発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

タグ:仮説法

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沖縄美ら海水族館(入り口)


垂直軸を想定して、垂直方向のうつりかわりに注目すると海の生き物たちがよく整理されて見えてきます。


沖縄・海洋博公園にある沖縄美ら海水族館(ちゅらうみすいぞくかん、注1)は、世界的にみてもトップクラスのよくできた水族館です。とても大きな水族館であり、4階の入り口から3階→2階→1階へと、浅海から深海へもぐっていく構造になっているのが特色です。


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美ら海水族館の見取り図
 

各階のテーマはつぎのとおりです。
  • 3階:サンゴ礁への旅
  • 2階:黒潮への旅
  • 1階:深海への旅


■ 3階「サンゴ礁への旅」
サンゴの海:サンゴ礁とそこでくらす生き物が見られます。


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サンゴの海

 
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ユビエダハマサンゴ
(平行法で立体視ができます)

 
熱帯魚の海:太陽光がふりそそぐ浅瀬から薄暗い洞窟まで「熱帯魚の海」水槽はすべてつながっていて、そこにすむ魚たちを、海のなかにふかくもぐっていくいくように順番に見ることができます。


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熱帯魚の海



■ 2階「黒潮への旅」
深さ10m、幅35m、奥行き27m、容量7500m³の大水槽「黒潮の海」が圧巻です。ジンベイザメ、ナンヨウマンタ、トラフザメ、マダライルカなど、約70種の海洋生物がおよいでいます。


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黒潮の海
大きな魚はジンベイザメ。その名は「ジンタ」。 
 

この大水槽を水面から自由に観覧できる人気の「黒潮探検」コースもあります。スタッフによる解説もおこなっています。いろいろ質問してみるとよいでしょう。
 

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大水槽の上から見る


■ 1階:深海への旅
はなやかなサンゴ礁や大きく流れる黒潮の海とはちがう静かな世界がひろがっています。深海には不思議な形態をもつ生き物がおおく見られます。あまり紹介されることのなかった深海の多様な生き物たち約70種が展示されています。

 オキナワクルマダイ、マダラハナダイ、アオダイ、アカサンゴ、
 ムラサキヌタウナギ、オオグソクムシ、ドウケツエビ、フクロウニ、
 タカアシガニ、イモリザメ、ハマダイ、ノコギリザメ、など。
 

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深層の海


世界の海洋はその大部分が水深200mを超える深海でしめられています。そこはまだまだ謎につつまれた世界であり、その神秘性が印象にのこります。




沖縄美ら海水族館は、海をもぐっていく体験ができるところに大きな特色があります。海の生き物の垂直分布、海の垂直構造がよくわかります。

海の生物や海の世界を理解しようしとおもっても、海はひろすぎて何だかよくわからないといった感じがします。そこでおもいきって垂直方向のみに注目してみます。大きな海の空間に垂直の軸(浅深の軸)を1本いれてみます。その軸を基準にしてさまざまな生物を整理してみるのです。

このように垂直構造に注目すると、平面的に見ていたときにはわからなかったことがよく見えてきます。
160128 縦軸
図 垂直軸を想定して垂直方向に注目する



浅瀬から浅海・中層・深海へと、美ら海水族館の海の世界をもぐっていくと、生き物たちは見事にうつりかわっていくではないですか。生き物たちは垂直方向で「すみわけ」をしていたのです。

自然学者・今西錦司はかつて、「生物は、地球上ですみわけて共存し、またすみわけるように進化してきた」という「すみわけ」説を発想しました(注1)。

美ら海水族館を体験すると、この「すみわけ」説を検証することができます。浅瀬・浅海・中層・深海というそれぞれの場所においてそれぞれの生物がくらしています。生物の空間配置が海にはあります。それぞれの生物は「居場所」をそれぞれにもっています。「居場所」があるというところが重要です。




このような垂直軸をつかう方法は応用が可能です。

多様な情報がたくさんあってどうも整理がつかないというときに、1本の縦軸を想定してみて、その軸を基準にして多様な情報を配列してみると整理がつくことがよくあります。多様で複雑な情報が空間配置できるのです。同時に、情報の多様性も理解できてくるでしょう。


▼ 注1
沖縄美ら海水族館



▼ 注2
今西錦司著『生物の世界』講談社、1972年1月15日
生物の世界 (講談社文庫)

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プレートテクトニクスのモデルをつかうと地球の様々な自然現象を短時間で統一的に理解することができます。

木村学・大木勇人著『プレートテクトニクス入門』(講談社)は、地球科学の基本モデルであるプレートテクトニクスについて一般の人むけに解説した入門書です。地球科学が発展してきた歴史を順をおって説明しているので読み物としてもおもしろいです。
 

目 次
1章 大陸移動説の成り立ち
2章 海洋底拡大説からプレートテクトニクスへ
3章 地球をつくる岩石のひみつ
4章 海嶺と海洋プレートのしくみ
5章 なぜ動くのか? マントル対流とスラブ
6章 沈み込み帯で陸ができるしくみ
7章 衝突する島弧と大陸のしくみ
8章 プレートテクトニクスと地震


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最近は、巨大地震や火山噴火の仕組みがテレビや新聞などで解説されるときに「プレート」という用語がかならずでてきます。

地球の表層は、硬い岩石の板がジグソーパズルのピースのように分かれて覆っており、その一つ一つをプレートとよぶ。

「テクトニクス」とは一般には構造を意味し、地球科学では地質構造や地殻変動のことをあらわします。

プレートテクトニクスは、大陸の移動、海洋底の拡大、岩石の形成、海溝や陸や高い山ができる仕組み、巨大地震、火山噴火などの実にさまざまな自然現象を統一的に説明することを可能にします。

またプレートはなぜうごくのかという疑問に対しては「プレートとマントルが全体として対流する」からであるとかんがえられています。

地球は内部に熱源をもち、表面にプレートという冷却システムをもつ一種のエンジンのように見立てることができる。

地球の内部から表層までを全体的にダイナミックにとらえることが重要です。

プレートテクトニクスは方法論的にいうと基本仮説でありモデルです。モデルは多種多量な情報を統合し、複雑な現象の本質を体系的に理解することを可能にします

体系的・直観的に物事を理解したり、ある分野を高速で学習するためにモデルが役立ちます。地球科学にかぎらずどの分野でもよくできたモデルがあるとおもいます。何かをまなぼうとおもったらよくできたモデルをさがしだして活用するとよいです。


▼ 引用文献
木村学・大木勇人著『図解 プレートテクトニクス入門』(ブルーバックス)講談社、2013年9月20日
図解 プレートテクトニクス入門 なぜ動くのか? 原理から学ぶ地球のからくり (ブルーバックス)


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「自然・人類・文明」という非常に大きな課題にとりくむ場合、人類進化のモデルからアプローチするというのが一つの方法です。

