させた経営者です。

ウォズニアックは技術者魂をもったエンジニアであり、自分のアイデア(技術)を形にするのが夢であり、金儲けには興味がありませんでした。

一方のジョブズはあくまでも経営が最優先であり、大局的な構想をもって仕事をしていました。

2人の価値観はまったくことなっていたことに注目しなければなりません。価値観のことなる2人が協力すると大きな成果が生まれますが、価値観がことなるために対立してしまうこともありえます。

人それぞれ誰でも自分の価値観をもって生きています。それはそれでよいことです。しかし、自分独自の価値の物差し、価値観でもって他人を見定めないように注意しなければなりません。

たとえばソニーが金融事業にも取りくむようになってからは、頑張っている経営者がいる一方で、退社したエンジニアもたくさんいます。人それぞれ、自分の価値観をしっかりもって生きていくことが重要でしょう。


▼ 関連ブログ
日本の過去の優良企業はイノベーションのジレンマにおちいっている
ソニーからグーグルへ - 情報産業のステージへ転換 - 〜辻野晃一郎著『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』〜

東京・池袋にある古代オリエント博物館の常設展を見ました。この博物館は発掘展示もおこなっていて、古代オリエント博物館・シリア発掘調査隊は、ユーフラテス川流域のテル・ルメイラの発掘調査をし、その結果を展示しています。
テル・ルメイラは直径100m、高さ13mほどの遺跡です。今からおよそ4000年前、人々は日干しレンガで家をつくり住みはじめました。やがて大きな集落へと発展し、集落全体を取りかこむ壁をきずいて生活するようになりました。集落内には、通路や密集した家が立ちならんでいました。ユーフラテスの河川敷と背後の広大な段丘上で麦を栽培し、羊や山羊を飼っていました。

この発掘展示は、文明が発生するときの様子を知るうえでとても参考になります。

古代オリエントでは、狩猟採集生活の段階をおわらせ、有用作物を栽培するという農業と、飼養できる動物を家畜にするという革命的な変化がおこりました。このような農耕・牧畜の発展にともない灌漑もはじまりました。また、金属などの石以外の素材が生みだされ、それらの専業職人たちも生まれました。

その後、交易による物資の流通がさかんになり、封印のための印象が登場し、会計記録をつけるための文字も誕生しました。

このような文明の諸要素が古代オリエントで紀元前3200年頃に開花しました。これを一般にはメソポタミア文明と言います。

展示によると、メソポタミアでは、前6000年以上前から農耕・牧畜がはじまり、前3200年ごろに初期王朝ができ、その後、アッカド・新シュメール → 古バビロニア → カッシート → アッシリア → 新バビロニアをへて、アケメネス朝ペルシアへという歴史が見られます。初期王朝としては、ウルクやウルなどにシュメール人の都市国家ができました。

この歴史において、初期王朝 → アッカド・新シュメール → 古バビロニア → カッシート → アッシリア → 新バビロニアの時代は都市国家の時代であり、アケメネス朝ペルシアは最初の領土国家ととらえることができます。

したがって、最初の文明は都市国家文明であり、メソポタミア文明とは、領土国家あるいは領土国家群を基盤としたその後の本格文明(前近代文明)とはことなり、いくつかの都市国家から構成された素朴な文明であったのです。このような都市国家文明をもたらしたのが農耕・牧畜だったわけです。オリエントの歴史をモデル化すると下図のようになります。

141107 メソポタミアの歴史
図 オリエントの歴史


古代オリエントの人類史的な意義は、狩猟・採集生活をおわらせ、文明を発生させることになった農耕・牧畜というあたらしい仕組みを世界で最初に開発したところにあります

古代オリエントの人々は、まず、大麦・小麦を栽培するようになりました。すり石セットが発掘されていることから、麦はすりつぶして粉にして、こねて焼いて食べていたと想像されています。他方で、山羊と羊を家畜化し、肉は食べ、乳汁からはバター・ヨーグルト・チーズをつくり、刈りとった毛は織物にしました。

ここで、彼らがはじめたのは単なる農業ではなく半農半牧であったことに注目し、パンとバターのコンビネーションができたことに気がつかなければなりません。これが、オリエントおよびその西方の人々に見られる、パンにバターをぬって食べるという基本的な食文化のはじまりです。

この古代オリエント博物館に行けばこれらの発掘品を見ることができ、農耕牧畜の開始、道具の発明、文字の発明などについて理解し、当時の人々の暮らしぶりを想像することができます。まずここに行って、それから外国に行けば、外国あるいは文明に関する理解を一段とふかめることができるとおもいます。


▼ 古代オリエント博物館が編集した書籍はつぎです。展示品について写真とともにくわしく解説しています。
古代オリエント博物館編『古代オリエントの世界』山川出版社、2009年7月25日

▼ 関連文献


▼ 関連ブログ
多種多量の情報を要約・圧縮して本質をつかむ 〜 川喜田二郎著『素朴と文明』〜
生きがいの文化がもとめられている 〜 川喜田二郎著『素朴と文明』〜 
素朴社会→都市国家→領土国家→グローバル社会 〜川喜田二郎著『可能性の探検 -地球学の構想-』〜

古代オリエント博物館で開催中の「アマゾン展 森に生きる 人々と暮らし」を見ました(会期:2014年11月24日まで)。今では貴重になった狩猟採集民の生活を垣間みることができました。

一方で、となりのスペースでは、古代オリエント博物館の常設展も見ることができました。オリエントで最初の文明(メソポタミア文明)が生まれた様子を理解することができました。


「アマゾン展」と「古代オリエント常設展」とを比較してみると、オリエントの砂漠地帯というきびしい自然環境のなかで最初の文明が生まれたのだということがよくわかりました。

つまり、アマゾンのようなゆたかな自然環境のなかで暮らしているのでしたら、狩猟採集で十分たべていけるのですが、砂漠地帯のようなきびしい自然環境のなかでは、作物を人工的にそだてる農業を開発して食料生産性を高めないと人々は生きていけなかったのです。

