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会場入口
(平行法で立体視ができます)
あるきながらかんがえ、情報処理をすすめます。データをファイルします。ポテンシャルを開花させます。
梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」が国立民族学博物館で開催されています(注)。梅棹忠夫(1920-2010)は、世界各地の学術調査をおこなった知の先覚者であり、国立民族学博物館の初代館長をつとめ、また「知的生産の技術」を提唱したことでしられます。今回の企画展では、彼の方法の舞台裏を実物資料とともに紹介しています。

ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



知的生産の技術

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スケッチ(1933年)



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荃峪紀(せんよくき)第一巻、第二巻
(1933年-34年)
 



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博物ノート(発見の手帳)
(1932年-42年頃)



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「こざね」(1960年代後半)



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カード(京大型カード)
(1960年代後半)



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原稿(1960年代後半)



モンゴル

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フィールドノート



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スケッチ



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ローマ字カード



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ローマ字がき原稿




ヒンズークシ

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装備品をいれた木箱



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手洗い用鉢
(1974年収集)



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弦楽器(ルバーブ)
(1974年収集)




東南アジア

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装備品をいれた柳行李(ふた)



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タイの山岳民族カレンの衣装
(1990年収集)



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ミャンマーの正装



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展示会場






国立民族学博物館は、文化人類学・民族学の研究をおこなうための大学共同利用機関として1977年に開館し、梅棹忠夫は初代館長をつとめました。

梅棹の『知的生産の技術』(岩波新書)はベストセラー・ロングセラーであり、今年で100刷にいたります。

「知的生産」のセールスポイントは誰にでもできそうな簡単さにあります。その最たるものが「発見の手帳」です。中学生のころのエピソードが紹介されており、親友の川喜田二郎(KJ法創始者)らとともにレオナルド=ダ=ヴィンチをまねて、日々の生活でみつけたことやおもしろいとおもったことを発見の手帳に何でも書いていました。このようなメモを「忘却の装置」ともよび、書いたらわすれてもよく、そのかわり、あとでよんだときにわからなくならないようにしっかり書くようにしました。明日の自分は他人であり、その他人にもわかるように記述しなければなりません。「明日の自分は他人である」という注意喚起がユニークです。発見の手帳はのちに、フィールドノートへ発展します。

そしてこのような発見の手帳あるいはメモにもとづいて、文章をいざ書こうとおもったとき、重要になるのはつながりです。あれやこれやをどんな順番で書いていこうか? そこで、ちいさな紙(紙片)にアイデアをひとつずつ書き、それらをならべるという方法をおもいつきました。ちいさな紙は鎧の「こざね」にみたてて、このやり方を「こざね法」と名づけました。ひとつのテーマについて、ばらばらにわいてくる記憶や思想、資料の重要部分などを1項目1枚のこざねに書きつけ、それらの素材をテーブルにひろげ、ならべかえながら、つなぎあわせながら理論を構築していきます。机いっぱいにひろげて全体像をみたり、手や体をうごかしたり、アナログな健康的な方法です。いまなら、付箋(ポストイット)、あるいはワープロやアウトライン・描画アプリなどがつかえるでしょう。

またカード(京大型カード)をつかう方法もかんがえだしました。これはB6判の情報カードであり、きっかけは、1944〜45年の内モンゴル調査にあり、第二次世界大戦後に帰国してから、数十冊のフィールドノートをまえに思案し、資料全部を項目にばらしてカードにして、それらのカードをいれかえ、くみあわせながら原稿を書きました。

もうひとつ重要なのがスケッチです。スケッチがかつては必要でした。フィルムの入手がむずかしかったため、いまのように写真を簡単に撮影することはできませんでした。内モンゴル調査でのスケッチは140枚のこっており、おおきな牛車も、ちいさな鍵も、A5サイズに規格化してえがくのが梅棹流です。スケッチの場合は、モノの名前などを記入できるというメリットがあります。企画展会場に展示されているスケッチをみれば梅棹の観察力とスケッチ能力のたかさがよくわかります。

内モンゴル調査に関しては、33冊のフィールドノートがのこっています。誰にでもよめるようなわかりやすい字で書かれ、とりわけ、「インデックスノート」としるされたノートが目をひきます。日程、調査地、調査した世帯、記入されているノートなど、すべてに番号が付され、ひと目でわかるように整理されています。コンピューターがいまならつかえるでしょうが、多種多量なデータの合理的な整理を手作業でおこなっていました。

