南アメリカ大陸とアフリカ大陸の海岸線の形が一致する事実から大陸移動説を発想しました。〈仮説法→演繹法→帰納法〉とすすみます。3段階循環モデルにより現象の本質にアプローチします。
アルフレッド=ウェゲナー著『大陸と海洋の起源』(竹内均訳、講談社、2020年)は「大陸移動説」についてくわしくのべた地球科学の古典です。





仮説発想

話は、南アメリカ大陸とアフリカ大陸の海岸線に注目したところからはじまります。


大陸移動の考えが最初に私の頭に浮かんだのは一九一〇年のことである。その年に世界地図を眺めながら、大西洋の両側の大陸の海岸線の出入りに、私は深く印象づけられた。


ウェゲナーは世界地図をながめていて、南アメリカ大陸の大西洋沿岸の形とアフリカ大陸の大西洋沿岸の形がみごとに一致することに気がつきました。南アメリカ大陸のでっぱったところはアフリカ大陸ではへこんでおり、またその逆のこともおこっています。コンパスと地球儀をつかってみれば海岸線のサイズもまったくおなじであることがわかります。


大陸は移動したにちがいない。


大陸移動説が発想されます。


ウェゲナーはこのとき、当時の地球物理学と地質学によってえられていた地球の内部構造に関する一般的な知識をふまえています。


大陸移動説は、深海底と大陸とが異なった物質からなり、したがっていわば地球の内部構造の異なった層であるという仮定から出発している。


地球の内部構造は層状構造になっており、大陸と海底は、ことなる物質からなり、大陸は固体地球の最外部の層であり、地球の全表面はおおっておらず、海底はその下の層であるとされ、このことを前提として大陸移動をかんがえました。すなわち大陸は、下位の層の上を水平方向に移動しうるとかんがえました。

かつては、南アメリカ大陸とアフリカ大陸は1つのブロックをつくっていました。しかしブロックは分裂し、ながい時間をかけて2つの部分にはなれさりました。それら分裂したブロックは、水にうかぶ氷山が分裂したようなものであり、2つのブロックの端(割れ目)はおどろくほど今でもよく似ています。

このようにウェゲナーは、海岸線の形が一致するという事実にもとづいて、地球内部の層状構造を前提として、大陸移動説を発想しました。




測地学的な検証

それでは大陸移動説がもしただしいとすると、どのようなことがかんがえられるでしょうか?


もし大陸移動が長期間続いたものとすれば、それは今でも続いているにちがいない。したがって問題は、天文学的測定によって適当な期間内にそれが測定できるかどうかということである。


大陸移動は、非常にながい時間をかけておこるのですから今でも大陸は移動しつづけているとかんがえられ、それぞれの大陸の特定の位置(2点間の緯度差・経度差)をくりかえし観測すれば、大陸が実際に移動していることがたしかめられるはずです。これは、もっとも正確かつ信頼できる仕方で大陸移動説を検証する方法です。

当時の技術(月の観測・電信ケーブル・無線電話など)をつかって観測した結果、大陸移動説によって予見されたグリーンランドの移動などがたしかめられました(注)。




地球物理学的な検証

地球の表面に相並んで存在し、陸と海底によって代表される二つの高さあるいは深さがある。


固体地球の表面は陸地と海底からなっていて、たかいところは陸地であり、ひくいところは海底です。これらの構造と物質について地球物理学的な観点から検討しました。具体的には、重力測定にもとづく地殻均衡、地震波の観測にもとづく地球の内部構造、地球磁場、地球の剛性と粘性などについてしらべました。

その結果、大陸と海底は基本的にちがう物質(大陸は花崗岩、海底は玄武岩)でできており、海底では、大陸の花崗岩のカバーがかけていることがあきらかになり、したがって大陸は水平に移動しうるのであり、大陸の沈降によって海底ができて現在の大陸と海洋の配置になったのではないことがわかりました。上下運動ではなく水平運動により、大陸の分裂・移動・配置がきまります。




地質学的な検証

大西洋の両側の地質構造を比較すると、その両岸がかつて直接あるいはほとんど直接にくっついており、その間に開けた巨大な割れ目が大西洋である、という大陸移動説の主張の明らかな証拠が得られる。


