縄文時代早期、約8300年前の埋葬人骨が多数出土しました。定住化への途上にありました。マメの利用がはじまっていました。
企画展「縄文早期の居家以(いやい)人骨と岩陰遺跡 - 居家以プロジェクトの研究成果 -」が國學院大學博物館で開催されています(注)。
ステレオ写真は平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -
居家以岩陰遺跡の位置
縄文時代早期の装身具
(約11300-7200年前)
(123:ヤスリツノガイ製ビーズ(化石)、124:骨製ビーズ、125:イモガイ類製ビーズ、126:ツノガイ類製ビーズ、127:ヤカドツノガイ製ビーズ)
居家以岩陰遺跡からは、縄文時代から弥生時代にわたるさまざまな時期の土器が出土しています。なかでも縄文時代早期のものがもっともおおく、約3000点出土しており、とくに、縄文早期中葉の「押型文土器」・「沈線文土器」、縄文早期後葉の「条痕文土器」がおおいです。押型文土器は、彫刻した丸棒をころがして山形・楕円などの文様をつけた土器、沈線文土器は、棒や櫛歯で文様をえがいた土器、条痕文土器は、放射肋をもつ貝殻で器面を調整した土器です。これらの土器群は、遺跡の年代指標であると同時に、上信越地域における土器文化の地域性をしめします。
また生活のなかでつかわれた石器も数おおく出土し、とくに、狩猟用の石鏃が約400点ともっともおおく、動物の解体のためにつかわれたとおもわれるスクレイパー類もおおくみられます。くわえて、縄文時代早期特有の礫石器であり、皮なめしや堅果類の脱穀にもちいられたとかんがえられる特殊磨石も出土しています。
これら以外にも、貝製・骨製・石製の装身具やサメの歯の加工品がみつかっています。もっともおおいのは貝製・骨製のビーズであり、200点以上が出土しています。とくに、12号人骨の墓坑からは88点と多数が確認され、埋葬時に身につけていた装飾品とかんがえられます。
縄文時代早期には、数おおくの個体がつぎつぎと密集して埋葬されたことがこれまでの発掘調査であきらかになりました。2019年までに確認された出土人骨の個体数は20体以上にのぼり、これらのうちの11個体を対象におこなった放射性炭素年代測定によると、人骨の時期は縄文時代早期後葉(約8000〜8700年前)と縄文時代前期前半(約6500〜6800年前)、前者が8個体、後者が3個体であり、縄文時代早期〜前期に居家以岩陰が埋葬地として利用されていたことがわかりました。
人骨の出土状況も興味ぶかく、腰部で遺体を切断した例や、骨の向き・解剖学的位置が二次的に改変された例がふくまれ、特異な埋葬法が当時はありました。
整理・復元がおわった6体についてみると、4号と15号人骨は未成人(思春期前後)であり、その他の4個体は成人ながらわかくして死んだ(20歳前後〜30歳代)とかんがえられます。縄文早期人は早死であった可能性が指摘されています。
形態は、これまでにしられている縄文時代早期の人骨、とくに、山間部の早期人によくにており、頭蓋は、脳のはいる部分(脳頭蓋)がおおきく、上からみるとやや前後にながく、顔は、横幅がひろく上下にひくく、眼窩の輪郭は四角ばっています。下顎も幅がひろく上下にひくく、下顎枝(側頭筋、咬筋の付着する部位)の幅がひろいです。
歯冠サイズも縄文的な特徴をしめし、弥生人と比較して縄文人は小臼歯がちいさく第1大臼歯がおおきいです。
歯は、年齢の割につよくすりへっており、歯がすりへりやすい食べ物をたべたり、かたいものをわったり、歯のエナメル質を破損する行為がありました。たとえば皮をなめす、糸をつむぐなど、歯を道具としてつかう特殊な摩擦が歯をすりへらしただけでなく、左右顎関節にかかる力が不均衡になって顎関節症もひきおこしました。
また10号・12号の2個体の下肢骨には骨膜炎の症状がみられ、さまざまな種類の細菌感染や骨への過重負荷があったと推定されます。
居家以岩陰の緩斜面では、縄文時代早期中頃の押型文期(約10000年前)に形成された人為的な灰層の堆積が確認されており、当時の生活廃棄物にふくまれる植物種子や動物骨が回収されています。
