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会場入口
(交差法で立体視ができます)
化石が発見され、その後、まだ生きていることがわかりました。自然史をしるための手がかりがえられます。環境の変遷がわかります。
企画展「メタセコイア - 生きている化石は語る -」が国立科学博物館で開催されています(注)。メタセコイアといえば「生きている化石」です。化石も現生種も研究できるので自然史をしるためにたいへん役立ちます。

ステレオ写真は交差法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



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国内最古のメタセコイア化石(球果)
(後期白亜紀(約8800万年前)、福島県広野町)



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スピッツベルゲン島のメタセコイア化石
(前期始新世(約4500万年前)、ノルウェー)



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メタセコイア属の化石種
(前期中新世(約1800万年前)、岐阜県可児市)



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ロシア極東地方のメタセコイア化石
(前期漸新世(約3400万年前)、ロシア・沿海州)



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メタセコイア樹幹化石
(前期更新世(約200万年前)、東京都八王子市)



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メタセコイア(樹幹)



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メタセコイア
(植栽、筑波実験植物園)



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メタセコイアの枝先
(植栽、岐阜県郡上市)



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メタセコイア球果(雌)
(現生、筑波実験植物園) 



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メタセコイア花粉(左)とスギ花粉(右)
(拡大模型、500倍)



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ゾウ足跡化石
(前期更新世(約200万年前)、東京都八王子市)



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アケボノゾウ(臼歯)
(前期更新世(約200万年前)、東京都昭島市)



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ミエゾウ(模型)








1941年、京都大学の三木茂博士は、日本で採集された化石(ヒノキ科の針葉樹)にもとづいてメタセコイアを命名しました。そのときは、絶滅した太古の植物であるとおもわれましたが、5年後、生きているメタセコイアが中国の湖北省でみつかり、一躍、生きている化石としてメタセコイアは有名になりました。

化石でみつかったメタセコイアはどれも、1年分の枝からなり、葉や球果の鱗片は十字にならぶ「十字対生」となる特徴があったことから、葉や球果の鱗片が らせん状にならぶ常緑性の「セコイア」や落葉性の「ヌマスギ」とはちがうあたらしい植物だとみきわめられました。

1967年、中央自動車道の工事にともなって東京都八王子市の北浅川で、約200万年前の立木化石がたくさんみつかりました。約200万年前は、メタセコイアをはじめとする河畔の湿地林がひろがり、沼沢地には、コウホネやヒシ・ウキヤガラなどの水生植物がはえ、水辺には、オオバタグルミやナラガシワがはえていたことがわかりました。またゾウの仲間やシカなども生息していたようです。

一方、古琵琶湖の周辺にもメタセコイアがはえていました。琵琶湖は、地形の変化に応じて南から北へ移動したといわれ、400万年前以降40万年前ごろまでの現在よりも南にあった湖を「古琵琶湖」とよびます。古琵琶湖の歴史を化石でたどると、温暖だった上野層の時代(約380万年前)、気候が寒冷化した甲賀層や蒲生層の時代(約320-180万年前)、寒暖の変化がはげしくなった堅田層の時代(80万年前)への植生の変化がみられ、そのなかで、メタセコイアは河畔の林のなかの中心につねに存在していました。

古琵琶湖層群の化石林からは、さまざまな動物の骨や足跡などもみつかりました。上野層の時代には、ミエゾウ・シカ類・サイ類・ワニ類など、温暖な気候をこのむ動物が生息していました。蒲生層の時代には、アケボノゾウ・シカ類・オオカミなどがみられます。つづく堅田層でも、ゾウ類やサイ類はみられ、メタセコイア林の周辺でくらしていました。

メタセコイアのもっともふるい化石は中生代白亜紀からみつかり、以後、北極圏をふくむ北半球のひろい範囲に生息しましたが、4000万年前ごろからはじまった寒冷化、とくに、3400万年前の急激な寒冷化と乾燥化の影響で各地から次第に姿をけし、500万年前ごろには日本周辺のみに化石記録がみられるようになります。大陸内部には草原がひろがり、草原に適応した動物たちが進化しました。