こうしてオリエントでは、農業生産性を高める努力をし、効率的・機能的に人々が暮らしていけるようにするために都市を発達させました。これが文明のはじまりです。

文明が発生する背景にはきびしい自然環境があり、そこには生きるための大きな切実性があったといえるでしょう。

今回たまたま、アマゾンの自然社会と、オリエントの文明のはじまりを比較しながら同時に見ることができたので認識がとてもふかまりました。説明はありませんでしたが、古代オリエント博物館はこのようなことを意識して今回の展覧会を企画したのかもしれません。比較するということは理解をすすめるためのひとつの重要な方法といえるでしょう。

▼ 参考文献
古代オリエント博物館編『古代オリエントの世界』山川出版社、2009年7月25日

▼ 関連文献

東京・池袋、サンシャインシティ文化会館7階にある古代オリエント博物館で開催中の「アマゾン展 森に生きる人々と暮らし」を先日みました(会期:2014年11月24日まで)。


自然環境と人間の共生が本展のテーマです

アマゾン川は世界最大のひろさをもち、ふかい森にはぐくまれたゆたかな自然にめぐまれています。この自然環境のなかで先住民インディオは、野性の植物や動物とかかわり、精霊との交流など独自の世界観をもちながらくらしています。

狩りや漁、採集にかかせない道具、祭りにつかう色彩ゆたかな羽根飾りや仮面の数々、これらはアマゾンでの生活の知恵の結晶です。独自のデザインのなかに自然のなかからうまれてきた美意識を見ることができました。

本展の展示品は、旧アマゾン館館長だった山口吉彦さんの収集品です。2万点ものコレクションのなかから、今回は、民俗資料を中心に厳選し、インディオがはぐくんだゆたかな文化を紹介していました。

これらの展示から、主体であるインディオと彼らをとりまく自然環境とが相互浸透的に作用しあって、独自の文化(生活様式)がそだったことを読みとることができました。

141105 相互浸透

図 インディオと自然環境とが相互浸透的に作用しあって独自な文化がそだった。


旧アマゾン館は山形県鶴岡市にあった展示館であり、わたしは17年前に鶴岡市に出張したとき見学し感銘をうけたことがありました。今回、東京で再会することができ、とてもなつかしかったです。アマゾン館は今年3月をもっておしまれつつも閉館したそうです。

自然環境と人間との共生は人類の根本的なテーマですから、このような収集品は一時的な展示におわらせずに、人類の遺産として今後とも保存し、展示・研究をすすめていくべきだとおもいます。

今シーズンもMETライブビューイングがはじまりました。METとは、アメリカ・ニューヨークにあるメトロポリタン歌劇場のことです。

METライブビューイングは世界中の映画館で上映され、現代におけるオペラのスタンダードをつくりあげつつあります。多くのオペラファンは、まずライブビューイングを視聴して、そして気に入った作品があれば実際の劇場に足をはこぶというパターンを確立しつつあります。

こうした背景のひとつにはオペラの鑑賞料の問題があります。実際の劇場で上演されるオペラはチケット代がとても高額です。オペラは言わずもがなもっとも巨大な総合芸術であり、歌手以外にもかかわるスタッフが多数であり、装置も大がかりな物が多く、したがってお金がとてもかかり、それがチケット代に反映してしまいます。

しかし、ライブビューイングのチケットは1回あたり3600円と、普通の映画にくらべれば高いですが、オペラにしては手頃な価格です。

こうしてオペラファンはまずライブビューイングを見て、ときどき劇場に行ってライブを鑑賞するようになります。この過程では、ライブビューイングを基準にして、どの作品をライブで鑑賞するか、判断し選択するということがおこります。こうして、非常に多数の人々が見るライブビューイングがオペラのスタンダードとして確立されていきます。判断基準・評価基準が人々の意識のなかでできていくのです

これはかつて、ヘルベルト=フォン=カラヤンとベルリンフィルハーモニー管弦楽団が、LPやCDでクラシック音楽のひとつのスタンダードをつくりあげたことと似ています。

いずれも、メディアや情報化などの技術革新の時流にのって実現したことです

カラヤンのときは音声だけでしたが、今度のMETには映像も入っています。情報量は圧倒的に増えました。いいかえれば、今世紀になってから巨大な情報量をあつかえるようになり、ライブビューイングの配信は実現できたのです。

METライブビューイングのおもしろいところは、毎回 幕間に、歌手へのインタビューがあり、また舞台裏の様子をありありとうつしだしていることです。劇場では絶対に聞けない話を聞くことができ、劇場に行っても見られない所が見られるという特典つきです。これは今までになかった演出であり、あらたなチャレンジです。

今後、METライブビューイングは世界のオペラ水準を上げることに貢献するでしょうか、それとも、METの一人勝ちになるのでしょうか。

今シーズンのMETライブビューイングは名作が目白押しです。臨場感が味わえる中央の席で鑑賞するのがよいでしょう。また東京都内の場合、音質は、新宿・ピカデリーの方が銀座・東劇よりも圧倒的によいです。東劇は音が悪く、ヴァイオリンの音が金属音的に聞こえます。これはおもにスピーカーの善し悪しに起因します。オペラは長時間上演になりますので音質のよい映画館に行った方がよいでしょう。


METライブビューイング

iPhone 6 と 6 Plus が発売されてたくさんのレビューがでてきており、大方、非常に高い評価になっています。

デザイン、ディスプレイ、カメラ、iOS などについてはかなりくわしい解説や評価を見かけますが、音質(オーディオ)についてはどうでしょうか。

わたしが試聴したところ 新 iPhone は音質も非常によいです。もっとも iPhone は iPhone 5 から音質が特によくなったと言われていましたが。

iTunes と iPhone をつかって音楽を毎日たのしんでいる方も多いとおもいます。毎日のたのしみは欠かせないことであり、だからこそ音質にもこだわりたいものです。

iPhone の音質の最大の特色はそのバランスのよさです。音楽は第一にバランスがよくなくてはなりません。

iPhone のイヤホンジャックに、たとえばつぎのイヤホンをつなげば、非常にすぐれた音質で音楽を手軽にたのしめます。


外付けのポータブルアンプがはやっているようですが、そのような物は基本的には必要ありません。わたしもかつてポータプルアンプを iPhone につないで失敗したことがありました。iPhone には、よくできたイヤホンを直接つないでください。よけいな物は必要ありません。

