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さて、これまでみてきたように、ルンビニ、ティラウラコット(カピラヴァストゥ)、カピラヴァストゥ東門、クダン、双子仏塔、サガルハワなどは、ブッダの生涯と教えを理解するために重要な場所です。


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位置図(出典:グーグルアース)



ブッダ(釈迦とも)は、紀元前5〜6世紀頃、カピラヴァストゥを城都とするシャーキャ族(シャカ族とも)の王子として、ルンビニ(現ネパール領)でうまれました。本名は、姓はゴータマ(ガウタマとも)、名はシッダッタ(シッダールタとも)、父親はスッドーダナ、母親はマーヤー(マヤとも)であり、マーヤーは、カピラヴァストゥからお産のために故郷へかえる途中、ルンビニで産気づいてシッダッタをうみました。

母のマーヤーは産後すぐになくなったため、シッダッタは、マーヤーの妹のマハーパジャーパティーにそだてられます。カピラヴァストゥで、王子として何ひとつ不自由のない生活をおくり、16歳で、妻ヤソーダラーをめとり、ラーフラという子もできます。

しかしシッダッタは物質的幸福に満足できず、おもいなやむことがおおく、馬車で遠出をしたときに、「老、病、死」のくるしみと、くるしみをうちけすために修行する「出家者」の姿を目のあたりにします。そして29歳のときに出家を決意、カピラヴァストゥの東門から出発し、王子の身分をすて、修行生活にはいります。

断食などのきびしい苦行を6年間つづけましたが、それはやめ、村娘スジャーターの乳粥をもらって体力を回復したのち、ちかくのガヤー村(現ブッダガヤ)にいって、おおきな木の下にすわってふかい瞑想にはいり、ついに悟りをひらきます。成道です。このときからシッダッタは、「ブッダ(目覚めた人)」とよばれるようになり、ブッダが悟りをひらいたおおきなその木は「悟りの樹」(菩提樹)とのちによばれるようになります。

ブッダは、「この悟りの体験を人びとに説いてもわかってもらえないだろう。布教しても意味がない」と当初はかんがえましたが、天上から梵天がおりてきて布教してくれるよう懇願され、三度こわれてたちあがり、布教の旅へと出立します。そしてヴァーラーナシー(ベナレス)のサールナート(鹿野苑)で5人の修行者たちに最初の説法をします。初転法輪です。こうして仏教という宗教がはじまります。ブッダは、のこりの人生45年間をすべて布教にささげます。

一方、シッダッタが悟りをひらき、教えをひろめていることをききしったシャーキャ国王スッドーダナ(父)は使者をおくって郷里をおとずれるようつたえ、これをうけたブッダは、カピラヴァストゥ王宮に宿泊するのではなく、城外のどこかに宿泊できるように依頼し、ちかくのクダンにおいて、父王スッドーダナと継母マハーパジャーパティー王妃、妻ヤソーダラー、息子ラーフラらと再会します。

スッドーダナ王は、ブッダをむかえるにあたり沿道を掃除させ、国旗や軍旗をたて、諸大臣・高官・バラモン(僧侶)らをしたがえて一行をまち、弟子たちにかこまれたブッダを礼をつくしてむかえます。ヤソーダラーは、僧侶の衣をまとったシッダッタ(ブッダ)の姿に涙し、息子のラーフラに、ブッダが父であることをつげ、その後継になるかとたずねたところ、意味をしってかしらずか後継になるとこたえ、ラーフラはやがて、王宮をでてブッダにしたがったとつたえられます。

その後しばらくして、スッドーダナ王が90歳のころに病気になった際、ブッダは、カピラヴァストゥをおとずれ、やがて王が逝去すると葬儀をとりおこないます。そしてシャーキャ国の王位は、ブッダのいとこなど一族のなかからバドゥラカ、ついでマハナマに継承されます。

布教をつづけるブッダのもとにはつぎつぎと弟子があつまり、教団ができ、それは次第におおきくなりましたが、やがて、一団として生活していくことが困難となったため、ブッダは、弟子たちに解散命令をだし、「各人がそれぞれ地方へと分散し、そこで布教して弟子を集め、ある程度弟子が集まったら僧団(サンガ)を作って集団生活をおくれ」と命じます。これによって仏教は、個別サンガの集合体として機能する、ネットワーク型の組織になります。

他方、ブッダの故郷には悲劇がおとずれます。シャーキャ国王がマハナマ王になったころ、北西インド地域で勢力をもっていたコーサラ国によってシャーキャ国はほろぼされます。シャーキャ族の多数の人々がサガルハワで虐殺されます。