大陸移動説がただしいとすると、南アメリカ大陸とアフリカ大陸の地質構造をしらべれば、たとえば褶曲など、おおくの地質構造が大西洋の両岸で一致するはずであり、両大陸をくっつけてみれば、大陸が分裂する以前の連続的な地質構造を復元できるはずです。地質構造の連続性は、大陸移動説のただしさを証明する証拠になります。


アフリカの最南端には、東西にはしる二畳紀の褶曲山脈であるスワートベルグがある。もとの状態を復元してみると、この山脈を西へ延長した部分は、ブエノスアイレスの南へつづく。


このような褶曲山脈の連続性だけでなく、大西洋をはさむ両大陸の海岸線にそっておおくの地質学的な証拠が存在します。

たとえばもっと以前に褶曲したアフリカの巨大な片麻岩大地は、南アメリカ・ブラジルのそれとたいへんよく似ていおり、2つの地域の火成岩や堆積岩もよくつながり、もともとの褶曲の方向も一致します。

同様に、北アメリカとグリーンランドとヨーロッパのあいだにも、予期されるような地質構造の対応がみられます。さらに、オーストラリアとインド・南極・南アメリカのあいだにも地質構造の対応がみられます。

これらはいずれも、ひとつのおおきな大陸が分裂して、移動したことをしめす証拠です。

大陸の海岸線の形(正確には大陸棚の外形)にもとづいて大陸を接合したとき、一方の側の地質ともう一方の側の地質がつながるということは、ひきさいた新聞紙の端をあわせて、切れ目を横ぎる新聞記事(文章)がなめらかにつづくかどうかをチェックするようなことです。記事までもがつづけば、ひきさかれた新聞紙が以前はつながっていたことはあきらかです。つながる記事が1行だけでなく、多数の行でつながれば、仮説のたしからしさは非常にたかまります。




古生物学および生物学的な検証

現在はわかれているいくつもの大陸のあいだに地質の対応・つながりがみとめられるということは、同様に、古生物(化石)と生物の分布にもことなる大陸のあいだでつながりがみられることを予見させます。


ストロマーが述べたように、グロソプテリス群及びメソザウルスのような爬虫類の科の分布その他を考えると、南方の大陸をつらねる乾いた広い陸地があったという考えをもたないわけにはいかない。ジャオルスキーは欠けるところなくすべての反対点を吟味し次のように結論している。「西アフリカ及び南アメリカに関するすべての地質学的事実は、現在及び過去の動物及び植物分布から得られた考えと完全に一致している。すなわち、現在南大西洋がある場所に、かつてアフリカと南アメリカをつなぐ陸地があった」。


そしてエングラーの研究も引用して、アメリカとアフリカに共通な植物分布は、北ブラジルと西アフリカとマダガスカルのあいだにつながりがあったことをしめすとのべています。

また南アフリカとオーストラリアの植物群のあいだにもおおくの関係がみいだされることから、南極大陸をへてアフリカとオーストラリアをつなぐこともできるといいます。

あるいはストロマーの研究を引用して、西アフリカと南および中央アメリカの熱帯地方には共通な海牛がおり、これは、川と あさくあたたかい海にすみ、大西洋を横切ることはできないことから、西アフリカと南アメリカのあいだには浅水のつながりがあったとのべています。

ウェゲナーは、南アメリカとアフリカに分布するグロソプテリスのようなゴンドワナ植物群とメソザウルスのような爬虫類、ヨーロッパと北アメリカに分布する爬虫類や哺乳類、グリーンランドの植物群、ノヴァヤゼムリャ(北極海の列島)の甲殻類などもしめし、これらは、ひとつのおおきな大陸が分裂して大西洋がひらいたことの証拠であるとしました。

またゴンドワナ植物群や爬虫類の分布から、マダガスカルを通じてアフリカとインドが接合し、オーストラリア動物群の研究から、オーストラリアの西部がインドとアフリカにつながっていたとかんがえました。

さらに北アメリカ・ヨーロッパ・南アメリカ・アフリカ・インド・オーストラリア・東アジアに分布するミミズ類の分布から、現在はわかれているこれらの大陸がかつては接合していて巨大大陸をつくっていたことをしめしました。