なお、自宅やホテルの部屋などでゆっくり音楽にひたりたいときには、iPhone の設定を「機内モード」にすると若干ですが音質が向上します。

アップルの仕事は、技術化ではなくアート化をめざしているのではないでしょうか。あたらしい時代は、技術化をこえたアート化をめざした方がよいとかんがえられます。


上記の、オーディオテクニカ ATH-CK90PROMK2 はバランスも解像度もよい名機です。 わたしも長年愛用しています。メーカーのサイトによりますと生産完了になっているため在庫かぎりだとおもわれます。

音質はややおとりますが価格が若干ひくい同系列のモデルもあります。
もっと低価格のモデルとしてはつぎがおすすめです。


▼ 関連記事
屋外で音楽をたのしむ - オーディオテクニカのイヤホン“ATH-IM01” -
オーディオテクニカのイヤホンで音楽をたのしむ

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東京都江東区青海にある日本科学未来館で地球ディスプレイ "Geo-Cosmos" を先日みました。


"Geo-Cosmos" は、地球を、秩序ある有機的統一的なひとつの天体としてとらえます。

これは有機ELパネルをつかった世界初の「地球ディスプレイ」であり、1000万画素を超える高解像度で宇宙空間に輝く地球の姿をリアルにうつしだす日本科学未来館のシンボル展示です。「宇宙から見た輝く地球の姿を多くの人と共有したい」という毛利衛館長の思いから生まれたそうです。

画面上を流れる雲の映像は、気象衛星が撮影した画像データを毎日とりこんで反映させていました。

今回は、ドイツ生まれのメディアアーティスト、インゴ・ギュンターさんが制作したコンテンツ「ワールドプロセッサー」もうつしだしていました。「人の営み」「社会の姿」「境界線」「地球の水」「人の経済活動」「モノ・ヒトの移動」「コミュニケーション」「世界平均と日本」など、データをもとに地球のさまざまな側面、分布、移動などをえがきだしていました。

1階からは特製ベッドに横になって “Geo-Cosmos” を見上げることができます。3階から5階へはループ状に空中歩道が “Geo-Cosmos” をとりまくようにうかんでいて、一層ちかくから見ることができます。

"Geo-Cosmos" は第一にコンセプトがよいです。そして表現手段としてもすぐれています。地球をひとつの小さなコスモス、小宇宙としてとらえなおすことはとても重要なことです。


▼ 関連ブログ
地球儀を発想の出発点としてつかう

年に一度のオーディオのイベント、ハイエンドショウトウキョウ2014に先日いってきました。会報は、青海フロンティアビル(東京都江東区)でした。

わたしはおもに逸品館のデモを聞きました。目玉は、ペアで2千2百万円もする超高級スピーカー、Focal Grand Utopia でした。もはやライブを越えています。ゆたかにひろがる音場、繊細な高音、自然で重厚な低音、圧倒的な底力。こんな世界最高級のスピーカーで音楽をきけるチャンスはめったにありません。

おもしろいのは、あくまでも音楽がひろがり、スピーカーからは音はきこえず、スピーカーの存在が消えてしまっていることです。まさに臨場感です。

中央の一点からボーカルがきこえ、そのやや右後ろからベースがひびいてきます。ボーカルがたち、そのやや右後ろにベースがたっていることがはっきりとイメージできます。

しかし、その場所に行ってみるとそのような音はありません。スピーカーのそばに行ってみるとスピーカーからはたしかに物理的な音は出ているのですが、スピーカーからはなれると音楽の響きがひろがります。物理的な音はスピーカーから出るのですが音楽は仮想の音響空間で響いています。音響空間ではスピーカーは消えているかのようで、音楽は、スピーカーそのものからは聞こえてこないのです。物理的な音と、空間に響く音楽とはちがうということです。

つまり、音楽の響きは耳ではなく意識で認識しているのです。わたしたちの意識は、2本のスピーカーから出てくる物理的な音を、意識のなかで融合させて有機的・立体的な音楽をつくりあげています。意識は部屋全体にひろがっていて、その意識の場のなかで音楽が響いているといってよいでしょう。

オーディオ装置で音楽を聞いてみると自分の意識のひろがりとその仕組みについて実感することができます。ここに、ライブとはちがおもしろさがあります。意識とは、情報処理の場あるいは仕組みと言いかえてもよいです。

また、5.1サラウンドのデモもありました。臨場感が一層増して、特に、オーディオ再生がむずかしい大編成の交響曲はすばらしかったです。

「失速する iTunesミュージック 焦るアップルの過剰マーケティングにU2のボノもあきれる」という記事を見つけました(Yahoo!ニュース/ダイヤモンド・オンライン、10月29日)。

アップルの音楽ダウンロードサービスの「iTunes music」が、2014年初頭から13%も売上を落としたことが話題になっているそうです。
iTunes music のようなダウンロード型サービスにかわって台頭してきているのはストリーミングサービスです。ストリーミングは、自分のストレージに楽曲を保存・所有せずにインターネットを介して聞けるサービスであり、最近のユーザーはもっと軽快な方法で音楽をたのしみたいとおもうようになってきています。

このあたりの事情はクラウドについて理解するとわかってくるとおもいます。クラウドとはグーグルがおこなっているようなサービスであり、データはストレージにではなくクラウドにおいておき、ネットでいつでもアクセスできる仕組みになっています。最近、クラウドがいよいよ本格化しはじめたということが言えるでしょう。

