発想法 - 情報処理と問題解決 -

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『知的生産の技術』の第2章「ノートからカードへ」で梅棹忠夫さんはカードの原理についてのべていて、この原理は今日でもとても役にたちます。カードは「知的生産の技術」の中核的な原理といえるでしょう。

まず、梅棹さんはノートの話からはじめています。 

追加さしこみ自由自在の、いわゆるルース・リーフ式のノートほうが(大学ノートよりも)便利だ、ということになる。かいた内容を分類・整理するためにも、ページの追加や順序の変更ができたらよいのに、とおもうことがしばしばある。
ルース・リーフ式のよい点だけをいかしたのが、ちかごろ売りだされているラセンとじのフィラー・ノート式のものであろう。きりとり線と、つづりこみ用の穴とがついている。一冊のノートになんでもかきこみ、あとできりとり線からきりとって、分類してルース・リーフ式にとじる。片面だけを利用し、内容ごとに — 学生なら学科ごとに — ページをあらためることにしておけば、追加、組みかえ、自由自在である。

わたしも、中学生のころは大学ノートをつかっていましたが、高校生になってからはルース・リーフ式のノートに切りかえ、大学生のときにもそれをつかいつづけました。

そのご大学院生のころよりフィラー・ノートをつかいはじめ、「知的生産の技術」にしたがって片面(表面)だけに記入し裏面は空白にしておき、ノートが一冊おわるごとにページを切りとり、二穴ファイルにファイルするといことをくりかえしていました。このフィラー・ファイルは蓄積されて、そのトータルの厚さは約2メートルぐらいにまでなりました。

結局、今世紀に入って iPhone をつかいはじめるまでは、フィラー・ノートはいつでもどこへでも持ちあるいて つかっていました。今でも、ヒマラヤのフィールドワークに行くときには予備ノートとしてフィラー・ノートを持っていきます。


つぎに、梅棹さんはカードについてかたります。

ノートのことを、くどくどしくのべたのは、じつはカードのことをいいたいからであった。

見方をかえれば、ルース・リーフ式やフィラー・ノート式ののーとは、じつは一種のカードなのである。すでにのべたように、それは、ページのとりはずし、追加、組みかえが自由になっている。そして、そのつかいかたにおいても、項目ごとにページをあらためる、あるいは片面だけを使用する、ということになると、それは要するに、みんなカードの特徴にほかならないではないか。
 
ノートの欠点は、ページが固定されていて、かいた内容の順序が変更できない、ということである。ページを組みかえて、おなじ種類の記事をひとところにあつめることができないのだ。

「知的生産の技術」の基本は、あたえられた前後関係をこわして、あらたな組みあわせを発見するところにあるといえるでしょう。固定した観念にとらわれずに発想せよということだとおもいます。 

そして、有名になったあの「京大型カード」ができあがったときの様子がのべられていす。

自分で設計したものを、図書館用品の専門店に注文してつくらせた。それが、いまつかっているわたしのカードの原型である。

このカードは、たいへん評判がよくて、希望者がたくさんあったので、まとめて大量につくって、あちこちに分譲した。

ついにわたしは、文房具店の店先で、わたしのカードが製品として売られているのを発見した。その商品には、「京大型カード」という名がつけてあった。わたしは、いさぎよくパテントを京大にゆずることに決心した。

わたしも、『知的生産の技術』を読んで「京大型カード」を買った一人です。東京・日本橋の丸善まで買いにいきました。こうして、フィラー・ノートをカード式につかう方法とカードそのものをつかう方法を併用する期間がながくつづきました。


一方で、カードの苦労についてものべています。

いずれにせよ、野帳からカードに資料をうつしかえるという操作をふくんでいた。口でいえばかんたんだが、じっさいにはこれは、容易ならない作業である。野帳の分量がおおいと、野外調査からかえってからカードができるまでに数ヶ月を要したりした。


この問題は、わたしの場合は iPhone と Mac をつかうことにより解消されました。

iPhone で記録したデータは iCloue により Mac に同期されます。現場のデータはそのまま Mac で処理することができるので、転記の手間はかかりません。

カードという形にこだわるのであれば iPhone と Mac に付属しているアプリ Keynote をつかえばよいです。1枚1枚のスライドはカードとしてつかえます。これにはボイスメモ(ボイスレコーダ)機能もついていますし、写真などをペーストすることもできます。Keynote に現場でデータをどんどん記録していけよいです。あとで、カード(スライド)を入れかえたり、あたらしいカード(スライド)を挿入したりできます。

Mac 上で情報を処理するときには、Keynote の「表示」から「ライトテーブル」を選択すれば、画面上にカードを縦横にならべて、入れかえ・組みかえ・追加・挿入・削除などを自由にたのしむことができます。プレゼンテーション用のスライドや資料もできてしまいます。

しかし、形にこだわらないのであればワープロソフト(Pages など)をつかえばよです。コンピューターが発明されて、データ(ファイル)の入れかえ、挿入、組みかえなどは、カット&ペーストで自在にできるようになりました。どのようなアウトプットの形式を選択するかによってアプリをつかいわければよいでしょう。

先にもふれましたが、「知的生産の技術」の基本は、あたえられた前後関係をこわしてしまって、あらたな組みあわせを発見するところにあり、固定観念にはとらわれずに発想することであると言ってよいでしょう。形にとらわれるよりもその原理・本質に気がつき、それを利用することの方が重要だとおもいます


iPhone と Mac を iCloud で同期させるときの現時点での注意点は、OS のバーションです。

iPhone の iOS を最新の iOS 8 にアップグレードした場合は、Mac OS も最新の Yosemite にアップグレードしないと、最新の iCloud Drive がつかえず、Keynote と Pages の同期はできません(注)。これは重大な問題です。

つまり、iCloude を使う場合はつぎの組みあわせでつかわなければなりません。

 iOS 7:Mavericks
 iOS 8:Yosemite

Mac OS X を Yosemite に当面アップグレードする予定のない人は、iOS を iOS 7 のままにしておいた方がよいです。

新 iPhone の場合など、iOS 8 になっている場合、iOS 8 にした場合は、Mac OS X を Yosemite にアップグレードせざるを得ません。Mac OS X のアップグレードにあたっては、アプリの対応のおくれなどの不備もありえますので慎重さが必要です。


▼ 文献
梅棹忠夫著『知的生産の技術』(岩波新書)岩波書店、1969年7月21日 
知的生産の技術 (岩波新書)

▼ 注:iCloud Drive をつかうときの現時点での注意点
iCloud Drive を利用するためには、サービスのアップグレードが必要です。

その場合、Mac では、OS を最新の Yosemite にアップグレードしないとつかえません。アプリの対応の問題がありますので、 Yosemite へのアップグレードには慎重さが必要です。

Mac の OS が10.9 Mavericks 以前の場合、Yosemite、iCloud Drive にアップグレードしてしまうと、それまでの Documents in the Cloud が利用できなくなってしまうので注意が必要です。

Mavericks あるいはその他の OS の場合でも、HTML5 が使えるブラウザで、iCloud.com にアクセスすれば、iCloud Drive のなかを確認できます。Yosemite にアップグレードしていない Mac や、iCloud コントロールパネルをインストールしていない Windows の場合です。

梅棹忠夫著『知的生産の技術』はふるい本ですが、実に45年間にわたって読みつがれている名著です。本書のかんがえ方や原理は今でもそのままつかえます。というよりも、むしろ本書は現代の情報化を先取りした内容になっていて、今日の高度情報化社会でこそ大きな意味を生みだしています。時代が本書においついたと言ってもよいでしょう。