このように、現在は海をへだてて分布する化石と生物のつながり・類似は大陸移動説をいずれも支持します。

それぞれの類似の生物は同一の気候区や環境下にいたはずであり、ひとまとまりの生息域をもっていたはずです。今ははなれている大陸がかつては接合していたとかんがえれば気候区はひとまとまりになり、生息環境も似たものになります。

しかし地球上における大陸の配置が昔からまったく変化しなかったとかんがえると、非常にことなった気候区や環境で類似の生物が昔から生息していたことになり、不自然です。

したがって地球上における大陸と海洋の分布は、大陸の上下運動によってきまるのではなく(大陸の沈降によって海ができるのではなく)、大陸の水平運動によってきまるとかんがえたほうがよいでしょう。




古気候学的な検証

もっとも重要な気候の証拠は、以前の内陸の氷床が残してくれた跡である。内陸の氷ができるためのもっとも重要な条件は夏の低い気温である。(中略)このような跡が見つかれば、それが極気候の産物であることは疑いない。

石炭紀の終わり及び二畳紀の初めに、現在の南半球の大陸のすべて(及びデカン)が氷河をもっていた。しかし、デカン以外の北半球の大陸のどれもが、この時代には氷河をもっていなかった。


南アフリカで、氷でみがかれた基盤の岩石がふるい堆石の下に存在することがしられていました。古生代石炭紀・二畳紀に氷河が存在したことをしめす痕跡です。みがかれた岩石の上にのこった引っかき傷の跡から氷の移動の方向もわかり、氷がひろがっていった氷河の中心地もきめられました。この「南アフリカ氷河」は、現在のグリーンランド氷河とほとんどおなじおおきさをもった「内陸氷床」であり、山岳高地に部分的に存在する「山岳氷河」ではありません。

これとおなじ氷河の痕跡が、フォークランド諸島、アルゼンチン、南ブラジル、インド、オーストラリアでもみつかっています。

このことは、南アフリカ・フォークランド諸島・アルゼンチン・南ブラジル・インド・オーストラリアが古生代石炭紀・二畳紀には結合していて、おおきな大陸があり、そこに、極気候のものとで、ひとまとまりのおおきな氷床ができたとかんがえることによって説明できます。すなわち当時は、ひとつの巨大大陸があり、その後、それが分裂し移動して、現在の大陸の配置になったのだとかんがえられます。

しかしもし、それぞれの大陸の配置が大昔から不変だったとすると、赤道付近の熱帯にも内陸氷床があったことになり、極地の気候がほとんど赤道までにおよんでいたことになってしまい、まったく不自然です。古生代石炭紀・二畳紀に地球全体を氷河がおおっていたという痕跡はありません。サンゴ礁ができる海に氷山がうかんでいたとはとてもおもえません。

古生代石炭紀・二畳紀には、氷河をもつ地域は、南アフリカのまわりにすべてあり、氷河が、地球の表面(南極地域)で約30度の半径をもった範囲を帽子状におおっていたと推論できます。



気候変化の特に著しい例は、北極地域特にスピッツベルゲンに関するものである。この地域は浅い海によってヨーロッパから隔てられているだけであり、ユーラシア大陸ブロックの一部分であると言ってよい。現在ではスピッツベルゲンは厳しい極気候のもとにあり、内陸氷の下にある。しかし、中央ヨーロッパが赤道降雨帯の中にあった下部第三紀には、そこには現在中央ヨーロッパで見られるよりもより広い範囲の種をもった森林が成長していた。


ウェゲナーは、北極圏に現在は位置するスピッツベルゲン島の気候変化にも注目しました。

化石の研究により、新生代第三紀にはここには森林が成長していたことがわかりました。松・モミ・イチイがはえていただけでなく、シナノキ・ブナ・ポプラ・ニレ・樫・カエデ・ツタ・リンボク・ハシバミ・サンザシ・ゲルダーローズ・トネリコもはえており、また睡蓮・クルミ・糸杉・巨大なセコイヤ・スズカケ・栗・イチョウ・マグノリヤ・ブドウの木のような あたかさをこのむ植物もはえていました。