この意味では、iPhone も iPod、iPad、Mac もまだクラウドストレージにはなりきっていません。最近発売され話題沸騰中の iPhone 6 においてでもそうです。ストレージ方式をまだひきずっているのです。

いずれ、デバイスはすべてクラウドデバイスになる時がやってきます。そのとき、情報革命はさらに一段 先にすすむことになるでしょう。

アップルは、ヘッドフォンとストリーミングサービスの会社であるビーツを30億ドルで買収、アップルの iTunes も来年には、ストリーミングサービスを iTunes に統合するとのことです。

1.地勢タイプと行政タイプ

『LOVE地球儀』は、地球儀について知り、また、地球儀を購入する際のカタログとして参考になります。

地球儀には大きくわけて地勢タイプ行政タイプの2種類があります。

地勢タイプの地球儀は、山脈や海底の高低差をふくめ地形をわかりやすく表示しています。平野や森林地帯は緑系、高地や山脈などは茶系、海は青系などと、色のちがいや濃度によって地勢をあらわしているのが特徴です。

一方の行政タイプの地球儀は、各国を色分けし、国の位置や国境、国の大きさをわかりやすく表示した地球儀です。

地勢タイプの地球儀は、天体(惑星)として地球をとらえた理科系的な地球儀ですが、もう一つの行政タイプの地球儀は、人間の活動の場として地球をとらえた文科系的な見方の地球儀です。このように地球儀は「理科系地球儀」と「文科系地球儀」に二大別されます。

 ・地勢タイプの地球儀:理科系
 ・行政タイプの地球儀:文科系



2.理科系と文科系を統合する

わたしはもともと地球科学を専攻したので地勢タイプの地球儀(理科系地球儀)はすでにもっていますが、海外で環境問題にとりくむようになり、行政タイプの地球儀(文科系地球儀)も必要になってきました。

そこで、行政タイプの地球儀も買おうとおもって東京・銀座の伊東屋(K.ITOYA)に地球儀を見に行きました。6階に地球儀の専門フロアーがあり、たくさんの地球儀が展示・販売されていました。また、ウェブサイトでもいろいろさがしてみました。

たとえば、渡辺教具製作所の地球儀「ジェミニ」は、行政タイプの地球儀をベースにしていますが、人工衛星データに基づいた山岳の凹凸や海底の深浅、おもな海流なども表示され、行政と地勢の両方の情報がひとつの球体にもりこんであります。


また、リプルーグル・グローブス・ジャパンの地球儀「リビングストン型」は、ライトを点灯していない時は、森林・草原・砂漠・ツンドラなどの10種類の気候風土にそった地勢タイプの地球儀ですが、 ライトを点灯すると陸地が国別に色分けされた行政タイプの地球儀に変化するおもしろい地球儀です。


1台の地球儀に2種類のタイプの地球を統合しようとする努力が読みとれます。地球儀の世界でも理科系と文科系とを統合しようとこころみた人たちがいました。



3.情報場として地球をとらえなおす

このように、地球には、理科系と文科系という2つの側面があり、両者を統合することは人類の課題になっています。

今日、地球上にインターネットがはりめぐらされ、 地球の情報化がいちじるしくすすみ、 クラウドの運動もとらえられるようになってきました。つまり、地球全体が情報処理の場、情報場になりました。

141003 人間と地球
図 地球は、人間が主体になった情報処理の場である


地球を情報場としてとらえることにより、理科系と文科系の2つの側面をより高次元で統合することが可能であるとかんがえられます。情報処理の場として地球をとらえる、さらに、情報処理の場の中で地球をとらえなおすことがこれからは重要です。

このような仮説をたてるならば、今後は、地勢と行政のうえにクラウドの運動も表示できるような「総合地球儀」の開発がもとめられます(注)



4.地球儀を発想の出発点としてつかう

このように、地球儀を見て、地球儀を発想の出発点(起点)としてつかうことによりおもしろい仮説がでてきます。地球儀は、発想のための道具として役立ちます。

なお、発想のための地球儀としては、南北方向にも東西方向にも自由に回転できる全方向回転式の地球儀がおすすめです。地軸が固定されている常識的な地球儀(北半球がつねに上に位置する地球儀)では視点が固定されてしまいます。

日本列島を真上にしたり真下にしたりでき、視点を自由に変えられる地球儀であれば、固定観念にとらわれずにさまざまな観点から地球をとらえなおすことができます。



▼ 文献
『LOVE 地球儀』スタジオ タック クリエイティブ、2012年1月30日
【バーゲンブック】 LOVE地球儀。


▼ 関連ブログ
パソコンの時代がおわり、クラウドの時代になる 〜小池良次著『クラウドの未来』〜
一度にたくさんインプットした方が理解がすすむ


▼ 注
日本科学未来館のジオコスモス(Geo-Cosmos)がこのような取り組みをおこなっており注目されます。意識(心)のなかに立体をインプットし、内面世界に立体空間を確立することが大切です。



千葉市、幕張メッセ・国際展示場で開催されている「宇宙博2014」を見ました(会期:2014年9月23日まで)。宇宙開発の技術博覧会であり、人類の宇宙開発の歴史を模型(一部実物)を通して知ることができした。

会場は、「人類の冒険」「NASA」「JAXA・日本の宇宙開発」「火星探査」「未来の宇宙開発」などのエリアにわかれ、約9千平方メートルの広大なフロアに約500点が展示されていて迫力がありました。

