著名な小説家・村上春樹さんと、世界的な指揮者・小澤征爾さんが自由にかたりあった、ロング・インタビューの記録です。

目次はつぎのとおりです。

第一回 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番をめぐって
インターリュード1 レコード・マニアについて

第二回 カーネギー・ホールのブラームス
インターリュード2 文章と音楽の関係

第三回 1960年代に起こったこと
インターリュード3 ユージン・オーマンディのタクト

第四回 グスタフ・マーラーの音楽をめぐって
インターリュード4 シカゴ・ブルーズから森進一まで

第五回 オペラは楽しい

スイスの小さな町で

第六回 「決まった教え方があるわけじゃありません。その場その場で考えながらやっているんです」

印象にのこった言葉を書きだしてみます。

村上「僕も同じように、早朝の四時頃に起きて、一人きりで集中して仕事をする。キーボードを無心に叩く。小澤さんが集中して楽譜を読んでいるのと同じ時間に、僕の場合は文章を書いている」

小澤「細かいところが多少合わなくてもしょうがないということです。太い、長い一本の線が何より大切なんです。それがつまりディレクションということ」

小澤「音を分離するっていうのかな、音の中身が聞こえるようにするわけです。というのが今の風潮じゃないですかね」
村上「室内楽に近づいている」

小澤「レコードのジャケットがどうとか、そういうところじゃなくて、しっかり中身を聴いている。そういうところが、話をしていて、僕としては面白かったわけなんです」

村上「ショーンベルクは『音楽とは音ではなくて、観念だ』というようなことを言っているが、普通の人間にはなかなかそういう聴き方はできない。そういう聴き方ができるということは、もちろんうらやましくはある。だから小澤さんは僕に『スコアを読めるように勉強したら』と勧める」

村上「僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。
 リズムのない文章を書く人には、文章化としての資質はあまりないと思う。
 僕はジャズが好きだから、そうやってしっかりとリズムを作っておいて、そこにコードを載っけて、そこからインプロヴィゼーションを始めるんです。自由に即興をしていくわけです。音楽を作るのと同じ要領で文章を書いています」

村上「マーラー自身作曲家=指示する人であり、指揮者=解釈する人であったわけだから、そのへんの兼ね合いは本人にとっても背反的だったのかもしれない」

小澤「斎藤先生が昔、僕らに良いことを言ってくれました。お前たちは今は白紙の状態だ。だからよその国に行ったら、そこの伝統をうまく吸収することができるだろう。その国に行ったら、そこの良い伝統だけを取り入れなさい。もしそれができたら、日本人だって、アジア人だって、ちゃんと分があるぞ、と」

村上「楽器の演奏技術だけじゃなくて、譜面を精密に読み込む能力みたいなものもやはり進歩したわけですか」
小澤「していると思いますね」


お二人はともに早朝に集中して仕事をしているそうですが、情報処理( インプット→プロセシング→アウトプット )の観点からお二人の仕事を整理してみると、村上さん(小説家)が「キーボードを叩く」(文章を書く)というのは、情報のアウトプットをしていることであり、小澤さんが「楽譜を読んでいる」というのは、情報のインプットをしていることで、お二人がやっていることはことなります。

村上さん(小説家)の仕事はつぎのとおりです。

〔インプット〕→〔プロセシング〕→〔アウトプット〕
素材を得る → 編集する → 小説(文章)を書く

一方の小澤さん(指揮者・演奏家)の仕事はつぎのとおりです。
 
楽譜を読む → 解釈する → 演奏する

小澤さんの仕事には、作曲家が書いた楽譜が必要であり、指揮者・演奏家の前には作曲家がかならず存在します。その作曲家の仕事はつぎのとおりです。

素材を得る → 編集する → 楽譜を書く

音楽という芸術は、〔作曲家→指揮者・演奏家〕という情報処理(仕事)の連携があってはじめ成立します。これは、情報処理を一人でを完結させることができる小説家とはことなります。情報処理を一人で完結させることができるという点では、小説家は音楽家とはちがい、画家や彫刻家と似ています。

ここに、音楽という芸術の特殊性、時間性を見ることができます。

指揮者や演奏家は、作曲家がアウトプットした楽譜を、みずからの心のなかにインプットして(読みこんで)、演奏という形態でアウトプットしています。音楽では、このような情報処理の連携プレーがおこっているのです

ほかの人がおこなった情報処理の結果を読みこんで、あらたな情報処理をおこなうということは、ほかの分野でもよくおこなわれています。たとえば先人の業績を勉強して、その結果をさらに成長させることは可能です。

小澤さんがのべているように、音楽の演奏は、時代とともに変化し向上します。楽譜はまったく同じであるのに、楽譜を読む能力と演奏技術が向上するために、実際に演奏される音楽は時代とともにどんどん成長していくのです。本書により、小澤さんとともに、音楽がどのように成長してきたのかを具体的にたどることができます。

このように情報処理は時間(時代)とともに成長するのであり、ここに情報の創造ともいうべき過程を見ることができます。〔作曲家→指揮者→演奏家〕の連携プレーはこのためのモデルとしてとても参考になります。


文献:小澤征爾・村上春樹著『小澤征爾さんと、音楽について話をする』新潮社、2011年11月30日


参考CD:

単行本: