発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

タグ:地球

世界地図をつかって、国際問題について理解するための本です。地図の読み方、使い方が具体的に解説されていて勉強になります。地図をつかうと、言語を基盤にするのではなく、イメージをつかってグラフィックに対象を理解できます。

池上さんは地図が大好きで、世界各地に取材に行くたびに、その国で発行されている世界地図を購入してくるそうで、つぎのようにのべています。

世界地図からは、まず全体像が把握できます。さらに地図をよく読みこんでいくと、問題の背景にあるさまざまな状況までもが、透けて見えてきます。紛争の当事国の事情や思惑・・・・。

国際情勢は世界地図から読み解けるのです。

まず、全体像をつかむことが、地図の使用法の基本でしょう。

本書には、実にさまざまな地図が掲載されています。たとえば、「日本海」がない韓国の地図、北方領土が日本の領土になっている中国の地図、上下がさかさまのオーストラリアの地図、ユーラシア大陸た二つに割れたアメリカの地図、国名が書かれていないヨルダンの地図、フィクションが盛りこまれた地図などです。

これらを見ているだけでも固定観念から脱出できます。


なかでも印象的だったのは「北極中心の世界地図」です。

アメリカとロシアはむかいあっていて、ごく近いお隣だったことがわかりました。

また、地球温暖化がすすんできて、北極の氷がどんどん溶けてきた結果、北極航路の運用が現実味をおびてきました。そうなると、世界の海運に大きな変化がもたらされることがわかりました。

さらに、これまでは氷に閉ざされていて開発できなかった北極の豊富な埋蔵資源をめぐって、あらたな紛争が起きようとしていることも知りました。


海外旅行をする場合は、本書を参考にして、世界地図を見て下しらべをしてから、その国に行ってみるとよいでしょう。

地図から想像力を働かせることこそ、面白いのです。「地図ではこうなっているけれども、その国は、本当のところ、どうなのだろうか」という視点を持って、その国を訪れてください。

固定的な見方をやめて、自分の目でたしかめることの大切さ、おもしろさをおしえてくれた一冊でした。


▼ 文献
池上彰著『国際問題がわかる! 世界地図の読み方』小学館、2010年12月4日
池上彰 国際問題がわかる! 世界地図の読み方

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国立民族学博物館

大阪・千里にある国立民族学博物館を先日みてきました。

とても大きな博物館だったため、とても1〜2日では見れないことがわかりました。そこで、まずは、すべての展示を一気に見てしまおうとおもいました。

展示は、オセアニアからはじまって、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、西アジア、音楽、言語、朝鮮半島、中国、中央・北アジア、アイヌ、日本、沖縄となっていて、東回りに世界を一周し、最後に日本にたどりつくことができました。なお、南アジアと東南アジアの展示は改装中だったため電子ガイドで見学しました。

141231 国立民族学博物館平面図
展示案内図


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西アジア展示

このように、全展示を一気に見たことによって、かえって、いくつかの巨大文明の姿が見えてきて、また、それらの比較もできました。たとえばつぎの通りです。

 ヨーロッパ:ヨーロッパ文明
 西アジア:イスラム文明
 南アジア:ヒンドゥー文明
 中国地域:中国文明

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中国展示


このように、短時間で一気に見ることの利点は、大局がつかめるところにあります。一気に全部を見ることは、決して、手抜き作業や飛ばし見ではありません。一気に見るからこそ大局がわかってくるのです。

こうして、国立民族学博物館の展示室をひと通りまわることは、世界一周の「圧縮体験」をすることになります。

これが、もし時間をかけてゆっくり見ていたら、途中で時間切れになって、世界一周の「圧縮体験」はできませんでした。ゆっくり見ていると、どこかの細部(局所)はわかりますが、大局はつかめません。

実は、わたしはかつてほかの博物館で、途中で時間ぎれになった経験が何回もあります。そこで、まず、全体を一気に見てしまい、そのうえで、興味のある展示については、そこへあらためて行ってくわしくみるという方法にしました。

そうすれば、時間の長短にかかわらず、ひとつのまとまりのある体験ができ、局所も、大局の中に位置づけて理解することができます。

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写真1 大阪市立自然史博物館の入り口

大阪市立自然史博物館では、自然の歴史、地球の歴史についてまなぶことができます。特に、第2展示室では、化石を見ながら、地球と生命の歴史についてくわしく理解することができます。

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写真2 第2展示室の化石展示

地球は、約46億年前に誕生しました。

約35億年前になると、最初の生命が誕生しました。

地球の歴史は、動物の進化にもとづいて時代区分されています。それは、古生代、中生代、新生代となっています。

古生代の初めには、海にすむ生物の数や種類が飛躍的に増え、ほとんどの脊椎動物があらわれました。

中生代は、「恐竜とアンモナイト」の時代です。植物界では裸子植物の時代になりますが、中生代後半に入ると被子植物があらわれました。

新生代第三紀は「哺乳類の時代」とよばれ、哺乳類が大発展しました。

そして、新生代第四紀(約200万年前)になってからは、人類が大発展しました。

このような自然史については、博物館で化石などを実際に見ることによって、とてもリアルに具体的に理解することができます。


ところで、大阪市立自然史博物館の別館ネイチャースクエアには、「自然史」ではなくて「自然誌」の展示がありました。これらは似ているようで異なります。「自然史」が、時間的歴史的な見方をするのに対して、「自然誌」は、どちらかというと空間的な見方を重視します。つまり、つぎのような対応関係があります。

自然史:時間
自然誌:空間


そこで、大阪市立自然史博物館の別館ネイチャースクエアの「自然誌」の展示では、空間的な見方を意識し、本館第2展示室の「地球と生命の歴史」展示では、時間的歴史的な見方を意識することによって、一見、非常に複雑に見える自然の現象あるいは地学の知識をすっきりと整理することができます。このあたりがごちゃごちゃになっていると混乱が増してしまいます。

このように、空間的な見方と時間的な見方をよく整理して、そしてそれらを組みあわせることは、複雑なことを見通しよく理解することに役立ちます。


大阪市立自然史博物館 >> 


▼ 関連記事
里山のモデルをつかって大阪の自然誌をとらえる - 大阪市立自然史博物館 - 

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写真1 大阪市立自然史博物館のネイチャースクエアの入り口

大阪市立自然史博物館を先日みました。別館のネイチャースクエア「大阪の自然誌」の展示がとても充実していました。この部屋の展示は「自然史」ではなくて「自然誌」でした。特に、里山に注目することにより、大阪の人々と自然環境とのかかわりについて理解することができました。

このネイチャースクエアは、大阪にのこっている自然と人間とのかかわりをまなぶための部屋であり、大阪の海・川・水辺・平野・丘陵・山地などについて、そこで見られる生き物や地層を、また自然観察コースなどを具体的にしめしながら解説していました。

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写真2 展示室の内部


大阪も都市化がすすみ、特に、1960年代以降、丘陵地帯の開発いちじるしかったそうですが、それでも、いくらかの自然が細切れになりつつものこっています。

大阪府下の林は、クヌギ・コナラ・リョウブなどの落葉広葉樹に赤松がまじった林が多く、そこは、さまざまな植物や獣や昆虫が生息していて、里山になっていました。丘陵地帯には、薪をとる山・草地・ため池・田んぼ・社寺林などがくみあわさってできた里山が発達しました。

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写真3 里山の展示


かつて人々は、原生林をきりひらいて田畑や居住地として利用し、さらに、集落の周囲の林を、燃料や用材・肥料・山菜などをえるために利用してきました。自然のいとなみと人間のはたらきの調和によって里山は維持されていました。

近年では、こうした里山は利用されなくなりましたが、この博物館は、里山の意義をとらえなおして、のこされた里山を大切な林として保護し、後世にのこしていこうと活動をすすめているそうです。環境保全のために、里山があらためて注目されています。


このような里山をモデル(模式図)で簡略にあらわすとつぎのようになります(図1)。

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図1 人々と自然環境との相互作用により里山が生まれた

人々は、自然環境から恩恵をうけつつ、それをうまく改良・利用して生活をいとなんでいました。そのような、人々と自然環境との相互作用により里山が生まれました。里山とは、本来の自然ではなく、人々が改良した二次的な自然のことです。