たとえば、第1章「発見の手帳」ではつぎのようにのべています。

「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるものである。毎日みなれていた平凡な事物が、そのときには、ふいにあたらしい意味をもって、わたしたちのまえにあらわれてくるのである。たとえば宇宙線のような、天体のどこかからふりそそいでくる目にみえない粒子のひとつが、わたしにあたって、脳を貫通すると、そのときひとつの「発見」がうまれるのだ、というふうに、わたしは感じている。
「発見」には、一種特別の発見感覚がともなっているものである。いままでひらいていた電気回路が急にとじて、一瞬、電流が通じた! というような、いわばそういう感覚である。そういう感覚があったときに、わたしはすばやく「発見の手帳」をとりだして、道をあるきながらでも、いそいでその「発見」をかきしるすのである。「発見」は、できることなら即刻その場で文章にしてしまう。もし、できない場合には、その文章の「見出し」だけでも、その場でかく。あとで時間をみつけて、その内容を肉づけして、文章を完成する。
「発見」には、いつでも多少とも感動がともなっているものだ。その感動がさめやらぬうちに、文章にしてしまわなければ、永久にかけなくなってしまうものでる。

「発見」についてとても興味ぶかいことを言っています。「発見」とは、外から何かがやってくる瞬間的な出来事であり、それをとらえる人がいてはじめて「発見」になります。そして「発見」には感動がともないます。つまり、外部(環境)とその人(主体)の両者がそろってこそ「発見」はなりたつのであり、そこには環境と主体との共鳴ともいえる現象がおこっているのです。

わたしも学生のころより本書を愛読し、フィールドノート(発見の手帳)やカード、ラベルなどをさかんにつかってきました。

しかし、いま現在は、このような紙でできた道具はほとんどつかわなくなりました。

今つかっているのは、iPhone  と タッチペン(スタイラスペン)と MacBook Pro です。

梅棹さんの「知的生産の技術」を“現代の道具”をつかって実践しているのです。むしろ、情報機器が発明されたために「知的生産の技術」は現実的に日々実践できるようになりました。前世紀の梅棹さんのころには情報機器がなかったために、紙の道具をつかって苦労しながら情報処理をしていたと言えるでしょう。

現代の「発見の手帳」としては iPhone がつかえます。iPhone は、iPhone 6 Plus がでてきてディスプレイが大きくなり一段とつかいやすくなりました

iPhone や Mac には「メモ」というアプリがついているので、これに「発見」を書きこんでいけばよいです。1行目は見出しにして、2行目以降に本文を書きます。どんどん書いていけばファイルが蓄積され、1行目の見出しだけの一覧(リスト)が自動的にできます。キーワード検索も簡単にできます。

iPhone にはボイスメモというすぐれた機能もついているので、何かを発見したりおもいつたときには iPhone にむかってしゃべれば「メモ」に文字として記録されます。ボイスメモはおどろくほど進歩していて、その文字変換精度の高さは驚異的です。

また、博物館や図書館などのなかにいたりして声がだせないときには、手書きメモソフト、たとえば「最速メモ」などをつかって、タッチペン(スタイラスペン)でメモをとります。「最速メモ」などは App Store から無料でダウンロードできます。タッチペンをつかわないで指で書いてもよいです。余裕があるときにはキーボードをつかってももちろんかまいません。

さらに便利なのは、iCloud 同期が自動的に瞬時に機能して、iPhone に書いたことはそのまま Mac で読むことができ、そのデータを Mac 上で自由に活用できます。「最速メモ」は Mac の iPhoto で見ることができます(iPhone「設定」で「写真」アクセスを許可にしておきます)。iPhone でとらえた情報はすぐに Mac で編集・処理ができるのです。

こうして、 iPhone は「発見の手帳」になりました。

iPhone のようなスマートフォンには、カメラ、ビデオ、地図、コンパス、時計、天気予報などもついてい、これ一台をもちあるいていれば大抵のことはできるので、実際には「発見の手帳」以上の取材の読具として機能しています。


▼ 文献
梅棹忠夫著『知的生産の技術』(岩波新書)岩波書店、1969年7月21日 
知的生産の技術 (岩波新書)


▼ 関連ブログ
イメージ能力と言語能力とを統合して情報を処理する 〜 梅棹忠夫著『ひらめきをのがさない! 梅棹忠夫、世界のあるきかた』〜
情報の本質はポテンシャルである 〜梅棹忠夫著『情報論ノート』〜
情報の検索システムをつくる 〜梅棹忠夫著『メディアとしての博物館』〜
 

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国立科学博物館 


東京・上野、国立科学博物館で開催中の企画展「ヨシモトコレクションの世界」を先日みました(会期:2015年 1月18日まで)。多数の剥製標本を通して生物の多様性を実感することができました。


国立科学博物館ヨシモトコレクションとは、日系二世の実業家ヨシモトさんが、1957年から1995年にかけて世界中から狩猟によって得た標本群のことです。1997年から1998年にかけて、ハワイ・オアフ島のW.T.ヨシモト財団より国立科学博物館へ寄贈されました。

哺乳類・鳥類・爬虫類の標本約400点からなり、種数は全173種(鳥類13種、爬虫類2種)をふくみます。その多くは全身が剥製としてのこされており、内訳は全身剥製267点、頭部剥製98点、半身剥製7点、なめし皮7点、頭骨1点、角8点、牙10点です。

剥製の製作を手がけたのは、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル市のクラインバーガー社で、その優秀な技術は、動物の細部を見事に再生しているといえます。特に頭部に浮き出した血管の様子や、肛門周辺の造形は見事で、またいくつかの標本では生きていたときの行動を再現して作製されています。すべての個体について捕獲した時期と場所が記録されており、また各ハンティングの記録は付帯資料としてキャビネットにおさめられています。

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ヨシモトコレクションは今回の企画展示のほか、国立科学博物館・地球館3階や1階に常設展示されていて見る者を圧倒しています。もしこのコレクションがなかったなら、国立科学博物館の動物展示はかなり貧弱なものになったでしょう。

このコレクションをきずいたヨシモトさんとは、日系二世の実業家としてハワイで大成功をおさめたのち、世界各地で狩猟をおこない、動物の剥製の製作をすすめました。そして晩年には自然保護を推進するようになりました。

剥製標本は立体でリアリティがあったため体験的に動物について理解をふかめることができました。動物写真を図鑑で見ているのとちがい迫力がありました。また、せまいスペースのなかで多数の標本をみることができたので、動物の多様性を短時間・高密度で実感することができました。

動物の多様性をとらえる場合、つぎのような段階を踏むとよいでしょう。

 (1)図鑑で見る
 (2)博物館で見る
 (3)動物園で見る
 (4)フィールドワークをおこなう

(1)図鑑で見れば、地球上で知られているほとんどの動物を写真や絵で体系的に見ることができます。
(2)写真や絵は平面的(2次元)ですが、展示標本は3次元であり、いろいろな角度から動物を立体的にとらえることができます。
(3)博物館の標本は死んだ動物ですが、動物園では実際に生きている動物を見ることができます。より現実にちかづきます。
(4)フィールドワークをおこなえば、野性の動物を生態系のなかに位置づけて見ることができます。しかし、フィールドワークでは動物に出会える機会は少なくなり、ガイドや専門的なやり方が必要になります。

(1)から(4)にいくにしたがって動物に出会える頻度は低くなりますが、より現実の状態を知ることができます。

このような認識の段階の全体像を踏まえて博物館の動物展示を利用すれば、動物に関する理解がすすむとともに、ヨシモトさんの功績が後世まで生かされるとおもいます。

つぎのデータベースも有用です。


▼ 関連ブログ
哺乳類の進化と絶滅をまなぶ -太古の哺乳類展- 
具体例を蓄積して理解をふかめる -ダーウィンフィンチのクチバシ- 

141025b くっきり見えてくる


何らかの興味・関心をもってある対象を見るときには、全体を見て大局をつかむことが大切でしょう。

しかし全体を見ても、どうもボヤッとして今ひとつはっきり見えてこなかったり、あるいは上滑りをしてしまってつかみどころがないといった気分になることがあります(上図・左)。