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図1 一つの自然の体系があった。

人類が発生する以前には一つの自然の体系(システム)がありました(図1)。人類の祖先であるサルは自然の体系の中で自然の一部として生きていました。
 


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図2 直立二足歩行により人類が発生した。

そしてサルの中から直立二足歩行をするものが出現しました。これが人類の発生です。人類は、自然環境から恩恵をうけつつも自然環境をうまく利用して生活していきました。人類と自然環境とのあいだには相互作用がありました(図2)。

そしてその後しばらくして言語が発生しました。人類はまた道具をつくりだしました。そして農業をはじめました。
 


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 図3 文明が発生した。

こうして、人類と自然環境との相互作用のなかから文明が発生してきました。

人類は、自然環境から恩恵をうけつつも自然環境にはたらきかけ、自然環境を大きく改変する存在になりました。自然環境から人類へは物質・エネルギー・情報がはいってきます(インプット)。一方、自然環境へむかって
人類は運動し活動し不要物質を放出し、自然環境を圧迫します(アウトプット)。人類と自然環境とは文明を介在にして相互浸透的な関係にあります。

非常に単純化してしまえば人類に関わる進化をこのように整理することができ、上記のような模式図(モデル)であらわすことができます。このようなモデルは、「自然・人類・文明」といった大きなテーマを意識のなかにとりこむことを可能にし、情報処理と問題解決をすすめるときの参考になります。 


▼ 参考文献
F.A.ハイエク・今西錦司著『自然・人類・文明』(NHKブックス)NHK出版、2014年11月25日
▼ 関連記事
自然をシステムとしてとらえる - F.A.ハイエク・今西錦司著『自然・人類・文明』(1)-
進化論的に人類をとらえなおす - F.A.ハイエク・今西錦司著『自然・人類・文明』(2)-
人類進化のモデルをつかって自然・人類・文明について理解をすすめる


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直立二足歩行と言語の発生に注目すると進化論的に人類をとらえなおすことができます。

F.A.ハイエク・今西錦司著『自然・人類・文明』(NHK出版)の第 II 章では、人類が、自然あるいは動物からどのように分かれて変わってきたのかという問題を論じています。

最初に直立二足歩行ありきで、それにくらべると言語はひじょうにおそくならんと出てこないんです。(今西錦司)

人類の祖先と類人猿の祖先とを区別する決め手は直立二足歩行があるかどうかです。直立二足歩行が根源的にあって、これにより大脳が発達し手も器用になりました。

そして言語が発生しました。直立二足歩行が人類のなかの一個人から発生してひろがったのではないのとおなじように、言語も、どこに住んでいる人類にも人類進化のある時期に自然発生したのです。これは言語学者などがとなえる、一カ所で言語は発生して、それが伝播によって世界中にひろがったという単源説あるいは単系説とはちがいます。

言語だけはほかの動物には絶対にみとめられない現象です。逆にいうと言語をえてからはじめて人間が人間らしいもののかんがえ方をするようになったのであって、言語がない時代には合理的なもののかんがえ方はできませんでした。

言語が発生する以前はその場の状況を直観で判断していました。しかし言語の発生によってロジックをはじめてコントロールするようになりました。そして文明が生じてきました。


進化の一番の証拠になるのは化石です。これ以外に進化を直接証明するものはありません。化石を年代順に並べてみると順繰りにある方向にむかって変わっていることがわかります。

およそ30万年から70万年くらい前にピテカントロプス・エレクタスとよばれるものが生きていました。これは、ホモ・エレクタスと今ではよばれるようになっていて、我々ホモ・サピエンスの直系の先祖であることが人類学者のあいだでみとめられています。エレクタスは絶滅しないでサピエンスになったのです。

化石を証拠にしているかぎりは、猿人から今日のホモ・サピエンスまである方向にむかって順次かわっています。自然淘汰ではなくて変わるべくして変わってきています。西洋人は進化を因果的に説明しようとしますが、進化というものにはある程度まで種自身の自己運動があらわれているのです。


このように人類を理解するためには直立二足歩行と言語に注目することが重要です。進化論的にみるとつぎのような順序・段階がみとめられます。
  1. 四足歩行で生きていた。(直観で判断していた。)
  2. 直立二足歩行をはじめた。(直観で判断していた。)
  3. 言語が発生した。(論理をつかいはじめた。)
  4. 文明が発生した。
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伊沢紘生著『新世界ザル アマゾンの熱帯雨林に野生の生きざまを追う』は、さまざまな種がすみわけることによって、多様性にみちあふれる生態系が維持されまた発達していくことをおしえてくれる本です。

著者の伊沢紘生さんはアマゾン川流域で以下のようなたくさんの種類のサルをしらべ、それぞれの種の固有な「生きざま」をあきらかにしました。

ホエザル
フサオマキザル
クモザル
ウーリーモンキー
ピグミーマーモセット
ゲルディモンキー
サキ
ウアカリ
セマダラタマリン
ヨザル
ダスキーティティ 


■ 種の多様性が増大する
アマゾンのこれらのサルたちは、それぞれの種に固有な生きざまをどのようにして獲得するにいたったのでしょうか?

アマゾンのサルたちは、その生きざまにおいて多様性をもっているという事実が観察されました。

ながい時間幅でみれば、動物のどの系統をとってみても、種の数が増加して、種の多様性が増大していったというのが生物進化の実態であり、アマゾンのサルたちもこのような進化の過程で多様化していったとかんがえられます。


■ 多様なサルたちがすみわけて共存している
それでは、なぜ、アマゾンというひとつの地域のなかで、これだけ多様なサルたちが共存できているのでしょうか?

現地調査によって、それぞれの種ごとに生きざまを異にして共存していることが観察されました。つまり、さまざまなサルたちは見事に「すみわけ」ていたのです。たとえば森の上部層と下部層とですみわけていました。果実をおもに食べるサルと葉をおもに食べるサルと昆虫をたべるサルといった「食いわけ」によるすみわけも観察されました。

このようにすみわけによってさまざまな種が共存し、一方で、すみわけを通してあたらしい種が誕生するというのが生態系の維持と発達の仕組みでした。このようにして多様性にみちあふれたアマゾンの生態系がなりたっていたのです。


■ 生態系は共存原理でなりたっている
生きざまを変更し、生活空間やもとめる生活資源を分割してすみわけをおこなうところには共存原理がみとめられます。サル類にかぎらず熱帯雨林に生息するいかなる動物もこのようにして生きているそうです。

これは、一方が勝利して生きのこり、一方は負けて滅びるという競争原理ではありません。熱帯雨林の生態系には競争原理は存在しません。


■ 局所と大局とをくみあわせて体系を認識する
このようなことは、アマゾンに生息するさまざまな種類のサルたちをすべてしらべて、その生きざまとともに空間的な分布やひろがりを研究し、そしてそれらを相互に比較したからこそ認識できたことです。

これがもし、一つの種だけを専門的に調査していたらこのようなことはわからなかったでしょう。たとえばホエザルだけを専門的に研究する、ワニだけを集中的に研究する、カブトムシだけを局所的に研究する、動物の細胞だけを実験的に研究するといった分析的研究では、生態系という大局の認識はできないわけです。

