発想法 - 情報処理と問題解決 -

情報処理・学習・旅行・取材・立体視・環境保全・防災減災・問題解決などの方法をとりあげます

カテゴリ: 問題解決

オーディオビジュアルの年一度の祭典である「ハイエンドショウ東京 2011」にいってきました。

あるプログラムでは、同じ曲を、条件を変えて3回ききました。すると、1回目よりも2回目、2回目よりも3回目の方がよりよい音で聴こえました。ところが主催者によると、最初のものほど圧縮されていないハイファイサウンドであり、最後のものは iPhone などでつかわれている MP3(圧縮フォーマット)であるというのです。これはどういうことでしょうか。常識とはことなります。高価な装置、高解像度の音楽データをつかってもかならずしもよく聴こえないことになるのです。

主催者によると、「人間のメモリー効果で、同じ曲を何回か聴いていると後ほどよく聞こえるようになる」とのことです。したがって、最近はやってきた高解像度の音楽にとりくむときには注意が必要です。比較的安価なシステムでも、好きな曲を繰り返し聴くことによって音楽をたのしむことは十分に可能なのです。

次のプログラムでは、デジタル音源を伝送するデジタルケーブルを変えると音が変わるかどうかという実験をしました。デジタルデータですから伝送されるデータがケーブルによって劣化することはありません。しかし、おどろいたことに、USBケーブルを変えると音が変わってしまうのです。アナログケーブルでしたらよくあることですがこれは不思議です。

主催者によると、「伝送されるデジタルデータそのものがそこなわれることはないですが、時間軸方向での信号の揺らぎ が生じたり(ジッター)、信号のタイミングがずれて生じる周波数の低いノイズが発生したりすると(ビートノイズ)、デジタル信号をアナログに変えるときに悪影響がでてしまう」とのことです。したがって常識とはことなり、デジタルケーブルの選択は高音質化のために重要になってくるわけです。

今日は、常識をくつがえす2つの実験に参加し、いい体験をしました。

「NHK 100分 de 名著」(2011年9月)で、『ブッダ 真理のことば』(注)が紹介されました。これは、ブッダの言葉を短い詩の形にして423句あつめた『ダンマパダ』から要点をとりあげたものです。その構成は以下の通りです。

第1回:生きることは苦である
第2回:うらみから離れる
第3回:執着を捨てる
第4回:世界は空なり

『ダンマパダ』は、この世の事物には固定した本質はなく、永続的なあらわれは何一つないとことを「空にして無相」と説明しています。同様なことは、『スッタニパータ』でもとかれ、「ここに自分というものがあるという思いを取り除き、この世のものは空であると見よ」(スッタニパータ1119)とし、すべてのものごとに永遠の実体はないという真理をしめしています。

また、「釈迦の仏教」では、この世の出来事はすべて、原因と結果の峻厳な因果関係にもとづいてうごくと説明します。自分がなしたことの結果はかならず自分にかえってきます。人は、自分の行為に対して100%その責任を負わねばなりません。

「釈迦の仏教」は自己鍛錬システムとしての性格がつよく、自分の救済者は自分自身です。「空」を自覚し、自分をただしく制御するれば結果はかならずかえってくるとおしえています。


注:佐々木閑著『ブッダ 真理のことば』(NHK 100分 de 名著)NHK出版、2011.9.1
単行本:

kindle版:

人が情報を処理する際には3つの段階があり、第1はインプット、第2はプロセシング、第3はアウトプットとなります。

人の基本的な能力として「読み、書き、そろばん」が昔からありました。現代的にいえば「そろばん」は「計算」となり、これらを、(1)読み、(2)計算、(3)書き、という順序に入れかえてみると、それぞれ、インプット、プロセシング、アウトプットに相当します。つまり情報処理は、基本的に必要な能力として昔から教育されていたのです。

情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)を読書に対応させると「読む」→「理解する」→「役立てる」という3段階になります。アウトプットの本質は役立てることです。人は、役立てるために情報処理をするのです。


参考資料:新聞広告「SRS速読法とは」。

ロンダ・バーン著『ザ・パワー』には、「外からやってくるものはありません。全てのものは内側からやって来るのです」とあります。すべては自分自身の内側から表面にあらわれてくるのです。

「引き寄せ」の法則は自分自身にはたらく法則です。ここには自分しかいません。ほかの人はいません。すべては自分の心の中の出来事であるのです。ほかの人のことは自分のことです。どの人も自分の分身のようなものです。ほかの人を見ているのではなく、実は、自分自身の心の中を見ているのです。ほかの人・動物・草木・建物などから自分が感じたとおもった波動は、実は自分自身の波動であり、自分自身の周波数をしめしているのです。