これを、さらに単純化するとつぎのようなモデルになります(図2)。

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図2 主体-環境系のモデル

人々とは、その地域の主体であり、自然環境は簡略に環境とよぶことができます。主体が、環境からさまざまな事物をとりいれることはインプット、一方、環境に対してさまざまな働きかけをし、環境を改良していく行動はアウトプットととらえることができます。主体は、その過程で情報を消化し、情報処理をしているわけです。

インプットやアウトプットをより効果的におこなうために、人々は、さまざまな技術を発達させました。技術は成長するとその地域の文化となります。上記の里山は、このような過程でつくられてきたとモデル化できるのではないでしょうか。したがって、里山は、その地域独自の技術や文化をつくりだすものととらえなおすこともできます。

図2の主体-環境系のモデルは、〔インプット→プロセシング→アウトプット〕という、ひろい意味の情報処理系であると見ることができます。


このようなモデルをもって、「大阪の自然誌」を見てみたところ、人間から自然環境までを総合的にとらえなおすことができました。

大阪平野は大阪の中心部になっていて、それを、千里・京阪奈・泉北・羽曳野などの丘陵がかこんでいます。丘陵の背後には山地が、手前には大阪湾があり、中央には、大阪湾にむかって淀川がながれています。「大阪の自然誌」の各展示物の空間配置が、このような自然誌をモデル化した構造になっていました(図3)。


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図3 ネイチャースクエア「大阪の自然誌」展示室の案内図
(空間配置が、大阪の自然誌をモデル化した構造になっていた)


博物館の自然誌展示は、一見、複雑でわかりにくいと感じますが、このように、モデルをつかうことによって見通しが非常によくなり、見おわったあと、すっきりした気持になって帰宅することができます。


大阪市立自然史博物館 >>

1911年12月14日、人類は、はじめて南極点に到達しました。到達したのは、ノルエーの探検家ロアール=アムンセンひきいるアムンセン隊でした。

午後三時。「とまれ!」という声が三台のソリの御者たちからほとんど同時にあがった。ソリにつけている距離計が、いっせいにゴールインの数値を示したのだ。非天測推定の極点、つまり南緯90度。

ひと息ついた五人は、われにかえると一つにかたまり、力いっぱい握手をかわして成功を祝った。アムンセンという強力な指導者のもとに、いまこそ人類史に輝く一項が、五人のたぐいない団結と勇気によって達成されたのである。五人は感動のあまり言葉も少なく、ただその力をこめた握手に、たがいの気持ちを伝えあうのだった。

しかし、この時点で、南極点をめざして、あとからすすんでくるもうひとつの隊、英国ロバート=F=スコット大佐ひきいるスコット隊がありました。

近づくにつれ、しかし、それは自然のものではなくて人工物だということがはっきりしてきた。たしかに最近極点を訪れた人間がいたのである。(中略)もう疑う余地はない。ノルエー隊に先を越されたのだ。

もう道を探す必要もなかった。皮肉なことにアムンセン隊の足跡がはっきりとついていて、立派な道案内をしてくれるのだから。

希望の土地が一転して絶望の土地になったのである。

スコット隊は、アムンセン隊におくれること34日、1912年1月17日に南極点に到達しました。

こうして、前人未踏の南極点をめざす「地上最大のレース」は、アムンセン隊の勝利、スコット隊の敗北という結果におわりました。


本多勝一著『アムンセンとスコット』は、この「地上最大のレース」について、「勝った側」と「敗れた側」を同時進行的に叙述した実話です。

本書を読んでいると、アムンセンは幸運であり、スコットは不運であったというような簡単なことではなく、アムンセンは成功するべくして成功し、スコットは敗れるべくして敗れたという必然性を読みとることができます。

たとえば、アムンセンは、わかいときから、自分の強烈な意志で、極地探検家へと驀進したのに対し、スコットは、英国海軍の軍人であり、王立地理学協会の会長マーカム卿にみこまれて「任命」されて隊長になったのでした。

こうしたことが、極点への情熱と心がまえや、隊の運営方法の差としてはっきりあらわれてしまいました。主体性は、人間行為にとって本源的に重要であることをあらわしています。

南極点をめざすというおなじ行動をしながらも、両者には大きな相違があり、わたしたちが彼らからまなぶべき点はたくさんあるとおもいます。


人類で最初に南極点に到達したアムンセン隊の偉業は、人類史上の記録的意味、歴史的意味をもっています。これは、単なる冒険とはあきらかにちがいます。

これは、地球上の空白領域をうめていく行為であったのあり、パイオニアワークでした。地平線のむこう、フロンティアをもとめる行動です。人類は、本源的には、既知の領域から未知の領域に旅をする存在であるとかんがえられます。このことが、現在でも世界の人々が、オリジナリティー(独創性)を必要とする姿勢となってあらわれているのでしょう。

したがって、もし、そこに誰かが足を踏みいれたならば、その瞬間に、そこはもはや空白領域ではなくなってしまい、そこにはもう、フロンティアは存在しなくなるのです。

ここに、アムンセンとスコットが熾烈な競走をした理由、なぜ「最初」に南極点に到達しなければならなかったのか、2番目ではだめだったのかという理由があるのだとおもいます。 

* 

スコット隊は、帰路、全滅してしまいました。彼らの失意も、人類史上にのこる大きなものであったことでしょう。スコット隊はたしかに敗れました。しかし、アムンセンもスコットも、ともにパイオニアワークをめざしたのであり、パイオニアワークは、たとえ敗れても、堂々としたやり方だとおもいます。


▼ 関連記事
現場でノートに記録をとる - 南極探検隊員のノートが100年ぶりに発見される - 

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国立科学博物館 


東京・上野、国立科学博物館で開催中の企画展「ヨシモトコレクションの世界」を先日みました(会期:2015年 1月18日まで)。多数の剥製標本を通して生物の多様性を実感することができました。


国立科学博物館ヨシモトコレクションとは、日系二世の実業家ヨシモトさんが、1957年から1995年にかけて世界中から狩猟によって得た標本群のことです。1997年から1998年にかけて、ハワイ・オアフ島のW.T.ヨシモト財団より国立科学博物館へ寄贈されました。

哺乳類・鳥類・爬虫類の標本約400点からなり、種数は全173種(鳥類13種、爬虫類2種)をふくみます。その多くは全身が剥製としてのこされており、内訳は全身剥製267点、頭部剥製98点、半身剥製7点、なめし皮7点、頭骨1点、角8点、牙10点です。

剥製の製作を手がけたのは、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル市のクラインバーガー社で、その優秀な技術は、動物の細部を見事に再生しているといえます。特に頭部に浮き出した血管の様子や、肛門周辺の造形は見事で、またいくつかの標本では生きていたときの行動を再現して作製されています。すべての個体について捕獲した時期と場所が記録されており、また各ハンティングの記録は付帯資料としてキャビネットにおさめられています。

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ヨシモトコレクションは今回の企画展示のほか、国立科学博物館・地球館3階や1階に常設展示されていて見る者を圧倒しています。もしこのコレクションがなかったなら、国立科学博物館の動物展示はかなり貧弱なものになったでしょう。

このコレクションをきずいたヨシモトさんとは、日系二世の実業家としてハワイで大成功をおさめたのち、世界各地で狩猟をおこない、動物の剥製の製作をすすめました。そして晩年には自然保護を推進するようになりました。

剥製標本は立体でリアリティがあったため体験的に動物について理解をふかめることができました。動物写真を図鑑で見ているのとちがい迫力がありました。また、せまいスペースのなかで多数の標本をみることができたので、動物の多様性を短時間・高密度で実感することができました。

動物の多様性をとらえる場合、つぎのような段階を踏むとよいでしょう。

 (1)図鑑で見る
 (2)博物館で見る
 (3)動物園で見る
 (4)フィールドワークをおこなう

(1)図鑑で見れば、地球上で知られているほとんどの動物を写真や絵で体系的に見ることができます。
(2)写真や絵は平面的(2次元)ですが、展示標本は3次元であり、いろいろな角度から動物を立体的にとらえることができます。
(3)博物館の標本は死んだ動物ですが、動物園では実際に生きている動物を見ることができます。より現実にちかづきます。
(4)フィールドワークをおこなえば、野性の動物を生態系のなかに位置づけて見ることができます。しかし、フィールドワークでは動物に出会える機会は少なくなり、ガイドや専門的なやり方が必要になります。

