密集してくらす人々に感染症がひろがります。交易の発展と人々の移動が感染を拡大します。格差社会は脆弱です。
帝国の転覆と文明の変化を病原体がもたらした歴史について『日経サイエンス』(2021年6月号)が解説しています(注)。


生物学者と考古学者が協力して当時の遺骨や歯から古代のDNAを採取して調べる研究が進み,この長年の論争を解決できるようになった。歯に残っていたのはペスト菌のDNAで,インフルエンザウイルスのものではなかった。このペスト菌株の由来を時間をさかのぼって追跡した結果,起源はエジプトではなく中国西部で,ユーラシアステップの高地草原を通ってヨーロッパに至ったことがわかった。


西暦541年、ユスティニアヌス1世は、ゴート族とヴァンダル族との長年の戦いの末に東ローマ帝国の統治権をひろげ、地中海をほぼ包囲する版図をきずいていました。しかし謎めいた疫病がひろがり、首都コンスタンティノープルにもそれがおよび、罹病者は高熱をだし、わきの下と鼠径部がはれていたみ、譫妄状態におおくがおちいりました。歴史家プロコピウスは、1日に1万人が死んだ日もあったとのべました。その後、何年にもわたって帝国には疫病の傷跡がのこり、おおくの領土で支配力をうしない、統治の維持にくるしみました。

この災厄の正体は何だったのか? 科学者たちの論争は現代までつづきましたが、最近、当時の遺骨や歯から DNA を採取して分析することが可能になり、それはペスト菌であり、その起源は中国西部であったことがあきらかになりました。さらにこの病原体の DNA は、移動するにつれて変化し、別種の宿主に感染してひろまり、破壊の手をひろげたこともわかりました。



1347~1351年にヨーロッパの人口の30%以上を殺した中世のパンデミックの原因が実際にペスト菌だったことが,数十年にわたる推測の後についに確認された。


2011年、ポイナーらは、ロンドン黒死病埋葬地で発掘した歯からペスト菌のゲノム概要を新技術をつかって再構成する研究をおこないました。さらにこの菌株の毒性はとくにつよかったわけではなく、それにもかかわらず死者数がおおかったのは、衛生状態が劣悪なまま急拡大した大都市ロンドンにクマネズミが爆発的にふえ、まずしい人々のあいだにペスト菌が一気にひろまったためだったこともわかりました。



2015年,ユーラシアステップ各地の遺骨から抽出した101人分の古代人ゲノムのデータによって,青銅器時代初期のヤムナ文化の人々が約5000年前にステップから移動してヨーロッパの新石器文化の農耕民に取って代わったことが確認された。(中略)

遺骨の約7%で,歯のなかにペスト菌のDNAの痕跡が残っていた。


いくつかの考古学的証拠は、ヤムナの人々がヨーロッパに到着したころにヨーロッパ全土で農耕民の集団的消滅がおこっていたことをしめしていました。この原因のひとつが、ヨーロッパにヤムナ人がもちこんだペスト菌だったとかんがえられます。ヤムナ人は免疫をもっていましたがヨーロッパ人はもっていませんでした。このことが、ヨーロッパの歴史の筋道をかえ、ヨーロッパの言語をかえました。現代のヨーロッパ人は、遺伝的には、ユーラシアステップの人々の末裔です。



1521年の最初の征服の後,アステカ人集団は史上最大級のパンデミックによって壊滅的打撃を受けた。最初のスペイン人上陸の8年後にメキシコに着いたフランシスコ会修道士デ・サアグンが書き残した文書によると,この感染症で先住民の80%が死亡した。


ヨーロッパ人が新世界に最初にいたった際にも病原体が現地に衝撃をもたたしました。現在のメキシコを中心にひろがっていたアステカ帝国は16世紀はじめにスペインのちいさな分遣隊に侵略され崩壊しました。「ココリツトリ」と現地語でよばれた疫病の正体は謎のままでしたが、2018年、クラウゼらが、ココリツトリ時代の集団墓地で発見された DNA を採取し、おもい腸疾患をひきおこす「サルモネラ・パラチフスC菌」の存在を試料の過半数に確認しました。スペイン人征服者たちが、食物や水とともに、あるいはニワトリやブタ・ウシ・ネズミなどとともに大西洋横断船にのせてはこんできました。

これら以外にも、最近の古 DNA 研究は、らい菌や結核菌・B型肝炎ウイルス・パルボウイルスなど、おおくの近代の病原体がはびこるようになった時期を特定し、それは、人類が定住生活をはじめた時期にあたることをつきとめました。

文明が発達するにつれ集落そして都市が発達し、とおくはなれた集落や都市とつながるようになり、人間のいくところには病原体も同行しました。「世界スケールでの疫病の交換」を長距離交易はうながしました。

たとえば古代のB型肝炎ウイルスとペスト菌のゲノムの分布は青銅器時代と鉄器時代の記録にみられる人間の移動ルートをたどっています。あるいは結核菌は、ローマ時代の貿易船の乗組員やシルクロードぞいの中継点にあつまった商人たちによってはこばれました。

また病原体は、いくつもの動物の宿主を利用することがおおく、ある動物と人間が関係をふかめると感染することも DNA データがしめします。たとえば英国に現存するキタリス(ネズミ目リス科)集団のひとつは中世のらい菌(ハンセン病の病原体)をいまだに保有しており、この菌株は、バイキングの毛皮商人によって英国にもちこまれたとかんがえられます。同様に、人間に感染している結核菌のひとつがアザラシによって南米にはこばれたことが数千年前のペルーの遺骨からあきらかになりました。






近年の DNA 分析の成果はめざましく、長年つづいた論争につぎつぎに決着をつけています。古代の人骨から DNA を抽出し分析できるようになったことで歴史書のおおきな空白がうまりつつあります。細菌とウイルスとの遭遇によって人間の歴史がどのようにかわったかがあきらかになってきました。

東ローマ帝国の衰退だけでなく、黒死病の起源やアステカ帝国の崩壊に関する理解もふかまりました。青銅器時代に、ヨーロッパへ大勢の人々がアジアから移動する道がひらかれた証拠もみつかり、それらの人々が、技術と文化にくわえて病原体もヨーロッパにもちこみ、その影響は現在でもみられます。

このような多数のデータから何が帰納されるでしょうか。感染症に関するする共通したパターンがうかびあがります。

  • 交易の発展と人々の移動が感染を拡大する。
  • 人々が密集してくらす所で感染がひろがり死者がふえる。
  • その病原体にさらされた経験がない(免疫レベルがひくい)集団にすばやくひろがる。
  • 社会の周辺的な地位においやられたまずしい人々にすばやくひろがる。

このように、限定されたある地域にとどまっていた病原体は人間の移動にともなって拡散し、集落や都市など、人口密度がたかい場所で猛威をふるいます。その病原体に対して免疫がない人々や社会的弱者はひとたまりもありません。今日の新型コロナウイルス「SARS-CoV-2」も同様です。

交易の発展、人々の長距離移動、都市の発達、貧富の差(格差社会)などは文明の発展とともにあらわれた現象であり文明そのものであり、このような文明とともに感染症も出現し拡大しました。すなわち感染症は「文明病」といってもよいでしょう。

今後、文明がさらに発展すれば、病原体にとって有利な条件がさらにととのいます。感染症はますますひろがりやすくなります。歴史は拡大します。




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▼ 注:参考文献
J.P.クローズ「DNAが明かす疫病史 ペスト流行とローマの興亡」pp.56-61, 日経サイエンス, 600(2021年6月号)
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