このようなときには、全体の中のどこか一点に注目して、そこをしっかりおさえて認識するようにします(上図・中)。

すると、おもしろいことに全体の輪郭がはっきりと見えてきます。一点をおさえると今まで以上に全体が見えてきます(上図・右)場合によってはその本質もわかってきます。

このような三段階は認識の方法として一般的につかえるのではないでしょうか。

たとえば、どのような行動をしたらよいかわからないときには、第一に、自分の興味・関心のある領域の全体をウェブサイトなどでザッと見ます。第二に、主題を一つ決めます。課題を一点にしぼりこみます。すると、全体像がくっきり見えてきて、興味・関心のある領域の中のどこをどうすすんでいったらよいかが見えてくるでしょう。

あるいは、いそいで本を読むときには、まず、本の全体をザッと一気に見てしまいます。第二に、自分がもっとも気に入ったところや興味のある部分をくりかえしくわしく読みます。そして第三に、もう一度その本の全体を見なおします。結論もおさえます。

このように三段階を踏むようにするとよいでしょう。ひろくあさく全体的に取り組んでいるだけではくっきりとは見えてきません。


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アタックを明確にすると全体がひきしまる - 波動ツィーター -
中心をくっきりうかびあがらせると周囲の輪郭もはっきりする - 顔の輪郭がはっきりした人 -


顔の輪郭がはっきりしている人を見かけました。

顔の輪郭がはっきりしているといっても、写真や絵画を見ているわけではなく、その場に実際に存在している人の顔ですから、まわりは空気であり、顔の背後に背景がボヤーッと見えるだけのはずです。

どうして輪郭がはっきりしているように見えたのだろうかと考察したところ、その人は目や鼻の形がくっきりしていたのです。

顔の中心付近がくっきりしていると、それに影響されて顔の周囲、輪郭もはっきり見えてしまうのです。これは一種の錯覚でしょうか。

錯覚か現実かはともかく、中心部分をくっきりうかびあがらせると周囲の輪郭や境界もはっきりするという仕組みは、ビジュアルに何かを見せるときにつかえそうです。もっとも、そのことに気がついてすでにつかっている人はいるのかもしれませんが。


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全体の中の一点をおさえるとくっきり見えてくる
アタックを明確にすると全体がひきしまる - 波動ツィーター -


立体作品かとおもったら平面のスケッチブックに手描きした絵でした。動画サイトで生回数は500万回をこえたというからすごい反響です。海外からも「amazing !」(驚きだ!)というコメントがつぎぎによせられているそうです。作者は、和歌山県在住の3Dアーティスト、永井秀幸さんです。

▼ オフィシャルサイトはこちらです。まずはご覧ください。

これは、目の錯覚を利用した3Dアートであることはわかりましたが、まだ不思議です。実物を現場で一度みてみたいとおもいます。ひとつ言えることは、対象物は、背景と影がつくりだす空間のなかに調和的に存在しようとするということでしょうか。対象物と空間との間に相互作用がおこっています。

わたしは視覚と情報処理について興味をもっていて、その探究のためのによい素材をあたえてくれるのが錯覚であるとおもっています。両目の視差を利用した立体視(ステレオグラム/3D写真)にも学生のころよりとりくんでいます。

錯覚は、わたしたち人間の認識にかかわる大きな問題です。世の中にはいかに錯覚が多いことか。しかし、そもそも錯覚なのか認識なのか。認識とは何かという問題になってきます。

『LOVE地球儀』は、地球儀について知り、また、地球儀を購入する際のカタログとして参考になります。世界の情報がくわしくわかる学習用地球儀からオシャレなインテリア用まで300種類以上の地球儀を紹介しています。

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目次はつぎのとおりです。

地球儀を知ろう
 地球儀の特徴
 地球儀の各部名称
 地球儀の種類
 縮尺について
 地球に関する基礎知識
 地球儀の使い方
 地球儀の歴史

地球儀カタログ

もっと地球がわかる施設!
 日本科学未来館
 土浦市立博物館
 地図と測量の科学館
 国立科学博物館


■ 地球儀をつかえば最短距離が簡単にわかる

地球儀は、面積・方位・距離・形状という4点を正確に表示できます。一方、よくもちいられているメルカトル図法の地図ではこれらが正確に表示できません。

たとえば、地球儀をつかえば、国と国(2地点間)の最短距離を簡単に知ることができます。地図上での最短距離(直線距離)は地球儀上では最短距離にはなりません。

2地点間の最短距離を知るためには紐を一本用意し、紐が一番ピンと張るように地球儀上で2地点をおさええると、そこが最短距離になります。それは、飛行機の最短航路であり大圏航路ともいいます。

たとえば、東京とパリの最短距離はロシアの北と北欧をとおるルートです。わたしたちが通常みている地図(メルカトル図法)ですと、東京とパリをむすぶ直線は中国から中央アジアを横切るルートになり、実際には、これは最短距離よりもかなり長い距離になります。

あるいは、東京とサンパウロの最短距離は、 メルカトル図法の地図上では太平洋を横断するように見えますが、実際には、 アラスカやカナダ、ニューヨークをとおります。

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■ 情報処理の場の次元を高める

このように、2地点間の最短ルートはおもいもよらない国々をとおることがわかり、常識がくつがえされます

地図も地球儀も共に世界をあらわすものですが、決定的なちがいは、地図は二次元(平面)ですが、地球儀は三次元(立体)であることです。つまり、地球儀の方が次元が高いのです。

地図上(二次元)で計算によって大圏航路(最短距離)をもとめるのはむずかしいですが、地球儀上では簡単にわかります。これは、次元を高めることによって、できなかったことが簡単にできるようになる一例です。

たとえば登山でも、山麓から山頂までの最短ルートあるいは登るのが容易なルートは、地図上で見ていると間違うことがありますが、三次元で見ればすぐに見つかります。

何かをかんがえたり情報を処理するときには、一次元(時系列)よりも二次元の場のなかで、二次元よりも三次元の場のなかでおこなった方がうまくいきます。次元を高めることにより、一次元ではできなかった情報の並列処理が可能になります

一次元で、ウンウンとうなってかんがえていても出てこなかった問題の解決策が、二次元、三次元と次元を高めることによって見つかることがあります。三次元の場に身をおくことによって問題解決までの「最短距離」が見つかることがあるかもしれません。情報処理や問題解決も「最短距離」でおこなった方がよいにきまっています。

次元を高めるだけで、努力や苦労をしなくても意外にも簡単に解決策がみつかってしまうことはよくあることです。一次元で努力しているよりも、三次元(立体空間)をうまくつかった方がよいでしょう



▼ 文献
『LOVE 地球儀』スタジオ タック クリエイティブ、2012年1月30日
▼ 関連ブログ
3次元空間をイメージしながら新聞をよむ



特別展「ガウディ X 井上雄彦 - シンクロする創造の源泉 -」(東京・六本木、森アーツセンターギャラリー)を見ました(会期:東京会場は2014年9月7日まで、その後、金沢、長崎、神戸、仙台を巡回)。

アントニ=ガウディ(1852-1926)は、スペイン、カタルーニャ出身の、バルセロナを中心にして活動した建築家の巨匠です。

今回の特別展は、ガウディ自筆のスケッチや図面、大型の建築模型やガウディがデザインした家具などの貴重な資料約100点を通して、ガウディの偉業を紹介するとともに、漫画家・井上雄彦がガウディの人間像とその物語をえがきだすという企画です。

140905 音声ガイド
 


■ 展示構成

展示構成はつぎのようになっています。

第1室 トネット少年、バルセロナのガウディへ
1852年6月25日、ガウディはバルセロナの南に位置する田舎町で生まれました。子供の頃の愛称はトネットでした。自然の動植物をじっと観察する時間が長かったそうです。

第2室 建築家ガウディ、誕生
自由な発想とデザインがみがかれ、画期的かつ合理的な建築構造を形にしていきます。グエイの邸館やグエル公園、コロニア・グエル教会など、建築家ガウディの名を世にひろめた作品が次々とつくられました。図面やスケッチ・写真・模型、そして家具やデザイン・パーツなどが展示されています。

第3室 ガウディの魂 - サグダラ・ファミリア -
ガウディのキャリアと人生の結晶ともいえるサグラダ・ファミリア聖堂の建築の歴史と発展を関連資料でたどります。ガウディは、1831年、31歳のときにサグラダ・ファミリア聖堂に主任建築家としてたずさわりはじめ、1914年には、ほかのすべての仕事をことわって聖堂建築のみに身をささげるようになります。