(1)から(4)にいくにしたがって動物に出会える頻度は低くなりますが、より現実の状態を知ることができます。

このような認識の段階の全体像を踏まえて博物館の動物展示を利用すれば、動物に関する理解がすすむとともに、ヨシモトさんの功績が後世まで生かされるとおもいます。

つぎのデータベースも有用です。


▼ 関連ブログ
哺乳類の進化と絶滅をまなぶ -太古の哺乳類展- 
具体例を蓄積して理解をふかめる -ダーウィンフィンチのクチバシ- 

東京・池袋、サンシャインシティ文化会館7階にある古代オリエント博物館で開催中の「アマゾン展 森に生きる人々と暮らし」を先日みました(会期:2014年11月24日まで)。


自然環境と人間の共生が本展のテーマです

アマゾン川は世界最大のひろさをもち、ふかい森にはぐくまれたゆたかな自然にめぐまれています。この自然環境のなかで先住民インディオは、野性の植物や動物とかかわり、精霊との交流など独自の世界観をもちながらくらしています。

狩りや漁、採集にかかせない道具、祭りにつかう色彩ゆたかな羽根飾りや仮面の数々、これらはアマゾンでの生活の知恵の結晶です。独自のデザインのなかに自然のなかからうまれてきた美意識を見ることができました。

本展の展示品は、旧アマゾン館館長だった山口吉彦さんの収集品です。2万点ものコレクションのなかから、今回は、民俗資料を中心に厳選し、インディオがはぐくんだゆたかな文化を紹介していました。

これらの展示から、主体であるインディオと彼らをとりまく自然環境とが相互浸透的に作用しあって、独自の文化(生活様式)がそだったことを読みとることができました。

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図 インディオと自然環境とが相互浸透的に作用しあって独自な文化がそだった。


旧アマゾン館は山形県鶴岡市にあった展示館であり、わたしは17年前に鶴岡市に出張したとき見学し感銘をうけたことがありました。今回、東京で再会することができ、とてもなつかしかったです。アマゾン館は今年3月をもっておしまれつつも閉館したそうです。

自然環境と人間との共生は人類の根本的なテーマですから、このような収集品は一時的な展示におわらせずに、人類の遺産として今後とも保存し、展示・研究をすすめていくべきだとおもいます。

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日本科学未来館

日本科学未来館の企画展「トイレ? 行っトイレ! ボクらのうんちと地球のみらい」を先日みました(会期:2014年7月2日〜10月5日)。


本展は、トイレをとりあげた非常にめずらしい企画展でした。トイレは、身近な存在でありながら、あまりふかくかんがえずにつかっている道具です。

トイレは、わたしたちの日常生活でなくてはならないものであるだけでなく、地球環境問題にも大きくかかわっています。

世界で25億人もの人々がトイレをつかえない状況です。2100年には、人類の人口が100億人を突破すると予測されていて、健康と衛生、環境をどのようにまもっていくか大きな問題です。

今後、トイレのない地域にトイレを普及し、排泄物を農業などに有効に利用することが必要で、そのための簡易トイレの製造、技術開発がすすんでいます。

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今回は、トイレという、普通とは異なる視点から地球環境をとらえなおすことができおもしろかったです。

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東京都江東区青海にある日本科学未来館で地球ディスプレイ "Geo-Cosmos" を先日みました。


"Geo-Cosmos" は、地球を、秩序ある有機的統一的なひとつの天体としてとらえます。

これは有機ELパネルをつかった世界初の「地球ディスプレイ」であり、1000万画素を超える高解像度で宇宙空間に輝く地球の姿をリアルにうつしだす日本科学未来館のシンボル展示です。「宇宙から見た輝く地球の姿を多くの人と共有したい」という毛利衛館長の思いから生まれたそうです。

画面上を流れる雲の映像は、気象衛星が撮影した画像データを毎日とりこんで反映させていました。

今回は、ドイツ生まれのメディアアーティスト、インゴ・ギュンターさんが制作したコンテンツ「ワールドプロセッサー」もうつしだしていました。「人の営み」「社会の姿」「境界線」「地球の水」「人の経済活動」「モノ・ヒトの移動」「コミュニケーション」「世界平均と日本」など、データをもとに地球のさまざまな側面、分布、移動などをえがきだしていました。

1階からは特製ベッドに横になって “Geo-Cosmos” を見上げることができます。3階から5階へはループ状に空中歩道が “Geo-Cosmos” をとりまくようにうかんでいて、一層ちかくから見ることができます。

"Geo-Cosmos" は第一にコンセプトがよいです。そして表現手段としてもすぐれています。地球をひとつの小さなコスモス、小宇宙としてとらえなおすことはとても重要なことです。


▼ 関連ブログ
地球儀を発想の出発点としてつかう

1.地勢タイプと行政タイプ

『LOVE地球儀』は、地球儀について知り、また、地球儀を購入する際のカタログとして参考になります。

地球儀には大きくわけて地勢タイプ行政タイプの2種類があります。

地勢タイプの地球儀は、山脈や海底の高低差をふくめ地形をわかりやすく表示しています。平野や森林地帯は緑系、高地や山脈などは茶系、海は青系などと、色のちがいや濃度によって地勢をあらわしているのが特徴です。

一方の行政タイプの地球儀は、各国を色分けし、国の位置や国境、国の大きさをわかりやすく表示した地球儀です。

地勢タイプの地球儀は、天体(惑星)として地球をとらえた理科系的な地球儀ですが、もう一つの行政タイプの地球儀は、人間の活動の場として地球をとらえた文科系的な見方の地球儀です。このように地球儀は「理科系地球儀」と「文科系地球儀」に二大別されます。

 ・地勢タイプの地球儀:理科系
 ・行政タイプの地球儀:文科系



2.理科系と文科系を統合する

わたしはもともと地球科学を専攻したので地勢タイプの地球儀(理科系地球儀)はすでにもっていますが、海外で環境問題にとりくむようになり、行政タイプの地球儀(文科系地球儀)も必要になってきました。

そこで、行政タイプの地球儀も買おうとおもって東京・銀座の伊東屋(K.ITOYA)に地球儀を見に行きました。6階に地球儀の専門フロアーがあり、たくさんの地球儀が展示・販売されていました。また、ウェブサイトでもいろいろさがしてみました。

たとえば、渡辺教具製作所の地球儀「ジェミニ」は、行政タイプの地球儀をベースにしていますが、人工衛星データに基づいた山岳の凹凸や海底の深浅、おもな海流なども表示され、行政と地勢の両方の情報がひとつの球体にもりこんであります。


また、リプルーグル・グローブス・ジャパンの地球儀「リビングストン型」は、ライトを点灯していない時は、森林・草原・砂漠・ツンドラなどの10種類の気候風土にそった地勢タイプの地球儀ですが、 ライトを点灯すると陸地が国別に色分けされた行政タイプの地球儀に変化するおもしろい地球儀です。


1台の地球儀に2種類のタイプの地球を統合しようとする努力が読みとれます。地球儀の世界でも理科系と文科系とを統合しようとこころみた人たちがいました。



3.情報場として地球をとらえなおす

このように、地球には、理科系と文科系という2つの側面があり、両者を統合することは人類の課題になっています。

今日、地球上にインターネットがはりめぐらされ、 地球の情報化がいちじるしくすすみ、 クラウドの運動もとらえられるようになってきました。つまり、地球全体が情報処理の場、情報場になりました。

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図 地球は、人間が主体になった情報処理の場である


地球を情報場としてとらえることにより、理科系と文科系の2つの側面をより高次元で統合することが可能であるとかんがえられます。情報処理の場として地球をとらえる、さらに、情報処理の場の中で地球をとらえなおすことがこれからは重要です。

このような仮説をたてるならば、今後は、地勢と行政のうえにクラウドの運動も表示できるような「総合地球儀」の開発がもとめられます(注)



4.地球儀を発想の出発点としてつかう

このように、地球儀を見て、地球儀を発想の出発点(起点)としてつかうことによりおもしろい仮説がでてきます。地球儀は、発想のための道具として役立ちます。

なお、発想のための地球儀としては、南北方向にも東西方向にも自由に回転できる全方向回転式の地球儀がおすすめです。地軸が固定されている常識的な地球儀(北半球がつねに上に位置する地球儀)では視点が固定されてしまいます。

