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岩手県釜石市立鵜住居小学校の「時計」
(平行法で立体視ができます)
歴史的な大災害となりました。自然の物理的観測には限界があります。自然史の長大なスケール感を身につけます。
企画展「東日本大震災から10年 - あの日からの地震研究 -」が国立科学博物館で開催されています(注)。2011年3月11日14時48分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。この地震は日本の観測史上最大規模の地震であり、つよい揺れのほか、巨大津波を発生させ、原子力発電所の事故もひきおこし、きわめて甚大な被害をもたらしました。

ステレオ写真は平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



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仙台平野から見つかった津波堆積物



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海底地震津波観測装置



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津波フラッグ
(耳が不自由な人などにも津波襲来をつたえることができる)






1990年代におこなわれた地質調査(堆積物の調査)により、東北地方の太平洋沿岸にある水田の地下に砂の層が発見され、それは、869(貞観11)年におきた「貞観地震(じょうがんじしん)」による津波によってはこばれたものではないかという仮説がたてられました。貞観地震は古文書に記録があり、すでにしられていましたがその実態はよくわかっていませんでした。

東日本大震災をきっかけにしてこの地層(堆積物)をくわしくしらべたところ、この砂の層は、貞観地震の津波ではこばれたものであることが実証され、そのときの津波の浸水範囲もあきらかになりました。またさらにふるい層もしらべたところ、貞観地震や東日本大震災の地震のときに匹敵する巨大津波が約500年間隔で襲来していたこともわかりました。企画展会場では、現地の実際の地層と津波堆積物の断面をみることができます。

貞観津波については、宇多天皇の勅命によって平安時代に編纂された『日本三代実録』に陸奥国府(現在の宮城県多賀城市)をおそったときの様子が記録されています。


五月二十六日癸未の日、陸奥国で大地震が起きた。(空を)流れる光が(夜を)昼のように照らし、人々は叫び声を挙げて身を伏せ、立っていることができなかった。ある者は(倒壊)家屋の下敷きとなって圧死し、ある者は地割れに飲み込まれた。驚いた牛や馬は奔走したり互いに踏みつけ合うなどし、城(多賀城)や数知れないほどの倉庫・門櫓・障壁などが崩れ落ちた。雷鳴のような海鳴りが聞こえて潮が湧き上がり、川が逆流し、海嘯(津波の意)が長く連なって押し寄せ、たちまち城下に達した。内陸部まで果てもしれないほど水浸しとなり、野原も道も大海原となった。船で逃げたり山に避難することができずに千人ほどが溺れ死に、後には田畑も人々の財産も、ほとんど何も残らなかった。(意訳)
(出典:『最新地震津波総覧』)


またつぎの和歌がよまれています。


君をおきて あだし心を わかもたば すゑの松山 浪もこえなむ
意訳:あなたを差しおいて、他の人に心を移すようなことがもしあったとしたら、波が超えるはずがないといわれている末の松山をさえ、波が越すことでしょう。
(出典:『古今和歌集 巻二十 東歌』)


宮城県多賀城市八幡に「末の松山」という丘があり、この和歌から、貞観津波は、この丘のふもとまでは到達しましたがこの丘はこえなかったのではないかという仮説がたてられます。貞観津波の浸水範囲を推定するために「末の松山」が重要です。



末の松山の位置


そして時代はくだり、江戸時代初期の1611(慶長十六)年にも、東北地方の太平洋沿岸を津波がおそい、おおきな被害があったことが記録されています。仙台平野にある「浪分神社」付近(現在の仙台市若林区)まで津波がおしよせ、その付近で津波が二つにわかれ、そのご水がひいた場所だという言い伝えがあります。



浪分神社の位置


明治以降になると、甚大な被害をあたえた津波として「明治三陸津波」(1986年)、「昭和三陸津波」(1933年)、「1960年チリ地震」があります。

このように、東北地方の太平洋沿岸の集落にはくりかえし津波がおそってきていたので、津波の被害や教訓を後世にかたりつぐための記念碑が数おおくたてられ、それらは「津波石」ともよばれます。東日本大震災よりもまえにのこされていた津波石は317ヵ所にあり、津波の前兆現象や避難方法、被害の様子などがきざまれています。