サグダラ・ファミリア聖堂は未完の聖堂であり、なんと、着工から約130年もたった いま現在でも建設途中なのです。

現在でも建設がつづけられていますが、一方で、すでにできあがった部分の修復もおこなわれています。つくりながら一方で修復するという前代未聞のこの建築物は創造の本質をしめしており、創造とは過程であり、完成したら創造はおわることをおしえています。


■ 自然の造形を建築にとりいれる

ガウディは、自然界の幾何学的な形をはじめて建築にとりいれました。自然界がもつ完璧な機能に注目し、らせんや局面など生物の基本的な構造を多用しました。自然の機能にうつくしさを見いだし、うつくしい形は構造的にも安定していることをあきらかにしました。また、自然界に完全な実用性が存在するなら、それは崇高な装飾になるとかんがえました。

たとえば、理想の柱をもとめて、植物がらせん状に葉をのばして生長する様子を研究しました。

また、懸垂曲線をつかった建築物をつくりました。これは重力によって自然にできる形であり、ロープの両端をもってたらしたときに見られる構造を上下さかさまにして構造物にしました。鉛をいれた袋を均等につるしてアーチの耐荷重性をもとめました。

カタツムリの殻や落下するカエデの種から らんせんの形や運動を見て、らせん階段をつくりました。

双曲面の筒状になった採光口をつくり、屋根から入った自然光を、反射させて やわらげてつかいました。

葉の形状をとりいれて屋根をデザインしました。錐状面というこの曲面はおもさにもたえ、水はけもよいです。

このようにガウディは自然の造形から着想をえて、自然を教科書として仕事をすすめました。「創造性(オリジナリティー)とは起源(オリジン)に戻ることである」という言葉がとても印象的です。

ガウディの作品を見てているとあらためて自然を見なおすことになり、着想のためには自然観察が重要であることがよくわかります。 


■ 世界遺産「アントニ・ガウディの作品群」

なお、ガウディの作品の一部は、「アントニ・ガウディの作品群」(1984年登録、2005年拡張)として、バルセロナの以下の物件が世界遺産に登録されています。
 
カサ・ミラ、グエル邸、グエル公園、サグラダ・ファミリア聖堂の一部、カサ・ヴィンセス、カサ・バトリョ、コロニア・グエル聖堂の地下聖堂。



▼ 参考書

岩堀修明著『図解・感覚器の進化 』は、感覚器について、動物の進化の観点から解説しています。視覚器、味覚器、臭覚器、平衡覚器と聴覚器、皮膚感覚と固有感覚などについてくわしく紹介しています。

わたしたちは感覚器をつかって心のなかに情報をインプットしていますので、感覚器について知ることはとても重要なことです。


目 次
第1章 感覚器とは何か
第2章 視覚器
第3章 味覚器
第4章 臭覚器
第5章 平衡・聴覚器
第6章 体性感覚器
第7章 クジラの感覚器


動物が認識する「世界」とは、それぞれの動物が自分のもっている感覚器で受容した情報をもとに、それぞれの脳がつくり上げるものである。同じ世界であっても、感覚器によって「世界観」はまるで違ってくるのである。

感覚が成立するためには、光、音、においなどの「刺激(感覚刺激)」がなければならない。しかし、いくら刺激があっても、それを受け取る器官がなければ、感覚は成立しない。刺激を受容する器官を「感覚器」という。

どんな感覚を感知するかは「どんな刺激があるか」ではなく「どんな感覚器があるか」によって決まる。

われわれ動物はみな、自身がもっている感覚器が受容できる感覚しか、知ることができない。

棲んでいる環境によって、動物たちがもっている感覚器の種類や性能はさまざまに違ってくる。そのために動物たちは、それぞれに違う世界を感じているのである。

神経には「入力系」と「出力系」がある。感覚器からの情報は電気信号となって、入力系を介して中枢神経系(脳や脊髄)に伝えられ、感覚となる。中枢神経系は、感覚としてキャッチした情報を処理し、その結果を出力系を介して筋や腺などに伝える。出力系からの指示により、それぞれの状況に応じた反応を起こす。

視覚器 - いわゆる「眼」は、光刺激を電気信号に変える器官である。

味覚器、いわゆる“舌”の最も重要な役割は“毒見役”を務めることである。

多くの動物にとって、臭覚は視覚よりもはるかに頼りになる感覚である。光はものに遮られやすく、到達する範囲が限られるうえ、夜にはなくなってしまう。それに対してにおいは、昼夜を問わず、どんな小さい隙間にも入り込めるという大きなメリットがある。

「平衡覚器」とは、重力に対する“傾き”を感知する感覚器である。

「聴覚器」は、水や空気の振動である音波を受容する感覚器である。

体性感覚は、皮膚で感知する皮膚感覚と、筋(骨格筋)・腱・関節などで感知する固有感覚とに分けられる。「皮膚」は多様な感覚を受容する最大の感覚器である。固有感覚は注意して行動するとき以外は、意識にのぼることはほとんどない。


以上のように、わたしたちは感覚器をつかって外界から情報を受容し、それを電気信号にかえて中枢神経系(脳や脊髄)におくり、外界を認識しています。そして、その認識にもとづいて反応をおこします。つまり、感覚器で情報をインプットし、中枢神経系で情報を処理し、反応というアウトプットをおこしているわけです。情報のながれはつぎのようになります。

感覚器 → 中枢神経系 → 反応
(インプット)→(プロセシング)→(アウトプット)

このように、わたしたちは感覚だけで判断して生きているのではなく、この情報処理のながれ全体のなかで認識し行動していることを再確認しなければなりません。

たとえば、わたしたちは眼で外界を見ているとおもっていましたが、実際には、眼には光刺激がインプットされていただけであり、刺激が電気信号に変換され、中枢神経系がその信号を処理して、外界を3次元空間として認知していたのです。つまり、眼ではなく脳で見ていたのです。

また、固有感覚を通して無意識の情報処理をおこなっているという点にも注目しなければなりません。固有感覚とは、筋・腱・関節などで感知する感覚のことです。わたしたちは無意識のうちに膨大な情報処理をおこなっていたのです。

このように、情報処理という観点からわたしたちの感覚器をとらえなおしてみると、認識や行動の仕組みがよく理解でき、また、感覚器の性能を高める訓練をすることが情報処理能力をたかめるために大切であることもわかってきます。


▼ 文献
岩堀修明著『図解・感覚器の進化 原始動物からヒトへ 水中から陸上へ』(ブルーバックス)講談社、2011年1月20日
図解 感覚器の進化 原始動物からヒトへ 水中から陸上へ (ブルーバックス)

▼ 関連記事
情報処理をすすめるて世界を認知する -『感覚 - 驚異のしくみ』(ニュートン別冊)まとめ -
臭覚系の情報処理の仕組みを知る - Newton 2016年1月号 -
おいしさが大脳で認識される仕組みを知る -『Newton』2016年1月号 -
総合的に丸ごと情報をインプットする




140814a だまし絵II


東京・渋谷の Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の特別企画「だまし絵 II - 進化するだまし絵 -」を見ました。数々の「だまし絵」に接しながら、錯覚を体験的にたのしむことができました(会期:2014年10月5日まで)。

▼ 特別企画「だまし絵 II - 進化するだまし絵 -」

▼ Bunkamura へのアクセス



■「だまし絵」は進化する
「だまし絵」は、人間の視覚に対する科学的探求がはじまったルネサンス後期ヨーロッパで登場しました。会場は、つぎの5つのセクションから構成されていました。

プロローグ:ダブル・イメージ
よく見ると、ひとつ絵のなかに別の像がひそんでいます。特殊な技巧です。

1.トロンプ・ルイユ
本物が実際に置いてある。実は錯覚です。物のみならず物の影までもが克明に描写されていました。

2.シャドウ、シルエット&ミラーイメージ
実物を見ても何だかわからない物が、影や鏡を見るとその姿がうかびあがります。これは虚像です。実体が虚像になり、虚像によって何だかわかるというおもしろさです。