日本列島を真上にしたり真下にしたりでき、視点を自由に変えられる地球儀であれば、固定観念にとらわれずにさまざまな観点から地球をとらえなおすことができます。



▼ 文献
『LOVE 地球儀』スタジオ タック クリエイティブ、2012年1月30日
【バーゲンブック】 LOVE地球儀。


▼ 関連ブログ
パソコンの時代がおわり、クラウドの時代になる 〜小池良次著『クラウドの未来』〜
一度にたくさんインプットした方が理解がすすむ


▼ 注
日本科学未来館のジオコスモス(Geo-Cosmos)がこのような取り組みをおこなっており注目されます。意識(心)のなかに立体をインプットし、内面世界に立体空間を確立することが大切です。



『LOVE地球儀』は、地球儀について知り、また、地球儀を購入する際のカタログとして参考になります。世界の情報がくわしくわかる学習用地球儀からオシャレなインテリア用まで300種類以上の地球儀を紹介しています。

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目次はつぎのとおりです。

地球儀を知ろう
 地球儀の特徴
 地球儀の各部名称
 地球儀の種類
 縮尺について
 地球に関する基礎知識
 地球儀の使い方
 地球儀の歴史

地球儀カタログ

もっと地球がわかる施設!
 日本科学未来館
 土浦市立博物館
 地図と測量の科学館
 国立科学博物館


■ 地球儀をつかえば最短距離が簡単にわかる

地球儀は、面積・方位・距離・形状という4点を正確に表示できます。一方、よくもちいられているメルカトル図法の地図ではこれらが正確に表示できません。

たとえば、地球儀をつかえば、国と国(2地点間)の最短距離を簡単に知ることができます。地図上での最短距離(直線距離)は地球儀上では最短距離にはなりません。

2地点間の最短距離を知るためには紐を一本用意し、紐が一番ピンと張るように地球儀上で2地点をおさええると、そこが最短距離になります。それは、飛行機の最短航路であり大圏航路ともいいます。

たとえば、東京とパリの最短距離はロシアの北と北欧をとおるルートです。わたしたちが通常みている地図(メルカトル図法)ですと、東京とパリをむすぶ直線は中国から中央アジアを横切るルートになり、実際には、これは最短距離よりもかなり長い距離になります。

あるいは、東京とサンパウロの最短距離は、 メルカトル図法の地図上では太平洋を横断するように見えますが、実際には、 アラスカやカナダ、ニューヨークをとおります。

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■ 情報処理の場の次元を高める

このように、2地点間の最短ルートはおもいもよらない国々をとおることがわかり、常識がくつがえされます

地図も地球儀も共に世界をあらわすものですが、決定的なちがいは、地図は二次元(平面)ですが、地球儀は三次元(立体)であることです。つまり、地球儀の方が次元が高いのです。

地図上(二次元)で計算によって大圏航路(最短距離)をもとめるのはむずかしいですが、地球儀上では簡単にわかります。これは、次元を高めることによって、できなかったことが簡単にできるようになる一例です。

たとえば登山でも、山麓から山頂までの最短ルートあるいは登るのが容易なルートは、地図上で見ていると間違うことがありますが、三次元で見ればすぐに見つかります。

何かをかんがえたり情報を処理するときには、一次元(時系列)よりも二次元の場のなかで、二次元よりも三次元の場のなかでおこなった方がうまくいきます。次元を高めることにより、一次元ではできなかった情報の並列処理が可能になります

一次元で、ウンウンとうなってかんがえていても出てこなかった問題の解決策が、二次元、三次元と次元を高めることによって見つかることがあります。三次元の場に身をおくことによって問題解決までの「最短距離」が見つかることがあるかもしれません。情報処理や問題解決も「最短距離」でおこなった方がよいにきまっています。

次元を高めるだけで、努力や苦労をしなくても意外にも簡単に解決策がみつかってしまうことはよくあることです。一次元で努力しているよりも、三次元(立体空間)をうまくつかった方がよいでしょう



▼ 文献
『LOVE 地球儀』スタジオ タック クリエイティブ、2012年1月30日
▼ 関連ブログ
3次元空間をイメージしながら新聞をよむ



千葉市、幕張メッセ・国際展示場で開催されている「宇宙博2014」を見ました(会期:2014年9月23日まで)。宇宙開発の技術博覧会であり、人類の宇宙開発の歴史を模型(一部実物)を通して知ることができした。

会場は、「人類の冒険」「NASA」「JAXA・日本の宇宙開発」「火星探査」「未来の宇宙開発」などのエリアにわかれ、約9千平方メートルの広大なフロアに約500点が展示されていて迫力がありました。

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会場マップ&音声ガイドリスト


人類の宇宙開発の歴史の概要はつぎのとおりです。

 1957年 世界初の人工衛星・スプートニク1号うちあげ(旧ソ連)
 1959年 ルナ2号、初の月面到達(旧ソ連)
 1961年 ガガーリンがボストーク1号で大気圏外へ(旧ソ連)
 1969年 アポロ11号が月面着陸。アームストロング船長が初の月面第一歩(米国)
 1976年 火星探査機バイキングが火星到着(1975年うちあげ、米国)
 1977年 探査機ボイジャー1号、2号うちあげ(米国)
 1981年 スペースシャトル・コロンビア初うちあげ(米国)
 1998年 国際宇宙ステーション建設開始(2011年完成)
 2005年 はやぶさがイトカワ到着(2003年うちあげ、2010年帰還、日本)
 2012年 火星探査機キュリオシティが火星到着(2011年うちあげ、米国)
 2012年 ボイジャー1号が太陽系を脱出(米国)


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アポロ月着陸船


IMG_1343アポロ月面車
アポロ月面車


IMG_1354司令船
アポロ司令船と帰還時につかったパラシュート


IMG_1351月から見た地球
月から見た地球(地球も天体の一つにすぎない)


IMG_1361火星
火星探査機キュリオシティ


IMG_1366
未来の宇宙船ドリームチェイサー


■ 月面への第一歩
宇宙開発のなかで最大の偉業は1969年7月20日人類の月到達です。月着陸船は、重量を軽くし、安全性を高めるために何度も改良されました。最初の課題は、コックピットの窓と座席の重量でした。最終的には宇宙飛行士は立ったまま飛行し、小さな三角形の窓で視界を確保することにしました。また、月着陸船をささえる脚の数にも変更がかさねられました。3本がもっとも軽い形状ですが、1本が破損すると安定性がうしなわれ、5本だと安定しますが重量が大きくなります。結局、4本で決着しました。


■ 歴史的転換をもたらす
人類による宇宙開発の歴史は人類が宇宙へと活動領域をひろげていく過程であり、人類が活動空間を大きくひろげて宇宙へ進出したことは、人類の歴史的な転換となりました

一方で人類は、地球も、宇宙のなかの天体のひとつにすぎないことを認識し、地球は小さな存在になりました。地球が小さくなることによってグローバル化(全球化)がもたらされました。宇宙開発の歴史は、グローバル化の歴史でもあったのです

会場には、月から見た地球の写真も展示されていました。この情景に、人類の歴史的な転換が圧縮されています。人類は、月に到着したことによりひとつの「分水嶺」をこえたのです


■ イメージ体験をする
宇宙にでて、みずからの空間を一気にひろげて、一瞬にして全体を見てしまい、対象を小さくしてしまう。技術革新は人の世界観も転換していきます。宇宙博を利用すればこのようなイメージ体験をすることができます。これは、山を一歩一歩のぼっていくような、情報をひとつひとつつみあげて認識していく作業とは根本的にことなる体験です。

なお、スペースショップに行くと公式ガイドブック(2200円)を売っています。はじめに、スペースショップに行って、公式ガイドブックの見本を見て概要をつかんでから各展示を見た方が効率よく理解がすすむとおもいます。



▼ 参考書
立花隆著『宇宙からの帰還』中公文庫、1985年7月1日

『世界の旅行記101』は、古今東西の代表的な旅行記101を9章にわけて概説しています。人類がどのように地球を旅行し探検し、地球を認識してきたかをたどることができます。

古今東西、旅行記はとてもたくさんあるので、まず本書を見て、興味を感じる本があったら原書にあたるという方法をとるとよいとおもいます。

以下の旅行記の概要が掲載されています。

I ギリシア・ローマ旅行記
 1 歴史
 2 アナバシス
 3 ガリア戦記
 4 エリュトゥラー海周航記
 5 ギリシア案内記

II 東洋旅行記
 6 インドの不思議
 7 旅路での出来事に関する情報の覚書
 8 モンゴル旅行記
 9 東方見聞録
 10 イブン・バットゥータ旅行記
 11 コンスタンチノープル征服記
 12 東方案内記
 13 東洋遍歴記
 14 朝鮮幽因記
 15 熱河日記
 16 中国訪問使節日記
 17 朝鮮・琉球航海記
 18 ペルシャ放浪記
 19 紫禁城の黄昏