すべてが常識とは逆だったのです。すべては、自分自身の心の中を見て感じているのだとわかったとき劇的な変化が起こりはじめます。同時に、壮大な「心の旅」がはじまります。ネガティブな波動はなくなり、すべての波動がポジティブであり、すべての波動が宇宙からのメッセージをつたえます。すべての出来事から意味が読みとれます。こうして「人生を創作する」仕事がはじまります。


注:ロンダ・バーン著『ザ・パワー』角川書店、2011.4.27。

計画立案技法の一つに「パート法」とよばれる方法があります。後日あらためて詳細は紹介しますが、この方法をつかうと仕事を直列的にではなく並列的にこなせるようになります。つまり並列処理ができるようになります。これは、時系列的な一次元の仕事を二次元・三次元へと図解化・空間化することによって可能になります。

一つの作業が終わらないと次の作業にすすめないという仕事もありますが、同時並行に(並列的に)すすめられる作業もたくさんあります。 

並列処理・空間化のツールとしては、iCalなどのウェブカレンダーも有用です。たとえば月間カレンダーを、縦横に仕切られたマトリックス(行列)としてとらえなおし、仕事を空間配置します。観点を変えて、時間の流れではなく空間的にとらえなおします。見方をかえるだけでも並列処理がやりやすくなります。並列処理こそが仕事や情報処理の基本です。

『ザ・シークレット』(注)の111ページには「事前に考えておくことがどれだけ重要か」と強調されています。つまり、未来のビジョンをあらかじめ明確にえがいておくことが重要です。

そしてそのうえで、現在を、よい気分になって生きる。すると、次々によい記憶が蓄積されてきます。これは、よくできた過去をつくっていく作業ともいえます。

つまり、(1)未来のビジョン→(2)現在を生きる→(3)記憶(過去)ができる、という順序です。すなわち、心の中では(1)未来 → (2)現在 → (3)過去、というように時間が流れます。これは物理的な時間とは正反対です。心は、未来から過去にむかって流れています。これは、普通の人々には受け入れがたいかもしれませんが、自分の心をそのように転換できたとき、あらたな次の段階にすすむことができます。さらに、自分の記憶を整理・再構築することも可能であり、もしこれができれば、心は改善され成長します。過去や記憶をすぎさってしまったこととしてとらえるのではなく、現在あるもの、現在の心の状態であるととらえなおすことが重要です。こうかんがえることができれば過去や記憶も改善できるのです。

その他、空白を埋めるように人や物・お金・情報があらわれることや、神話が、我を拡大する文明が出現する以前の、心と宇宙とが一体であった段階の様子をあらわしていることなど、非常に興味深いことがわかってきましたが、これらにつきましては後日あらためてほりさげたいとおもいます。


注: ロンダ=バーン著『ザ・シークレット』角川書店、2007.10.29。

DVDも、わかりやすくておもしろいです。

宇宙には、「引き寄せ」の法則が基本的にはたらいていると私はかんがえています。たとえば、自分に関係する人々もこの法則によってあつまってきたりはなれていったりしています。関係する人々がかなり入れかわってきたときにはこの法則が劇的にはたらいているとかんがえた方がよいです。

自分と周辺とは潜在意識のレベルではつながっていて、法則がはたらいているとしかおもえません。このような法則に関しては、自分が自覚する→自分をコントロールする→それを使う、という3つのレベルがあります。

寺田寅彦著『日本人の自然観』は大変すぐれた論文です。

日本人は無常をうけいれますが、西洋文明はうけいれません。また、「山車火宅」にはみんなが全員たすかる思想がありますが、「ノアの方舟」には選民思想があります。選民思想にはヒーロー(英雄)を生みだす素地があります。ヒーローを生みだしはしますが、犠牲者も生みだしてしまいます。

このよう観点にたつと、原子力発電所を建設した人は選民思想にたつヒーローだったのです。

何らかのプロジェクトを実施する場合、市民社会組織・政府機関・営利組織の三者が協力してプロジェクトを立ちあげて取り組んでいく時代になってきました。従来は、ひとつの既存の組織内でプロジェクトを立ちあげるというのが常識的でしたが、これからの時代は、固定された組織にとらわれない独創的で柔軟なプロジェクトがもとめられます。