140909 宇宙博2014
会場マップ&音声ガイドリスト


人類の宇宙開発の歴史の概要はつぎのとおりです。

 1957年 世界初の人工衛星・スプートニク1号うちあげ(旧ソ連)
 1959年 ルナ2号、初の月面到達(旧ソ連)
 1961年 ガガーリンがボストーク1号で大気圏外へ(旧ソ連)
 1969年 アポロ11号が月面着陸。アームストロング船長が初の月面第一歩(米国)
 1976年 火星探査機バイキングが火星到着(1975年うちあげ、米国)
 1977年 探査機ボイジャー1号、2号うちあげ(米国)
 1981年 スペースシャトル・コロンビア初うちあげ(米国)
 1998年 国際宇宙ステーション建設開始(2011年完成)
 2005年 はやぶさがイトカワ到着(2003年うちあげ、2010年帰還、日本)
 2012年 火星探査機キュリオシティが火星到着(2011年うちあげ、米国)
 2012年 ボイジャー1号が太陽系を脱出(米国)


IMG_1347アポロ月着陸船
アポロ月着陸船


IMG_1343アポロ月面車
アポロ月面車


IMG_1354司令船
アポロ司令船と帰還時につかったパラシュート


IMG_1351月から見た地球
月から見た地球(地球も天体の一つにすぎない)


IMG_1361火星
火星探査機キュリオシティ


IMG_1366
未来の宇宙船ドリームチェイサー


■ 月面への第一歩
宇宙開発のなかで最大の偉業は1969年7月20日人類の月到達です。月着陸船は、重量を軽くし、安全性を高めるために何度も改良されました。最初の課題は、コックピットの窓と座席の重量でした。最終的には宇宙飛行士は立ったまま飛行し、小さな三角形の窓で視界を確保することにしました。また、月着陸船をささえる脚の数にも変更がかさねられました。3本がもっとも軽い形状ですが、1本が破損すると安定性がうしなわれ、5本だと安定しますが重量が大きくなります。結局、4本で決着しました。


■ 歴史的転換をもたらす
人類による宇宙開発の歴史は人類が宇宙へと活動領域をひろげていく過程であり、人類が活動空間を大きくひろげて宇宙へ進出したことは、人類の歴史的な転換となりました

一方で人類は、地球も、宇宙のなかの天体のひとつにすぎないことを認識し、地球は小さな存在になりました。地球が小さくなることによってグローバル化(全球化)がもたらされました。宇宙開発の歴史は、グローバル化の歴史でもあったのです

会場には、月から見た地球の写真も展示されていました。この情景に、人類の歴史的な転換が圧縮されています。人類は、月に到着したことによりひとつの「分水嶺」をこえたのです


■ イメージ体験をする
宇宙にでて、みずからの空間を一気にひろげて、一瞬にして全体を見てしまい、対象を小さくしてしまう。技術革新は人の世界観も転換していきます。宇宙博を利用すればこのようなイメージ体験をすることができます。これは、山を一歩一歩のぼっていくような、情報をひとつひとつつみあげて認識していく作業とは根本的にことなる体験です。

なお、スペースショップに行くと公式ガイドブック(2200円)を売っています。はじめに、スペースショップに行って、公式ガイドブックの見本を見て概要をつかんでから各展示を見た方が効率よく理解がすすむとおもいます。



▼ 参考書
立花隆著『宇宙からの帰還』中公文庫、1985年7月1日

川喜田二郎著『野性の復興』は川喜田二郎最後の著書であり、川喜田問題解決学の総集編です。

目次はつぎのとおりです。

序章 漂流する現代を切り拓く
1章 「創造性の喪失」が平和の最大の敵
2章 「情報化の波」が管理社会を突き崩す
3章 問題解決のための「方法」と「技術」
4章 生命ある組織作り
5章 今こそ必要な「科学的人間学」の確立
6章 「文明間・民族間摩擦」を解決する道
7章 「晴耕雨創」というライフスタイル
8章 野性の復興


要点を引用しておきます。

解体の時代が始まっている。解体の原因は、この世界が、いのちのない諸部品の複雑な組み立てと運動から成り立っていると見る世界観にある。わたしはそれを「力学モデル」、あるいは「機械モデル」の世界観と呼んでみた。

デカルトこそが、機械モデルの世界観の元祖なのである。

個人よりも大きな単位、たとえば家族・親族集団・村落・学校・企業・国家・民族などもまた、生きていると言える。全人類、全生物界も、またそれぞれ生き物だと言える。つまり、「生命の多重構造」を認める立場がある。

ホーリスティックな自然観に共鳴する。

生き物の本性は問題解決にこそある。創造的行為とは、現実の問題解決のためにこそある。

文明五〇〇〇年(狭くは二五〇〇年)の間、秩序の原理であった権力が、今やガタガタになってきた。それに代わって、情報が秩序の原理になる徴候が、世界中至るところに兆し始めてきた。

伝統体の発生のほうが根本原理であり、動植物などの「いわゆる生き物」は、その伝統体の現れの一種と考える。

読み書きの能力を英語でリテラシーと言うように、これからの時代には、「情報リテラシー」がきわめて大切だ。加えて、データベースの運用方式を開発することである。

情報の循環こそ、いのちを健全化するカギである。

自分にとって未知なひと仕事を、自覚的に達成せよ。それには、問題解決学を身につけること、そうして自覚的に達成体験を積み重ねるのがいちばんよい。


以上をふまえ、わたしの考察を以下にくわえてみます。

1. 未知の問題を解決する - 創造的行為 -
本書でのべている創造的行為とは「問題解決」のことであり、特に、未知な問題にとりくみ、それを解決していく過程が創造的な行為であるということです。

その問題解決のためには、「情報リテラシー」と「データベース」が必要であるとのべています。「情報リテラシー」は情報処理能力、「データベース」はデータバンクといいかえてもよいです。情報処理とデータバンクは情報の二本柱です。

したがって、情報処理をくりかえし、データバンクを構築しながら未知の問題(未解決な問題)を解決していくことが創造的行為であるわけです。



2. 情報処理の主体を柔軟にとらえると階層構造がみえてくる
ここで、情報処理をおこなう主体は個人であってもよいですし、組織であっても民族であってもよいです。あるいは、人類全体を主体ととらえることも可能です。1990年代後半以後、人類は、インターネットをつかって巨大な情報処理をおこなう存在になりました。そして、地球全体(全球)は巨大な情報処理の場(情報場)になりました(図)。