内モンゴル調査のフィールドノートは内容ごとにカードに転記されました。ワープロはまだなかったので、タイプライターをつかってローマ字で書かれ、こうして「ローマ字カード」がうまれました。膨大な情報を、ローマ字カード約5000枚に整理して、これらをつかって15点の論文を書きました。

「情熱をかたむけつくした」という梅棹の言葉からも、フィールドワークだけではなく、帰国後の整理・論文執筆も重要だったことがわかります。

こうして日々の生活から、あるいはフィールドから取材し、情報を整理し、原稿を書く方法が確立、この経験が、「知的生産の技術」としてひろく公開・共有されました。

梅棹は、内モンゴルのあとも、ヒンズークシ、東南アジア、アフリカなど、世界各地のフィールドワークをおこなっていきます。

カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊(京都大学が派遣)には、ヒマラヤで氷河をしらべる地質学班からなるカラコラム隊と、アフガニスタンで、モンゴル族の末裔(モゴール族)をさがす人留学班などからなるヒンズークシ隊とがあり、梅棹は、人類学班のひとりとして参加し、現在のアフガニスタンからパキスタン・インドを調査しました。とくに、アフガニスタンでは、モゴール族の言語や生活習慣をしらべました。

これは戦後最大規模の調査であり、調査資金は、科学研究費や民間からの寄付でまかなわれましたが、当時は、政府の外貨準備高はすくなかったため、食料などの消耗品も日本からもってゆかねばなりませんでした。梅棹は、農耕から音楽まで幅ひろく観察し、聞き取りをし、写真をとり、ノートに書きとめました。またモンゴル調査のときとおなじく、台所の様子も書きのこし、これはのちに、家庭の近代化や女性の社会進出を論ずるきっかけになりました。

1957年には、東南アジア学術調査隊(大阪市立大学)が派遣されました。もちだしをゆるされた外貨はひとり1日4ドル相当でした。予定では、最初の2週間は、タイのバンコクで、第9回太平洋学術会議に出席することにもなっていました。飛行機にはのれないので往復とも貨物船をつかい、現地では自動車に寝泊まりするように準備しました。自動車には、寝具のほかに、研究用の備品や書籍もつめこみ、森林調査のときに木の上で観察できるようハシゴ車も用意しました。「移動研究室」の実現です。

1961〜62年、大阪市立大学の第二次調査では、ビルマ(現ミャンマー)にいきました。1月4日の独立記念日に居あわせ、一見するとカジュアルな腰巻き(ロンジー)が式典パレードの正装であるのとみて、民族衣装へのたかい愛着と自身をもっていることにおどろきました。民族衣装をあっさりすててしまった日本やタイと比較しています。

その他のフィールドワークについては、展示会場におかれているデジタル・アーカイブズ(コンピューター)でみることができます。

梅棹は、知的生産の技術に関してつぎの点をとくに強調しています。

  • ていねいに観察し、なんでも記録すること。
  • かんがえを論理的に組みたてること。
  • 未来をえがくこと。






このように、本展をみれば、梅棹忠夫の知的生産の舞台裏をしることができます。ノート・スケッチ・こざね・カード・原稿など、実物をみながら考察することができます。

梅棹はまず、観察と聞き取りの重要性を強調しています。これらを今日的に、人間主体の情報処理の観点からとらえなおすと、みるということは情報を目から内面にインプットすることであり、きくということは情報を耳からインプットすることです。わたしたち人間は誰もが、感覚器官をつかって情報をとりいれながら生活しています。そして情報がはいってくると、かんがえたり、おもいついたりします。これは内面ですすむプロセシングです。さらにみたことやきいたことを書きとめる(記録する)ことも重要です。みたりきいたり、かんがえたりおもいついたりしたことを、フィールドノートに書くことは情報のアウトプットといえます(図)。


201017 知的生産の技術
図 情報処理のモデル 


つぎに、原稿を書くための手段・道具としてこざねとカードがあります。これらをつかうと情報のいれかえ、くみかえができます。空間をつかって並列的編集をするといってもよいでしょう。フィールドノートに書くことを第1のアウトプットとすると、こざねやカードに書くことは第2のアウトプットといえます。

すると、原稿を書く(ながい文章を書く)ことは第3のアウトプットとなります。

知的生産とはこのように、よくできた情報処理をすることだといってもよく、それには、素朴な段階から高度な段階まで、3つのレベルがあり、アウトプット(文章化)は、並列的編集から直列的表現へすすむのがよいことがわかります。