3.オプ・イリュージョン
立体的な構造や色の配置が錯覚をひきおこします。『広重とヒューズ』は特におもしろいです。左右にうごきながら見ているとイメージも一緒にうごくのです。実際にはうごいていないはずなのですが。情景の遠近と立体的な凹凸が逆転しています。

4.アナモルフォーズ、メタモルフォーズ
ゆがんでいるイメージが、円筒に投影したり、角度をかえて見ると正常な形が見えます(アナモルフォーズ)。見方や距離をかえると、ひとつのイメージが別のイメージに変貌します。見慣れた事象が現実にはありえない情景になります(メタモルフォーズ)。

140814 だまし絵II
音声ガイドリスト



■ 錯覚は意外に多い
「だまし絵」とは目をだます絵です。会場に行ってみると、ことなる角度から何度も作品を見なおすことができるので錯覚だったことがわかります。たとえばつぎのとおりです。
  • 3次元の立体のように見えますが、実際には2次元の平面上のイメージです。
  • 2次元の影で対象を認識できますが、実際には3次元の構造物です。
  • 光の反射によって対象が認識できますが、実際には3次元のわけのわからない物体です。
  • うごいているようですが、実際には静止しています。
  • 2次元で表現できる構造物ですが、実際の3次元空間ではなりたちません。

こうして見てくると、世の中には「だまし絵」が意外にもたくさんあり、わたしたちは無意識のうちに普段から錯覚をしていることが多いこともわかってきます。



■ 視覚効果と先入観とがくみあわさって錯覚が生まれる
「だまし絵」は、作者のアイデアとたくみな技巧によって意外な視覚効果を生みだしていますが、実はそれだけではなく、見る人の経験や常識をうまくひきだして錯覚をおこさせているのす

わたしたちは、長年の経験により知らず知らずうちに先入観や常識をもって生きています。たとえば、鼻は出っぱっているとか、遠くの物は小さく見えるなど。このような過去の経験の延長線上で、あるいはこれまでに身につけた常識の枠組みのなかで対象を見てしまっているのです。物理的客観的に純粋に見ることは非常にむずかしいことです。

このような見る人の経験的な先入観や常識がまずあって、それに、たくみな視覚効果がくみあわさると数々の錯覚(誤解)がひきおこされます。「だまし絵」は、「だまし絵」だけでだまそうとしているのではなく、人間の経験や常識と組みあわせて総合的にだましているのです(図)。
140908 視覚効果と先入観
図 先入観・常識・経験とたくみな視覚効果とがくみあわさって錯覚がうまれる


このように、対象をイメージとして認識するときに自分の経験が大きく作用するということは、わたしたちは目だけで見ているのではなく、視覚によってえられた情報が脳にインプットされ、その脳が、総合的に対象を認識しようと努力しているということをしめしています。つまり脳がイメージをつくりあげていのです

脳がどのようなイメージをつくるか、今回の展覧会はそれを実体験できるたいへんおもしろい企画です。


▼ 参考ブログ
錯視や錯覚を実験する -『錯視と錯覚の科学』-
錯覚の実験を通して知覚を自覚する - 一川誠著『錯覚学 知覚の謎を解く』–
錯視を通して情報処理を自覚する - 杉原厚吉著『錯視図鑑』-
目で見たら、必要に応じて定量的情報も取得する - 2本のバナナ -
対象の空間配置を正確にとらえる -「重力レンズ」からまなぶ -

錯覚がおこっていることを自覚する(錯覚のまとめ)


フィールドワークのデータにもとづいて「騎馬民族倭人連合南方渡来説」を発想し、ヒマラヤ・チベットと日本とのつながりについて論じた本です。

目次はつぎのとおりです。

1 珍しい自然現象
2 生物の垂直・水平分布とその人間環境化
3 諸生業パターンが累積・融合した地域
4 ネパール盆地の都市国家
5 相似る自然・文化地理区の特性をいかした相互協力
6 文化の垂直分布とその原因
7 ヒマラヤ・チベットの人間関係諸相
8 素朴な民族の生態
9 チベット文明の生態系
10 文明の境界地域の持つ特異性と活動性
11 ネパールの宗教文化はユーラシアに広くつながる
12 ヒマラヤ・チベットと日本をつなぐ文化史
13 アムールランド文化の日本への影響
14 生命力の思想 - 霊の力を畏れる山地民 -
15 ヒマラヤが近代化に積極的・科学的に対応する道


方法論の観点からみて重要だとおもわれることをピックアップしてみます。

フィールドで得た材料から大いにイマジネーションを働かし、さまざまな仮説を導き出すことを重要視した方がよい。

人間が土地とつきあって生まれてきたものが文化なのである。

人間は在る物を見るのはたやすいが、そこに何が欠けているかを見ることはむずかしい。この欠けている物に気づくということが必要なのである。

物事の欠点ばかり見ずに長所も見ろ。

自然現象について考える際には、普段の状態だけで万事を類推するのでなく、カタストロフィーともいうべき異常事態を考慮した説をもう少し重要視してもよい。

森林一つでも、文化の背景でいかに捉え方が違うか。

これからの科学には、近視眼でメカニズムだけを解明するのでなく、複合的諸要因のかもしだす、息の長い判断をも行う道が、痛切に求められていくだろう。


著者は、「騎馬民族倭人連合南方渡来説」をとなえ、チベット・ヒマラヤと日本は意外にもつながっているとのべています。

「騎馬民族倭人連合南方渡来説」とは、西暦紀元前後、ユーラシア大陸北方に出現・膨張した騎馬民族が南下してチベットへ、さらにベンガル湾まで達し、その後、倭人と連合して東南アジアから海岸線を北上、日本まで到達したという説です。こうして、チベット・ヒマラヤは日本とつながっていて、文化的にも共通点・類似点が多いという仮説です。

本書には、ヒマラヤ・チベット・日本についてかなり専門的なことが書かれており、ヒマラヤやチベットの研究者以外にはわかりにくいとおもいますが、フィールドワークによってえられる現場のデータにもとづいて、自由奔放に仮説をたてることのおもしろさをおしてくれています


▼ 文献
川喜田二郎著『ヒマラヤ・チベット・日本』白水社、1988年12月

140721 課題と仮説
図 課題をめぐる情報収集から、仮説の検証へ

高度情報化時代になり、膨大な情報のなかから必要な情報をどのように収集すればよいか、その方法が重要になってきました。

情報の収集にあたっては2つのことなる場面があり、これらを明確に区別してとりくむことが大切です。ポイントは課題と仮説にあります

まず、自分がとりくみたい課題を明確にします。そして、知りたいこと、興味があることなど、課題をめぐり360度の視角から幅広く情報をあつめます。時間のゆるすかぎりたくさんあつめるようにします。

この情報収集の作業をつづけていると、あるとき、「・・・ではないだろうか」「・・・かもしれない」と何かをおもいつく瞬間があります。これが仮説の発想です

仮説をおもいついたら、仮説から何が想像できるか、自由に想像してみます

そして今度は、その想像した結果が事実かどうか確認をするのです。確認できれば仮説の確からしさは高まります。確認できずまちがっていれば仮説をたてなおします

このように、課題をめぐる情報収集は360度の視角から幅広く情報をあつめるのがよく、それに対して仮説の検証では、仮説から想像されることに目標をしぼって情報をねらいうちするようにします。 課題をめぐる情報収集では課題から周辺へひろがって「円的」に情報をあつめるのに対し、仮説にもとづくねらいうちの調査は「線的」な作業になります(図)。

課題をめぐる情報収集から、仮説の検証へという2つのことなる場面を意識的に区別して情報をとりあつかうのが効果的です。これは、推理小説のなかでもちいられている方法とおなじです。