140825 人類と地球

図 人類全体を情報処理の主体とみなすこともできる
 

このように、情報処理をおこなう主体は個人に限定する必要はなく、個人にとらわれることに意味はありません。個人・集団・組織・民族・国家・人類のいずれもを主体としてとらえることが可能であり、柔軟に主体をとらることがもとめられます。このような柔軟な見方により「生命の多重構造」(階層構造)が見えてきます



3. 主体と環境と情報処理が伝統体を生みだす
そして、主体が、よくできた情報処理を累積しながら問題を解決し、創造の伝統をつくったならば、その主体とそれをとりまく環境がつくりだすひとつの場(情報場)はひとつの「伝統体」となります

個人・集団・組織・民族・国家などのいずれもが「伝統体」を形成する可能性をもっており、あるいは、人類を主体とみた地球全体(全球)がひとつの「伝統体」になってもよいのです。



4. 伝統体を階層的にとらえなおす
このようにかんがえてくると、主体と環境と情報処理から「伝統体」が生まれるということを、むしろひとつの原理とみなし、その原理が「生命の多重構造」として階層的にあらわれている(顕在化してくる)という見方ができます。

「伝統体」とは生き物のようなものであるというせまい見方ではなく、いわゆる生き物は「伝統体」のひとつのあらわれ、生物も「伝統体」の一種であるという見方です。つまり、「伝統体」は、階層的に、さまざまな姿をもってあわられるという仮説です。ここに発想の逆転があります。

川喜田が最後に提唱したこの「伝統体の仮説」はとても難解であり、理解されない場合が多いですが、上記の文脈がいくらかでも理解のたすけになれば幸いです。

キーワードを再度かきだすとつぎのようになります。

創造、問題解決、情報処理、データバンク、主体、環境、情報場、階層構造、伝統体



5. 速度と量によりポテンシャルを高める
上記のなかで、情報処理とデータバンクを実践するための注意点はつぎのとおりです。

情報処理は、質の高さよりも処理速度を優先します。すなわち、できるだけ高速で処理することが大切です。質の高さは二の次です。

また、データバンクは、質の高さよりも量を優先します。すなわち、大量に情報を集積します。質の高さは二の次です。

情報の本質は、まず、速度と量であり、これらにより情報場のポテンシャルを高めることができます。このことに注目するとすぐに先にすすむことができます


▼ 文献
川喜田二郎著『野性の復興 デカルト的合理主義から全人的創造へ』祥伝社、1995年10月10日


川喜田二郎著『創造と伝統』は、文明学的な観点から、創造性開発の必要性とその方法について論じています。



I 創造性のサイエンス
 はじめに
 一、創造的行為の本質
 二、創造的行為の内面世界
 三、創造的行為の全体像
 四、「伝統体」と創造愛

II 文明の鏡を省みる
 一、悲しき文明五〇〇〇年
 二、コミュニティから階級社会へ
 三、日本社会の長所と短所

III 西欧近代型文明の行き詰まり
 一、デカルト病と、その錯覚
 二、物質文明迷妄への溺れ

IV KJ法とその使命
 一、KJ法を含む野外科学
 二、取材と選択のノウハウ
 三、KJ法と人間革命

V 創造的参画社会へ
 一、民族問題と良縁・逆縁
 二、情報化と民主化の問題
 三、参画的民主主義へ
 四、参画的民主主義の文化

結び 没我の文明を目指せ


本書の第I章では「創造的行為とは何か」についてのべています。第Ⅱ章と第Ⅲ章では「文明の問題点」を指摘しています。第Ⅳ章では「問題解決の具体的方法」を解説しています。第Ⅴ章と結びでは「あたらしい社会と文明の創造」についてのべています。


■ 創造的行為とは何か
「創造とは問題解決なり」であり、「創造とは問題解決の能力である」ということである。

創造は必ずどこかで保守に循環するもので、保守に循環しなければ創造とは言えない

「渾沌 → 主客分離と矛盾葛藤 → 本然(ほんねん)」が創造における問題解決の実際の過程である。これは、「初めに我ありき」のデカルトの考えとはまったく異なっている。

創造的行為の達成によって、創造が行われた場への愛と連帯との循環である「創造愛」がうまれてくる。これが累積していくと、そこに「伝統体」が生じる。「伝統体」とは、創造の伝統をもった組織のことである。


■ 文明の問題点
文化は、「素朴文化 → 亜文明あるいは重層文化 → 文明」という三段階をへて文明に発展した。

文明化により、権力による支配、階級社会、人間不信、心の空虚、個人主義、大宗教などが生まれた。

デカルトの考えを根拠とする、西欧型物質文明あるいは機械文明は行き詰まってきた。


■ 問題解決の具体的方法
現代文明の問題点を改善するための具体的方法としてKJ法を考え出した。

KJ法は、現場の情報をボトムアップする手段である。

現場での取材とその記録が重要である。


■ あたらしい社会と文明の創造
今、世界中で秩序の原理が大きく転換しようとしている。秩序の原理が権力による画一化と管理によって働いてきたのであるが、今や情報により多様性の調和という方向に変わってきた。

多様性の調和という秩序を生み出すことは、総合という能力と結びついて初めて考えられる。

人間らしい創造的行為を積みあげていくことで「伝統体」を創成することになる。

創造的行為は、個人、集団、組織、そして民族、国家、それぞれの段階での、環境をふくむ「場」への没入、つまり「没我」によってなされるのである。

「没我の文明」として、既成の文明に対置し、本物の民主主義を創り出すことを日本から始めようではないか。




1. 情報処理の場のモデル

ポイントは、情報処理の概念を上記の理論にくわえ、情報処理を中核にしてイメージをえがいてみるところにあります。

情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)をくわえることにより、情報処理をおこなう主体、その主体をとりまく環境、主体と環境の全体からなる場を統合して、つぎのイメージえがくことができます(図1)。そして、情報処理の具体的な技法のひとつとしてKJ法をとらえなおせばよいのです。

