タグ:仮説法
手・指をつかってアウトプットする - 特別展「世界遺産 ラスコー展」(4)-
クロマニョン人の情報処理能力をみる - 特別展「世界遺産 ラスコー展」(3)-
1.概観→2.観察→3.まとめ - 海遊館(まとめ2)-
仮説をたてるためにあらためて前提を確認する
仮説をたて検証する - 仮説法(発想法)と演繹法の活用 -
記憶し判断し、直観とひらめきをえる -『脳力のしくみ』(ニュートン別冊)-
図1 記憶・判断・直観・ひらめきはプロセシング
記憶・判断・直観・ひらめきは、人がおこなう情報処理のなかのプロセシングに位置づけられます。情報をとりいれたら(インプット)したら睡眠をとるのがよいです。
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モデルをえがいて、情報処理と問題解決を展開する
よくねむって ひらめき をえる - 菅原洋平著『あなたの人生を変える睡眠の法則』-
類似性をつかって理解し記憶し発想する - 特別展「古代ギリシャ - 時空を越えた旅 -」(5)-
哲学者アリストテレスの業績がわかります。すでにもっている情報に類似な情報をむすびつけたときに理解や記憶が生じます。物事や情報の類似性から類推し発想します。
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本質を追求する - 問題解決の方法(9)-
問題解決の第3段階では本質を追求します。
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理想の未来を想像してから今をかんがえる - 日本科学未来館「未来逆算思考」-
想像や推理の方法を知る - 国立科学博物館「恐竜博 2016」(まとめ&リンク)-
ティラノサウルス(交差法で立体視ができます)
国立科学博物館で開催中の「恐竜博 2016」にいくと、恐竜の進化に関する展示・解説をみながら、想像や推理がどのようにすすめられているかを知ることができます。
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環境にも注目する - 国立科学博物館「恐竜博 2016」(6)-
図1 主体と環境とをセットにしてとらえる
生命とその進化は、主体だけでなく環境にも注目して主体と環境とをセットにしてかんがえると理解が一層すすみます。これは、人間をふくむあらゆる生命についていえることです。
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事実から想像する - 国立科学博物館「恐竜博 2016」(5)-
恐竜から鳥への進化を想像する - 国立科学博物館「恐竜博 2016」(4)-
断片をあつめて想像する - 国立科学博物館「恐竜博 2016」(3)-
恐竜の進化をとらえる - 国立科学博物館「恐竜博 2016」(1)-
東京・上野の国立科学博物館で「恐竜博 2016」(注)が開催されています。恐竜の進化に関する最新の仮説を標本をみながら理解することができます。
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1. 大観 → 2. 分析 → 3. 総合 - 認識の方法 -
〈1. 大観 → 2. 分析 → 3. 総合〉の3段階をふむと認識がふかまります。
たとえば目の前に象がいたとします。対象からある程度はなれて全体を見ればそれが象だと誰でもすぐにわかります。全体を見ることは大観とよんでもよいでしょう。
それに対してたとえば分子生物学者は、象の細胞をとりだしてくわしくしらべます。これは分析といえます。
それに対して、特定の地域のフィールドワークをしたり、地球の火山を集中的にしらべたり、地球の物質を研究したり、現地住民の暮らしをしらべたりするのは分析です。
そして世界各地に存在する断片的情報(データ)を集積・構築して地球の全体像や本質を考察するのは総合の方法です。
けっきょく、大観・分析・総合の方法は、それぞれの利点をいかしながら時と場合によってつかいわけていくのがよいでしょう。そのときに、まず対象を大観し、つぎに分析し、そして総合するという手順をふむと認識がふかまります(下図)。
認識がふかまるということは、情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)がすすむということであり、問題解決の道がひらけるということです。大観・分析・総合という3段階のそれぞれの段階の内部で情報処理をくりかえしておこなうようにします。問題解決とは情報処理の累積です。
たとえば目の前に象がいたとします。対象からある程度はなれて全体を見ればそれが象だと誰でもすぐにわかります。全体を見ることは大観とよんでもよいでしょう。
それに対してたとえば分子生物学者は、象の細胞をとりだしてくわしくしらべます。これは分析といえます。
もうひとつ別の方法があります。たとえば「群盲象を評す」というおしえがあります。
あるとき、目の不自由な人たち6人が象をさわりました。足をさわった人は「柱のようです」と言いました。尾をさわった人は「綱のようです」と言いました。鼻をさわった人は「木の枝のようです」と言いました。耳をさわった人は「扇のようです」と言いました。腹をさわった人は「壁のようです」と言いました。牙をさわった人は「パイプのようです」と言いました。
象のことなる部分をそれぞれにさわればたしかにこのように感じるとおもいます。
しかしこのままでは象の本当の姿はわかりません。そこでこれらの情報(データ)すべてを総合して、またそれぞれの部分の空間的な配置をとらえて象の姿(全体像)を想像することが必要になってきます。象の全体像がわかれば、象の部分を実はさわっていたのだということにも気がつきます。これは総合の方法です(注)。
このように何かを認識する基本的な方法として大観・分析・総合の3つの方法があります。
しかしこのままでは象の本当の姿はわかりません。そこでこれらの情報(データ)すべてを総合して、またそれぞれの部分の空間的な配置をとらえて象の姿(全体像)を想像することが必要になってきます。象の全体像がわかれば、象の部分を実はさわっていたのだということにも気がつきます。これは総合の方法です(注)。
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このように何かを認識する基本的な方法として大観・分析・総合の3つの方法があります。
ここでよく混同されるのが大観と総合です。