本書は、地球上における民族紛争や対立などの、いわゆる民族問題をとりあつかい、民族の分布をカギにして世界をとらえなおすことについてのべています。

目次はつぎのとおりです。

緒論 民族とはなにか
二一世紀の人類像
国際紛争の理解のために
あらたなるバベルの塔の時代
もう一枚の文化地図がみえる
国家と民族と言語
多民族国家の論理
新聞解読のための民族学
日本のなきどころ

要点を引用しておきます。

民族というのは、文化を共有する人間集団のことである。文化とは、その人間集団が共有するところの価値の体系である。民族が他の民族に接触するとき、その価値体系が露出する。おおくの場合、人々はその価値の体系の差に冷静に対処することができない。そして、軽蔑と不信がうかびあがる。文化とは、その意味では多民族に対する不信の体系である。

民族間の差異ににもとづく細分化と、政治的・経済的利害関係にもとづく統合とのあいだで、どのようにバランスがとられるのか、それが二一世紀初頭の人類の課題であろう。

いままでそれぞれ孤立した文化、孤立して存在した社会は、全地球社会というひとつの巨大システムのなかの部分システムとして、あらためて定義された、あるいは再編成されたということです。わたしは、これを「地球時代の到来」とよびたいのです。

地球時代というのは、けっして国際的ということではないのです。問題はすでに、国と国との関係、インターナショナルな関係で解決できなくなっている。

今日、地球上のどこかでなにかがおこれば、ただちにその影響が全世界に波及する。各地に発生したさまざまな矛盾や問題点が、局地的に解決できる余地がしだいになくなってきている。

地球の一体化という現象も、人類史上一〇〇万年の歴史のなかで、まったくはじめてあらわれてきた現象です。

今日においては、地球全体がひとつのネットワークに編成された。

第一次世界大戦後、はっきりうちだされてきた思想が民族自決ということです。

民族というのはかんたんにいうと言語集団のことです。民族と言語集団とはほとんど一致します。

二一世紀前半は、文化も民族も実質的な民族国家への分裂の時代へはいるであろう。きわめて複雑なことになってゆくでしょう。

分裂また分裂、あらたなるバベルの塔の時代がくるのだということです。

民族的エントロピーは不可逆的に増大し、無秩序性をくわえてゆくわけです。

われわれ民族学者がみますと、新聞の地図のしたに、もう一枚、べつの地図がすけてみえています。それは国境線を重視する政治的地図ではなくて、民族の分布を中心とする文化的な地図であります。政治的な地図と文化的な地図とでは、まったく様相がちがうのです。民族という概念を事件の解釈のカギとしてつかうことによって、国際的な事件の認識が、ふかく、かつ立体的になってくるのであります。


現代は、帝国の時代がおわり「地球時代」へ移行しつつある過渡期であるとかんがえることができます

帝国の時代(領土国家の時代)は、強国と強国のはなしあい、あるいは戦争という手段にうったえて決着をつけていました。

しかし、グローバル化がすすみ「地球時代」になってくると、民族集団の分離・独立という現象が表面化し、これは、領土国家の弱体化をひきおします。

現代は、グローバル化がすすめばすすむほど、一方で、地球各地の民族集団が前面にでてくるという矛盾した現象がおこっています。グローバル化がすすめばすすむほど、民族は、「オレがオレが」と自己主張するようになり、世界中で民族同士が衝突し、世界各地で民族紛争が多発します

最近、「アメリカ合衆国は『世界の警察』からおりた。オバマ大統領は弱腰外交だ」という報道がありますが、グローバル化が進行し、帝国の力がよわまって、民族集団が台頭して民族紛争が激化するという現代の潮流をみるかぎり、アメリカ合衆国の弱体化も時代の趨勢であり、誰が大統領になってもそれを止めることはできないという見方ができるわけです。

今後、人類は、民族紛争をのりこえることができるのでしょうか? 地球社会と民族主義は両立できるのでしょうか?

以上の観点から、まずは、地球社会を認識する方法として、世界の民族分布を知ることが重要なことはあきらかです。国境線に注目して国家の分布をとらえるだけではなく、民族集団の分布を地理的にとらえる必要があります。民族は現代をとらえる重要なカギです


▼文献
梅棹忠夫著『二十一世紀の人類像をさぐる -民族問題をかんがえる-』(講談社学術文庫)講談社 、1991年9月
梅棹忠夫著『地球時代に生きる』(梅棹忠夫著作集第13巻)中央公論社、1991年10月20日
amazon:地球時代に生きる (梅棹忠夫著作集)
楽天市場:【中古】 地球時代に生きる 梅棹忠夫著作集第13巻/梅棹忠夫【著】 【中古】afb


▼関連書


▼関連ブログ
「地球時代」をとらえる 〜梅棹忠夫著『地球時代の日本人』〜 

本書は、ヒマラヤ山村でおこなった国際技術協力の経緯や方法についてのべています。

目次はつぎのとおりです。

序章 資源と人口の均衡
I章 開発の哲学
Ⅱ章 土地と人との対話的発展
Ⅲ章 ヒマラヤ・プロジェクトの実践
終章 海外協力はいかにあるべきか

方法論の観点から見て重要であるとかんがえられるポイントをピックアップしてみます。

「自然の一体性」を認識する。ここでいう自然は、その地域の人間をも含んだ自然である。自然の中から人間を抜き去った部分を「自然」と考えるのではない。人文科学と区別して自然科学という場合の「自然」ではない。

総合的把握と分析的把握、個性認識的方法と法則追求的方法を併用する。

1963年の夏から翌年の3月にかけ、私はネパールへ三度目の旅に出た。その時は、アンナプルナ山群の南斜面にあるシーカ村に7ヵ月滞在した。

まずシーカ谷の自然環境と農牧を中心に、村のいわゆるエコロジカルな調査をした。それを基盤にしつつ、次に社会組織や風習その他の文化面に調査の重点をうつした。こして生活の基盤と構造を踏まえた中から、小さな開発ヒントをいくつか抱いたのである。それから炉端談義式に村人たちの世論調査をやり、開発ヒントへの反応を調査したのだった。

技術協力の話題で村人たちにとってハッとする関心がもえあがると、今まで伝統的な人類学者のやり方では目立たぬオブザーバーでいたときにはとうてい気づかなかったような、村々の文化の、ある断面がわかってきたのである

夢こそ人々を動かしている重大要因であった。その夢がどんな夢であるかによってこの現実の姿は維持もされ変化もとげていく。まさに、夢こそ現実なのだ。

その地域のいっさいの個性的なポテンシャルを、ある開発テーマのもとに、創造的な営みへと統合し、活用すること。そのためには矛盾葛藤をも創意工夫で逆用すること。

いちばんむずかしいのは、真のニーズを掴むことです。技術的問題はどうにでもなりますよ

本書は、国際技術協力においては、現場のニーズがつかむことがもっとも重要であると説いており、このことは、現場での問題解決一般にも通じることです。

真のニーズをつかむためには、フィールドワーク(取材活動)と、おのれを空しくして現場を見る目がもとめられます。

そして、取材(情報収集)には2種類の方法があることを解説しています。

第一の方法は、 外からの目で静観的に対象を観察するやり方です。一般に、取材とかフィールドワークとかいう場合はこの方法をさします。

第二の方法は、仕事や事業をすすめながら、あるいは行動をしながら同時に取材もし調査もする方法です。特別な時間をとって取材や調査をおこなうのではなく、仕事と取材、行動と調査を一体的にとりおこなうやり方です。

この方法を「アクション・リサーチ」とよびます

これは、静観的な調査でなく、現場にはたらきかけることによっておこなう調査であり、仕事をしながら、あるいは仕事そのものからさまざまな情報を取得していく方法です。

ここでは、対象に心をくばり、対象と一体になる、あるいは対象になりきるといった姿勢が大切です。

第一の方法にくらべると、第二の「アクション・リサーチ」は系統性や幅の広さには欠けるかもしれませんが、みずからの体験に根差した情報がえられ、ふかみのある情報を蓄積していくことができます