コーサラ国がシャーキャ国にせめいった理由について、玄奘の『大唐西域記』にはつぎのように記述されています。

はじめ(コーサラ国)のプラサンジット王が即位するや、結婚をシャキア族に求めた。シャキア種の人は王が同類の人でないのをいやしみ、いつわって使用人の女を『シャキア種の女と称し』礼を厚くして嫁入りさせた。プラサンジット王はこの女を立てて正后とし、その産んだ男の子がヴィルダカ王であった。
(小嶋光昭著『お釈迦様のルーツの謎』東京図書出版会より) 

コーサラ国のヴィルダカ王子はこの事実をしり、王に即位すると、先にうけたはずかしめを復讐するために軍隊をおこし、シャーキャ国にせめいったとされます。

ブッダは、コーサラ軍が進軍するときに、その路上の枯れ木の下にすわり、ヴィルダカ王に憂慮の気持ちをつたえましたが、再三にわたり進軍がくりかえされ、ヴィルダカ王をシャーキャ側がはずかしめたことに原因があることをおもい、木の下に坐すことをやめました。

理由の真偽はともかく、コーサラ国によってシャーキャ国はほろぼされました。しかしその後、コーサラ国は、ガンジス川の下流域で勢力を拡大していたマガダ国によってほろぼされ、カピラヴァストゥ一帯もマガダ国が支配下におきます。

ブッダは、齢80をむかえると、体のおとろえを意識し、マガダ国のラージャグリハ(王舎城、現ラージギル)から弟子アーナンダをつれて、最後の旅にでます。故郷カピラヴァストゥを目ざしていたといわれます。そしてパーヴァーという村についたときに村人が供養してくれた食べ物で食中毒をおこし、つらい身体をおしてクシナーラー(クシナガラ)へむかい、そこで、サーラ樹の林に身を横たえ、瞑想しながらしずかになくなりました。入滅です。

自分自身を島とし、自分自身を救いのよりどころとして暮らせ。ほかのものを救いのよりどころとしてはならない。法(教え)を島とし、法を救いのよりどころとして暮らせ。ほかのものを救いのよりどころとしてはならない。
(パーリ語『大パリニッバーナ経』/ 佐々木閑著『ブッダ 真理のことば』NHK出版より)

ブッダは、「お前たち自身」と「法(ブッダの教え)」の2つだけをよりどころにして生きていけと最後にいいました。

その後、ラージャグリハを城都としていたマガダ国は、つぎつぎに他国を征服して北インド地域を統一していき、シスナーガ朝のときに、都を、ラージャグリハからパータリプトラにうつし、ナンダ朝をへてマウリヤ朝の時代になると、アショーカ王が、インド亜大陸のほぼ全域を統一します。領域国家の成立です。領域国家は、シャーキャ国など、それまでの都市国家とはくらべものにならないほどおおきな規模・国力をもちます。またアショーカ王は、ニグリハワやルンビニなど、国内各所に、「目覚めた人」を記念する石柱をたてていきます。

こうして、都市国家の時代はおわり、領域国家の時代にかわります。ブッダがいきた時代は、さまざまな都市国家間で争いが生じ、それらのなかからマガダ国が台頭し、そして領域国家になっていくという時代の大転換期であり、たくさんの人々が戦乱のなかでくるしむ乱世でした。ブッダの教えがひろまる背景がそこにはありました。










以上のように、ブッダの生涯を軸にしてそれぞれの場所をとらえなおすとこの地域のことがよくわかります。地理的情報を歴史的にとらえなおすと理解がすすみます。空間的な情報を時間的に(時系列で)整理しなおします。

さて現在、ルンビニは、仏教の聖地として、ネパールの観光地として、そして世界平和をいのる場として大規模に整備がすすみつつあります。

聖園(Sacred Garden)の北側には寺院地区(Monastic Zone)があり、世界各国の仏教寺院が建立されています(ただし聖園の建設以前に建立されたたネパール寺とチベット寺は聖園内にあります)。



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チベット寺



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ミャンマー寺



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オーストリア寺



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ドイツ寺



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シンガポール寺



オーストリア寺やドイツ寺・フランス寺・カナダ寺などもあり、欧米でも、瞑想とブッダの教えを人生にとりいれる人がふえていることがわかります。

ルンビニ園内はあるいてもよいですが、とても広大なのでリキシャ(人力車)をつかうとよいです。園内各所でリキシャがまちうけています。希望する時間内でひととおり案内してくれます。それぞれの寺院に参拝したら寺院を見学するだけでなく、「どうしてここにいるのか?」などと住職にきいてみるとよいでしょう。こころよく話し相手になってくれます。住職らは、それぞれ本国から派遣されてきています。