140822 場と主体
図1 主体と環境が情報処理の場をつくる


図1のモデルにおいて、主体は、個人であっても組織であっても民族であってもよいです。人類全体を主体とみることもできます。環境は、主体をとりまく周囲の領域です。場は、主体と環境の全体であり、それは生活空間であっても、地域であっても、国であってもかまいません。地球全体(全球)を、情報処理のひとつの場としてとらえることも可能です。

図1のモデルでは、主体は、環境から情報をとりいれ(インプットし)、情報を処理し(プロセシング)、その結果を環境(主体の外部)へ放出(アウトプット)します。

このような、主体と環境とからなる場には、情報処理をとおして、情報の流れがたえず生じ、情報の循環がおこります。



2. 問題解決(創造的行為)により場が変容する

創造とは問題解決の行為のことであり、問題解決は情報処理の累積によって可能になります。よくできた情報処理を累積すると、情報の流れはよくなり、情報の循環がおこり、問題が解決されます。これは、ひと仕事をやってのけることでもあります。

そして、図1のモデル(仮説)を採用するならば、この過程において、主体だけが一方的に変容することはありえず、主体がかわるときには環境も変わります。つまり、情報処理の累積によって主体と環境はともに変容するのであり、場の全体が成長します。



3. 没我

情報処理は、現場のデータ(事実)を処理することが基本であり、事実をとらえることはとても重要なことです。間接情報ばかりをあつかっていたり、固定観念や先入観にとらわれていたりしてはいけません。

このときに、おのれを空しくする、没我の姿勢がもとめられます。場に没入してこそよくできた情報処理はすすみます。
 


4. 伝統体が創造される

こうして、情報処理の累積により、主体と環境とからなるひとつの場が成長していくと、そこには創造の伝統が生じます。伝統を、創造の姿勢としてとらえなおすことが大切です。そして、その場は「伝統体」になっていきます。それは創造的な伝統をもつ場ということです。

「伝統体」は個人でも組織でも民族であってもかまいません。あるいは地球全体(全球)が「伝統体」であってもよいのです。



5. 渾沌から伝統体までの三段階

すべてのはじまりは渾沌です(図2A)。 これは、すべてが渾然と一体になった未分化な状態のことです。次に、主体と環境の分化がおこります(図2B)。そして、図1に見られたように情報処理が生じ、 情報の流れ・循環がおこります。情報処理の累積は問題解決になり、創造の伝統が生じ、ひとつの場はひとつの「伝統体」になります(図2C)。
 


140822 創造の三段階

図2 渾沌から、主体と環境の分化をへて、伝統体の形成へ
A:創造のはじまりは渾沌である。
B:主体と環境の分化がおこる。情報処理が生じ、情報の流れ・循環がおこる。
C:情報処理の累積は問題解決になり、創造の伝統が生じ、ひとつの場はひとつの伝統体になる。


A→B→Cは、「渾沌 → 主客分離と矛盾葛藤の克服 → 本然(ほんねん)」という創造の過程でもあります。客体とは環境といいかえてもよいです。

これは、デカルト流の、自我を出発点として我を拡大するやり方とはまったくちがう過程です。我を拡大するやり方では環境との矛盾葛藤が大きくなり、最後には崩壊してしまいます。



6. 情報処理能力の開発が第一級の課題である

『創造と伝統』は大著であり、川喜田二郎の理論はとても難解ですが、図1と図2のモデルをつかって全体像をイメージすることにより、創造、問題解決、デカルトとのちがい、物質・機械文明の問題点、伝統体などを総合的に理解することができます。

今日、人類は、インターネットをつかって巨大な情報処理をする存在になりました。そして、地球はひとつの巨大な情報場になりました。

上記の図1のモデルでいえば、地球全体(全球)がひとつの巨大な場です。その場のなかで、人類は主体となって情報処理をおこなっているのです。

そして、図2のモデルを採用するならば、こらからの人類には、よくできた情報処理を累積して、諸問題を解決し、創造の伝統を生みだすことがもとめられます。

したがって、わたしたちが情報処理能力を開発することはすべての基本であり、第一級の課題であるということができます。



▼ 文献
川喜田二郎著『創造と伝統』祥伝社、1993年10月
創造と伝統―人間の深奥と民主主義の根元を探る

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140804b

図 仮説発想の野外科学と仮説検証の実験科学


川喜田二郎著『発想法』の第I章では「野外科学 -現場の科学-」についてのべています。

この野外科学とは、地理学・地質学・生態学・人類学などの野外(フィールド)を調査・研究する科学にとどまらず、仮説を発想する科学として方法論的に位置づけられています。仮説を発想することは発想法の本質です。

野外科学によりいったん仮説が発想されると、今度は、実験科学の過程によって仮説の検証をしていきます

つまり、野外科学は仮説を発想するまでの過程、実験科学はそのごの仮説を検証する過程であり、両者がセットになってバランスのよい総合的なとりくみになります(図)。

何かをしようとするとき、意識するしないかかわらず、既存の仮説を採用したり、固定観念にとらわれてしまっていることがよくあります。これは実験科学だけをやっているということになります。これですと、やっぱりそうだったかと確認はできても、あらたな発見が生まれにくいです。

そこで、野外科学の精神にしたがって仮説をみずから立ててみることをおすすめします。そのためにはつぎのようにします。

 1.課題を明確にする
 2.情報収集をし、似ている情報をあつめて整理する
 3.「・・・ではないだろうか」とかんがえる


仮説を生みだす野外科学は実験科学や行動の母体にもなります。 

自分がたてた仮説がただしいかどうかはあとで検証すればよいのです。仮説をたてると推論ができたり想像もふくらみます。仮説を検証する方法は、それぞれの専門分野でよく発達している場合が多いので、それを積極的につかってもよいです。


