『素朴と文明』第三部では、現代は漂流していることを指摘し、文明の問題点をあきらかにしたうえで、その解決の鍵は「創造」と「参画」にあることをのべています。
第三部の目次はつぎのとおりです。
第三部 地図と針路1 文明の岐路2 カギは創造性と参画にある
第三部の要点を書きだしてみます。
現代は漂流しているのである。その現代が荒海を航海するには、まずもって地図を試作しなければならない。文明はもともと素朴から生まれてきたものだ。それなのに、その文明は素朴を食い殺しつつあり、それによって文明自体が亡ぶ。そういう危惧が多分にあるということである。私の意味する生態史的パターンでは、高度に洗練された精神文化や社会制度までそれに含めているのである。例えばアジアの前近代的文明においても、これらの文明を文明たらしめている中核には、ぶ厚い伝統をなして流れている「生きる姿勢」の伝統がある。これはまた「創造の姿勢」につながっているのだ。それは、特に高等宗教に象徴化されて現れてくる。解決の鍵は「創造」にあると思う。第一段階 渾沌。第二段階 主客の分離と矛盾葛藤。第三段階 本然(ほんねん)。これはひとつの問題解決のプロセスなのであるが、それはまた私が強調してきた創造のプロセスでもある。今日の最大の災厄は、自然と人間の間に断層が深まり、同時に伝統と近代化の間に断層の深まりつつあることなのである。これを乗りこえ、調和の道へと逆転させるしか活路はない。そうしてその鍵は「創造性」を踏まえた「参画」に存すると確信する。
以上を踏まえ、以下に、わたしの考察をくわえたいとおもいます。
1.生態系とは〔人間-文化-環境〕系のことである
著者は、文化の発展段階をとらえるために生態史的アプローチを採用しています。生態史の基盤となるのは生態系であり、それは、主体である人間と、人間をとりまく自然環境とからなっているシステムのことです(図1)。
図1 人間-自然環境系
このシステムにおいて、人間と自然環境とは、やりとりをしながら相互に影響しあい、両者の相互作用のなかから文化(生活様式)を生みだします。この文化には、人間と自然環境とを媒介する役割が基本的にあり、文化は、自然環境と人間の境界領域に発達し、その結果、人間-文化-自然環境系が生まれます(図2)。
図2 人間-文化-自然環境系
2.文化には構造がある
この 人間-文化-自然環境系における文化をこまかくみていくと、文化には、技術的側面、産業的側面、制度的側面、精神的側面が存在し、これらが文化の構造をつくりあげます(図3)。
図3 文化の構造
図3において、技術的な文化は自然環境に直接し、精神的な文化は人間に直接しています。自然環境にちかいほどハードな文化であり、人間にちかいほどソフトな文化ともいえます。
文化のそれぞれの側面が発達するにつれて、たとえばつぎのような専門家が生まれてきます。
技術的側面:技術者など
産業的側面:経営者など
制度的側面:政治家など
精神的側面:宗教者など
3.現代の文化は、グローバル社会をめざして発展している
著者が発想した「文化発展の三段階二コース」説とはつぎのとおりでした。
〔素朴文化〕→〔亜文明あるいは重層文化〕→〔前近代的文明→近代化〕
この説において、「亜文明」とはいいかえれば都市国家の時代のことであり、「前近代的文明」とは領土国家の時代のことです。したがってつぎのように整理することもできます。
〔素朴社会〕→〔都市国家の時代〕→〔領土国家の時代〕
そして、現在進行している「近代化」とはいいかえればグローバル化のことであり、領土国家の時代からグローバル社会の時代へと移行しつつある過程のことです。
〔素朴社会〕→〔都市国家〕→〔領土国家〕→〔グローバル社会〕
つまり現代は、領土国家の時代からグローバル社会の時代へ移行する過渡期にあたっているわけです。
なお、都市国家の時代から領土国家の時代へ移行したことにより都市が消滅したわけではなく、領土国家は都市を内包しています。それと同様に、グローバル社会に移行しても領土国家が消滅するということではなく、グローバル社会は領土国家を内包します。ただし国境は、今よりもはるかに弱い存在になります。
以上を総合すると、次の世界史モデルをイメージすることができます。
図4 世界史モデル
4.文化は、ハードからソフトへむかって変革する
上記の発展段階(文化史)において、前の段階から次の段階へ移行するとき、大局的にみると、まず「技術革命」がおこり、つづいて産業の変革、そして社会制度の変革、精神文化の変革へとすすみます。つまり文化は、ハードからソフトへむかって順次変革していきます(図3)。
たとえば、都市国家の時代から領土国家の時代に移行したときは、鉄器革命という技術革命からはじまり、産業の変革、社会制度の変革へとすすみ、最終的に、精神文化の変革により いわゆる高等宗教が出現・発達しました。
この「ハードからソフトへ文化は変革する」という仮説を採用した場合、グローバル社会へとむかう現代の変革(グローバル化)の道筋はどのように類推できるでしょうか。
それはまず工業化が先行しました。その後、いま現在は情報化がすすんでいて、情報技術がいちじるしく発達、つまり情報技術革命が伸展しています。それにともなって産業の変革・再編がおこっています。しかし、法整備などの社会制度の変革はそれにまだおいついておらず、これから急速に整備されていくものとかんがえられます。
そして、変革の最後にはあらたな精神文化の構築がおこると予想されます。グローバル社会の精神文化は、領土国家の時代の いわゆる高等宗教の応用で対応できるといったものではなく、人類がはじめて経験するグローバル文明に適応する、あたらしい精神文化がもとめられてくるでしょう。
5.生きがいをもとめて - 創造と参画 -
あたらしい精神文化の構築において「創造」と「参画」が鍵になると著者はのべています。
グローバル化の重要な柱が高度情報化であることを踏まえると、創造とは、すぐれた情報処理ができるようになることであり、よくできたアウトプットがだせるようになることです。そのためには、人間は情報処理をする存在であるととらえなおし、人間そのものの情報処理能力を開発することがもとめられます。
また、参画とは社会に参画することであり、社会の役にたつこと、社会のニーズにこたえる存在になることです。具体的には、お金をもらうことを目的としないボランティア活動などがこれにあたります。
情報処理能力の開発とボランティア活動は、近年急速に人々のあいだにひろまりつつある現象です。
したがって、第一に、みずからの情報処理能力を高め、第二に、自分の得意分野で社会の役にたつことが重要であり、これらによって、生きがいも得られるということになります。そこには、解き放たれた ありのままの自分になりたいという願望がふくまれています。
このように、来たるグローバル社会では、精神文化としては生きがいがもとめられるようになり、「生きがいの文化」ともいえる文化が成立してくるでしょう。これは価値観の転換を意味します。
領土国家の時代は、領土あるいは領域の拡大を目的にしていたので、そこでは、戦いに勝つ、勝つことを目的にする、生き残りをかけるといったことを基軸にした「戦いの文化」がありました。たとえば、国境紛争、経済戦争、受験戦争、自分との戦い、コンクールで勝つ、戦略が重要だ、成功体験・・・
しかし、来たるグローバル社会の文化は、領土国家の時代のそれとはちがい、原理が根本的にことなります。
情報処理能力を高めるためには、まず、自分の本当にすきな分野、心底興味のある分野の学習からはじめることが重要です。すると、すきな分野はおのずと得意分野になります。そして、その得意分野で社会の役にたつ、ニーズにこたえることをかんがえていくのがよいでしょう。
文献:川喜田二郎著『素朴と文明』(講談社学術文庫)講談社、1989年4月10日