出土した炭化種実は、オニグルミとクリーコナラ属がおおく、これらが主要な食料としてつかわれていたとかんがえられます。またマタタビ属とエノキ属は食用として、キハダは食用・香辛料・薬用として、ミズキは油脂として利用されていた可能性がたかく、草本では、ヒエ属とアズキ亜属も出土しています。
出土した土器の表面や断面には、土器づくりの際に粘土にまざった種実の痕跡がくぼみ(圧痕)としてのこっており、縄文時代早期の土器には、マメ類のダイズ属やアズキ亜属、ベリー類のブドウ属などが、縄文時代前期前半の土器には、シソ属やベリー類のニワトコなどがみいだされ、これらはいずれも食用です。
動物遺存体は、9割が哺乳類と鳥類であり、ニホンジカが主体でイノシシやキジ科もおおく、新鮮なときに打撃をうけたことで螺旋状にわれている骨がおおいことから骨髄食もさかんであったと推察されます。ニホンジカやイノシシの骨は食用後に道具(骨角器)としても利用されました。なお貝やサメの歯は海産(海浜地域からの搬入品)であり、居家以人は海浜部との広域ネットワークをもっていたとかんがえられます。
以上のように、居家以岩陰遺跡には、土器や石器などの遺物とともに、大量の灰と動物骨・植物種子などの生活廃棄物ものこされていることから、狩猟採集生活のベースキャンプとしてここが利用されていたのではないだろうかという仮説がたてられます。
また埋葬人骨の発掘から、縄文時代早期〜前期に岩陰内が墓地としてつかわれ、人骨の出土状態から特異な埋葬法が当時は存在したことがわかりました。当時の人々は、道具として歯や顎を酷使し、骨への過重負荷や感染症もあり、早死(30代?)だったようです。また出土物と人骨の分析から、陸上の哺乳類がおもなタンパク源だったとかんがえられます。
灰層は、居家以岩陰の緩斜面に約10000〜9000年前に人為的に堆積したものであり、この時期に人の活動が活発であったことをしめします。
約10000前は、最終氷期がおわり、地球温暖化が急激にすすみつつある時期であり、このような環境変動にともなって人々の活動も活発になりました。地球の自然環境は、温暖な間氷期と寒冷な氷期が約10万年の周期でくりかえしています。
出土した炭化種実や土器にのこされた植物の痕跡からは、イヌビエ・アズキ・ダイズの野生種などがみつかり、これらは、のちの栽培化につながる食糧資源として注目されます。
このように居家以人は、縄文時代早期の頃、急速に温暖化する自然環境のなかで、この地をベースキャンプにして狩猟採集生活を発展させました。狩猟採集生活といっても半定住であり、定住化への途上にあったといえます。
当時は、定住生活(狩猟栽培生活)へむかって段階的にすすんでいく時代であり、実際、さらに時代がくだって縄文時代中期〜後晩期になると、三内丸山遺跡(青森県)などにみられるように定住生活が一般化します。
こうして縄文時代早期は、定住化が徐々に進行し、縄文文化が確立していった時代ではないかという仮説が提案できます。縄文時代早期のほかの遺跡でもこの仮説がなりたつのかどうか今後検証していきます。
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▼ 注1
企画展「縄文早期の居家以人骨と岩陰遺跡―居家以プロジェクトの研究成果―」
会場:國學院大學博物館
会期:2021年3月4日~5月8日
▼ 注2
cal BP = calibrated years Before Present
▼ 参考文献
『縄文早期の居家以人骨と岩陰遺跡 - 居家以プロジェクトの研究成果 -』(企画展解説パンフレット)國學院大學博物館、2021年3月4日
ステレオ写真は平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -
会場入口
居家以岩陰遺跡の位置
縄文時代早期の装身具
(約11300-7200年前)
(123:ヤスリツノガイ製ビーズ(化石)、124:骨製ビーズ、125:イモガイ類製ビーズ、126:ツノガイ類製ビーズ、127:ヤカドツノガイ製ビーズ)