日本列島では、比較的最近までメタセコイア林が残存したのは、新生代をとおして東アジアがずっと湿潤だったためであるとかんがえられます。

しかし100万年ほど前を堺に突然みられなくなります。この時期には、全国的な山地形成がはじまるとともに、氷河の発達にともなった100m規模の海面変化がありました。これらの結果として、生息していた低地がうしなわれたり、移動をさまたげられたりしたことがメタセコイアが日本で絶滅した原因だとかんがえられます。

現在、並木道や校庭などでよくみかけるメタセコイアはすべて、中国で発見されてからのちに植栽されたものです。針葉樹としてはめずらしい落葉樹であるため、うつくしい新緑とあざやかな紅葉でわたしたちの目をたのしませてくれます。

他方、メタセコイアは現生種でもあるため、その一生もよく研究されています。メタセコイアは樹高40mにもなる高木であり、樹齢500年ちかいものがしられる長寿の木でもあります。雌雄の球果がおなじ木につき、おおきくまるい雌の球果を昨年の枝に、ちいさな雄の球果を今年の枝先につけます。スギに似た、ちいさな突起をもつ花粉で受精し、たくさんの種子を毎年つくってとばします。地面におちた種子はしばしば発芽して、ちいさな2枚の子葉をつけた実生となりますが、おおきくなるものは稀であり、うまく成長するには水分条件が重要です。

このようにメタセコイアは、化石としても現生種としてもみいだされるため、メタセコイアとそれにかかわる自然史、古地理や気候などの環境変遷をくわしく研究することができます。生きている化石とよばれるゆえんです。

地層の中から発見される化石とおなじ姿形で現在まで生きつづけているのが生きている化石であり、これは、古生物学と生物学を連続・融合させる存在として重要です。生きている化石としてはほかに、イチョウ・シーラカンス・カブトガニ・カモノハシなどもおり、これらの生物はたいへん貴重であり、絶滅させてはなりません。

また生きている化石は、その本質がわかれば方法として応用することができます。

たとえば初期のヒト(ホモ・サピエンス)についてしろうとおもったら、アフリカなどで発掘されたヒトの化石を研究するともに、初期のヒトの生活様式を今でもうけついでいる狩猟採集民についても研究します。アフリカや南米でくらす狩猟採集民(先住民)などは「生きている化石」とかんがえてもよいでしょう。

あるいは縄文時代人についてしらべようとおもったら、縄文時代の遺跡の発掘調査(考古学的調査)をするとともに、縄文人の生活様式をうけついでいるとかんがえられるアイヌの人々の文化人類学的な調査もおこないます。アイヌは、「生きている化石」とかんがえてもよいでしょう。

あるいは日本の古代についてしろうとおもったら、当時の史跡や文献などをしらべるとともに、古代からの伝統をまもり当時の様式をひきついでいる今日の天皇についてもしらべます。天皇は、「生きている化石」とかんがえてもよいでしょう。

これら、「生きている化石」の応用例は当たらずといえども遠からずといってよいのではないでしょうか。ここでいう「生きている化石」とは「時代遅れの人のこと」というわるい意味では決してなく、あざける意図はなく、ひとつの研究方法の有効性をしめします。「生きている化石法」は、化石・遺跡・史跡・遺物などと今でも生きている伝統的存在の両者が調査できることが条件であり、昔の人や老人をただしらべるということではありません。

このように、生きている化石はたいへん貴重であり、なくてはならない存在です。生きている化石はほかにもみつかるかもしれません。是非さがしてみてください。



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メタセコイアとセコイアが交互にならぶ並木
(国立科学博物館・筑波実験植物園のプロムナード、2019.10.31撮影)




▼ 注
命名80周年記念 企画展「メタセコイア -生きている化石は語る-」
会場:国立科学博物館・日本館1階 企画展示室
会期:2021年1月26日~4月4日