高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな

明治廿九年にも昭和八年にも津浪は此処まで来て部落は全滅し
生存者僅かに前に二人後に四人のみ
幾年経るとも要心おせ
(宮古市重茂姉吉地区の大津浪記念碑)



大津浪記念碑(宮古市重茂姉吉)


そして2011年3月11日14時46分、宮城県牡鹿半島東南東約130kmでマグニチュード9.0(日本観測史上最大)の地震が発生、宮城県栗原市築館町では震度7、宮城・福島・茨城・栃木のひろい範囲で震度6を観測し、北海道・東北・関東地方の太平洋沿岸を巨大な津波がおそいました。津波は、最大浸水高は18.3m(岩手県釜石市両石湾)、最大遡上高は40.1m(岩手県大船渡市綾里湾)であり、最大遡上高は、明治三陸津波で観測されたそれまででもっともたかかった38.2mを上まわるものでした。東日本大震災の死者・行方不明者は約2万2200人(関連死をふくむ)、家屋損壊は100万戸以上、被害額は約17兆円にのぼります。

この地震では、それまでにはなかった緊急地震速報が発表されましたが、発表された地震の規模よりもかなりおおきな地震が実際にはおこりました。また地震発生から3分以内に津波警報も発表されましたが、予想よりもはるかにたかい津波が実際にはおしよせました。このようなまちがった発表が人々を油断させ、被害を拡大してしまいました。

このようなあやまちをくりかえさないために、地震・津波をつねに観測するための装置が東日本の太平洋沖の海底に設置され、これによって、これまでよりも最大30秒ほど地震の発生をはやくしることができ、津波も、最大20分ほどはやく正確に観測できるとされます。

地震計と津波計を一体にしたこの観測装置は150ヵ所に設置されて光ケーブルでつながれ、その全長は約5500kmにもおよび、「日本海溝海底地震津波観測網」を形成しています。海底での世界初の大規模な観測網です。

しかしこれは地震の発生日時を事前に予知するしくみではなく、地震が発生してから速報を発表するためのものであり、あまりあてになりません。地震予知はできないことを地震学者も政府もすでにみとめています。観測と計算は絶対的なものではなく、緊急速報はまたはずれる可能性があります。日本列島、いつでもどこでも地震がおこりえます。自分の身は自分でまもるという原則にたって、つねにそなえておかなければなりません。

本企画展でもしめされたとおり、歴史書と地層の調査により地震と津波はくりかえしおそってくることがあきらかになりました。その間隔は、ある程度の周期性はありますが一定ではなく、ゆらぎます。地球は複雑系であり、自然にはゆらぎがあります。

地球物理学の一分野である地震学では物理的な観測をおこないますが、それによってえられたデータはせいぜい100年ほど前からのものであり、長大な自然史を理解するにはまったく不十分です。すくないデータにもとづく計算にとらわれすぎて「地震予知ができる」などといっていた地震学者はピンぼけでした。これまでにどれだけ予算を無駄につかってきたことか。

地震や津波は自然現象(物理現象)ですが、一方で、自然史における出来事です。現象の観点だけで物事をみず、歴史の観点をもつことが大事です。歴史書・石碑・地質などの調査がとても重要です。地震や津波は歴史です。

このように、自然史の長大なスケール感を身につけないと地震や津波は理解できません。そのためには、歴史学と地質学をみなおすのがよいです。いざ、大地震がおこったらどうすればよいか? みずから主体的に行動できるように、その計画をたてるために、歴史学的・地質学的知見がきっと役だつにちがいありません。




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▼ 注
企画展「東日本大震災から10年 - あの日からの地震研究 -」
会場:国立科学博物館・日本館1階中央ホール&地球館1階オープンスペース
会期:2021年3月9日〜4月11日


▼ 参考文献
『東日本大震災の記憶をいつまでも忘れない。』国土交通省東北地方整備局、2020年