ここでいう市民社会組織とはいわゆるNGO/NPOのことです。立ちあげるプロジェクトでは、プロジェクト・リーダーとプロジェクトチームメンバーを決め、実施期間、任期、ト目標などを明確にする必要があります。

110426Pr=Project
C=Civil Society Organization
G=Government (Governmental agency)
P=Profit Organization

川喜田二郎著『発想法』(中公新書、1967.06.26 発行)は発想法の原典として重要です。この著書で中核となるのは第三章の「発想をうながすKJ法」です。

人間がおこなう(人間主体の)情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点から現代的にこれをとらえなおすと、発想法とはよくできたアウトプットをだす方法です。そのために、フィールドワーク(外部探検)とKJ法が有用であり、フィールドワークにより内面に情報がとりこまれ(インプット)、KJ法により文章が書けます(アウトプット)。

KJ法では、「類似性の原理」をつかって図解をつくって文章化をすすめます。情報には、似ている情報があつまるという性質がそもそもあります。類は友をよぶといった感じです。類似(相似)に気がつくことが重要です。

なお、フィールドワーク(外部探検)のかわりに、過去にインプットされた情報をつかう「ブレーンストーミング」(内部探検)をおこなってもよいです。 


▼ 参考文献
川喜田二郎著『発想法』(中公新書)中央公論社、1967年6月26日 
同改版、2017年 

 

発想法とは仮説をうみだす方法であり、本ブログでは、フィールドワークによってえられた情報を処理し、仮説を発想し、問題を解決する方法をあつかいます。

情報処理とは、つぎの3場面からなり、情報処理をする存在として人間をとらえなおし(人間主体の情報処理)、よくできたアウトプットをめざします。

インプット → プロセシング → アウトプット

問題解決とは、情報処理を累積しながら課題にとりくみ問題を解決していくことであり、つぎの3段階を基本とし、それぞれの段階の内部で情報処理をくりかえします。

1. 大局 → 2. 局所 → 3. 本質

問題解決のポイントは大局をみて局所をせめるところにあります。


▼ 本サイトは下記に移転しました(2021.10.1)。
https://tanokura.net



プロフィール
T.TANOKURA:東北大学大学院理学研究科博士課程修了(地学専攻)。博士(理学)。KJ法本部・川喜田研究所、ネパール国立トリブバン大学理工学部、ネパールNGOネットワークなどをへて、ブロガー、ライター



「私、生まれも育ちも葛飾柴又です、帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んで、フーテンの寅と発します」

京成電鉄金町線・柴又駅の改札口をでると寅さんの銅像がむかえてくれる。寅さんは、ちょうどいま柴又を旅立つところだ。柴又をなつかしんでか、あるいは おいかけてきた妹さくらの声がきこえたのか、参道の方をふりかえっている。

寅さんにわかれをつげ、駅前から参道に入る。参道をすすんでいく。おもったよりもせまくてこぢんまりしている。まるで映画のセットのようだ。だんご屋がある。高木屋老舗、映画のなかのだんご屋とらや(のちにくるまや)のモデルになった店である。大勢の観光客が草だんごを買っている。

さらにすすんでいくと、うなぎ屋や土産物屋などのいろいろな店が立ちならんでいる。参道は雑然としていて決して洗練されておらず、庶民くささがのこっている。ここは庶民のふるさとだ。

さらにあるいていくと正面に豪壮な門が見えてくる。帝釈天の山門、二天門だ。「柴又帝釈天」と彫った大きな石碑が立っている。この寺の正式な名称は経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ)、日蓮宗の名刹である。寛永6年(1629)、日忠上人の草創とつたえられ、本尊は、日蓮上人自刻の帝釈天の板仏だという。

二天門をくぐると左手に大鐘楼が見える。源公がうつ鐘はいつもここから聞こえてくる。正面には帝釈堂が、右手には本堂がかまえている。たくさんの子供たちがあそんでいる。御前様が今にもあらわれそうな とてもなつかしい空間だ。ここはもう寅さんの世界そのものである。左手には「瑞龍の松」が横たわり見事な枝をひろげている。日蓮宗の僧・日栄がこの松の根元に霊泉がわく様子を見て、ここに庵をむすんだという。さらにその左には御神水がこんこんとわきでている。寅さんはこの御神水の産湯につかった。

帝釈堂の裏にまわると彫刻ギャラリーがある。法華経の物語を視覚的に再現している。回廊式のギャラリーを一周していくと、けやき材に奥深く刻み込まれた彫刻が見事な三次元空間をつくりだしている。まるで木に命がやどったかのように躍動感にみちあふれている。大正11(1922)年に名匠・加藤寅之助が一枚目を創作、すべて完成したのは昭和9(1934)年だったという。

帝釈堂の裏手には大庭園(遂渓園、すいけいえん)がひろがる。しずかな回廊式庭園である。庭園をのぞむ大客殿には、直径約30センチメートルで日本最大級という南天の木をつかった床柱がある。

柴又界隈でくりひろげられた『男はつらいよ』の数々の名場面をおもいだしながら、帝釈天をあとにし、寅さん記念館へむかう。帝釈天の裏手から江戸川の方へすすんでいくと、土手のわきの小山の地下に寅さん記念館がある。

入口を入ると とらや(のちのくるまや)がまっている。ここでは、とらやそのものの中に入ることができる。とらやに入ると草だんごを食べる客席があり、その奥には茶の間と土間があり、土間の右手には寅さんがいつも二階にのぼっていく階段がある。

寅さんはいつもこの店にかえってくる。ひさしぶりにかえってくると、何だか中に入りにくいが、今度こそは、とおもって足を踏みいれる。しかしやっぱりけんかをしてしまう。とらやの客席にすわってそんな光景をおもいだしながら、しばらく夢の中をただよっていく。寅さんの世界を外から見ているのではない。寅さんの世界の中に入りこんでしまう。映画の世界は空想の世界である。しかしその空想の世界に実際に入りこんだ現実がここにはある。これは空想なのか現実なのか。なんとも不思議な体験だ。

寅さんの世界は、『男はつらいよ』をくりかえし見ることによって私たちの心の中につくりだされてきたものである。それは、ながい年月をかけて私たちの心の中にイメージとして記憶されたもので、架空であり空想である。

わたしたちは通常は、どこかの物理的な空間をおとずれ、そこに入りこむことによって、様々なイメージや出来事を心の中に入力し記憶し、心の奥にそれを蓄積していく。つまり物理的空間が先にあって、それから心の中にその世界が形成される。

しかし今日はちがう。寅さんの世界は心の中にすでにできていた。そのすでに存在した心の中の世界に、物理的に入りこんだといった感じである。今回は、心が先にあり、実際の空間はあとになった。常識とは逆の体験をしたことになる。心の中に入りこむといった体験である。このようなことによって寅さんに関する理解が格段にすすんだ。これは、何とも不思議なフィールドワークである。

寅さん記念館をでて、江戸川の土手にのぼってみる。この川のほとりでも数々の出会いと別れがあった。とおくに「矢切の渡し」が見える。すこし肌寒くなってきた。そろそろ日が暮れようとしている。



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森アーツセンターギャラリー(東京、六本木ヒルズ森タワー52階)で、「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」が開催されている(注)。

本展は、一年に一度一カ国にだけ展示される、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の直筆ノート「レスター手稿」を日本初公開し、万能の天才がえがいた自然観・宇宙観を読みときながら、レオナルドののこした科学と芸術の足跡を最新のデジタルメディアを駆使した展示空間で再現するという企画である。

第一展示室に入ると、レオナルドの研究成果の概要が紹介されている。レオナルド・ダ・ヴィンチというと、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」といった絵画が有名なため、偉大な芸術家といったイメージがつよいが、レオナルドは芸術だけでなく、天文学・地球物理学・水力学・建築土木など科学技術者としても大きな業績をのこしている。

奥の部屋には、直筆ノート「レスター手稿」の概要が紹介されている。レオナルドは、自身の研究の記録を「手稿」とよばれる手帳やノートにのこしており、その数は3800枚、8000ページ以上にものぼる。ここに展示されている「レスター手稿」とは、そういった中の一部であり、長い間、英国の貴族レスター卿が所蔵していたためにこのようによばれる。現在は、アメリカ・マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長夫妻が所有する。

「レスター手稿」は、レオナルドの晩年、1505年、1507~1508年に書かれ、その後も加筆がおこなわれており、彼の研究の集大成として位置づけられている。また、そのすべてが「鏡面文字」で書かれており、鏡にうつすことでただしい文字として読めるようになっている。

第二展示室に入ると、「レスター手稿」全18枚、72ページの実物がすべて展示されている。保存状態を維持するために、室内は暗くされ、手稿をてらす照明も一定時間ごとに光量がおちるようになっている。1枚1枚バラバラに展示されているため、全ページを見ることができる。その紙葉は、1ページが縦29.5、横21.8センチメートル(ほぼA4版)であり、多くに、チューリップの花その他を型どった透かし模様がみとめられる。