つまり個々の種をとらえる部分的な見方と生態系という全体的な見方の両者が必要です。

これからのグローバルな時代は、局所と大局とをくみあわせることによって、全体の体系(システム)を認識する方法が重要になってくるとおもいます。そのような意味でも伊沢さんの研究方法は非常に参考になります。



▼ 引用文献
伊沢紘生著『新世界ザル(上)アマゾンの熱帯雨林に野生の生きざまを追う』東京大学出版会、2014年11月25日
新世界ザル 上: アマゾンの熱帯雨林に野生の生きざまを追う

伊沢紘生著『新世界ザル(下)アマゾンの熱帯雨林に野生の生きざまを追う』東京大学出版会、2014年11月25日
新世界ザル 下: アマゾンの熱帯雨林に野生の生きざまを追う 
※「新世界ザルのすみわけと進化」については下巻の最終章でくわしくのべられています。


▼ 関連記事
アマゾンの多様性を大観する - 国立科学博物館「大アマゾン展」(1) -
アマゾンを歴史的時間的にとらえる - 国立科学博物館「大アマゾン展」(2) -
アマゾンの多様性をメモする - 国立科学博物館「大アマゾン展」(3) -
アマゾンのサルの多様性をみる - 国立科学博物館「大アマゾン展」(4) -
生態系の階層構造をとらえる -「大アマゾン展」(5) -
人類の本来の生き方を知る - 伊沢紘生著『アマゾン探検記』-
アマゾンの生態系に共存原理をみる - 伊沢紘生著『アマゾン動物記』-
自然環境と共生して生きている人々がいる - アマゾン展 -


 

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バクタプル

ネパールのカトマンドゥ盆地内にはかつての都市国家の面影をのこす3都市があります。都市国家の構造は環境保全のモデルとしてつかえます。

世界各地の都市国家はほとんどが遺跡になり往時の姿をうしなっているのに対し、ネパール・カトマンドゥ盆地内にあるカトマンドゥ・パタン・バクタプル(とくにバクタプル)の3都市は当時の様子をとてもよくのこしていて、世界遺産に登録されています。

これらは中心に都市があり、その周囲に耕作地(農地)がひろがり、さらにその周辺に山・川・森などの自然環境がひろがっています。これは下図のようにモデル化することできます。都市と自然環境とがつくりだす「主体-環境系」になっています。
150620 都市国家の構造
図 都市国家と自然環境がつくりだす「主体-環境系」のモデル


都市は自然環境から恩恵をうけ、一方で都市は自然環境にはたらきかけ環境を改良していきます。このような都市と自然環境との相互作用によって耕作地が生まれました。都市国家の時代にはこのような相互作用がとてもうまくいっていて環境が保全され、全体のシステムが維持されていました。

都市国家の機能は今日ではうしなわれていますが、この都市国家のモデルは環境保全のモデルとして現代に役立ちます。都市と自然環境とにあいだに、かつての耕作地のような緩衝帯をもうけることがポイントです。

2015年4月のネパール大地震でカトマンドゥ・パタン・バクタプルの旧都市国家(世界遺産)も大きな被害をうけましたが、今後、再建のために努力していきたいとおもっています。




東京都美術館
東京都美術館の企画棟(出典:Google Earth)

東京・上野の東京都美術館で「大英博物館展 ―100のモノが語る世界の歴史」(注1)が開催されています。今回は、会場となっている東京都美術館の企画棟(建物)の階層構造をつかって世界史を概観してみたいとおもいます。


■ 企画棟(展覧会場)の階層構造をとらえる
今回の展覧会場には100個の作品モノ)が展示されていて、これらのモノのいくつかがあつまって1つの展示室をつくっていました。展示室はのべ8部屋ありました。

そしていくつかの展示室があつまって1つのフロアができていました。フロアは地下1階・地上1階・地上2階の3フロアとなっていました。

さらに、これらの3つのフロアがあつまって東京都美術館の企画棟(写真)が形成されていました。

展覧会場の東京都美術館の企画棟はこのような階層構造になっていました。


■ 展示内容を階層構造でとらえる
つぎに展示内容をみていきます。

展示室はつぎの8つの部屋から構成されていました。これらは世界史を8つの段階に区分したもので、歴史のなかのそれぞれの時代をあらわしていました。各展示室(部屋の空間)を意識することによりそれぞれの時代を体験できる仕組みになっていました。

第1展示室「創造の芽生え」
第2展示室「都市の誕生」
第3展示室「古代帝国の出現」
第4展示室「儀式と信仰」
第5展示室「広がる世界」
第6展示室「技術と芸術の革新」
第7展示室「大航海時代と新たな出会い」
第8展示室「工業化と大量生産が変えた世界」

つぎにフロアに注目してみると、第1〜3展示室は地下1階にありました。第4〜6展示室は地上1階、第7〜8展示室は地上2階にありました。

第1〜3展示室:地下1階
第4〜6展示室:地上1階
第7〜8展示室:地上2階

フロアの内容はそれぞれつぎのようにとらえられ、文明というより大きな概念が感じられました。フロアの空間を意識すると文明を体験できる仕組みです。

地下1階:文明のはじまり
地上1階:前近代文明
地上2階:もっと大きな文明の形成(グローバル化あるいは近代化)

そしてこれらのフロアがあつまって東京都美術館の企画棟(建物全体)が形成されており、この企画棟は、人類史の舞台あるいは空間であり、つまり地球に相当すると類比することができます。

企画棟:地球


■ 階層構造の類比をつかって理解をふかめる
階層構造とは、あるモノ(要素)が複数あつまってひとつのユニット(集合体)をつくり、そしてそれらのユニットが複数あつまって中ユニットをつくり、さらにそれらの中ユニットがあつまってもっと大きなユニットを形成していく構造のことです。

今回は、建物の階層構造と人類史の階層構造とを類比して理解をすすめてみました(図)。今回の展覧会は、階層構造の類比が特によくみとめられたすぐれた例でした。

150615 会場の階層構造と人類史の階層構造の類比

図 建物の階層構造との類比により世界史をとらえなおす。
 

階層構造に注目すると、個々のモノだけを見ていたときには見えなかったこと(時代とか文明といったこと)がつかみやすくなります。時代はモノを超え、文明は時代を超えていることもわかります。

具体的には、会場に行ったらモノに意識をくばるだけではなく、展示室に意識をくばり、フロアに意識をくばり、企画棟全体にも意識をくばることが大切です(注2)。

この方法は、言葉や理屈で対象をとらえる従来の学習法とはちがい、視覚的・空間的・体験的に物事を認知する方法です。記憶法としてもつかえます。


▼ 注1
東京都美術館「大英博物館展 ―100のモノが語る世界の歴史」
東京都美術館の会期は2015年6月28日まで。その後、九州国立博物館(2015年7月14日〜9月6日)、神戸市立博物館(2015年9月20日〜2016年1月11日)に巡回します。

▼ 注2
ここでいう意識をくばるとは、意識してその空間をよくみて感じることです。普通よりも時間をかけるということではありません。時間をかけるよりも視覚をつかうことです。こうすることにより比較的短時間で飛躍的に理解をふかめることができます。

