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十一面観音菩薩立像
(東京芸術大学による模刻、平成館休憩室に展示)
(平行法で立体視ができます)
自然信仰がありました。仏教と融合しました。東洋の文化は重層文化です。
特別展「国宝 聖林寺十一面観音 -三輪山信仰のみほとけ-」が東京国立博物館で開催されています(注)。

三輪山(みわやま)を御神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)にかつてあった大神寺(おおみわでら、鎌倉時代以降は大御輪寺(だいごりんじ))に安置されていた天平彫刻の名品「国宝 十一面観音菩薩立像」(現在は聖林寺蔵)がはじめて奈良県をはなれ東京におでましになりました。おなじく大神神社にかつてはまつられていた地蔵菩薩立像・日光菩薩立像・月光菩薩立像と約150年ぶりに再会しました。



三輪山の位置


大神神社の位置


聖林寺の位置



十一面観音菩薩立像(奈良時代、8世紀、聖林寺)
大神神社の境内にあった大御輪寺にもともとはまつられていました。江戸時代末までは、神社に仏がまつられるのはめずらしいことではなく、神社と密接に関係する寺院のおおくは神宮寺(じんぐうじ)とよばれ、大御輪寺も神宮寺のひとつでした。しかし明治元年(1868)に、明治政府の神仏分離政策により十一面観音菩薩立像は聖林寺にうつされました。本像は、8世紀後半にもちいられた「木心乾漆造り」(もくしんかんしつづくり)という技法でおもにつくられ、木心乾漆造りとは、木を心にして、木屎漆(こくそうるし)という漆と木粉の練り物で形をつくる技法であり、肉身の微妙な起伏や衣の写実的表現に適しています。ひきしまった頬、張りのある胸や腰の肉取り、ゆったりとした曲線による写実的な衣の表現などが本像のおおきな特徴です。

地蔵菩薩立像(平安時代、9世紀、法隆寺)
大神神社にかつてあった大御輪寺には十一面観音菩薩立像が本尊としてまつられ、その左右に、不動明王坐像と地蔵菩薩立像が配されていました。明治元年の神仏分離政策により聖林寺にうつされ、その後さらに法隆寺にうつされました。一木彫像の代表作のひとつであり、おおぶりな目鼻を配した面幅がひろい顔立ちは平安時代初期の密教彫刻に通じます。

日光菩薩立像・月光菩薩立像(平安時代、10〜11世紀、正暦寺)
明治元年の神仏分離により、奈良市菩提山町の正暦寺へ大御輪寺からうつされ、現在は、本堂の本尊・薬師如来像の両脇侍として安置されています。日光菩薩立像はケヤキ材の一木造りで、月光菩薩立像はヒノキ材の一木造りであり、両像ともに、たかい宝冠や、胸から腹にかけてほそくしぼり、つよく腰をひねる姿勢、量感のある下半身など、平安時代の様相がみられます。

三輪山絵図(室町時代、16世紀、大神神社)
大神神社の西から東にむかって上空からみおろすような景観を大画面にえがいています。御神体である三輪山を画面上部に配し、その手前には大神神社、むかって左(北)には檜原神社、右(南)には、神宮寺の平等寺を配し、鳥居を基点にのびる三筋の参道がこれらの寺社までいたり、中央の参道左手には、神宮寺の大御輪寺がおおきく伽藍をかまえます。神仏習合時代の様子がよくわかります。

仏像断片(大神神社)
大神神社の神宮寺であった大御輪寺は神仏分離によって廃絶し、その本堂は、大神神社の若宮である大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)に変更されました。その天井裏から仏像の断片が発見され、かつての仏教寺院がしのばれます。大御輪寺はもともとは奈良時代に創建された大神寺(おおみわでら)でしたが鎌倉時代に大御輪寺に寺名があらためられました。

大国主大神立像(おおくにぬしおおかみりゅうぞう、平安時代、12世紀、大神神社)
仏教の大黒天の姿ながら大国主大神として信仰されてきた像です。『古事記』によると、大国主大神が国造りをしているときに大物主大神があらわれ、大和をかこむ山々の東の山(三輪山)に国造りをたすけるために自身をまつらせたといいます。すなわち三輪山を御神体とする大神神社にとって、大国主大神は、大物主大神を三輪山にまつり、大神神社の創建にふかくかかわった重要な存在です。大物主大神は大黒天の姿であらわされることがあり、これは、大国と大黒の音通によるためとかんがえられています。

大般若経(平安時代、12世紀、大神神社)
三輪山絵図には、神社拝殿の北東に「大般若経蔵」がえがかれています。明治の神仏分離に際し『大般若経』はいったん大神神社をはなれましたがのちに奉納され、現在にいたっています。

五輪塔墨描枌(ごりんとうぼくびょうへぎ、鎌倉〜南北朝時代、13〜14世紀、大神神社)
枌(へぎ)とは木をうすくそいだいだものをいい、五輪塔がこれに墨でえがかれています。五輪塔は、舎利をおさめる仏塔の一種であり、自然界を構成する五大要素、下から方形は地輪、球形は水輪、宝形屋根形は火輪、半球形は風輪、宝珠形は空輪をあらわします。

子持勾玉(こもちまがたま、三輪山から出土、古墳時代、5〜6世紀、大神神社)
勾玉は、古代日本における代表的な装身具であり、C字形をし、一端によせて懸垂のための孔をあけるのが共通する特徴です。子持勾玉は、本体となる親玉のまわりにちいさな子玉が複数とりつくように配列し、玉が玉をうむかのようなさまから魂の再生・増殖にかかわる祭具であるとかんがえられます。三輪山山麓では、4世紀後半頃から祭祀遺跡が目だつようになります。