III 大航海時代
 20 ギネ―発見征服誌
 21 航海日誌
 22 ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海記
 23 新世界
 24 最初の世界一周航海記
 25 ペルーおよびクスコ地方征服に関する真実の報告
 26 パナマ地峡遠征記
 27 新大陸自然文化史

IV 宗教と旅
 28 仏国記(法顕伝)
 29 大唐西域記
 30 南海寄帰内法伝
 31 入唐求法巡礼日記
 32 行歴抄
 33 日本巡察記
 34 天正遣欧使節記
 35 日本史
 36 東方伝道史

V 探検の時代
 37 世界周航記
 38 太平洋探検
 39 世界周航記
 40 ビーグル号航海記
 41 暗黒大陸
 42 ユア号航海記
 43 世界最悪の旅
 44 西太平洋の遠洋航海者
 45 中央アジア踏査記
 46 さまよえる湖
 47 コン・ティキ号探検記
 48 悲しき熱帯

VI 紀行文学
 49 旅日記
 50 モーツァルトの手紙
 51 フランス紀行
 52 イタリア紀行
 53 ある旅行者の手記
 54 ライン河
 55 赤毛布外遊記
 56 オランダ・ベルギー絵画紀行
 57 アンコール詣で
 58 サハリン島
 59 ジャック・ロンドン放浪記
 60 デルスー・ウザーラ
 61 私のアメリカ発見
 62 アフリカの緑の丘
 63 ソヴィエト旅行記

VII 外国人と日本人
 64 海東諸国記
 65 セーリス日本航海記
 66 海游録
 67 江戸参府旅行日記
 68 江戸参府随行記
 69 ベニョフスキー航海記
 70 江戸参府紀行
 71 ペルリ提督日本遠征記
 72 江戸と北京
 73 日本奥地紀行
 74 日本旅行日記

VIII 日本人の旅行記 - 江戸時代まで
 75 伊勢物語
 76 土佐日記
 77 十六夜日記
 78 韃靼漂流記
 79 東海道名所記
 80 おくのほそ道
 81 東遊雑記
 82 江戸旅日記
 83 北槎聞略
 84 東西遊記
 85 江漢西遊日記
 86 東韃地方紀行
 87 管江真澄遊覧記
 88 秋山紀行
 89 島根のすさみ
 90 蕃談
 91 西游草

IX 日本の旅行記2 - 近代以降
 92 特命全権大使・米欧回覧実記
 93 南嶋探検
 94 赤松則良半生談
 95 チベット旅行記
 96 あめりか物語
 97 満韓ところどころ
 98 三千里
 99 日本アルプス
 100 支那游記
 101 海南小記


人類の旅行史・探検史の全体像を知るうえで貴重な一冊です。特に、その地域に最初の一歩をしるし、あたらしい世界を記述した旅行記はパイオニアワークとして大きな価値があります。

人類は、既知の領域から未知の領域へと旅をする存在であるととらえることもできます。人類は旅行や探検をし、またそれを記述することでみずからの空間をひろげてきました。このような、空間をひろげる歴史を知ることはとても大事なことです


文献:樺山紘一編『世界の旅行記101』新書館、1999年10月5日
世界の旅行記101 (ハンドブック・シリーズ)

『高度1万メートルからの地球絶景』は、日本航空B747型機の機長が眼下の絶景を機内から撮影した国際線別の絶景写真集です。この写真集がおもしろいのは、撮影地点とともに飛行ルートを地図上に明確にしめしていることです。今どこを飛んでいるのだろうと想像しながら、 飛行機にのった気分になって眼下の絶景を連続的にながめる疑似体験ができます。

目次はつぎのとおりです。

カナダ/メキシコ路線
眼下に太古の原風景が広がる

ヨーロッパ路線
ロシア上空から見るシベリアの大地

オセアニア路線
珊瑚礁の海と青の透明さ

北米/北太平洋路線
アラスカ横断飛行は氷河の世界

中国/シルクロード路線
秀峰カラコルムを越える巣らのシルクロード

ハワイ路線
太平洋の青い環礁を越えて

東南アジア路線(1)
熱帯雨林とメコンの大河へ

東南アジア路線(2)
南方の戦跡の島々を飛ぶ

東南アジア路線(3)
世界の屋根ヒマラヤからインドへ

その他の路線
南米/西オーストラリア/南アフリカ


写真はどれもすばらしく、うつくしい地球の素顔を空からの視点でたのしむことができます。

IMG_1332

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各国際線のルートにそって絶景が配列されているので、ルートがつくりだす連続的な空間として絶景を見ることができます。それぞれの空間が線でむすばれていてバラバラになっていないので、 ひとつながりの空間の出来事として全体をとらえることができます。空間が線で連結・統合されているといった感じです

このように、空間を線でむすびつけ、時間的・連続的なストーリーのなかですべてを一望することは、空間記憶法や情報の統合作業に通じます。情報処理をすすめるときに、それぞれの空間を連続的にむすびつけて全体像をえがくようにすればよいのです。このような訓練により、これまでとはちがった空間の場をもつことができ、情報処理の場もひろがります。

たとえば Google Earth をつかえばこのようなことがすぐにできます。本書を参考にして、これまでに自分がたどってきた旅のルートを一望してみるとよいでしょう


文献:杉江弘著『高度1万メートルからの地球絶景』講談社、2003年12月16日
高度1万メートルからの地球絶景

川喜田二郎著『野性の復興』は川喜田二郎最後の著書であり、川喜田問題解決学の総集編です。

目次はつぎのとおりです。

序章 漂流する現代を切り拓く
1章 「創造性の喪失」が平和の最大の敵
2章 「情報化の波」が管理社会を突き崩す
3章 問題解決のための「方法」と「技術」
4章 生命ある組織作り
5章 今こそ必要な「科学的人間学」の確立
6章 「文明間・民族間摩擦」を解決する道
7章 「晴耕雨創」というライフスタイル
8章 野性の復興


要点を引用しておきます。

解体の時代が始まっている。解体の原因は、この世界が、いのちのない諸部品の複雑な組み立てと運動から成り立っていると見る世界観にある。わたしはそれを「力学モデル」、あるいは「機械モデル」の世界観と呼んでみた。

デカルトこそが、機械モデルの世界観の元祖なのである。

個人よりも大きな単位、たとえば家族・親族集団・村落・学校・企業・国家・民族などもまた、生きていると言える。全人類、全生物界も、またそれぞれ生き物だと言える。つまり、「生命の多重構造」を認める立場がある。

ホーリスティックな自然観に共鳴する。

生き物の本性は問題解決にこそある。創造的行為とは、現実の問題解決のためにこそある。

文明五〇〇〇年(狭くは二五〇〇年)の間、秩序の原理であった権力が、今やガタガタになってきた。それに代わって、情報が秩序の原理になる徴候が、世界中至るところに兆し始めてきた。

伝統体の発生のほうが根本原理であり、動植物などの「いわゆる生き物」は、その伝統体の現れの一種と考える。

読み書きの能力を英語でリテラシーと言うように、これからの時代には、「情報リテラシー」がきわめて大切だ。加えて、データベースの運用方式を開発することである。

情報の循環こそ、いのちを健全化するカギである。

自分にとって未知なひと仕事を、自覚的に達成せよ。それには、問題解決学を身につけること、そうして自覚的に達成体験を積み重ねるのがいちばんよい。


以上をふまえ、わたしの考察を以下にくわえてみます。

1. 未知の問題を解決する - 創造的行為 -
本書でのべている創造的行為とは「問題解決」のことであり、特に、未知な問題にとりくみ、それを解決していく過程が創造的な行為であるということです。

その問題解決のためには、「情報リテラシー」と「データベース」が必要であるとのべています。「情報リテラシー」は情報処理能力、「データベース」はデータバンクといいかえてもよいです。情報処理とデータバンクは情報の二本柱です。

したがって、情報処理をくりかえし、データバンクを構築しながら未知の問題(未解決な問題)を解決していくことが創造的行為であるわけです。



2. 情報処理の主体を柔軟にとらえると階層構造がみえてくる
ここで、情報処理をおこなう主体は個人であってもよいですし、組織であっても民族であってもよいです。あるいは、人類全体を主体ととらえることも可能です。1990年代後半以後、人類は、インターネットをつかって巨大な情報処理をおこなう存在になりました。そして、地球全体(全球)は巨大な情報処理の場(情報場)になりました(図)。


140825 人類と地球

図 人類全体を情報処理の主体とみなすこともできる
 

このように、情報処理をおこなう主体は個人に限定する必要はなく、個人にとらわれることに意味はありません。個人・集団・組織・民族・国家・人類のいずれもを主体としてとらえることが可能であり、柔軟に主体をとらることがもとめられます。このような柔軟な見方により「生命の多重構造」(階層構造)が見えてきます



3. 主体と環境と情報処理が伝統体を生みだす
そして、主体が、よくできた情報処理を累積しながら問題を解決し、創造の伝統をつくったならば、その主体とそれをとりまく環境がつくりだすひとつの場(情報場)はひとつの「伝統体」となります

個人・集団・組織・民族・国家などのいずれもが「伝統体」を形成する可能性をもっており、あるいは、人類を主体とみた地球全体(全球)がひとつの「伝統体」になってもよいのです。



4. 伝統体を階層的にとらえなおす
このようにかんがえてくると、主体と環境と情報処理から「伝統体」が生まれるということを、むしろひとつの原理とみなし、その原理が「生命の多重構造」として階層的にあらわれている(顕在化してくる)という見方ができます。

「伝統体」とは生き物のようなものであるというせまい見方ではなく、いわゆる生き物は「伝統体」のひとつのあらわれ、生物も「伝統体」の一種であるという見方です。つまり、「伝統体」は、階層的に、さまざまな姿をもってあわられるという仮説です。ここに発想の逆転があります。

川喜田が最後に提唱したこの「伝統体の仮説」はとても難解であり、理解されない場合が多いですが、上記の文脈がいくらかでも理解のたすけになれば幸いです。

キーワードを再度かきだすとつぎのようになります。

創造、問題解決、情報処理、データバンク、主体、環境、情報場、階層構造、伝統体



5. 速度と量によりポテンシャルを高める
上記のなかで、情報処理とデータバンクを実践するための注意点はつぎのとおりです。

情報処理は、質の高さよりも処理速度を優先します。すなわち、できるだけ高速で処理することが大切です。質の高さは二の次です。

また、データバンクは、質の高さよりも量を優先します。すなわち、大量に情報を集積します。質の高さは二の次です。

情報の本質は、まず、速度と量であり、これらにより情報場のポテンシャルを高めることができます。このことに注目するとすぐに先にすすむことができます


▼ 文献
川喜田二郎著『野性の復興 デカルト的合理主義から全人的創造へ』祥伝社、1995年10月10日


川喜田二郎著『創造と伝統』は、文明学的な観点から、創造性開発の必要性とその方法について論じています。



I 創造性のサイエンス
 はじめに
 一、創造的行為の本質
 二、創造的行為の内面世界
 三、創造的行為の全体像
 四、「伝統体」と創造愛

II 文明の鏡を省みる
 一、悲しき文明五〇〇〇年
 二、コミュニティから階級社会へ
 三、日本社会の長所と短所

III 西欧近代型文明の行き詰まり
 一、デカルト病と、その錯覚
 二、物質文明迷妄への溺れ

IV KJ法とその使命
 一、KJ法を含む野外科学
 二、取材と選択のノウハウ
 三、KJ法と人間革命

V 創造的参画社会へ
 一、民族問題と良縁・逆縁
 二、情報化と民主化の問題
 三、参画的民主主義へ
 四、参画的民主主義の文化

結び 没我の文明を目指せ


本書の第I章では「創造的行為とは何か」についてのべています。第Ⅱ章と第Ⅲ章では「文明の問題点」を指摘しています。第Ⅳ章では「問題解決の具体的方法」を解説しています。第Ⅴ章と結びでは「あたらしい社会と文明の創造」についてのべています。


■ 創造的行為とは何か
「創造とは問題解決なり」であり、「創造とは問題解決の能力である」ということである。

創造は必ずどこかで保守に循環するもので、保守に循環しなければ創造とは言えない

「渾沌 → 主客分離と矛盾葛藤 → 本然(ほんねん)」が創造における問題解決の実際の過程である。これは、「初めに我ありき」のデカルトの考えとはまったく異なっている。

創造的行為の達成によって、創造が行われた場への愛と連帯との循環である「創造愛」がうまれてくる。これが累積していくと、そこに「伝統体」が生じる。「伝統体」とは、創造の伝統をもった組織のことである。


■ 文明の問題点
文化は、「素朴文化 → 亜文明あるいは重層文化 → 文明」という三段階をへて文明に発展した。

文明化により、権力による支配、階級社会、人間不信、心の空虚、個人主義、大宗教などが生まれた。

デカルトの考えを根拠とする、西欧型物質文明あるいは機械文明は行き詰まってきた。


■ 問題解決の具体的方法
現代文明の問題点を改善するための具体的方法としてKJ法を考え出した。

KJ法は、現場の情報をボトムアップする手段である。

現場での取材とその記録が重要である。


■ あたらしい社会と文明の創造
今、世界中で秩序の原理が大きく転換しようとしている。秩序の原理が権力による画一化と管理によって働いてきたのであるが、今や情報により多様性の調和という方向に変わってきた。

多様性の調和という秩序を生み出すことは、総合という能力と結びついて初めて考えられる。

人間らしい創造的行為を積みあげていくことで「伝統体」を創成することになる。

創造的行為は、個人、集団、組織、そして民族、国家、それぞれの段階での、環境をふくむ「場」への没入、つまり「没我」によってなされるのである。

「没我の文明」として、既成の文明に対置し、本物の民主主義を創り出すことを日本から始めようではないか。




1. 情報処理の場のモデル

ポイントは、情報処理の概念を上記の理論にくわえ、情報処理を中核にしてイメージをえがいてみるところにあります。

情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)をくわえることにより、情報処理をおこなう主体、その主体をとりまく環境、主体と環境の全体からなる場を統合して、つぎのイメージえがくことができます(図1)。そして、情報処理の具体的な技法のひとつとしてKJ法をとらえなおせばよいのです。

140822 場と主体
図1 主体と環境が情報処理の場をつくる


図1のモデルにおいて、主体は、個人であっても組織であっても民族であってもよいです。人類全体を主体とみることもできます。環境は、主体をとりまく周囲の領域です。場は、主体と環境の全体であり、それは生活空間であっても、地域であっても、国であってもかまいません。地球全体(全球)を、情報処理のひとつの場としてとらえることも可能です。

図1のモデルでは、主体は、環境から情報をとりいれ(インプットし)、情報を処理し(プロセシング)、その結果を環境(主体の外部)へ放出(アウトプット)します。

このような、主体と環境とからなる場には、情報処理をとおして、情報の流れがたえず生じ、情報の循環がおこります。



2. 問題解決(創造的行為)により場が変容する

創造とは問題解決の行為のことであり、問題解決は情報処理の累積によって可能になります。よくできた情報処理を累積すると、情報の流れはよくなり、情報の循環がおこり、問題が解決されます。これは、ひと仕事をやってのけることでもあります。

そして、図1のモデル(仮説)を採用するならば、この過程において、主体だけが一方的に変容することはありえず、主体がかわるときには環境も変わります。つまり、情報処理の累積によって主体と環境はともに変容するのであり、場の全体が成長します。



3. 没我

情報処理は、現場のデータ(事実)を処理することが基本であり、事実をとらえることはとても重要なことです。間接情報ばかりをあつかっていたり、固定観念や先入観にとらわれていたりしてはいけません。

このときに、おのれを空しくする、没我の姿勢がもとめられます。場に没入してこそよくできた情報処理はすすみます。
 


4. 伝統体が創造される

こうして、情報処理の累積により、主体と環境とからなるひとつの場が成長していくと、そこには創造の伝統が生じます。伝統を、創造の姿勢としてとらえなおすことが大切です。そして、その場は「伝統体」になっていきます。それは創造的な伝統をもつ場ということです。