▼ 関連記事
数字イメージにむすびつけて100のモノをおぼえる - 大英博物館展 ─ 100のモノが語る世界の歴史(1)-
作品の解説を音声できいて物語を想像する - 大英博物館展 ─ 100のモノが語る世界の歴史(2)-
人類史を概観する - 大英博物館展 ─ 100のモノが語る世界の歴史(3)-
建物の階層構造との類比により世界史をとらえなおす - 大英博物館展 ─ 100のモノが語る世界の歴史(4)-
文明のはじまりをみる -『100のモノが語る世界の歴史〈第1巻〉文明の誕生』/ 大英博物館展(5)-
前近代文明の発達をみる -『100のモノが語る世界の歴史〈第2巻〉帝国の興亡』/ 大英博物館展(6)-
近代化への道のりをみる -『100のモノが語る世界の歴史〈第3巻〉近代への道』/ 大英博物館展(7)-
モノを通して世界史をとらえる - 大英博物館展 ―100のモノが語る世界の歴史(8)-
世界史を概観 → 特定の時期に注目 → 考察  - 大英博物館展 ―100のモノが語る世界の歴史(9)-
文明と高等宗教について知る  - 大英博物館展 ―100のモノが語る世界の歴史(10)-



『日本史の謎は「地形」で解ける』など、歴史や文明に関する竹村公太郎さんの一連の著作を読んでいると、竹村さんがもちいている研究の方法が一般の人文学者とはことなることに気がつきます。竹村さんの探究の方法は「仮説法」であることをここで確認しておきたいとおもいます。

たとえば『本質を見抜く力 - 環境・食料・エネルギー -』のなかで竹村さんは、人文学者は「概念で表現されますが、私は理科系の人間なのでデータに基づいて話します」とのべています。

一般の人文学者は、概念がまずあって、つぎにさまざまなケースをとりあげたり想定したりして概念を論理的に展開し、そして結論をつぎつぎにひきだしていきます。

それに対して竹村さんは、まず現場と現場のデータに注目します。そして、自然の法則やさまざまな外的条件などを参照のうえ、仮説をたてます。仮説をたてたら、ふたたび現場を調査して仮説を検証していきます。

現場のデータ → 法則や条件を参照 → 仮説をたてる → 検証する

これは自然科学の方法です。仮説を検証するとはいいかえると実験をするということです。竹村さんは、物理学者や化学者が室内で実験をするかわりに現地調査をしているのです。

竹村さんは、従来は人文学者の研究領域だった歴史や文明を自然科学の方法で研究してみたわです。そもそもこのようなことをした先駆者は梅棹忠夫さんです(注1)。梅棹忠夫さんの『文明の生態史観』などを竹村さんも実際に読んでいます。一方、人文学者のなかでは梅原猛さんが同様な方法をもちいて研究をしています(注2)。このような方法は「仮説法」とよんでもよいでしょう。

「仮説法」は推理小説の方法と実はおなじです。現場のデータから仮説をたて、そして検証していく一連の流れは推理の過程にほかなりません。

竹村さんらは、その推理の過程(研究のプロセス)をそのまま書きあらわしているので文章が教科書的にならず、読者も一緒に推理をたのしめるようになっています。このあたりのところを意識しながら竹村さんのらの本を読んでみるとおもしろいとおもいます。



▼ 注1

▼ 注2

養老孟司・竹村公太郎著『本質を見抜く力 - 環境・食料・エネルギー -』は文明をささえる下部構造に注目しながら、文明の本質にアプローチしていく本です。

目 次
第1章 人類史は、エネルギー争奪史
第2章 温暖化対策に金をかけるな
第3章 少子化万歳! - 小さいことが好きな日本人
第4章 「水争い」をする必要がない日本の役割
第5章 農業・漁業・林業 百年の計
第6章 特別鼎談 日本の農業、本当の問題(養老孟司&竹村公太郎&神門善久)
第7章 いま、もっとも必要なのは「博物学」


■ 人類史はエネルギー争奪史である
アメリカの覇権は1901年に石油が大量に出たことからはじまりました。アメリカの大国化や覇権については人文科学の方がいろいろ分析していますが、単純に石油の力だったと言いきることができます。先の日米戦争も油ではじまり油でおわったのです。

日本国内をみても徳川幕府にはエネルギーに関する長期戦略がありました。

このようにエネルギーの面からみると歴史がかなりちがってみえてきます。人類史とはエネルギー争奪史であるという仮説をたてると、かくれていた下部構造にこそ真実があったことがわかります。


■ 未来の日本文明は北海道がささえる
地球温暖化問題が大きくとりあげられていますが、温暖化対策に金をつかうことは無意味です。原因はともかくとして温暖化は今後ともすすんでいきます。

それではたとえば日本はどうのるのでしょうか? 温暖化した未来では北海道の気候が今の関東平野ぐらいの気候になります。そして北海道が大穀倉地帯になります。北海道は、東北6県プラス茨城県・栃木県という広大な面積があり、日本文明にとっての切り札になります。首都を札幌にうつしてもよいです。

いまは大都会ばかりが繁栄していますが、将来は、こういった自然の恵みのある地域が強くなるのはあきらかです。情報は、インターネットでどこにでもいきわたりますから情報の問題ではありません。

そもそも今日の日本文明が発展できたのは、日本中の英知と力を集中させることができる関東平野があったからです。この関東平野は徳川幕府が湿地帯だった関東地方を「関東平野」につくりかえたのです。この関東平野のインフラが日本文明を今日にいたるまでささえてきたのです。したがって未来は、北海道が「第二の関東平野」になって将来の日本文明をささえることになります。

地球温暖化のもとでは、南北に長い国土をもつ日本は大変有利な条件にあります。国土が小さかったり東西に長かったら環境変動についていけません。それにくわえて日本人は、環境・食料・エネルギーに関する対策をこれまでもしてきた民族です。人類の文明史のなかで、山の木を植林でまもろうとしたのはおそらく日本文明だけでしょう。したがって日本文明は今後とも崩壊しません。

それに対して、二度と回復することのない「化石地下水」のくみあげなどを継続しているアメリカの農業はいずれたちゆかなくなることはあきらかです。


■ インフラは文明をささえる
インフラには人に見えないという意味があります。インフラ・ストラクチャーとは「人には見えない構造物」のことです。文明をささえている下部構造は意識しないと見えない宿命をもっていますが、インフラは文明を下部からささえています。

このようなインフラは自然環境をそのままつかうのではなく、自然をいかしながらもそれを改良してつくります。「環境派」の人々も人間の手をくわえたほうがいいことに気づきはじめました(注)。


■ 五感をはたらかせる
これからは概念で理論を構築する分野ではなくて、博物学のように五感をはたらかせるやり方が必要です。博物学のように、帰納的に下からつみあげる学問は普遍性をえることができます。今まで見えてこなかったこと、あるいは見なかったことが見えてくるようになります。
 