したがって、スピッツベルゲンの気候は現在のフランスに似たものであり、年平均気温は現在よりも約20度たかかったことになります。

さらに過去にさかのぼると、もっとあたたかかったという証拠がでてきます。中生代ジュラ紀〜白亜紀には、熱帯に現在ははえているサゴヤシや、中国・南日本にだけに現在はみられるイチョウや木生シダのような植物がはえていました。さらに古生代石炭紀にさかのぼると、厚い石こうの層があり、亜熱帯の乾燥した気候を暗示し、それだけでなく亜熱帯の特徴をもった植物群が存在します。

これらのことから、スピッツベルゲンでは、亜熱帯の気候から極域の気候へという非常におおきな気候変化があったことがわかります。この気候変化は、スピッツベルゲンが、低緯度から高緯度へ(赤道のちかくから北極圏へ)移動したことをしめし、大陸移動説を支持する証拠のひとつとなります。

ウェゲナーは、かつて存在した巨大大陸を大陸移動説にもとづいて復元し、気候に関する化石の証拠をそのうえにかきこみました。すると低緯度から高緯度へ気候帯を矛盾なく表現でき、それは、今日みられる気候帯の分布と似たものとなります。

このように、大陸が移動したとかんがえると矛盾なく物事が説明でき、つまり、すべてのつじつまがあいます。






以上みてきたように、ウェゲナー(1880-1930)は、「大陸は移動したにちがいない」とかんがえ、もしそうだとしたならば、わかれて現在は存在する大陸のあいだに地質構造の対応・つながりがみつかるはずだと予見(推論)し、地質学者たちが かいた文献をしらべたところ、みごとに予見があたりました。地質構造だけではありません。岩石・化石・生物・氷河の跡・気候変化など、大陸が移動したことをしめす証拠がつぎつぎにみつかりました。そして1912年に、「大陸移動説」を発表しました。

しかし大陸が移動するといっても、それは、あまりにも斬新すぎる突飛な仮説であったため、当時の学者たちにはほとんどうけいれられず、ウェゲナーは、変人あつかいされるようになり、彼が死亡してからは大陸移動説はわすれさられました。

ところが1963年、米国プリンストン大学のハリー=ヘス(1906-1969)が、海底探査の結果にもとづいて「海洋底拡大説」を発表します。海底は、海嶺(海底山脈)で溶岩が噴出してつくられ、海嶺から両側にひろがっていくという仮説です。

また1950年代から60年代にかけておこなわれた海洋底の地磁気の調査で、S極とN極が何十回も逆転している「地磁気の縞模様」が発見され、それは、海嶺を堺として線対称の形をしていることがわかります。

さらに大陸上の岩石に記録された古地磁気極の移動をしらべたところ、ヨーロッパ大陸と北アメリカ大陸がかつてはひとつで、2億年以上前から1億年ほどの時間をかけて東西方向に分裂し移動し、その結果、大西洋がひらいたことが判明します。

大陸は、やっぱり移動していました。「大陸移動説」の復活です。

その後、海嶺や海溝などの海底地形、地震、地磁気、熱流量などの膨大なデータが大陸移動説と海洋底拡大説をつぎつぎに証明していきます。

1980年代になると、宇宙測地技術「VLBI(超長基線電波干渉法)」が開発され、たとえば日本に対してハワイは 6.3cm/年 の速度でちかづいているなど、実際に、大陸と海底が移動していることが精密に観測されます。ウェゲナーがのべたようにたしかに大陸は移動していました。

そうしているうちに、固体地球の表面は、10枚ほどの「プレート」(厚さ約100kmの岩板)でおおわれていることがわかり、プレートのうごきによって地球上の諸現象を統一的に説明する「プレート・テクトニクス」が確立します。プレートをつくる「硬いリソスフェア」とその下位の「軟らかいアセノスフェア」という地球内部の層状構造があきらかになり、硬い岩板であるプレートは、下位の流動性のたかい層の上をうごき、プレート運動によって巨大な大陸も移動します。

プレート・テクトニクスは、大陸移動や海底拡大だけでなく、海溝や山脈の形成、地震や火山噴火、プレート運動の原動力など、固体地球表層でおこる現象のほとんどすべてを説明します。

