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大阪城天守閣
(交差法で立体視ができます)
豊臣秀吉の大阪城の痕跡がみつかります。現在しられる大阪城は徳川幕府がつくったものです。豊臣の影響を完全にほうむりさることはできませんでした。
ステレオ写真はいずれも交差法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



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千貫櫓



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大手口枡形の巨石



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桜門



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桜門枡形の巨石



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大棟の鯱瓦、伏虎、第1層大破風の菊紋破風飾り
(大阪城天守閣内)



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大坂夏の陣
(大阪城天守閣内)



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豊臣・徳川大坂城本丸の比較
(大阪城天守閣内)



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天守閣から西方をのぞむ
(手前は西の丸)






大阪城は、本能寺の変の翌年、1583年(天正11年)に、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が築城を開始し、同時に、城下町も建設されました。壮麗な城郭は人々の目をうばい、「三国無双」と評されました。

しかし秀吉の没後、実権をにぎった徳川家康にせめられ、1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で落城し、天守閣も焼失しました。

その後、1620年(元和6年)から10年の歳月をかけて、2代将軍・徳川秀忠の命により再築されました。

しかしあたらしい天守閣は、1665年(寛文5年)に落雷で焼失しました。

現在の天守閣は、福岡藩主黒田家伝来の『大坂夏の陣図屏風』にえがかれている豊臣期の天守閣を参考にして、1931年(昭和6年)に大阪市民の寄付金で建設されたものです。

大阪城は、秀吉がつくった城だと誰もがおもっており、現在の天守閣も秀吉の天守閣を再現したものです。
ところが1959年、発掘調査により、現在の大阪城の地下に、秀吉がきずいた初代大阪城がねむっていることがわかりました。

その後、1984年、重要文化財「金蔵」東側の地下から、秀吉時代のおおきな石垣が発見され、また「豊臣大坂城本丸指図」との対比により、秀吉時代の本丸と現在の本丸とのかさねあわせができるようになりました。

大阪市は現在、秀吉がきずいたかつての大阪城の石垣をほりおこす事業をすすめており、豊臣時代から徳川時代にいたる遺構の数々がつぎつぎに確認されつつあります。本丸の地下 7.3m の地点から下方につづくふるい石垣も発見されました。

また石垣の刻印調査により、全城壁の50万個をこす石の表面を丹念にしらべたところ、石田三成や小西行長など、関ヶ原合戦でほろんだ大名の家紋・家印の刻印はひとつも発見されず、徳川幕府による再築時の「丁場割図」にしめされた大名の分担区分と一致するものばかりでした。

これらの事実から、現在みられる石垣のすべてが、再築時に根石から新規につみあげられたものであるという仮説がたてられます。すなわち、わたしたちがしっていた大阪城のすべてが徳川幕府再築後の遺構であり、秀吉の大阪城は地下にほうむりさられていたことがあきらかになりました。徳川幕府は、秀吉の影響を地上から完全にけしさろうとしたのでした。

大阪城の研究はあらたな段階にはいりました。秀吉の大阪城の実態を解明することがあたらしい課題としてうかびあがってきました。大阪城はこれからおもしろくなります。

大阪城というと、豊臣家の栄光と悲劇のシンボルであり、その歴史ドラマの観点からみてしまいがちですが、あたらしい調査結果と仮説から、徳川幕府が、豊臣の復活をいかにおそれていたかということがうかがえ、そのような観点から大阪城をとらえなおすことができます。

実際、大阪市民は天守閣を復元するときに、徳川の天守閣ではなく、秀吉の天守閣を再現しました。実に約300年のときをこえて秀吉は “復活” しました。したしみをこめて「太閤さん」と今でもよぶ大阪の人々の心が感じられます。

今日の大阪は、ほかの巨大都市と同様に、開発がすすみ、ビルが乱立し、環境も破壊され、かつての城下町の面影はまったくみられませんが、人々の心の深層にはかつての大阪がまだ息づいているようです。秀吉がつくった大阪城とその城下町はどのようなものだったのか、興味がつきません。




▼ 注
撮影日:2020年10月8日


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