このような博物学的な感覚と、それから第一章で述べたモノからかんがえる方法、この二つを組みあわせて物事をとらえることが、今後の日本あるいは世界の行方をきめてゆくうえで必要なことです。


どうでしょうか。この斬新な視点。説得力があるとおもいますがそれ以上におもしろい。まずは本書を読んで自分なりに推理をたのしんでみるのがよいでしょう。



▼ 引用文献
養老孟司・竹村公太郎著『本質を見抜く力 - 環境・食料・エネルギー -』(Kindle版)PHP研究所、2008年9月12日
本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー PHP新書


▼ 注
わたしの意見では、国立公園のように自然をそのまま保全する地域を確保したうえで、別の地域では自然環境をいかしながらも手をくわえるのがよいとおもいます。


現場のデータから仮説をたてる - 竹村公太郎さんらの方法 -


竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』をたよりに、奈良・京都・鎌倉・江戸の地形と地理を見ることによってそれらの空間から日本史の大局をとらえなおすことができます。

たとえば、源頼朝は鎌倉にとじこもって幕府をひらき、鎌倉と京都、武士と天皇という「権力と権威の分離」を実行しました。権力も権威も掌握しようとした平家とはちがいます。徳川家康もこの基本原理をつかって国家統治をしました。そしてこの原理は今日の日本国にまでひきつがれていきます。

日本列島では、鎌倉を原点にして武士団が次第に膨張していきました。そして戦国時代に突入、徳川家康によって領土国家・日本国が完成されました。「家康は事実上の最後の征夷大将軍」ということも理解できます。鎌倉からの過程に、空間的に国家が大きくなっていくダイナミクスを見ることができます。

この間、「権力と権威の分離」という基本原理はずっとはたらいていました。このように、現代の日本国にまでつづく「権力と権威の分離」という原理あるいは文化は鎌倉でデザインされたものであり、現代の日本国は鎌倉からはじまった、日本国は鎌倉の路線上にあるととらえなおすことができるのです。明治維新からではなくて。 現代の日本の体制の原点を鎌倉に見てみようというわけです。このようなことを意識しながら鎌倉をあるいてみるととてもおもしろいとおもいます。

空間(地形や地図や写真や絵)をつかって情報処理をすすめることのおもしろさは理屈ではなくて瞬時に大局がとらえれれる点にあります。最近では、Googleマップや Google Earth をつかってこれが簡単にできます。これは従来のいわゆる考えるという行為とはちょっとちがうかもしません。空間をつかって自然にわきあがってくるアイデアを大切にしたいものです。
 
そして大局がとらえられたら、つぎには自分の興味のある部分にはいりこみ、今度はこまかく見ていけばよいのです。



▼ 引用文献
竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』(Kindle版)、PHP研究所、2013年10月1日
日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)

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現場のデータから仮説をたてる - 竹村公太郎さんらの方法 -


竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』は地形から日本史の謎を読みといた本であり、ここでもちいられているフィールドワークの方法は空間をつかって探究をすすめるところに大きな特色があります。

歴史というと一般には、文献をよく読んで言語をつかってかんがえていくものですが、それに対して地形とは3次元の造形であり構造です。つまり地形から読みとくとは、言語でとらえる前に視覚的・空間的に対象や出来事をとらえるということです。

それは、現場を実際にあるきながら着想をえたり仮説をたてたりすることが基本的なやり方になります。現場の空間のなかで行動しているとふとした瞬間にアイデアがわきあがってくることがあります。このような着想や仮説はおもいつくものであり発想するものです。あるいは直観するものです。これは、言語をつかって理屈でかんがえていくのとは大きくことなります。

歴史的な出来事をとらえようとするときに登場人物や主人公にとかく注目してしまいがちですが、出来事の背景あるいは本質は空間の方からむしろ読みとることができます。個々の現象を分析したり情報の断片を集積しているだけでは決して見えてこないことが、その空間全体をトータルに見ることによってわかってくることが多いのです。

このようかんがえると、登場人物とは空間(場)のなかの要素としてとらえなおすこともできます(図)。

150520 登場人物
図 歴史上の登場人物は空間のなかの要素としてとらえなおすこともできる
 

本書で実例がしめされたように、地形に着目し、それぞれの地域をあるいは日本列島を大きな空間としてとらえなおしてみると今まで見えなかったことが見えてくるのだとおもいます。

情報処理の観点からいうとプロセシングの方法としてこれは有効です。表現(アウトプット)は言語をつかっておこなうとしても、その前のプロセシングは空間をつかっておこなった方がよいのです。そのためには野外にでて現場を実際にあるいてみることが一番です。そしてその空間全体に意識をくばるようにします。




▼ 引用文献
竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』(Kindle版)、PHP研究所、2013年10月1日
日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)


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現場のデータから仮説をたてる - 竹村公太郎さんらの方法 -


竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』は、地形の観点から日本史の謎をあらたに読みといた本です。地形をみて仮説をたてて歴史の常識をひっくりかえしていく様子は推理小説を読んでいるようでもあり大変おもしろいです。 

目 次
第1章 関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか
第2章 なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか
第3章 なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか
第4章 元寇が失敗に終わった本当の理由とは何か
第5章 半蔵門は本当に裏門だったのか 徳川幕府百年の復讐 ①
第6章 赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか 徳川幕府百年の復讐 ②
第7章 なぜ徳川幕府は吉良家を抹殺したか 徳川幕府百年の復讐 ③
第8章 四十七士はなぜ泉岳寺に埋葬された 徳川幕府百年の復讐 ④
第9章 なぜ家康は江戸入り直後に小名木川を造ったか
第10章 江戸100万人の飲み水をなぜ確保できたか
第11章 なぜ吉原遊郭は移転したのか
第12章 実質的な最後の「征夷大将軍」は誰か
第13章 なぜ江戸無血開城が実現したか
第14章 なぜ京都が都になったか
第15章 日本文明を生んだ奈良は、なぜ衰退したか
第16章 なぜ大阪には緑の空間が少ないか
第17章 脆弱な土地・福岡はなぜ巨大都市となった
第18章 「二つの遷都」はなぜ行われたか

本書の中核となるのは第1章と第5〜13章に見られる江戸と徳川幕府に関する論考です。

たとえば江戸城の半蔵門は江戸城の裏口であり、緊急時の将軍の脱出口であったとわたしもおもっていました。しかし第5章「半蔵門は本当に裏門だったのか」を読むと・・・。

竹村公太郎さんは、最初、天皇・皇后両陛下が半蔵門からお出になるのを見て、裏口の半蔵門からなぜお出になるのか疑問におもいました。また勤務先がちかくだったこともあってお堀端をよく散歩していました。そして、そこで見た光景が広重の絵《山王祭ねり込み》とかさなり最初の着想をえました。「半蔵門のところには橋がかかっておらず土手になっていた」。その後、江戸の古地図を見て甲州街道(今の新宿通り)が半蔵門に直結していることなどから「半蔵門は・・・」という仮説をたてました。そして仮説を実証するために皇居周辺を再度あるいてみました。現地調査です。すると、新宿通りは尾根道、難攻不落の地形、江戸の誕生は甲州街道から・・・、つぎつぎに新発見(再発見?)がありました。