さらに1994年になると、超巨大噴火と地震波の研究などから、「プルーム・テクトニクス」が提唱されます。固体地球の大規模な変動は、マントル内部に発生する「ホットプルーム」(湧昇流)と「コールドプルーム」(下降流)の対流によっておこるとされ、プレート運動も、プルーム・テクトニクスによって説明されます。2億5000万年前におこった超大陸の分裂もホットプルームに原因がありました。プルーム・テクトニクスは地球科学の法則のひとつとかんがえてよいでしょう。

こうして大陸移動説は、地球内部のダイナミックな活動をあきらかにするまでに進展しました。

そしてもし、プルーム・テクトニクスがただしいとすると、また、あらたな予見(推論)ができます。地球史において、大陸の分裂・移動は1回だけおこったのではなく何回もおこり、大陸は、離合集散をくりかえしていただろうとかんがえられ、実際に調査してみる(検証してみる)と、4回の大陸の集合と離散が確認されました。未来予測もできます。現在 存在する5大陸もいずれは集合し、約2億〜3億年後にはあたらしい超大陸ができると予想されます。






以上の研究過程を論理的に整理すると以下のようになります。

ウェゲナーは、南アメリカ大陸とアフリカ大陸の海岸線の形が一致するという事実に気がつき、地球内部の層状構造を前提として、大陸移動説を発想しました。

  • 事実:海岸線の形が一致する。
  • 前提:地球内部は層状構造になっている。
  • 仮説:大陸は移動したのではないだろうか。

この過程は、事実をとらえ、一般的な知識をふまえ、仮説を発想する方法であり、「仮説法」です。

すると、地球内部の層状構造を前提として、大陸移動説がただしいとすると、ことなる大陸のあいだで、地質構造・岩石・化石・生物などの対応・つながりがみつかるはだという予見(推論)ができます。

  • 前提:地球内部は層状構造になっている。
  • 仮説:大陸は移動した。
  • 予見:地質構造・岩石・化石・生物などの対応・つながりがある。

そして文献をみたりあらたに調査したりして予見がただしいかどうかを確認します。確認できれば予見は事実(証拠)になり、仮説のたしからしさはたかまります。証拠があつまればあつまるほど仮説の蓋然性はつよまります(証拠があつまらないときは仮説をたてなおします)。すべてのつじつまがあえば仮説は証明されたことになります。この過程は、一般から個別にすすむ方法であり、「演繹法」です。

さらに、大陸は移動したのではないだろうかという仮説のもとで、予見と確認をくりかえしていると、あらたな事実(データ)がたくさんあつまってきます(データとは事実を記載したものです)。そして大量のデータを総合することによってプレート・テクトニクスがあきらかになり、一般的になりたつ現象の本質(原理・法則)がわかります。

  • 仮説:大陸は移動した。
  • 事実:地質構造・岩石・化石・生物などの大量のデータ。
  • 一般:プレート・テクトニクス。

この過程は、仮説をふまえて、個別から一般へすすむ方法であり、「帰納法」です。

これら、仮説法・演繹法・帰納法を図式化(モデル化)すると図1のようになります。ただし演繹法における「予見→事実」は「事実」、帰納法における「一般」は、さらなる予見のための前提としてつかえるので「前提」としるしておきます。


201220 仮説法・演繹法・帰納法
図1 (1)仮説法、(2)演繹法、(3)帰納法


仮説法・演繹法・帰納法はこの順序でつかうのがもっとも効果的です(図2)。これを「3段階モデル」といいます。


200402 3段階モデル(完成形)
図2 3段階モデル


このように、仮説法で仮説をたて、演繹法で予見し確認し、帰納法で、本質(原理・法則)をあきらかにします。この過程をへて大陸移動説は、プレート・テクトニクスに発展しました。プレート・テクトニクスは大陸移動説よりも上位の概念であり、現象の本質によりふかくくいこんでいます。地球科学は進歩したというわけです。

しかし地球科学の進歩は、プレート・テクトニクスにとどまりません。プレート・テクトニクスがあきらかになると、さらに、これをあらたな前提として、さらなる演繹法にすすみます。あらたな予見(推論)ができます。予見をしたらたしかめます。さらに、データがあつまります。