「伝統体」は個人でも組織でも民族であってもかまいません。あるいは地球全体(全球)が「伝統体」であってもよいのです。



5. 渾沌から伝統体までの三段階

すべてのはじまりは渾沌です(図2A)。 これは、すべてが渾然と一体になった未分化な状態のことです。次に、主体と環境の分化がおこります(図2B)。そして、図1に見られたように情報処理が生じ、 情報の流れ・循環がおこります。情報処理の累積は問題解決になり、創造の伝統が生じ、ひとつの場はひとつの「伝統体」になります(図2C)。
 


140822 創造の三段階

図2 渾沌から、主体と環境の分化をへて、伝統体の形成へ
A:創造のはじまりは渾沌である。
B:主体と環境の分化がおこる。情報処理が生じ、情報の流れ・循環がおこる。
C:情報処理の累積は問題解決になり、創造の伝統が生じ、ひとつの場はひとつの伝統体になる。


A→B→Cは、「渾沌 → 主客分離と矛盾葛藤の克服 → 本然(ほんねん)」という創造の過程でもあります。客体とは環境といいかえてもよいです。

これは、デカルト流の、自我を出発点として我を拡大するやり方とはまったくちがう過程です。我を拡大するやり方では環境との矛盾葛藤が大きくなり、最後には崩壊してしまいます。



6. 情報処理能力の開発が第一級の課題である

『創造と伝統』は大著であり、川喜田二郎の理論はとても難解ですが、図1と図2のモデルをつかって全体像をイメージすることにより、創造、問題解決、デカルトとのちがい、物質・機械文明の問題点、伝統体などを総合的に理解することができます。

今日、人類は、インターネットをつかって巨大な情報処理をする存在になりました。そして、地球はひとつの巨大な情報場になりました。

上記の図1のモデルでいえば、地球全体(全球)がひとつの巨大な場です。その場のなかで、人類は主体となって情報処理をおこなっているのです。

そして、図2のモデルを採用するならば、こらからの人類には、よくできた情報処理を累積して、諸問題を解決し、創造の伝統を生みだすことがもとめられます。

したがって、わたしたちが情報処理能力を開発することはすべての基本であり、第一級の課題であるということができます。



▼ 文献
川喜田二郎著『創造と伝統』祥伝社、1993年10月
創造と伝統―人間の深奥と民主主義の根元を探る

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川喜田二郎著『日本文化探検』は、日本文化を中核にして民族と世界について考察し、人々の創造性を開発することの必要性について論じています。

目次はつぎのとおりです。

北地の日本人
南海の日本人
生活様式の改造
山と谷の生態学
神仏混淆
「コドモ」と「オトナ」
パーティー学の提唱 - 探検隊の教訓から -
カンのよい国民
カーストの起原 - 清潔感をめぐる日本文化の座標 -
労働と人間形成
慣習の国
民族解散
文化の生態学 - ひとつの進化論の試み -
日本文化論 - 丸山真男氏の所論にふれて -
世界のなかの日本
民族文化と世界文化


今回は、方法論の観点から重要な最終章「民族文化と世界文化」についてとりあげてみたいとおもいます。要点を引用してみます。

「地球が小さくなり、狭くなり、一つになりつつある」というとき、それは世界的な一個の文化が形づくられつつあることを意味する。これを「世界文化」と呼んでおこう。

現代が有史以来はじめて世界文化の形成を許しはじめたことを、深く信ずる。けれども、そのゆえをもって、地方的特殊的な文化は否定されていくものだろうか。後者を以下「民族文化」と呼んでおこう。

世界文化と民族文化とは、互いに他を強めあい、自らを成り立たせていかねばならないものである。

民族文化の多様な個性のうえに、じつは世界文化の健やかな創造も強化されるというものである。

今までの民族文化は三つの部分に分かれる。
第一は、機能を失い、あるいは有害ですらあるために「消滅する部分」。
第二は、すくなくとも有害でなく、あるいはその民族に関するかぎり有益であるため「残存する部分」。
第三は、世界文化へと「上昇発展する部分」である。
日本民族について例をあげれば、徳川封建時代の士農工商の階級制は消滅した部分。
日本人の米食習慣とか家族形態とかは、変容しながらではあるが残存した部分。
華道とか柔道とかは上昇する部分である。

創造性、それは低開発諸国民にとっても援助する側にとっても、離陸(発展)のための手段であるのみならず、また福祉目標のなかにも入るべきものであろう。

低開発の新興独立諸国は、多くの留学生を欧米や日本に送っている。これら留学生諸君の勉学態度には、勉学するとはすなわち進んだものを受容し習得することであるとする「受けいれ姿勢」が多く、「創りだす姿勢」が欠けている。あたかもそれに応ずるかのように、母国で始まった近代的学校教育でも、日本の比ですらないほどに棒暗記主義のような受けいれ姿勢のやり方ばかりがはびこるのである。

自国の文化に対しては、これを「過去」を見る眼でしか捉えていない。そしていたずらにその過去なる伝統に執着するか、あるいはまた過去の否定にのみ進歩があると見ている。すでにつくられてきた伝統のなかに、いかに未来を創るさいに活用できる社会制度や精神や風習があるかを読みとろうとしない。

民族文化の重要性とは、単に地方的環境に適した特殊性の「残存」という点だけにあるのではないということ。これに加えるに、「上昇」を通じて世界文化の創造に対して、豊かな泉のひとつを加えるということ。


今日、グローバル化が進行し、人類は「世界文化」を構築しはじめたということは誰もがみとめることでしょう。

しかし、その「世界文化」がひろがる一方で、民族紛争が世界各地で多発してしまっているというのが現在の状況です。ニュースを見ていると悲惨な衝突があとをたちません。

「世界文化」と「民族文化」の矛盾を解消し、両者を両立させることはできるのでしょうか。

川喜田は、創造によってのみそれが可能だとのべています。

そのためには、まず、先進国の人々は、先進的な近代技術・近代文明を、開発途上国の人々に一方的におしつけるのはやめて、そこでくらす人びとの文化の独自性を尊重し、民族文化の多様性をみとめなければなりません

その一方で、その地域でくらす人びとは、自分たちの独自の伝統文化をまもるだけではなく、今日の時代の潮流に呼応して、あたらしい民族文化あるいは地域文化を積極的につくっていく、創造していく姿勢をもたなければなりません文化は、伝統に根差しつつも創造していくものととらえなおすのです。


川喜田は、民族文化を色こくのこす開発途上国における問題点の一例として、近代的学校教育についてとりあげ、そこでは、棒暗記の「受けいれ姿勢」の勉強ばかりになってしまっていることを指摘しています。

創造というと抽象的でわかりにくいかもしれませんが、その基礎は、人間がおこなう情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)にほかならず、創造するとは、よくできたアウトプットをしていくことです。

つまり、棒暗記の「受けいれ姿勢」とは、インプットばかりをやっていて、プロセシングとアウトプットがないということです。

わたしも開発途上国で長年仕事をしてきて、近年ふえてきた近代的な学校において、生徒・学生たちが棒暗記(情報のインプット)ばかりして点数をかせぐことに集中していることはよく知っています。しかしこれは、日本でも似たようなことがいえます。

そこで、情報処理の仕組みをよく教育し、〔インプット→プロセシング→アウトプット〕のすべてにわたるバランスのよい訓練をすることが必要です。そもそも、情報処理はインプットだけではおわらず、アウトプットまでやって完結するのですから。


「世界文化」と「民族文化」の問題と、情報処理とが何の関係があるのだろうかとおもう人がいるかもしれませんが、民族文化あるいは地域文化の創造をとおして世界文化にも貢献するという文脈において、情報処理能力の開発がどうじても必要だということになるのです。

「世界文化」と「民族文化」は簡単には解決できない人類にとっての歴史的問題です。このような歴史的観点からも情報処理をとらえなおすことには大きな意味があり、情報処理能力の開発が人類の第一級の課題になっていることを読みとることはとても重要なことです。


▼ 文献
川喜田二郎著『日本文化探検』講談社、1973年3月15日


好評上映中の映画『ビヨンド・ザ・エッジ - 歴史を変えたエベレスト初登頂 -』(エベレスト初登頂60周年記念作品)を見ました。

▼ 映画『ビヨンド・ザ・エッジ - 歴史を変えたエベレスト初登頂 -』


1953年5月29日、エドモンド=ヒラリーとテンジン=ノルゲイ(イギリス隊)が、 標高8848メートル、世界最高峰エベレストの初登頂をなしとげました。 本作は、当時の記録映像と再現ドラマによって、彼らの姿を克明におった本格的山岳ドキュメンタリードラマです。