こうして最初の疑問から、散歩をして、絵をみて、地図をみて、仮説をたてて、現地調査をして、検証をしていったわけです。これはフィールドワークの方法です

竹村さんは「地形を見ると、歴史の定説がひっくり返る」「地形を見ていると新しい歴史が見えてくる」といい、地形と歴史のあたらしい物語をみごとにえがきだしています。そしてなんと、江戸の地形からの推理が「忠臣蔵」の謎解きに発展していくのです。

本書は、著者と一緒に推理をすすめながら読める書き方になっています。著者と一緒に推理をたのしんでください。そして今度は、歴史のその現場を実際にあるいてみて自分の目でたしかめてみるとさらにおもしろいでしょう。



▼ 引用文献
竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』(Kindle版)、PHP研究所、2013年10月1日
日本史の謎は「地形」で解ける (PHP文庫)


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東京国立博物館・表慶館の入り口

東京国立博物館・表慶館で開催されている特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」(会期:2015年5月17日まで、注1)は仏教史を俯瞰できるまたとない機会になっています。

会場のショップで売っていた特別展のカタログ(図録、注2)を見たところ190〜191ページにはインド地域の歴史をしめす年表がでていました(図1、2)。これが役立ちます。わたしは各作品(展示物)が制作された年代を年表上でたしかめてみました。年代は以下のとおりです。

1 仏像誕生以前
シュンガ朝:紀元前2世紀頃

2 釈迦の生涯
クシャーン朝:2世紀頃
グプタ朝:5世紀頃
パーラ朝:10世紀頃

3 仏の姿
クシャーン朝:1世紀頃
クシャーン朝:2世紀頃
グプタ朝:5世紀頃
パーラ朝:8〜9世紀頃
パーラ朝:9〜10世紀頃
チョーラ朝:12〜13世紀頃

4 さまざまな菩薩と神
クシャーン朝:1〜2世紀頃
クシャーン朝:2世紀頃
パーラ朝:8〜9世紀頃
パーラ朝:10世紀頃

5 ストゥーパと仏
パーラ朝:8世紀頃
チョーラ朝:10世紀頃
パーラ朝:10世紀頃
パーラ朝:11世紀頃
パーラ朝:12世紀頃

6 密教の世界
パーラ朝:9世紀頃
パーラ朝:9〜10世紀頃
パーラ朝:10世紀頃
パーラ朝:11世紀頃
パーラ朝:10〜11世紀頃
パーラ朝:11〜12世紀頃

7 経典の世界
パーラ朝:11世紀頃
14世紀頃

附編 仏教信仰の広がり
16〜17世紀頃
17世紀頃
18世紀頃 
18〜19世紀頃
19世紀頃

今回でてきた王朝を年表上でたしかめ赤枠でかこみました(図1、2)。

IMG_1807
図1 インド地域の歴史年表(その1)
(今回みられた王朝を赤枠でかこった)

IMG_1808
図2 インド地域の歴史年表(その2)
(今回みられた王朝を赤枠でかこった)

上記の王朝とともにつぎの事柄にも注目するとよいでしょう(年表上で青色下線をひいたところ)。

前600頃 十六大国の並立
前5世紀頃 釈迦(ブッダ、仏陀)
前3世紀頃 アショーカ王碑文(マウリア朝)
1〜5世紀 ガンダーラ美術が栄える
630〜644 玄奘のインド旅行

文字でおっていても年代はよくわかりませんが、上図のような年表を主催者がつくっておいてくれたので歴史的な流れがよく理解できました。


そもそも釈迦が活動した時代の南アジア地域は「十六大国時代」という群雄割拠の時代でした。そしてそのご紀元前4世紀末に、インド初の統一王朝である「マウリア朝」がおこりました。

ここでの注目点は、「十六大国時代」とは古代の都市国家の時代(段階)であり、その後のマウリア朝はより大規模な領土国家(帝国)であったということです。

十六大国の時代:都市国家の段階
マウリア朝:領土国家(帝国)

都市国家は、それぞれが小規模なうちはよかったのですが、それぞれの都市国家がしだいに勢力を拡大してくると摩擦や対立がおこり、たがいにあらそうようになります。そしてその後、より強力な都市国家が勝って生きのこり、それがより広範囲の地域を支配するようになり領土国家(帝国)になっていきました。

したがって釈迦が活動した時代とは、いくつもの都市国家が崩壊して領土国家が生じてくる時代であったのであり、都市国家の時代から領土国家の時代へと転換する過渡期であったのです。

つまり、この時代は戦争がはじまった時代であったということができるでしょう。だからこそ救済を必要とする人々があらわれたのではないでしょうか。

そしてさらに、領土国家(帝国)は領土をめぐる戦争をくりかえしていくことになります。戦争の規模が大きくなるにしたがって救済を必要とする人々の数も増えたことでしょう。それにこたえるかたちで仏教の様式も変化し、より多くの人々を救済するようになります。このような過程で仏像そして大乗仏教が発達したと想像することができます。

今回の特別展と関連資料からはこのような仮説がたてられるのではないでしょうか。このような歴史は作品(展示物)そのもに記入されているわけではないので、それらの背景を想像するしかありません。それぞれの時代がそれぞれの作品を生みだし、それぞれの作品はそれぞれの時代を反映しているはずです。したがって背景として時代はあらわれるのであり、それらを想像するところに歴史のおもしろさがあるのだとおもいます。

東京国立博物館の特別展は今回も充実した内容でとてもたのしめました。


▼ 注1
東京国立博物館・特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」

▼ 注2
東京国立博物館・日本経済新聞社・BSジャパン編集『特別展 コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流』2015年3月17日、日本経済新聞社発行

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時間と空間を往復する - 物語から場所へ、場所から物語へ -

世界遺産で仏教伝来の足跡をたどる -『世界遺産で見る仏教入門』-
ブッダの生涯と時代的背景を理解する - 中村元著『ブッダ入門』-
都市国家の時代の末期を検証する - 中村元著『古代インド』-
伝記と歴史書をあわせて読む - 釈迦の生涯と生きた時代 -


本多勝一著『極限の民族』をよむと、イニュイ民族(カナダ=エスキモー)、ニューギニア高地人、アラビア遊牧民のそれぞれの民族について知ることができます。それは同時に、彼らの生活様式と彼らをとりまく自然環境を理解することでもあります。

それぞれの民族はそれぞれに知恵をはたらかせて、衣服や道具や家をつくりだし、狩猟や牧畜の方法を開発して、その地域独自の自然環境に適応して生活していました

民族(人間)と自然環境とのあいだには相互作用があり、その相互作用のなかから衣服や道具や家や方法などの生活様式が生まれてきたということを読みとることができます(図1)。