ところで知的生産の技術によく似た方法として、民族地理学者・川喜田二郎が創始した「KJ法」があります。梅棹忠夫と川喜田二郎は親友であり、ともに、自然学者・今西錦司の弟子であったため、研究方法も研究内容も似ているのは当然のことでしょう。わたしは、このKJ法を実践しながら知的生産の技術を参照していました。KJ法では、こざね法でつかう紙片は「KJラベル」、京大型カードは「KJデータカード」といいます。KJ法は、知的生産の技術よりも高度に技術化されているためにむずかしいという印象を一般的にあたえますが、知的生産の技術は、誰にでもできそうな簡単な印象をあたえ、ひろまりました。

しかし知的生産の技術にしろKJ法にしろ、いまでは、紙片やカードなど、紙の道具はほとんどつかいません。今日のわたしたちは、スマホやタブレット・パソコン・インターネットをもっています。メモ・ボイスメモ・カメラ・テキストエディター・アウトライン・ワープロ・描画など、さまざまなアプリがつかえます。みたりきいたりしたことをすばやくデータ化し、ファイルし、データベースをつくり、ファイルをくみかえることが容易です。ファイルとは情報のひとまとまりのことであり、データベースにはポテンシャルがあります。知的生産のための道具は段ちがいに進歩しました。いまからみると梅棹は、紙でできた道具を工夫しながら情報処理をおこなっていた先覚者だったといえます。

したがって梅棹忠夫著『知的生産の技術』をもし今よむなら、そこに書かれている形式や道具にとらわれることなく、情報処理の本質・原理をつかむことが大事です。そうではなく、カードという形式や紙の道具にとらわれると、時間・労力・予算などがかかるだけで知的生産まではいけず、「労多くして功少なし」となります。

また知的生産のためには、技術とともに、フィールドワークが重要です。旅をしながら情報処理を実践します。企画展会場には、モンゴル・ヒンズークシ・東南アジアでの様子が展示されており、デジタル・アーカイブズもみれば、東アジアやアフリカなど、その他の様子もしることができます。

旅をすれば、目・耳・鼻・舌・皮膚など、感覚器官を全開して情報をインプットすることができます。しかし旅先での体験をすべて記録することは不可能であり、ノートには、要点や要約、重要なことを書くことになります。情報のすべてを言葉であらわすことはできません。現場でえられたすべての情報を「体験情報」とよぶならば、言葉は、体験情報を記号化・シンボル化したものであり、体験情報の見出しであり、表層構造です。情報の本体は体験情報であって言葉ではありません。旅行記などを書くときには、現場での体験をおもいおこしながら、体験情報をつかって作文します(アウトプットします)。しかし体験がないと、単なる言葉の操作(言葉いじり)になってしまい、知的生産にはなりません。

ここ国立民族学博物館で常設展示もみれば、たくさんの民族学者たちが梅棹のあとをついでフィールドワークをおこなっていることがわかります。梅棹の方法は着実に発展し、成果をあげています。民族学博物館は、実際には、民族の情報館となっています。

世界には、さまざまな民族がおり、現代では、ほとんどの人々が定住生活をおくっています。しかし人類史的にみれば、人間(現生人類)は当初はみな狩猟民であったのであり、日常の生活圏をこえて長距離移動をすることはごく普通のことでした。単なる好奇心で未知なる土地へいったり、食料や物資を獲得するためにでかけたりしていました。現代人の深層には狩猟民の精神がよこたわっています。

そして今日、交通と通信がいちじるしく発達し、コンピューターとインターネットが出現、ふたたび、「移動の時代」がやってきました。わたしたちは一ヵ所にとどまっている必要はありません。移動のチャンスをいかして知的生産が実践できます。狩猟民の精神がよみがえります。

わたしたちは、価値のある情報をもとめて旅をします。フィールドワークができます。実物をみる、実物にふれる、写真をとる、現地の人々の話をきく、現地の料理をたべる、現地の風を感じる・・・、現場の情報(一次情報)をもとめます。誰もが、あるきながらかんがえ、かんがえながらあるくことができる時代になりました。





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日本語の原則

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今西錦司『生物の世界』をよむ


▼ 注
梅棹忠夫生誕100年記念企画展「知的生産のフロンティア」
会場:国立民族学博物館 本館企画展示場
会期:2020年9月3日~12月1日
※ 常設展観覧料でみられます。




▼ 参考文献
梅棹忠夫著『知的生産の技術』(岩波新書)岩波書店、1969年
川喜田二郎著『発想法 -創造性開発のために-(改版)』(中公新書)中央公論新社、2017年
国立民族学博物館編集・発行『国立民族学博物館展示案内』2017年
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