発想法 - 情報処理と問題解決 -

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タグ:ネパール

私が仕事をしているネパール・ヒマラヤにはマガールとよばれる農耕民族の村があり、その村の生活様式は各村内で完結する自給自足でしたが、1990年ごろから近代化・文明化の波がおしよせてきて貨幣経済が浸透、現金収入を得ることが重要な課題になってきました。マガール族は現在、みずからの伝統的な生活様式を基盤にしつつも、異質な外来文化を積極的にうけいれて重層文化をつくりつつあります。ここには重層化というやり方をみることができます。

一方で私は、タカリーとよばれる民族またチベット人とも仕事をしています。彼らはマガール族とは大きくちがい、伝統的に交易をおこなって生計をたててきました。つまり彼らは、貨幣経済の中で元々くらしており、近代化の波がおしよせてきても、彼らの生活様式は本質的には変わることはなく、これまでのやり方で自己発展的(自立的)に成長をつづけています。

このように、おなじネパール・ヒマラヤの民族でも、彼らの発展の仕方は民族によって大きくことなります。 結果的に、重層化を採用するマガール族は先進国からの国際援助をうけやすく、他方のタカリー族やチベット人は援助をうけなくても自分たちで自立・自律してやっていくという性格があらわれます。

DVD『ヒマラヤ動物紀行』(飯島正広)を見ました。

ネパール南部・亜熱帯のチトワン国立公園から、ソルクーンブ・エベレストの近く、そしてツルのヒマラヤ越え(アンナプルナ越え)と多様な動物をみていきます。それぞれの動物は環境に適応して生きています。環境がことなれば動物もことなるので、それぞれの動物は環境の指標にもなっています。動物を見れば環境がわかり、環境がわかると動物が見えてきます。

動物と環境とはセットにしてとらえなければなりません。動物-環境系が一つのシステム(体系)です。それがわかれば生命を高い次元でとらえなおすことができます。

ネパールで活動するあるNGOは、ネパール西部山岳地帯のディリチョールに立派な学校校舎を建設しました。すると、そのあたりで暮らしている多くの生徒たちが、ディリチョールの学校に是非かよいたいということになり、周辺部に元々あったいくつもの古い学校はいちじるしく衰退してしまいました。古い学校は校舎が悪く、みすぼらしく感じられるようになったからです。

ディリチョールに鉄筋コンクリートの立派な校舎が建ったために、それまでの古い校舎は相対的に劣化してしまったのです。古い学校は何もしなくても、ほかが高級になると相対的に悪くなってしまいます。これは、たとえば、皆が平等にくらしていた村において、何らかのインパクト(援助)によってごく一部の人がお金持ちになると、その他の村人たちは、何もしなくても相対的に貧しくなってしまうこととよく似ています。

変化は、自他の関係の中で相対的におこってくるものです。貧富の差、格差はこうして生じてしまいます。貧富の差、格差とは相対的なものであって絶対的なものではありません。すべては相対的に決まるのです。

貧しいからといって経済的発展や経済効果をすぐにねらっていく国際援助専門家が実に多いですが、かえって貧富の差を拡大してしまっています。私が所属するNGOネットワークでは、ネパールだけではなくタイでも同様なことがおこっていることを確認しています。

ものごとの格差は相対的にきまることをあらかじめ理解しておくことが必要です。


 
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