150407 民族-生活様式-自然環境
図1 民族と自然環境との相互作用により独自の生活様式が生まれた。


このように民族と生活様式と自然環境とをセットにしてひとつの体系(システム)としてとらえるとわかりやすいです。
 
そしてこの体系においておこっている相互作用は、自然環境から民族への作用と、民族から自然環境への作用という方向のちがう2種類の作用がみとめられます。自然環境から民族への作用は「インプット」民族から自然環境への作用は「アウトプット」とよぶこともできます(図2)。

150406 民族-生活様式-自然環境
図2 民族と自然環境とのあいだでインプットとアウトプットがおこっている。


これらの作用をとおして情報の流れがおこり、それぞれの民族は無意識のうちに「プロセシング」をおこなって知恵をはたらかせて生活様式を開発してきたといえるでしょう。つまり、知恵をはたらかせるとは情報処理をおこなうことだといいかえることができます。

このように「民族-生活様式-自然環境」をひとつの体系(システム)とみなして本書を読みなおしてみると、一見複雑でわかりにくい「異民族」の世界がよく整理されて理解しやすくなるとおもいます。


▼ 引用文献
本多勝一著『極限の民族』(本多勝一集 第9巻)1994年2月5日
極限の民族 (本多勝一集)  

▼ 関連図書


▼ 注
人がおこなうアウトプットとはプロセシングの結果を顕在化させることであり、書いたり話したりすることだけでなく、表現したり、つくったり、生みだしたり、成果をあげたり、行動したりすることもアウトプットであるととらえることができます。

▼ 関連記事
3つの民族を比較しながらよむ - 本多勝一著『極限の民族』(1)-
極端を知って全体をとらえる - 本多勝一著『極限の民族』(3)-


『実戦・日本語の作文技術』のなかで著者の本多勝一さんはつぎのようにのべています。

まず自分の書いた文章を読んでみて「あれ、おかしいな」と思ったら、そのときだけ私がいったような原則を参考にすればわかるということですね。まず原則を頭の中に覚えてそれから作文を考えるんじゃなくて、作文はどんどん自由に書いて、それで「おかしい」と思ったときだけ、なぜおかしいのかを考えるときにこの原則を考えてくださいと、そういうことなんです。

つまりまずは自由に書いてみる、たくさん書いてみるのがよいということです。はじめから原則にとらわれすぎると先にすすめません。まずは量をもとめそして質をたかめていくのがよいでしょう。

するとそもそも何を書けばよいのかという内容の問題になります。そこで主題の設定や現場での取材が必要になってきます。この点については本書の付録でいくらかのべられています。

また本多さんの「日本語の作文技術」では日本語には主語は存在しないという説を一貫して採用しています。フランス語やイギリス語には主語がありますが、それらと日本語とは言語の構造がことなり、日本語の大黒柱はいわゆる述語であって主語は存在しないということです。

これについても、言語学者ではないわたしたちは言語学にたちいるのではなく、「日本語には主語はない」という仮説のもとでたくさん書いてみる、実践してみることが大事です。正確でわかりやすい文書を書きながら主語は必要ないことを結果として確認できればよいのです。

実際、たくさん書いていると経験的にわかってきます。これは実験をしているのとおなじことであり、経験的に仮説は検証あるいは実証されることになります。


▼ 文献
本多勝一著『実戦・日本語の作文技術』朝日新聞社、1994年
実戦・日本語の作文技術 (朝日文庫)


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150113
オセアニアの地図(展示ガイドから引用

国立民族学博物館のオセアニア展示は、展示空間が大きく、非常に充実しています。ここでは、地球上のほかの地域とはあきらかにちがう、海洋地域への人類の移動と拡散の歴史を想像することができます。

海がほとんどの面積を占めるオセアニアには、大小数万をこえる島々が点在しています。ここでは、発達した航海術をもち、根栽農耕をいとなむ人々がくらしてきました。

人々の移動と拡散についてはつぎのように説明していました。

今から5万年前は、海面が今よりも低く、多くの地域が陸つづきになっていて、東南アジアからの移動がしやすかった。

ラピタ土器が見つかる島々をたどると、人々がメラネシアを通ってポリネシアへ移動したことがわかる。

高度な航海術(スターナビゲーション)をつかって移動することができた。

つまり、海面低下・土器の分布・航海術の証拠から、東南アジアからこの広大な海洋地域に、人類が移動・拡散したことが想像できるというわけです。


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人々の移動と拡散


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ラピタ土器
 

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チェチェメニ号
(航海や漁撈につかわれるカヌー。3000キロメートルの航海記録をもつ)


オーストラリアやニューギニアでは4〜5万年前から人々が住みはじめ、また、今から3300年前ごろには、根栽農耕文化をもつアジア系の人々がオセアニア全域の島々にひろがり定住したそうです。

このようなことを想像するだけでも、オセアニアが、大陸地域とは基本的にちがう異色な地域であることがよくわかります。地球上の多様性を知るためにも、オセアニアは重要な位置を占めるのではないでしょうか。

なお、オセアニアの人々がどこから来たかについて、東南アジア起源説ではなく、南米起源説をとなえた学者もかつてはいたそうですが、現在では否定されているそうです。

国立民族学博物館のヨーロッパ展示から、ヨーロッパは伝統的に麦作農業の地域であることがわかり、一方、日本展示から、日本は稲作農業の地域であることが対照的にわかりました。

また、その他の展示を見ると、麦作は、ヨーロッパから東の地域へとひろがり、稲作は、日本から西の地域にひろがっていることがわかりました。

そして、南アジアが、麦作と稲作の境界地帯になっています。したがって、このあたりの人々(インド人やネパール人)は、伝統的・歴史的にパンも食べますし、ライスも食べます。インドの代表的なパンは「ナン」です。

* 

実際、わたしは、西ネパールに行ったときに、昼はライスを食べ、夜はパンを食べる人々に出会いました。そこでは、ライスとパンが半々でともに主食となっていたのです。

これをモデルにすると下図のようになります。モデルとは、細部はきりすてて、重要なことのみを単純化してえがいた図、対象の本質のみをあらわした模式図のことです。


150103 生業モデル
 
図1 ユーラシア大陸の麦作地域と稲作地域のモデル
 

麦作地域は、ヨーロッパから南アジアまでひろがり、稲作地域は、日本から南アジアまでひろがっています。


これに、さらにつけくわえると、ヨーロッパは、実際には〔麦作+牧畜〕地域であり、日本は、〔稲作+漁撈〕の地域でした。したがって、ヨーロッパ人は、パンにバターをぬって食べ、日本人は、炊いた飯に魚をのせて食べます。

すると、南アジアではどうでしょうか?