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居家以岩陰遺跡からは、縄文時代から弥生時代にわたるさまざまな時期の土器が出土しています。なかでも縄文時代早期のものがもっともおおく、約3000点出土しており、とくに、縄文早期中葉の「押型文土器」・「沈線文土器」、縄文早期後葉の「条痕文土器」がおおいです。押型文土器は、彫刻した丸棒をころがして山形・楕円などの文様をつけた土器、沈線文土器は、棒や櫛歯で文様をえがいた土器、条痕文土器は、放射肋をもつ貝殻で器面を調整した土器です。これらの土器群は、遺跡の年代指標であると同時に、上信越地域における土器文化の地域性をしめします。
また生活のなかでつかわれた石器も数おおく出土し、とくに、狩猟用の石鏃が約400点ともっともおおく、動物の解体のためにつかわれたとおもわれるスクレイパー類もおおくみられます。くわえて、縄文時代早期特有の礫石器であり、皮なめしや堅果類の脱穀にもちいられたとかんがえられる特殊磨石も出土しています。
これら以外にも、貝製・骨製・石製の装身具やサメの歯の加工品がみつかっています。もっともおおいのは貝製・骨製のビーズであり、200点以上が出土しています。とくに、12号人骨の墓坑からは88点と多数が確認され、埋葬時に身につけていた装飾品とかんがえられます。
縄文時代早期には、数おおくの個体がつぎつぎと密集して埋葬されたことがこれまでの発掘調査であきらかになりました。2019年までに確認された出土人骨の個体数は20体以上にのぼり、これらのうちの11個体を対象におこなった放射性炭素年代測定によると、人骨の時期は縄文時代早期後葉(約8000〜8700年前)と縄文時代前期前半(約6500〜6800年前)、前者が8個体、後者が3個体であり、縄文時代早期〜前期に居家以岩陰が埋葬地として利用されていたことがわかりました。
人骨の出土状況も興味ぶかく、腰部で遺体を切断した例や、骨の向き・解剖学的位置が二次的に改変された例がふくまれ、特異な埋葬法が当時はありました。
整理・復元がおわった6体についてみると、4号と15号人骨は未成人(思春期前後)であり、その他の4個体は成人ながらわかくして死んだ(20歳前後〜30歳代)とかんがえられます。縄文早期人は早死であった可能性が指摘されています。
形態は、これまでにしられている縄文時代早期の人骨、とくに、山間部の早期人によくにており、頭蓋は、脳のはいる部分(脳頭蓋)がおおきく、上からみるとやや前後にながく、顔は、横幅がひろく上下にひくく、眼窩の輪郭は四角ばっています。下顎も幅がひろく上下にひくく、下顎枝(側頭筋、咬筋の付着する部位)の幅がひろいです。
歯冠サイズも縄文的な特徴をしめし、弥生人と比較して縄文人は小臼歯がちいさく第1大臼歯がおおきいです。
歯は、年齢の割につよくすりへっており、歯がすりへりやすい食べ物をたべたり、かたいものをわったり、歯のエナメル質を破損する行為がありました。たとえば皮をなめす、糸をつむぐなど、歯を道具としてつかう特殊な摩擦が歯をすりへらしただけでなく、左右顎関節にかかる力が不均衡になって顎関節症もひきおこしました。
また10号・12号の2個体の下肢骨には骨膜炎の症状がみられ、さまざまな種類の細菌感染や骨への過重負荷があったと推定されます。
居家以岩陰の緩斜面では、縄文時代早期中頃の押型文期(約10000年前)に形成された人為的な灰層の堆積が確認されており、当時の生活廃棄物にふくまれる植物種子や動物骨が回収されています。
出土した炭化種実は、オニグルミとクリーコナラ属がおおく、これらが主要な食料としてつかわれていたとかんがえられます。またマタタビ属とエノキ属は食用として、キハダは食用・香辛料・薬用として、ミズキは油脂として利用されていた可能性がたかく、草本では、ヒエ属とアズキ亜属も出土しています。
出土した土器の表面や断面には、土器づくりの際に粘土にまざった種実の痕跡がくぼみ(圧痕)としてのこっており、縄文時代早期の土器には、マメ類のダイズ属やアズキ亜属、ベリー類のブドウ属などが、縄文時代前期前半の土器には、シソ属やベリー類のニワトコなどがみいだされ、これらはいずれも食用です。
