単純明快な世界モデルをつかって、ユーラシア大陸の文明について解説しています。
東と西のあいだ東の文化・西の文化文明の生態史観真文明世界地図 - 比較文明論へのさぐり生態史観からみた日本東南アジアの旅から - 文明の生態史観・つづきアラブ民族の命運東南アジアのインド「中洋」の国ぐにタイからネパールまで - 学問・芸術・宗教比較宗教論への方法論的おぼえがき
「東南アジアの旅から - 文明の生態史観・つづき」のなかに掲載されている模式図Aとその解説を引用しておきます。
全旧世界を、横長の長円であらわし、左右の端にちかいところで垂直線をひくと、その外側が第一地域で、その内側が第二地域である。第一地域の日本と西ヨーロッパは、はるか東西にはなれているにもかかわらず、その両者のたどった歴史の型は、ひじょうによくにている。両者の歴史のなかには、たくさんの平行現象をみとめることができる。旧世界の生態学的構造をみると、たいへんいちじるしいことは、大陸をななめによこぎって、東北から西南にはしる大乾燥地帯の存在である。第二地域のなかには、四つの大共同体 — あるいは世界、あるいは文明圏といってもよい — にわかれる。すなわち、(I)中国世界、(II)インド世界、(III)ロシア世界、(IV)地中海・イスラーム世界である。いずれも、巨大帝国とその周辺をとりまく衛星国という構造をもっている。
こんな簡単な図で世界の歴史がわかるのかとおもう人がいるかもしれませんが、これがわかるのです。著者が、ユーラシア大陸を模式図(モデル)としてあらわしてくれたために直観的に理解できるのであり、心のなかの言語領域ではなく視覚領域でとらえることができます。理解の仕組みについて注意する必要があります。このようなモデル(模式図)をおもいつけるのはさすがとしかいいようがありません。
そこで、この世界モデルをまずは記憶して、もっとくわしく知りたい部分があれば、地理書や歴史書にあたればよいです。モデルはつかうものです。こうすれば、大量の情報を目の前にしても臆することなく、情報のジャングルでまようこともありません。
■ 仮説の発想と検証
本書で著者は、各論文の前にくわしい解説を付しているので、研究・思考の過程が時系列でとらえられます。
1955年、パキスタンおよびインドを旅行し、比較文明論への目をひらかれました。1年後(1956年)に「文明の生態史観」を書きました(仮説を発想しました)。1957年11月〜翌年4月、東南アジアを旅行し、「文明の生態史観」における東南アジアの位置づけをしました。1961年すえ、東南アジアからインド亜大陸を旅行し、さらにデータをあつめました。日本に帰国しているときは、研究会で検討したり、資料・文献にあたりました。
以上によると、著者は、1956年に仮説を発想したことになります。
調査(情報収集)には、仮説発想のための調査と、仮説検証のための調査の二種類があります。
仮説発想のためには、課題を明確にし、固定観念にとらわれずに、幅広く情報をあつめます。一方、仮説検証のためには、推論をし、目標を明確にして、仮説を補強するデータをあつめます。仮説を補強するデータがあつまれば仮説の確からしさは高まり、仮説を否定するデータがあつまった場合は仮説を立てなおします。両者で、調査の姿勢は大きくことなり、両者の方法をつかいわけることがポイントです。膨大な情報を相手にするときの方法として参考になります。
ところで、著者の生態学を基礎とした生態史的研究方法は、川喜田二郎がもちいた方法とおなじです。梅棹忠夫と川喜田二郎はともに自然学者・今西錦司の弟子であり、二人とも、京都大学の今西研究グループのメンバーでしたのでそうなったのでしょう。
文献:梅棹忠夫著『文明の生態史観』(中公文庫)中央公論社、1974年9月10日