ルンビニをおとずれることは、ブッダと仏教、そしてブッダがいきた時代を理解するための原点になります。ルンビニをおさえると認識がふかまります。その分野の原点や起源をしることは、その分野全体の見通しをよくします。起源論は、ホリスティックな理解(全体観)に通じます。こうしてルンビニから、ブッダガヤ、サールナート、クシナガラへと、思索の旅がひろがります。初期仏教、大乗仏教、密教、そして日本へ、物語がすすみます。

ルンビニへの行き方としては、(ネパール人がつかう)地元の長距離バスでいく場合は、カトマンドゥのニューバスパークから出発、バイラワ(シッダルタナガルともいう)までいってローカルバスにのりかえます。昼便は早朝出発、また夜行便もあります。チケットは、ニューバスパークの窓口で当日でも手にはいります。チケットをかったら、係員にたのんで のるバスまで案内してもらいます。自分でさがすとわからなかったり、時間がかかったりします。バイラワのりかえの場合は、バスの車掌に、行き先がルンビニであることをはっきりつたえ、バイラワで案内してもらいます。わたしは最初にいったとき、バイラワについたら、ルンビニをとおるローカルバスまで車掌が親切につれていってくれました。バイラワからローカルバスをつかう場合は、ルンビニが終点のバスはないようなので、ルンビニについたらおしえてくれるよう車掌に事前にたのみます。「パルサ・チョーク」か「ルンビニ・バザール」でおります。

また外国人が利用しやすいツーリストバス、ルンビニ行き直行バスもあるようです。旅行会社かホテルにきいてみてください。

あるいはバイラワ空港(シッダルタナガル空港あるいはゴータマ・ブッダ空港ともいう)まで空路でいき、そこからタクシーあるいはリキシャをつかってもよいです。タクシーやリキシャはバイラワでつかまります。あるいはカトマンドゥの旅行会社かホテルにたのんで、往復の車をチャーターしてもよいです。お金はかかりますがもっとも簡単です。

ルンビニの宿は、格安から高級までさまざまです。ルンビニ・バザールへいけば、格安ゲストハウス(1泊500円ぐらいから)が何軒かあり、事前予約は必要なく、現地についてから適当な宿をさがします。ルンビニ・バザールは、インド的なローカルな雰囲気をたのしむのに最適です。また周辺には、中級ホテルもたくさんあります。そのほかの場所には高級ホテルもあります。ルンビニ・バザールは、ルンビニ聖園のちょうど東側に位置し、聖園へのアクセスがよいです。

2000年6月にわたしがはじめていったときは、ルンビニ園の整備はほとんどすすんでおらず、バザールから東ゲートをはいってすこしあるくと露店がたくさんならんでいて、いまみられるマヤデヴィ寺院(マーヤー聖堂)はまだなく、発掘中でした。

ちかくの露店で店主と話をしていたら、 「日本人が、ふるい寺院をこわして、はえていた菩提樹を切りたおして数珠にして売りさばいた。どうしてくれる!」といわれて面食らいました。

ルンビニ計画には日本がふかくかかわっており、発掘調査のためには、ふるい寺院をこわして、樹をきることも必要だったのでしょうが、そのためには、地元の一般の人々の理解をえることも必要です。地元の人々は、「その菩提樹は、ブッダの時代からはえていた」と信じていました。実際には、そのようなことはなく、かなり後世のものでしたが、地元の人々にもねばりづよくそのことを説明しなければ将来に禍根をのこします。国際協力活動をする際には注意しなけれなりません。

現在のルンビニは、あたらしいマヤデヴィ寺院(マーヤー聖堂)ができ、運河や池もつくられ、各国の寺院もふえ、すべての露店が移転した新ルンビニ村もあり、整備がかなりすすんでいます。巡礼者や観光客が世界各国からやってきています。とくに近年は、インドのカースト制のもとで差別をうけている人々がヒンドゥー教から仏教に改宗し、多数おとずれているのが印象的です。



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ネパール寺 


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ネパール尼僧院


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ベトナム寺


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タイ寺


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スリランカ寺


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中国寺


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韓国寺


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インド寺


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ネパール寺


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フランス寺


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世界平和仏塔




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▼ 参考文献
地球の歩き方編集室編集『地球の歩き方 -ネパールとヒマラヤトレッキング-』(2018~2019)ダイヤモンド・ビッグ社、2018年
佐々木閑著『ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか』(本当の仏教を学ぶ一日講座)NHK出版、2013年
佐々木閑著『ブッダ 真理のことば』( NHK「100分de名著」ブックス)NHK出版、2012年
中村元著『ブッダ伝 生涯と思想』(角川ソフィア文庫)KADOKAWA、2015年
小嶋光昭著『お釈迦様のルーツの謎 王子時代の居城カピラヴァストゥは何処に?』東京図書出版会、2011年
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▼ 参考サイト
Lumbini Development Trust
特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」(Internet Museum レポート)


▼ 注
写真は、2015年7月に撮影しました。