三輪山は、奈良盆地の東南部に位置する円錐形のうつくしい山です。日本人は古来から、自然に畏敬の念をいだき、山や岩・滝・樹木などに神がやどるとかんがえ信仰してきました。三輪山もその代表的な例であり、大神神社には、神をまつる本殿はなく、三輪山を御神体として礼拝します。自然そのものを崇拝する原初的な信仰がここにみられます。

三輪山には、人々がはいることができない禁足地があり、古代の祭祀をものがたる子持勾玉や酒にもちいる器具のちいさな土製模型などが出土しており、ふるくから信仰があったことがわかります。

三輪山を御神体とする大神神社(の拝殿)とその奥の禁足地とのあいだには鳥居と瑞垣(みずがき)が結界としてもうけられ、その鳥居は、一列に3つくみあわせた独特の形式で「三ツ鳥居」といい、中央には扉がつけられています。

三輪山の祭祀に関連して注目されるのが三輪山の北西にある纏向遺跡(まきむくいせき)です。これは、古墳時代前期(2世紀末〜4世紀)にかけての奈良盆地最大の遺跡で、ヤマト政権の成立にかかわる重要な遺跡であり、纏向遺跡の遺物の一部に三輪山の祭祀遺物と共通するものがふくまれることから、三輪山で祭祀がおこなわれる以前におなじ祭祀が纏向遺跡でおこなわれていた可能性が指摘できます。纒向遺跡の箸中地区には、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないかという仮説がある箸墓古墳(はしはかこふん)もあり、このあたりは、日本の古代をしるうえで興味ぶかいたいへん重要な地域です。

日本各地の自然信仰は当初は、儀式のたびに祭祀の場がもうけられていたようですが、しだいにそれが固定化し、常設の施設があらわれ、そして神をまつる社殿がたてられます。日本における神社の成立は7世紀後半であり、それには、6世紀半ばに伝来した仏教の寺院の影響があったとかんがえられます。そして有力な神社には仏教寺院が付随して造営されるようになり、神社の境内でありながら仏教の儀礼がおこなわれ、このような寺は神宮寺とよばれ、大神神社にも、大神寺(のちの大御輪寺)が神宮寺として建立され、十一面観音菩薩立像がまつられ、神と仏は密接な関係をもつようになります。

8世紀には、神が仏に帰依するという仏が優位な関係がみられますが、9世紀以降は神を神としてみとめ、神宮寺は、神のために経をよみ法要をする、つまり仏教的な方法で神をまつる場となります。そのご平安時代後期になると、神は仏のもうひとつの姿であるとかんがえる本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)があらわれ、本来の姿である仏がそれぞれの神にきめられます。三輪山の神は大日如来が本来の姿とおされ、こうして神と仏は習合しました。

しかし時代はくだり、明治元年、神仏分離・廃仏毀釈の政策を明治政府がとり、神宮寺は廃絶、仏像は移動させられたり廃棄されたりします。十一面観音菩薩立像など、大神神社に安置されていた仏像は聖林寺などの周辺の寺々にうつされました。十一面観音菩薩立像を安置していた大御輪寺は大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)となり現在にいたっています。

ところが東京国立博物館の特別展会場にいくと、三輪山の巨大な写真の前に大神神社の三ツ鳥居が再現され、十一面観音菩薩立像・地蔵菩薩立像・日光菩薩立像・月光菩薩立像など、大神神社にかつてまつられていた仏像が一堂に会し、神仏習合が体験できるではないですか。これが本来の姿です。

実際、境内に神をまつる寺院と仏像をまつる神社が日本各地にいまでもあり、また七福神信仰が全国的にさかんなことをみても、庶民の心のなかには神仏習合がいまも息づいていることがわかります。

そもそもわたしが神仏習合に興味をもったのは、ネパールにいって、たくさんのヒンドゥー教徒とであってからです。南アジアでは、ふるくはバラモン教があり、そのご仏教がおこり、そしてバラモン教が仏教をとりこんで(バラモン教と仏教が融合して)ヒンドゥー教がうまれました。この過程は、日本の神仏習合ととてもよく似ています。

このような宗教は、西洋〜中東の一神教とはことなり、西洋〜中東の尺度ではとても理解できません。西洋と東洋では、精神文化のパターンがあきらかにことなります。「日本人には宗教がない」、「西洋は一神教、東洋は多神教」などという “単純思考” からも脱却しなければなりません。東洋では、唯一神や人格神を信仰するのではなく、神仏習合から生命力信仰が発展しました。ふるいもののうえにあたらしいものがかさなり融合してあらたな精神文化がうまれました。東洋の文化は重層文化だといってよいでしょう。

重層文化は、東洋を理解するうえでとても重要な観点(仮説)です。今回の特別展は、このような歴史と文化を追体験し、論理的にもとらえなおすことができるとても貴重な機会です。



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▼ 注
特別展「国宝 聖林寺十一面観音 -三輪山信仰のみほとけ-」
展覧会公式サイト(特設サイト)
会場:東京国立博物館・本館1階 特別5室
会期:2021年6月22日~9月12日
※ 会場内の撮影は許可されていません。


▼ 参考サイト
大神神社(おおみわじんじゃ)
大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)
聖林寺(しょうりんじ)
桜井市纒向学研究センター(纒向遺跡について)
桜井市観光協会公式ホームページ
箸墓古墳(邪馬台国の女王・卑弥呼の墓?)


▼ 参考文献
東京国立博物館他編『国宝 聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ』(図録)、読売新聞社、2021年


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