手稿内で言及されている実験件数は905件、挿図は383図におよぶ。その内容は、天文、地球の内部構造、河川・湖水・海洋の水に関する観察の三分野からなっている。

天文では、太陽・地球・月の間の主として光に関する相互関係、すなわち、太陽光線による地球・月の間と光と影の問題などをとりあつかっている。第1紙葉表には、「地球から太陽までの距離を最初に証明し・・・地球の大きさを見つけたのは、私である事を記録する」という加筆がある。

地球の内部構造では、山頂からながれる水脈、また、丘陵から発掘される貝殻の問題などをあつかい、貝殻の化石は、旧約聖書の「ノアの洪水」によるものではなく、海底の隆起による現象として説明している。

河川・湖水・海洋の水に関しては、ながれる水とそこにおかれた障害物とがえがく渦巻きに注目し、障害物の大きさと形態による変化する水がえがく波紋などについてとりあつかい、堤防の構築、護岸工事の問題にまで言及している。

第三展示室では、レオナルドの工学的業績、年表、その他の手稿のファクシミリ版が展示されている。最後には、レオナルドが自然探求の成果をいかに絵画の中にとりいれたかについて映像で解説している。レオナルドは、自然の理を知らずに自然をえがくことはできないとし、「芸術は科学である」ととなえ、研究成果のすべてを芸術にいかした。たとえば、自然の観察は「モナ・リザ」の背景に、水の波紋の観察は「最後の晩餐」に。「最後の晩餐」では、イエス・キリストの声が、使徒たちとの晩餐の空間に同心円状に “波紋” をひろげていく(伝播していく)様子をえがいているという。

展示室を出るとミュージアム・ショップになっており、「レスター手稿」のすべてについて解説された図録、レオナルドの生誕地や「レスター手稿」・絵画などを収録したDVD、『ダ・ヴィンチ・コード』など、すでに出版されているレオナルドに関する著作などが販売されている。

このように今回の特別展では、「レスター手稿」の展示を中核にして、レオナルドの業績の概要が短時間でつかめるように工夫されている。

近代科学の祖は一般にガリレオ=ガリレイ(1564~1642)とされるが、レオナルドは、実験によって命題の真偽を実証し、現象を定量的にとらえようとした点においてガリレオの先駆けであり、近代科学の開拓者であったといえる。重要なことは、レオナルドが、自然現象を観察しながら自然の本質をとらえようとしたところにある。つまり、自然のうわべの現象だけを見るのではなく、その奥にかくされた原理や法則を解明しようとした。これは、自然や標本を記載し分類していただけの従来の博物学とはあきらかにことなるアプローチであり、ここに、博物学をのりこえ、近代科学へむかって第一歩をふみだしたレオナルドの足跡を見ることができる。そのような意味ではレオナルドは博物学者ではなく科学者だったのある。

また、レオナルドは地球を一つの天体とかんがえていた。レオナルドは、さまざまな分野に関する科学的研究を一本にまとめ、個々の分野が有機的なつながりをもった一つの世界像をえがきだそうとした。そして「芸術は科学である」とし、科学的研究の成果のすべてを芸術にいかした。つまり、レオナルドの分析的な科学研究は、人間と自然についてのグローバルな世界観の構築をめざしたものであったのである。そもそも、レオナルドが生きたルネサンス時代は、自然界すなわちこの世界に存在するありとあらゆる物について、人間が自分の目で観察し、自分の頭でかんがえることをはじめた時代であった。

こうして見てくると、レオナルドは、博物学をのりこえた近代科学の開拓者であると同時に、近代科学の先にあるグローバルな世界観を展望していたということがよくわかってくる。さらに、レオナルドの生涯を通して、博物学から近代科学をへて一つの世界観を構築するという、三段階の探求の方法や歴史が存在することを知ることもできる。

今日、レオナルドが晩年に「レスター手稿」を書いてから500年が経過した。この500年間の近代科学の進歩はいちじるしいものであった。そして人類は今、近代科学の成果をふまえてグローバルな世界観を構築しようとしている。私たちはまさに、「三段階」の過程をふみしめて進歩してきているのであり、ここに、現代において、レオナルドの業績を再認識する大きな価値をみとめることができる。


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▼ 注
レオナルド・ダ・ヴィンチ展:2005年11月13日まで、森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)

▼ 参考文献
裾分一弘・片桐頼継・A.ヴェッツォージ監修『レオナルド・ダ・ヴィンチ展』(図録)、TBSビジョン・毎日新聞社発行、2005年。


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