この「アクション・リサーチ」は実践家や実務家にむいた方法であり、日々いそがしくはたらいている人がとりくむべき重要な方法です。


文献:川喜田二郎著『海外協力の哲学』(中公新書)中央公論社、1974年3月25日

地形という視点から日本史をとらえなおすことをおしえてくれる本です。

特別対談と次の5章から構成されています。

特別対談 竹村公太郎X荒俣宏 地形をみることで歴史の本質を理解する!
第一章 徳川家康幕府260年の礎となる都市計画
第二章 織田信長・豊臣秀吉 天下人の都市計画
第三章 日本の都市と地形の秘密
第四章 外交・合戦の地形の秘密
第五章 時代の移り変わりの戦いと地形の秘密

たとえば第一章を見ると、一面の湿地帯だった関東平野を肥沃な土地へと変えた徳川家康が、関東平野の地形を非常によく理解していたことがわかります。現在の日本の中心地がいかにして形成されたかについて、地形というあたらしい観点からとらえなおすことができてとてもおもしろいです。

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そもそも歴史とは時間的な流れであり、年表や物語で本来は理解するものですが、本書は、地形という空間をつかって理解しようとしています。

情報処理の観点からいうと、歴史とは時間的(時系列的)に認識されることであり、一方の地形は空間的に認識されるものであり、本書では、それら両者を見事にむすびつけて理解をふかめています。

地形を見て歴史を読むということは、空間を見て時間的な流れを読むということであり、地形(空間)は、様々な情報を並列的にとらえることを可能にし、歴史(時間)は情報を一本の流れに統合する役割を果たします

ここに、空間を利用した情報の並列処理と、時間を利用した情報の統合的アウトプットの一例を見ることができます。

 空間(地形) :並列的なプロセシング
 時間(歴史) :統合的なアウトプット

このように、地形(空間)と歴史(時間)は情報処理の観点からとらえなおすことができるわけです。従来の地理学と歴史学も、このような観点からとらえなおし、両者をくみあわせていくことにより、日本に関する認識をさらにふかめるために活用できるでしょう。


文献:『地形から読み解く日本の歴史』(別冊宝島)宝島社、2014年5月10日

世界を変えた本を10冊えらんでわかりやすく解説しています。いずれも現代を読み解くうえで要となる著作です。

それぞれの著作をとりだして独立に解説しているのではなく、全体として本書一冊がストーリーになっていて、グローバルな現代社会がかかえる問題について理解をふかめることができます。

以下の著作について解説しています。

第1章 アンネの日記
第2章 聖書
第3章 コーラン
第4章 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
第5章 資本論
第6章 イスラーム原理主義の「道しるべ」
第7章 沈黙の春
第8章 種の起源
第9章 雇用、利子および貨幣の一般理論
第10章 資本主義と自由

著者の池上さんは次のようにのべています。

本には、とてつもない強さがあることも事実です。一冊の本の存在が、世界を動かし、世界史を作り上げたことが、たびたびあるからです。

たとえば、 第6章 イスラーム原理主義の「道しるべ」では次のようにのべています。『イスラーム原理主義の「道しるべ」』についてはわたしは読んだことがなかったので勉強になりました。

かつてマルクスが書いた『資本論』や『共産党宣言』によって、世界で共産主義運動の旋風が起きたように、『道標』によって、イスラム原理主義の嵐が巻き起こる。書籍の持つ力というべきか、恐ろしさというべきが。この書も、明らかに世界を変えた本のひとつなのです。


複雑な現代社会を理解するためには、ものごとを大局からとらえる能力、つまり大観力が必要です

大観ができると、次に、どこをくわしく見ればよいかがおのずとあきらかになります。

大観により見通しがよくなるので、関連事項の理解がしやすくなり、ものわかりがよくなり、その結果、決断がしやすくなり、行動もしやすくなって仕事の効率もあがります。大局がとらえられると最適な判断ができ、行動の道筋も見えてくるというわけです。

また大観することにより、グローバルで複雑な現代と、自分自身の局所的で独自な人生とをどうつなげていけばよいかのヒントもえられます。

このような大観の方法は、あまり時間をかけずに、全体的な状況のすべてを一気にインプットするのがよく、 そのためには、みずからの心のうつわを大きくひろげておくことがのぞまれます。

本書は、世界を読み解き、現代を大観するための第一歩として役にたつでしょう。


文献:池上彰著『世界を変えた10冊の本』文藝春秋、2011年8月10日

東京・新宿にある公園、新宿御苑の撮影・散策ガイドです。 地図上にしめされた花や樹木の撮影ポイントとともに、多数の写真が園内を案内してくれます。

本書をたよりに、新宿御苑で「知的散歩術」を実践するとよいでしょう。

▼ 新宿御苑のウェブサイト

春夏秋冬の季節ごとに見ごろの花や風景を説明していることも本書の特色です。
 
:ウメ、 サクラ、ハナモクレン、コブシ、ツツジ、ヤマブキ、フジ、その他
 
:バラ、サツキ、アジサイ、オニユリ、スイレン、その他
 
:ヒガンバナ、バラ(遅咲きものバラもある)、ジュウガツザクラ、ツワブキ、ツルボ、その他、(紅葉もうつくしい)
 
:ロウバイ、ビワ、ハクモクレン、スイセン、フクジュソウ、ツバキ、その他

巻末についている、とじこみ付録「四季の撮影ポイントMAP」は、の四季別の4種の地図になっていてとても役にたちます

このMAPを片手に、ループをえがくように植物を撮影しながらあるけば、 現場で各植物を確認でき、その場所と地図にその植物名をむすびつけて記憶することができます。つまり「空間記憶法」の練習になります。撮影した写真は目印イメージとして記憶の想起・確認のために活用できます。

心のなかに情報をインプットするときは、その対象と最初に遭遇した場所をあわせて記憶するとよいです。その場所を印象にとりこみ、場所体験を場所記憶にします。

本書では、四季折々の花々が四季別に紹介されていますので、一年をとおして新宿御苑に何回か行けば季節変化を体験することができ、四季のうつくしさが記憶にも反映されるようになります

植物をとらえるにあたってはまず花に注目するのがよいです。花は目印の典型です。四季折々の花を撮影していけば、同じ場所であっても季節のちがいにより記憶の内容を区別することができます。場所記憶(空間記憶)に時間的な区別をあたえることになり、記憶の幅がひろがります。

このようなことをくりかえしていけば、記憶は単なる記憶や学習をこえて、心のなかの見通しをよくし、心を活性化させ、アイデアや発想も生まれやすくなります

新宿御苑はかなりひろい公園なので、あらかじめ本書を見てからでかけると密度のたかい「知的散歩」ができるでしょう。


文献:小田巻美穂子編(写真・文:木村正博)『新宿御苑 撮影・散策ガイド -季節の花と風景を訪ねる』三栄書房、2010年4月18日


▼ 関連記事
植物を撮影しながら知的散歩をする 〜『新宿御苑 撮影・散策ガイド』〜
季節を意識して情報をインプットする - 新宿御苑(1)-
立体視で植物をみて目のつかれをとる - 新宿御苑(2)-


クラウドの時代に入って、高速モバイル通信が急速に整備されつつあり、「LTE」というあたらしい用語が目につくようになりました。

そこで、インターネットで「LTE」についてしらべたところ、「NTT東日本 FLET’S光」のウェブサイトに次のような説明がありました。

■ モバイル通信の規格である
「3G」(スリージー)、「4G」(フォージー)、「LTE」(エルティーイー)といった用語はモバイル通信の規格をあらわしています。

「3G」や「4G」の「G」は Generation(世代)の意味の頭文字です。かつては「1G」、「2G」がありました。いま注目されているのは次世代高速通信規格である「4G」です。

■ LTEは4Gの一種である
「LTE」とは、Long Term Evolution(長期的進化)の略で、「4G」のなかの一種です。

「LTE」は、以前は「3.9G」として位置づけられていましたが、「LTE」を「4G」とする通信業者が増えたため、最近では「4G」の一種としてとらえるのが一般的になりました。