動物遺存体は、9割が哺乳類と鳥類であり、ニホンジカが主体でイノシシやキジ科もおおく、新鮮なときに打撃をうけたことで螺旋状にわれている骨がおおいことから骨髄食もさかんであったと推察されます。ニホンジカやイノシシの骨は食用後に道具(骨角器)としても利用されました。なお貝やサメの歯は海産(海浜地域からの搬入品)であり、居家以人は海浜部との広域ネットワークをもっていたとかんがえられます。
以上のように、居家以岩陰遺跡には、土器や石器などの遺物とともに、大量の灰と動物骨・植物種子などの生活廃棄物ものこされていることから、狩猟採集生活のベースキャンプとしてここが利用されていたのではないだろうかという仮説がたてられます。
また埋葬人骨の発掘から、縄文時代早期〜前期に岩陰内が墓地としてつかわれ、人骨の出土状態から特異な埋葬法が当時は存在したことがわかりました。当時の人々は、道具として歯や顎を酷使し、骨への過重負荷や感染症もあり、早死(30代?)だったようです。また出土物と人骨の分析から、陸上の哺乳類がおもなタンパク源だったとかんがえられます。
灰層は、居家以岩陰の緩斜面に約10000〜9000年前に人為的に堆積したものであり、この時期に人の活動が活発であったことをしめします。
約10000前は、最終氷期がおわり、地球温暖化が急激にすすみつつある時期であり、このような環境変動にともなって人々の活動も活発になりました。地球の自然環境は、温暖な間氷期と寒冷な氷期が約10万年の周期でくりかえしています。
出土した炭化種実や土器にのこされた植物の痕跡からは、イヌビエ・アズキ・ダイズの野生種などがみつかり、これらは、のちの栽培化につながる食糧資源として注目されます。
このように居家以人は、縄文時代早期の頃、急速に温暖化する自然環境のなかで、この地をベースキャンプにして狩猟採集生活を発展させました。狩猟採集生活といっても半定住であり、定住化への途上にあったといえます。
当時は、定住生活(狩猟栽培生活)へむかって段階的にすすんでいく時代であり、実際、さらに時代がくだって縄文時代中期〜後晩期になると、三内丸山遺跡(青森県)などにみられるように定住生活が一般化します。
こうして縄文時代早期は、定住化が徐々に進行し、縄文文化が確立していった時代ではないかという仮説が提案できます。縄文時代早期のほかの遺跡でもこの仮説がなりたつのかどうか今後検証していきます。
▼ 関連記事
縄文人の精神性をよみとる - 特別展「火焔型土器のデザインと機能」(國學院大學博物館)(1)-
シンボルだけでなく文化圏もとらえる - 特別展「火焔型土器のデザインと機能」(國學院大學博物館)(2)-
物に執着しない - 特別展「火焔型土器のデザインと機能」(國學院大學博物館)(3)-
3D 三内丸山遺跡
歴史がかきかえられる - 三内丸山遺跡の発掘と保存 -
いのちがもえる - 特別展「縄文 ― 1万年の美の鼓動」(東京国立博物館)(1)-
特別展「縄文―1万年の美の鼓動」(東京国立博物館)(まとめ)
縄文時代に里山がすでにあった - 岡村道雄『縄文の列島文化』-
〈縄文人-半自然-自然環境〉システム -『ここまでわかった! 縄文人の植物利用』-
縄文の土偶や土器をみる - 譽田亜紀子『ときめく縄文図鑑』-
引いて見よ、寄って見よ、名を付けよ -『DOGU 縄文図鑑でめぐる旅』(東京国立博物館)-
いのちのシステム - 企画展「いのちの交歓 -残酷なロマンティスム-」(國學院大學博物館)-
森の文明と循環の思想 - 梅原猛『縄文の神秘』-
▼ 注1
企画展「縄文早期の居家以人骨と岩陰遺跡―居家以プロジェクトの研究成果―」
会場:國學院大學博物館
会期:2021年3月4日~5月8日
▼ 注2
cal BP = calibrated years Before Present
▼ 参考文献
『縄文早期の居家以人骨と岩陰遺跡 - 居家以プロジェクトの研究成果 -』(企画展解説パンフレット)國學院大學博物館、2021年3月4日