大観は、対象の全体を瞬間的に見る方法です。見ることができれば わかるわけです。それに対して総合は、断片的情報(データ)を集積・構築して「こうではあるまいか」と全体を想像する方法です。 両者はことなる方法ですので注意が必要です。
大観は、対象の全体を瞬間的に見る方法です。見ることができれば わかるわけです。それに対して総合は、断片的情報(データ)を集積・構築して「こうではあるまいか」と全体を想像する方法です。 両者はことなる方法ですので注意が必要です。
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たとえば地球を認識するとき、近年では、地球の全体を宇宙からとらえた画像やデータが簡単に手にはいります。このような情報をつかって地球の全体像を見るのは大観です。
それに対して、特定の地域のフィールドワークをしたり、地球の火山を集中的にしらべたり、地球の物質を研究したり、現地住民の暮らしをしらべたりするのは分析です。
そして世界各地に存在する断片的情報(データ)を集積・構築して地球の全体像や本質を考察するのは総合の方法です。
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けっきょく、大観・分析・総合の方法は、それぞれの利点をいかしながら時と場合によってつかいわけていくのがよいでしょう。そのときに、まず対象を大観し、つぎに分析し、そして総合するという手順をふむと認識がふかまります(下図)。
図 認識の3段階
認識がふかまるということは、情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)がすすむということであり、問題解決の道がひらけるということです。大観・分析・総合という3段階のそれぞれの段階の内部で情報処理をくりかえしておこなうようにします。問題解決とは情報処理の累積です。
▼ 注
「KJ法」とよばれる方法は総合の方法を技術化したものです。
居心地のよい場所に身をおく -「アイデアの生まれるところ」-
自分にとって居心地のよい場所に身をおくとあらたな情報処理がすすみアイデアが生まれやすくなります。
このように居場所はとても大事です。居場所を変えてみる。居心地のよい場所に身をおいてみるという方法はとても簡単なことですが、あらたな情報処理をすすめアイデアを生みだすために大きな効果がある方法といえるでしょう。
"Asahi Shinbun Degital &" で「アイデアの生まれるところ」という記事を特集していました。
デザイナーの人たち10数人に、「あなたにとって、アイデアの生まれるところはどこですか?」とインタビューしています。アイデア・着想・ヒント・イメージなどはどこで生まれているのか。一箇所にじっとして仕事をしているのではなく、「アイデアの生まれるところ」をデザイナーたちはそれぞれにもっているようです。
街を歩くのはここ2~3年の習慣で、コレクションに関わることを整理するため。(中略)情報があふれかえっている環境から距離を置き、街を歩きながら思考を巡らす中でアイデアを具現化していくことが多いんです。(木村晶彦さん)博物館で見聞するものは、服作りのアイデアにつながります。たとえば、葉っぱの形や葉脈の模様はテキスタイルのディテールに。動植物の造形的な部分は、服のフォルムに活かされることもあります。もうひとつ、重要なインスピレーションは色彩。(中略)植物の色や貝の色などの自然の色やグラデーションは美しく、魅力的ですね。(廣川玉枝さん)僕は自然豊かな岐阜県・高山市で生まれ育ちましたから、幼少期の原風景に似た環境に安堵(あんど)感を抱くのかもしれませんね。自然の中に身を置くことで、都会の喧噪(けんそう)や日々の活動から距離をとって、無心の状態で自分を見つめ直すことができます。(研壁宣男さん)この場所に自分を置くことで体感できる開放感や感動は、ものづくりの動機や原動力にもなります。東京のギャラリーの中でもこれだけ巨大で、なおかつモダンで何もない空間というのは他にあまりないですよね。独特な抜け感と空気感があって、気持ちさえも解き放してくれる自由な感覚があるけれど、白い壁の存在感にはそれを抑制するような絶妙な緊張感がある。(八木奈央さん、勝井北斗さん)パリから東京に戻ってきてすぐの頃ふらっと初めて科学博物館に来たとき、ふつふつとインスピレーションがわいてきたんです。自分のなかに蓄積しておけば、半年後か1年後、あるいはもっと何年も経ってから、コレクションのイメージのひとつとして浮上してくるかもしれない。この博物館に限らず、気になった場所には繰り返し行くことが多いんです。(堀内太郎さん)インターネットの普及によって、“場所”というものが意味を持たなくなっているような気がしますが、人のアイディンティティーとしての場所は絶対に取り替えられない。自分の身体で場から感じる多くのことは、いつもアイデアのヒントになりますね。(堀畑裕之さん、関口真希子さん)
このようにアイデアが生まれる特定の場所がそれぞれにあるようです。人がいればどこでもよいということではありません。
人を、情報処理をする存在としてとらえなおしたとき、情報は環境から人へインプットされ、人から環境へアプトプットされます。つまり情報処理は人間が単独でできるものではなく、人間と環境とがセットになってはじめて可能になります。情報処理は、人間と環境との "共同作業" といってもよいです(下図)。
図 情報処理のモデル
したがって場所を変えれば環境が変わり、インプットされる情報(刺激)も変わります。情報処理も普段とはちがったものになり、アウトプットもあたらしいものになります。
そうだとするならば、どのような場所に自分の身をおくかが重要になってきます。つまりは自分自身にとって居心地のよい場所に行けばよいのです。自然の中でも街中でも旅先でも、自分にとって居心地のよい場所は誰にでもあるとおもいます。もしなければこれからさがせばよいではないですか。
そのような居心地のよい場所にはもう一度 行ってみる。滞在してみる。そしてくりかえして何回も行くようにします。自分の生き方や自分の道をもっている人は自分の居場所をかならずもっているものです。居場所のある人は生きていきます。居場所がなくなると生きていくのが困難になります。
このように居場所はとても大事です。居場所を変えてみる。居心地のよい場所に身をおいてみるという方法はとても簡単なことですが、あらたな情報処理をすすめアイデアを生みだすために大きな効果がある方法といえるでしょう。
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