そしてあらたにあつまったもっと大量のデータを総合して、あらたな帰納法により、プルーム・テクトニクスがあきらかになります。プルーム・テクトニクスはプレート・テクトニクスの上位概念であり、現象の本質にもっとふかくくいこんでいきます。

すると今度は、プルーム・テクトニクスをあらたな前提として、さらなる演繹法ができます。また、データがあつまってきます。あらたな帰納法につながります。未来予測もできます。

このように、仮説法・演繹法・帰納法は1回おこなえばよいというものではなく、循環的に何回もおこないながら、現象の奥にある本質(原理・法則)にアプローチします。おなじところをぐるぐるまわっているのではなく展開し発展します。これは「3段階循環モデル」といいます(図3)。

200611c 三段階循環モデル_edited-2
図3 3段階循環モデル
1:仮説法、2:演繹法、3:帰納法、1’:あらたな前提、2’:あらたな演繹法、3’:あらたな帰納法、1":さらなるあらたな前提、2":さらなるあらたな演繹法、3":さらなるあらたな帰納法


この「ころがす方法」は、ミステリー(推理小説)の方法とおなじです。たとえば「刑事コロンボ」は、現場を観察し、「犯人は ○○ ではないか」と仮説をたてます。そしてもし、○○ が犯人だとしたらとかんがえ、ひとつひとつ確認していきます。証拠があつまり、「やっぱりそうか」となります。つじつまがあいます。そしてたくさん情報があつまってくると帰納法の出番です。どうして、どのようにして犯行におよんだのか。動機・過程・背景、犯人の人物像など、事件の本質があきらかになります。犯人の心のなかにまでくいこみます。3段階循環モデルは推理法のモデル化といってもよいでしょう。

仮説法・演繹法・帰納法は、古代ギリシアの学者で万学の祖・アリストテレスが論理の3区分として提唱して以来、およそ2300年にわたってつかわれ研究され開発されてきました。現代においては、哲学者・チャールズ=S=パース(1839-1914)、哲学者・上山春平(1921-2012)、民族地理学者・川喜田二郎(1920-2009)らがとらえなおしをおこない、上山春平は哲学的にほりさげ、川喜田二郎は技術化・再体系化をおこないました。川喜田二郎が提唱した「野外科学」「書斎科学」「実験科学」は、仮説法・演繹法・帰納法のそれぞれを技術化し再体系化したものです。

ウェゲナー著『大陸と海洋の起源』の翻訳者であり、科学雑誌『ニュートン』の初代編集長である地球科学者・竹内均(1920-2004)は、川喜田二郎が『発想法』を刊行するやいなや、川喜田二郎の方法「KJ法」がウェゲナーの方法とおなじであることに気がつき、たのまれもしないのに KJ法 の解説をあちこちでしていました。川喜田二郎の方法は、結果的に、ウェゲナーや地球科学の方法を整理し技術化し体系化したものにもなっていました。

わたしは、高校生のときに竹内均の著作をよんで、ウェゲナーと地球科学をしり、川喜田二郎をしりました。その後、川喜田先生が主催する「KJ法研修会」や「移動大学」に参加、さらに、川喜田先生の研究所によんでいただき、ネパール・ヒマラヤのプロジェクトにも参加、仮説法・演繹法・帰納法を徹底的に実践しました。いまでは、あらゆる場面で3段階循環モデルをつかっています。この方法は、地球科学やミステリーにかぎらず、どのような課題にも応じる基本的・普遍的な方法です。




▼ 注
大陸移動説が提唱された当時の技術によって大陸が実際に移動していることが観測されたとウェゲナーはかんがえましたが、よりすすんだ今日の技術による観測結果からみるとそれは精度のひくいものでした。


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▼ 参考文献
アルフレッド=ウェゲナー著・竹内均訳『大陸と海洋の起源』講談社、2020年
上山春平著『上山春平著作集 第一巻 哲学の方法』法蔵館、1996年
川喜田二郎著『発想法 創造性開発のために』(改版)(中公新書)中央公論新社、2017年
竹内均・上山春平著『第三世代の学問 ―「地球学」の提唱』(中公新書)中央公論社、1977年



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