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東京国立近代美術館
(交差法で立体視ができます)
インプットから情報処理がはじまります。インプットから独創がうまれます。環境と調和します。
隈研吾展(新しい公共性をつくるためのネコの5原則)が東京国立近代美術館で開催されています(注)。世界各国に点在する隈作品のなかから公共性の高い68件の建築を、隈がかんがえる5原則「孔」「粒子」「斜め」「やわらかい」「時間」に分類して、建築模型や写真やモックアップ(部分の原寸模型)により紹介しています。

ステレオ写真は交差法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



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国立競技場
(東京都新宿区)



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国立競技場
(東京都新宿区)



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浅草文化観光センター
(東京都台東区)



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梼原(ゆすはら)木橋ミュージアム
(高知県高岡郡梼原町)



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雲の上の図書館とYURURIゆすはら
(高知県高岡郡梼原町)



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スターバックスコーヒー
太宰府天満宮表参道店

(福岡県太宰府市)



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800年後の方丈庵
(京都市左京区)



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高輪ゲートウェイ駅
(東京都港区)



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オドゥンパザル近代美術館
(トルコ、エスキシェヒル)



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中国美術学院民芸博物館
(中華人民共和国、杭州市)



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明治神宮ミュージアム
(東京都渋谷区)



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CLT PARK HARUMI
(東京都中央区、パヴィリオン)



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MURASAKI PENGUIN PROJECT
(神奈川横浜市戸塚区)








2020年の東京オリンピックのためのあたらしい国立競技場の設計者は当初はザハ=ハディッド(1950-2016)でした。


バブル直前の1983年に行われた、「香港ピーク」の国際コンペで、(中略)彼女は一躍、世界の建築界のライジングスターとなり、その造型力は国際コンペで圧倒的な強さを誇った。その流れで、東京の新国立競技場も、彼女のモニュメンタルな形態が選ばれたのである。

その案が、外苑の森の環境と不調和であるとして、(中略)日本の建築家の批判の標的とされ、最終的には当初の予算の倍以上の建設費となることが問題とされて、ザハ案はキャンセルとなり、第二回のコンペが行われたのである。

その再コンペで、僕らは、木を使って、森との調和を最優先する案を提出し、選択された。そのコンペの作業中、僕はザハの「勝つ建築」のかわりに、いかに外苑の森にどう負けるかだけを考えた。
(隈研吾著『負ける建築』より)


ここに、「勝つ建築」から「負ける建築」への転換を具体的にみることができます。

隈研吾さんは、自己主張をするのではなく、周囲の風景にとけこみ、環境に「負ける」建築を提案しています。「えばった建築」が勝つ建築であるのに対し、負ける建築とは「えばっていない建築」であり、それは、その土地の環境や文化にとけこむヒューマンスケールのやさしいやわらかいデザインであり、またコンクリートや鉄にかわり木などをふんだんにつかった工業化社会後のあたらしい建築です。

それを実現するためには現場に何度も足をはこび、先入観をもたずに現場の「声」をききます。すべてが現場からスタートします。たとえば光。夕方にかけて光がどう変化するか、写真ではわからないことが現場にいくとわかります。あるいは匂い。木の匂いや紙の匂い、畳の匂い。現場にいかないとわかりません。またそこでくらす人々のなかから、その場所や文化のヒントといったさまざまなものをくみとります。

さらに現場の制約もそのままうけいれます。制約にも「負ける」ことが大事です。こうしてすべてをうけいれます。

「負ける」という作業を通じてその土地の力をうまくひきだすことでその建築は力づよいものになります。そうではなく、スタイルを最初からきめてそれをおしつけるというやり方は、みた目は堂々とした感じがするかもしれませんがひとりよがりでもろい建築になり、おしつけたものをおいているだけですから人々もよろこびません。

土地や人間をふくめて、その場所には「現実の力」があるのであり、それを感じとりデザインすることが大事です。そのために、地元の木材をつかうことがしばしばあります。


負けることで強くなる、というのが大事なんです。

自分が想像もしていなかったものが最終的に出来上がることもあるんですよ。そういうときが、ある意味では一番楽しい。「あっ、僕ってこんなことができたんだ」と思ったりしてしてね。
(『プロフェッショナル 仕事の流儀 隈研吾 建築家 “負ける”ことから独創が生まれる』より)


このようにして「負ける」ことから独創がうまれます。「コンクリート」から「木」へ、時代は転換します。








このような「負ける」ということを、人間主体の情報処理(インプット→プロセシング→アウトプット)の観点からとらえなおしてみると、それは、現場にいって事実をインプットすることだといってよいでしょう。たとえば光をみる、匂いをかぐ、人々から話をきく、これらすべてが、感覚器官をつかって現場の情報を内面にインプットすることであり、インプットができればプロセシングがすすみ、アウトプットができます。すべてが現場からスタートするということは、あらゆる情報処理はインプットからはじまるということです(図1)。


210712 負ける建築
図1 情報処理のモデル


そして独創・創造とは、ごく平たくいえばよくできたアウトプットをすることであり、環境からのインプットができていれば、それは、環境と調和したものにおのずとなります。

またさまざまな制約も情報処理の過程でおりこんでいくと現場に根ざしたアウトプットにつながり、それは、たったひとつの「正解」にたどりつくことだともいえます。環境や制約のなかにこそ可能性があるのであり、おもいもよらなかった独創・創造がそこからうまれます。

「負ける」というと、「負け組」や「人生失格」を連想してなさけないとおもう人がいるかもしれませんがそうではなく、それはインプットすることであり、情報処理をすすめることです。そしてこのようなことが重視されるようになったところにも工業社会から情報産業社会へ時代が転換したことがあらわれています。隈研吾さんの作品をじっくりみる(インプットする)意義もここにあります。




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▼ 注
隈研吾展 -新しい公共性をつくるためのネコの5原則-
会場:東京国立近代美術館
会期:2021年6月18日~9月26日
※ 作品の一部は撮影が許可されています。




▼ 参考文献
隈研吾著『負ける建築』(岩波現代文庫)岩波書店、2019年
茂木健一郎・NHK「プロフェッショナル」制作班編集『プロフェッショナル 仕事の流儀 隈研吾 建築家 “負ける”ことから独創が生まれる』(Kindle版)NHK出版、2013年
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