南アジアでも、牧畜はさかんにおこなわれています。したがって、つぎのくみあわせが本当の姿です。

麦作+牧畜〕あるいは〔稲作+牧畜

〔麦作+牧畜〕の人々は、パンにバターをぬって食べています。インドやネパールでよく見かけます。

一方、〔稲作+牧畜〕の人々もいます。稲作からはライスがつくられ、牧畜からはミルクやバターやヨーグルトができます。したがって、〔稲作+牧畜〕の人々は、ライスに、ミルクあるはヨーグルトをかけて食べることがよくあるのです。

南アジアあたりを旅行して、ライスにミルクやヨーグルトをかけて食べている人々を見て「びっくりした」と言っている日本人がときどきいますが、びっくりする必要はありません。これは変な習慣でもなく、ましてや貧しいからそうしているのでもありません。〔稲作+牧畜〕という半農半牧を反映しているのであり、その背後には、それに適した自然環境があるのです。

わたしは、ネパールで2年間くらしていた間に、ヨーグルトあるいはミルクをライスにかける食文化にすっかり慣れました。


以上から、図1のモデルを提案することができます。これは、国立民族学博物館の展示を大観したことによって想像できたことです。このようなことは、ユーラシア大陸を旅行してみてもわかるかもしれませんが、まずは、この博物館を見学してみるとよいとおもいます。


▼ 関連記事 
パンにバターをぬって食べる人を想像する - 国立民族学博物館のヨーロッパ展示 -
ヨーロッパと日本を対比させて想像する - 国立民族学博物館の日本展示 -


国立民族学博物館 >>

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写真1 大阪市立自然史博物館のネイチャースクエアの入り口

大阪市立自然史博物館を先日みました。別館のネイチャースクエア「大阪の自然誌」の展示がとても充実していました。この部屋の展示は「自然史」ではなくて「自然誌」でした。特に、里山に注目することにより、大阪の人々と自然環境とのかかわりについて理解することができました。

このネイチャースクエアは、大阪にのこっている自然と人間とのかかわりをまなぶための部屋であり、大阪の海・川・水辺・平野・丘陵・山地などについて、そこで見られる生き物や地層を、また自然観察コースなどを具体的にしめしながら解説していました。

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写真2 展示室の内部


大阪も都市化がすすみ、特に、1960年代以降、丘陵地帯の開発いちじるしかったそうですが、それでも、いくらかの自然が細切れになりつつものこっています。

大阪府下の林は、クヌギ・コナラ・リョウブなどの落葉広葉樹に赤松がまじった林が多く、そこは、さまざまな植物や獣や昆虫が生息していて、里山になっていました。丘陵地帯には、薪をとる山・草地・ため池・田んぼ・社寺林などがくみあわさってできた里山が発達しました。

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写真3 里山の展示


かつて人々は、原生林をきりひらいて田畑や居住地として利用し、さらに、集落の周囲の林を、燃料や用材・肥料・山菜などをえるために利用してきました。自然のいとなみと人間のはたらきの調和によって里山は維持されていました。

近年では、こうした里山は利用されなくなりましたが、この博物館は、里山の意義をとらえなおして、のこされた里山を大切な林として保護し、後世にのこしていこうと活動をすすめているそうです。環境保全のために、里山があらためて注目されています。


このような里山をモデル(模式図)で簡略にあらわすとつぎのようになります(図1)。

141227 自然誌
図1 人々と自然環境との相互作用により里山が生まれた

人々は、自然環境から恩恵をうけつつ、それをうまく改良・利用して生活をいとなんでいました。そのような、人々と自然環境との相互作用により里山が生まれました。里山とは、本来の自然ではなく、人々が改良した二次的な自然のことです。

これを、さらに単純化するとつぎのようなモデルになります(図2)。

141227 主体-環境
図2 主体-環境系のモデル

人々とは、その地域の主体であり、自然環境は簡略に環境とよぶことができます。主体が、環境からさまざまな事物をとりいれることはインプット、一方、環境に対してさまざまな働きかけをし、環境を改良していく行動はアウトプットととらえることができます。主体は、その過程で情報を消化し、情報処理をしているわけです。

インプットやアウトプットをより効果的におこなうために、人々は、さまざまな技術を発達させました。技術は成長するとその地域の文化となります。上記の里山は、このような過程でつくられてきたとモデル化できるのではないでしょうか。したがって、里山は、その地域独自の技術や文化をつくりだすものととらえなおすこともできます。

図2の主体-環境系のモデルは、〔インプット→プロセシング→アウトプット〕という、ひろい意味の情報処理系であると見ることができます。


このようなモデルをもって、「大阪の自然誌」を見てみたところ、人間から自然環境までを総合的にとらえなおすことができました。

大阪平野は大阪の中心部になっていて、それを、千里・京阪奈・泉北・羽曳野などの丘陵がかこんでいます。丘陵の背後には山地が、手前には大阪湾があり、中央には、大阪湾にむかって淀川がながれています。「大阪の自然誌」の各展示物の空間配置が、このような自然誌をモデル化した構造になっていました(図3)。


141227 ネイチャースクエア

図3 ネイチャースクエア「大阪の自然誌」展示室の案内図
(空間配置が、大阪の自然誌をモデル化した構造になっていた)


博物館の自然誌展示は、一見、複雑でわかりにくいと感じますが、このように、モデルをつかうことによって見通しが非常によくなり、見おわったあと、すっきりした気持になって帰宅することができます。


大阪市立自然史博物館 >>

ミステリー・テレビ映画『刑事コロンボ』でコロンボを演じたピーター=フォークは、『ピーター・フォーク自伝』(注)のなかで、アイデアが生まれたときのあるエピソードについてのべています。

“糸口”のヒントはどこに転がっているかというと、意外な出どころだったりする。たとえば歯医者の待合室、しかも開業したばかりの歯医者だったり。

手持ちぶさたのわたしは待合室のラックを眺めた。(中略)『ポリス・チーフ』誌だ。表紙の見出しには“歯形の物証”とある。

それから5年ぐらい経ったころ、わたしたちは『完全犯罪の誤算』って題された脚本を手にした。(中略)なにより残念なことは、決め手になるオチがもうひとつ甘かったことだった。引き出しで寝かせておいた『ポリス・チーフ』誌を取り出したのは、まさにこのときだ。

こうして、『刑事コロンボ』新シリーズのなかの傑作『完全犯罪の誤算』が誕生しました。予期せぬところでえられたアイデアが、実に、5年後に生かされたのです。

すばらしい糸口にはいつどこで、どういった形で巡り会えるのかわからない。

本当にいいネタっていうのはすごく稀だし見つけにくいもんだけど、なにかの拍子に現れるもんだ。

貴重な言葉です。

ピーター=フォークは、刑事コロンボをただ単に演じていただけではなく、作品づくりに積極的にかかわっていました。


▼ 注:文献
ピーター・フォーク著『ピーター・フォーク自伝 「刑事コロンボ」の素顔』東邦出版、2010年12月1日
「刑事コロンボ」に命をふきこんだ、ピーター=フォークの波乱にとんだ人生がつづられています。

ミステリーテレビドラマ『刑事コロンボ』の全69エピソードを解析した、『刑事コロンボ』解説書です。

『刑事コロンボ』のおもしろさは、単なるミステリーでおわらせずに、人間ドラマにもなっているところにあります。

コロンボは、犯人との対決を通して、 犯人が、犯行におよばざるをえなかった心境を理解し、事件のみならず、それをとりまく全体状況を洞察します。

一見むずかしそうに見えるエピソードも、本書を参考にしてあらためて見なおせば、理解がとてもふかまるとおもいます。 
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