 
エドモンド=ヒラリーらがヒマラヤに足をふみいれる前に、エベレストを征服しようと15回もの真剣な試みがすでになされていましたが、それらすべてが失敗におわり、13人がエベレストの斜面で命をおとしていました。

イギリス隊は、1921年に偵察隊をおくって以来、過去6度にわたり登頂失敗をくりかえしてきました。

1949年、ネパール側ルートが開通、列強が参入しはじめます。

1952年、スイス隊が登頂直前という記録をのこしました。

1953年、イギリス隊が挑戦。この機会をのがせば数年間はエベレストにちかづくことはできないという状況でした。

本作のメッセージにもあるように、未知の領域に人類が足をふみいれることは、人類の歴史を変えることであり、あらたな歴史をつくることです。それはパイオニアワークであり、人びとに大きな感動をもたらします。パイオニアワークだからこそ名声や評価をこえた感動があるのです。

いいかえると、2回目以降はパイオニアワークではなく、2回目以降に、おなじエベレストにのぼっても、のぼった人の自己満足はあっても、歴史は変えられず、感動ももたらしません。ここに、パイオニアワークとその理解のむずかしさがあります。


当時、人類は、地球第一の極である北極、第二の極である南極はすでに踏破し、そして地球最後の「極」(エベレスト)をめざしているという状況でした。これは、地球探検の歴史をつくりだしていく過程でした。

本作は、イギリス隊の当時の様子をかなり正確に、そして3D映像としてよみがえらせていてとても感動的です。エベレスト初登頂に興味のある方にとっては必見の映画でしょう。


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▼ 参考文献
本多勝一著『日本人の冒険と「創造的な登山」』(ヤマケイ文庫)
本書を読むと、初登頂とパイオニアワークの意味について理解できます。

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写真 ナウマンゾウの化石

東京・上野の国立科学博物館で開催されている「太古の哺乳類」展を先日みました。日本で発掘された化石を通して、哺乳類の進化と絶滅についてまなぶことができました(会期:2014年10月5日まで)。

▼ 国立科学博物館「太古の哺乳類」展

▼ 太古の哺乳類展(特設サイト)


本展は、約1億2000万年前から1万年前までに日本に生息し、今では絶滅して見ることのできない数々の哺乳類を多角的に紹介する展覧会です。会場では、おとなとこどもの全身復元骨格3体を「家族」と見立てたナウマンゾウや、日本で発掘され世界的に有名になったパレオパラドキシアの化石標本など、貴重な標本約170点が展示されていました。これだけの規模・内容で、日本の太古の哺乳類を紹介した特別展は世界でもはじめてだそうです。

会場に行くと、フロアーマップをくれるのでそれを見ながら見学するとよいです。よりくわしくまなびたい人は音声ガイドも利用するとよいです。

展示会場は、下図のように7つのセクションにわかれています。

140717 太古の哺乳類展

図1 フロアーマップ



1.会場全体は「家」、セクションは「部屋」
展示会場全体は「家」、セクションは「部屋」であるとイメージしてあるいていきます

第1室 恐竜とともに生きた哺乳類(約1億2000万〜6600万年前)
第2室 繁栄のはじまり(約5000万〜3400万年前)
第3室 “巨大大陸”の時代(約2300万〜1700万年前)
第4室 日本海と日本列島の成立(約2500万〜1500万年前)
第5室 デスモスチルス類の世界(約2800万〜1200万年前)
第6室 ゾウの楽園(約530万〜50万年前)
第7室 ナウマンゾウの世界(約35万〜2万年前)
第8室 大型哺乳類の絶滅(約3万年〜1万年前)

各部屋に配置されている化石とそれに関する情報をイメージとして記憶していきます。



2.各部屋を想起する
一通り見おわったら休憩室にいって、フロアーマップを見ながら、各室に、どのような化石が展示されていたか、どのような解説がなされていたかを、第1室から順番におもいだしていきます。化石のみならず解説文(言語)もイメージとしておもいだすことがポイントです。どこまで正確に想起できるでしょうか。

音声ガイドをつかった人は、それにくわえて、音声ガイドリストにでている作品スト(1番〜17番)のそれぞれが、会場のどの部屋に展示されていたかもおもいだします。

140717 太古の哺乳類展

表 音声ガイド 作品リスト

空間的なイメージとして想起することがポイントです。



3.ゾウに注目する
本展は、とてもたくさんの化石を展示していて、また、解説が専門的でわかりにくいと感じるかもしれません。そのような場合は、ゾウに注目するとよいです。何といってもゾウは哺乳類の「王者」であり、その大きさや堂々とした様子は感動的で印象にのこりやすいです。

展示会場の全体を見おわったら、ゾウの部屋(第6室、第7室)にもう一度いってみます

特に注目すべきは、第7室のナウマンゾウ(約35万〜2万年前)です。こんなに大きなゾウが日本にもいたというのはおどろきですが、世界的にゾウが繁栄していた時代がかつてはあったようです。

ゾウ(長鼻類)はアフリカ大陸を起源とし、アフリカからユーラシア大陸に放散し、日本にもわたってきました。

しかしいまでは、アフリカと南アジア〜東南アジアにしかいなくなり、いちじるしく生息数を減らして、観光地ではたらかされているアジア象の姿などをみると、進化における繁栄と衰退の現実をまのあたりにします。

地球は、約100万年前(第四紀更新世の中頃)以降は、寒冷な氷期と、温暖な間氷期とが交互にくりかえす時代となり、氷期には海面がさがって、日本列島と大陸が陸続きになる一方、間氷期には海面があがって日本列島と大陸がきりはなされました。日本列島が大陸とつながったりきりはなされたりしたことにともなって、ことなる時代にことなる種類のゾウが日本にわたってきて、その中でもっとも繁栄したのがナウマンゾウでした。

ここでも強調しているように、生物の進化は、生物だけを見ていてわかることではなく、生物をとりまく自然環境にも同時に注目し、主体である生物と、それをとりまく環境の全体を一体のものとしてとらえることが大事です。生物と環境は一つの有機的なシステムになっているのです。

140804 生物-環境系
図2 生物(主体)と環境は一つのシステムをつくっている
 




 
このようにして、展示会場全体を見てから、あらためてゾウの部分をくわしく見なおすと、今まで以上に全体がよく見えてきます全体を見て、部分をみると、全体がよくわかるということです。全体と部分とを往復していると発想もうまれやすくなります。

140804




▼ 参考文献

140723 現代の過渡期モデル

現代は、領土国家の時代(帝国の時代)がおわりつつあり、グローバル社会の時代へと移行しつつある過渡期にあたっています。この過渡期がいわゆる「近代化」であるという見方もできます。

この過渡期は、まず工業化(工業のステージ)が先行し、それに情報化(情報産業のステージ)がつづいています。1990年代に、工業化から情報化への主要な大転換がおこり、現在は、情報技術革新が急激にすすみ、世界中で情報化が進行しているといった状況です。

このようにみると、わたしたちが現在おかれている歴史的な位置は、〔領土国家の時代から、グローバル社会の時代へ〕と〔工業化から、情報化へ〕という二重の大転換期のなかに位置するとかんがえることができ、上図のような歴史モデルをイメージすることができます。

過去の歴史的な大転換期、たとえば、〔都市国家の時代→領土国家の時代〕の状況はどのようであったかと見なおしてみるとと、それはだいたい戦国時代でした。転換期・過渡期は不安定な混乱期です

この過去の歴史的転換期から今日を類推するならば、すんなりと簡単につぎの時代に移行できるとはとてもかんがえられません。

今回の転換期(近代化)ではどうかと見てみると、人類は、世界大戦をすでに2回おこないました。戦争の規模が大きくなってきています。また近年は、世界各地で民族紛争が多発しています。最近のニュースをみていると、あらたな対立がつぎつぎに生まれているようです。今回の転換期においてもしばらくは混乱がつづくものと予想されます。情報化は問題を解決できるでしょうか。

情報化の社会にあって情報処理にとりくむとき、このような歴史的な位置づけも重要な意味をもってきます

まず必要なことは、一人一人が情報処理能力を身につけることでしょう。そして、その能力を高める訓練をしていくことが大切でしょう


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