「LTE」は下り75Mbps〜100Mbps、「3G」よりも高速であるため、動画視聴やアプリダウンロードのためにむいています。

■ スマートフォンなどを購入するときに参考にする
モバイル通信の規格についてあらかじめ知っていれば通信速度などが判断でき、スマートフォンなどを購入するときの参考になります。

たとえば、NTTドコモ「Xi」(クロッシィ)、ソフトバンクモバイル「SoftBank 4G LTE」などが「LTE」サービスを提供しています。また「WiMAX」は4G(3.9G)に相当する通信規格です。

■ Wi-Fiは、無線LANルーターを介して光回線につながっている
一方で、「Wi-Fi」とよばれる通信方式がひろくつかわれています。

「Wi-Fi」は、光回線(有線)につながれた無線LANルーターと通信します。無線LANルーターは、数メートル〜数十メートル圏内に設置しなければ通信ができません。したがって、「3G」「4G」「LTE」とはちがい、つかえる場所が限定されてしまいます。

しかし、最大数百Mbps対応の規格もあり、非常に高速で快適な通信ができます。

■ プラチナバンドは障害物につよい
また「プラチナバンド」とよばれる通信方式もあります。これは「特定の周波数帯域の電波」を意味します。携帯電話・スマホでは、1.5〜2GHz(ギガヘルツ)の帯域の電波がつかわれますが、プラチナバンドはそれよりも低い700〜900MHz(メガヘルツ)の帯域の電波を利用できます。

障害物にさえぎられにくい特性があり「高い価値のある周波数帯域」という意味で「プラチナバンド」とよばれます。NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクモバイルでは一部のサービスで「プラチナバンド」をつかっています。

以上のように、「LTE」について理解し記憶しようとおもったら、その一語だけをとりだして理解し記憶しようとするよりも、それに関する周辺用語もあわせて全体的にとらえたほうが、各用語の比較もでき、理解が一気にすすみます

つまり、 なるべくたくさんの関連情報を一度に頭にインプットした方が理解がすすむということです。

情報処理の観点からいうと、インプットでは、なるべくたくさんの情報をまるごとインプットしてしまったほうが、あとのプロセシングにおける理解や記憶のたすけになるわけです。たくさんインプットするとおぼえきれないとおもうのはまちがいです。記憶の場は意外に大きいものです。

たとえば、本を2~3ページよんで理解できなくても、そのまま読みすすめていくと、一冊全部よみおわってみたら結果的には理解できたという経験は誰にでもあるものです。

情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)を意識して、まずは、まるごとすべてをインプットしてしまう方がよいです。情報はおのずと処理されてきます。

情報処理あるいは能力開発の観点から散歩をとらえたとてもおもしろい本です。単なる健康本ではありません。このような「知的散歩術」を解説した本はほかにはなく、一読をおすすめします。

本書から要点をピックアップしてみます。

観察力、記銘力、想起力を高める練習を散歩を通じて行ってほしい。

しっかりと観察力を働かせながら歩いてみよう。観察する際には問題意識の有無も重要な役割を果たす。特定のテーマを掘り下げる問題意識があると、関連する情報は無意識に目に飛び込んでくるものだ。

散歩をするときには、私たちの「感じる」能力を全開にする。

同じ風景を一度見ただけで満足しないで、何度も見ることを通じて見る力と見る味わいを深めていきたい。

散歩をしながら、より大きな範囲を「手にとるように、まるごと見る目」を獲得し、「街を一望し、景色も一望して」、本当に風景を楽しんでほしい。

ループを描いて歩くと私たちの頭脳は、自然にループの内部の空間の広さをとらえようと働き出す。すると脳の中の「空間処理の領域」を用いるようになる。

どこを歩いても、その歩いた全体像を「きちんとした地図として見通しよく描く」訓練が勧められる。

自然の植物を覚えれば心が豊かになる。

庭園や植物園を巡って四季をつかむ。

散歩をしながら、生活上のいろいろなヒントや発想のヒントをつかむことを楽しむ。

哲学者のカントや西田幾多郎、作曲家のベートーベンや思想家のルソーも散歩を通して思索と創造の「時」を過ごしたことが知られている。そのような先人の例にも学んで、創造的な散歩術をマスターしてほしい。

散歩中のインスピレーションは、(1)予め問題意識を成熟させておくこと、(2)散歩中の偶発的な刺激がその問題意識にあたらしい影響を与えてひらめきを誘発する、という二つの段階によって生みだされる。

私たちに浮かんでくるアイデアは、実はその場の環境が無意識の領域に作動した結果として閃くことが少なくない。そこで、そのアイデアの続きを得たかったり、さらに深めたりするときには、もう一度その場に行くとよい。

一回の散歩が次の散歩の期待につながるようになったら、日々の散歩は連続ドラマを眺めているのと同様の楽しみに変わるのだ。

繰り返しの散歩を通じて、よく知っている場所を鮮明にイメージできるようになると、それがそのまま皆さんの心象力(イメージを描く力)の強化につながり、さらに、イメージを描く意識の場そのものも確立されてくる。これが能力開発の基礎につながるのだ。

その日その日の散歩コースで何か一工夫をして、その日だけの特徴的な体験ができたとき、その特徴となる体験のことを「目印体験」と呼んでいる。「目印体験」を生み出す工夫をする。

「目印体験」を明確に記載しておくと、思い出す際に他の散歩と区別する際に役立つ。

日付、曜日、時刻、コース、目印、感覚、発見、想起、発想、行動について記録する。

情報処理の観点から整理すると、散歩しながらの観察やその他の感覚体験は、自分の内面に情報をインプットすることであり、記憶したりイメージ(心象)をえがいたり発想をえたりすることはプロセシング散歩の記録を書くことなどはアウトプットにあたります。

 インプット:観察その他の感覚
 プロセシング:記憶、イメージ、発想など
 アウトプット:記録

同時に散歩は、情報処理の場である心身をととのえ確立することにもなります

「知的散歩術」は、情報処理に総合的にとりくめるきわめて基本的な方法であり、誰でもすぐにできる実践法です。インスピレーションや発想も、一ヵ所でじっとしているよりも散歩にでかけた方がえられやすいです。さっそく今日からこの「知的散歩術」はじめるのがよいでしょう。


文献: 栗田昌裕著『1日15分の知的散歩術』廣済堂出版、1997年

サッカー日本代表のザッケローニ監督が12日、ワールドカップ(W杯)ブラジル大会にのぞむ日本代表メンバー23人を発表し、テレビ・新聞などで報道され話題になっています。

サッカーは、情報処理の観点から見てもおもしろいスポーツです。

サッカーの選手や監督・解説者は、サッカーボールを中心視野でおいながらも、周辺視野をフルにつかって、周囲にいるほかの選手のうごきもとらえ、ピッチ全体を見るようにしています。つまり、大きな視野で全体を常に見ています。

全体をまるごと見る(インプットする)ことは観察や速読の基本でもあります。大きな視野でその場全体をまるごと見て、自分の内面にすっぽり情報をインプットする方法は観察法や速読法の訓練になるばかりでなく、情報処理の本質である並列処理にも発展します。

サッカーを見るとき、 中心視野でボールをおいつつも、同時に、周辺視野をつかって(目をキョロキョロさせないで)、選手・ピッチ(フィールド)・サポーターの様子などをどこまでとらえられるでしょうか。周辺視野でフィールド全体をとらえることがで必要です。やってみてください。

眼力のある人は、ボール(中心)のうごきだけではなく、ボールからはなれた選手のうごきも同時に視野の中に入っています。中心とともに周囲と背景も同時に見ることができるということです。

プロの監督や選手や解説者はすべてを正確に見ています。すると予測もできるようになり、ゲームの局面も見えてきます。すぐれた監督や選手は先をよむことができる人です。

サッカー観戦がすきな人は、ピッチのなかのあらゆる情報を周辺視野もつかって同時においかけ、複数のうごきを同時に見る練習をしてみるとよいでしょう

野球よりもサッカーの方がこのような訓練のためには役立ちます。

今回のW杯は、ブラジルで64年ぶりの開催となり、6月12日(日本時間13日)に開幕するそうです(朝日新聞、2014/5/12)。


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