▼ 文献
川喜田二郎著『発想法』(中公新書)1967年6月26日

世界中で空前の大ヒットになっている『アナと雪の女王』を見ました。

何と言っても “Let It Go” がとても印象的でした。この曲も大ヒットしいて世界中でうたわれているそうです。

解きはなたれた ありのままの自分でいいんだ。完璧な “いい子” をもう演じなくていい。

ありのままの自分を肯定する「レット・イット・ゴー」がヒットする背景には今の時代があらわれてるとおもいます。精神的に抑圧された人々がいかに多いか。人々は物質的欲求ではなく、みずからの心の変化をもとめはじめました。世界中で吹きはじめたスピリチュアルの「風」とも共鳴しているでしょう。

自分を好きになってもいいのです。


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仮説を形成することは発想法のなかでもとくに本質的な行為です。

哲学者の梅原猛さんは、縄文人がつくった土偶について大胆な仮説をうちだしています(注)。仮説をいかに形成するかという点で参考になります。


縄文時代の土偶は縄文文化のかがやかしき遺物ですが、それが何を意味するのかは謎でした。梅原さんは、まず、すべての土偶に共通する事実を枚挙し、つぎのようにまとめました。


1「土偶は女性である」
2「土偶は子供を孕んだ像である」
3「土偶は腹に線がある」
4「土偶には埋葬されたものがある」
5「土偶はこわされている」


そして、これらにもとづいて次のような考察をしました。


1と2から、土偶は、子供の出産にかかわっているものであると考えられる。

3から、 妊娠した女性が死んだとき、腹を切って胎児をとりだしたのではないだろうか。

4から、死者の再生をねがって埋葬したのではないだろうか。

5から、あの世はこの世とあべこべの世界であるという思想にもとづいて、この世でこわれたものはあの世では完全になるのであるから、こわれた土偶はあの世へおくりとどけるものとしてつくられたのではないだろうか。 土偶は死者を表現した像であり、死者の再生の願いをあらわしていると考えられる。土偶の閉じた目は再生の原理を語っている。


以上から、「妊娠した女性が死んだとき、腹を切って胎児をとりだし、その女性を胎児とともに土偶をつけて葬ったのではないか」となり、そして最後に、土偶は、「子をはらんだまま死んだ妊婦と腹の子をあわれんでの、また、再生をねがっての宗教的儀式でつかわれた」という仮説を形成しました。

このように、土偶の謎をときあかすためには、すべての土偶に共通する事実を枚挙し、それらの事実すべてを合理的に説明しうる仮説をかんがえればよいわけです。

梅原さんは、仮説形成の仕事をつねにしています。仮説形成の観点から梅原さんの著作に注目していきます。


▼ 注
梅原猛監修『縄文の神秘』(人間の美術1)学習研究社、1989年11月3日(初出)
梅原猛著『縄文の神秘』(学研M文庫)学研パブリッシング、2013年7月9日
 
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問題解決のためには、ビジョンと筋道を明確にイメージすることが重要です。ビジョンとそこまでの筋道が見えてくるとやる気がでます。

そのためには、これまでの自分の足取りを整理するのがよいです。自分の足取りが見えれば次の一歩も見えてきます。これまでの人生の足取りをできるだけ精密に思い出したどってみましょう。

自分史の大きな流れが見えてくると、それを縦軸として、それに交差するさまざまな周囲の出来事もとらえなおすことができます。作業の途中で折々に浮上する記憶も記録していきます。よく想起される過去の場所や出来事があることに気づくこともあります。一度想起して、ふたたび記憶の倉庫にもどす作業をくりかえしていると心の中が整理されます。

こうして、自分史の全体的な流れがつかめると課題や問題意識が明確になり、次の一歩を踏みだすことができます。

METライブビューイング(新宿ピカデリー)でヴェルディ作曲『オテロ』を視聴しました。

指揮:セミヨン=ビシュコフ 
演出:エライジャ=モシンスキー
出演:ヨハン=ボータ(オテロ)、ルネ=フレミング(デズデーモナ)、ファルク=シュトルックマン(イアーゴ)、マイケル=ファビアーノ(カッシオ)

『オテロ』は、ウィリアム=シェイクスピアの悲劇『オセロ』(Othello)を原作とする、全4幕からなるオペラです。ヴェルディが74歳のときに作曲、彼の26のオペラのうち25番目の作品です。1887年にミラノ・スカラ座で初演されました。

15世紀末、ヴェネツィア共和国領のキプロス島。ムーア人の将軍オテロは、剛毅な英雄として名声を得ていました。オテロに出世をこばまれたことをうらむ旗手イアーゴは、新婚の妻デズデーモナに夢中になっているオテロをおとしいれようと計画、デズデーモナと副官のカッシオの不倫をでっちあげ、オテロにそれをふきこみます。イアーゴの言葉を信じ、嫉妬にかられたオテロは、彼にあやつられるままに・・・

『オテロ』の真の主人公は、イアーゴ(ファルク=シュトルックマン)です。イアーゴは、さまざまな謀略をくわだて、オテロをひきずりまわし、デズデーモナを悲しみのどん底につきおとします。イアーゴは、周囲の人々を破滅へとおいこんでいく悪党のなかの悪党です。

イアーゴにとっては、悪意は、深層意識からわきでてくる、生きるためのエネルギーになっているのです。イアーゴにとっては悪意はすべての原動力であり、悪意に根拠など必要ありません。悪意をみがいて、ますます力づよく行動していきます。

そして、イアーゴの心の底からひびいていくる悪魔の歌声は、大きな波動となって周囲をつつみこみ、オテロとデズデーモナを翻弄していきます。二人は、それとは気がつかずに、ただその波動にのみこまれ転落していきます。これを運命とよぶのでしょうか。

それにしても、ファルク=シュトルックマンのイアーゴ、見事でした。


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自分のアウトプットを見直して、自分で自分を見る

 


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