伝統工芸が息づく美のまちです。独自の風土があります。自然環境と人間の交互作用によって文化がはぐくまれます。
NHK ブラタモリ、金沢編の第1回は、「加賀百万石はどう守られた!?」というテーマでブラブラします。

長町武家屋敷跡からスタートです。
「武士の町というイメージだね」(タモリ)
藩政時代、藩主へのお目見えがゆるされた中級武士がすんでいた界隈で、土塀や長屋門などものこっています。町をつらぬく道は比較的せまく、幅は約3歩半、昔でいう二間幅で、江戸時代前半につくられました。二間幅の道をたどれば金沢繁栄の歴史がみえてきます。




長町武家屋敷をあとにして鞍月用水にやってきます。ここには、河岸段丘がかつてはあり、その段差を利用して、下には堀、上には土塁をつくり、城を防御する「惣構(そうがまえ)」をつくりました。




そして近江町市場へ。「ダイヤモンド」という店があります。この店は、高低差のある2本の道にはさまれており、階段で調節しています。この高低差は土塁と堀の名残であり、歴史がきざまれています。残念ながら金沢でも、ほとんどの堀がうめたてられていますが、内と外と二重の惣構で城をまもった痕跡がみつかります。




今度は、兼六園へ。園内の一部に、四角形の石のマスと、そこからつづく石の列があります。これは辰巳用水の石管です。たしかに中は空洞です。建設当時は木管でした。これは、石川門前の土手を通過して城内へいたります。兼六園の取水口の標高は約53m、土手は約42m、城内二の丸が約50mであり、位置エネルギーによって水があがっていく「逆サイフォンの原理」をつかって水をながしました。辰巳用水の水はいまでも兼六園をうるおしています。地形をよみ、地形を利用した先人たちの知恵が辰巳用水からうかがえます。




金沢編・第2回のテーマは「金沢は美のまち!?」です。

金沢の美のルーツをもとめてまずやってきたのは金沢城址(金沢城公園)です。ここには、「石垣の博物館」とよばれるほど多彩な石垣があります。




初代前田利家の石垣、当時はまだ、自然の石をつむ野性的な「野面積み」が主流でした。
「なんか、リズムがありますね。大きい石、小さい石・・・」(タモリ)
積み方は、いいかげんなようにみえて、実は、くずれにくいよう、綿密に計算されており、とても合理的に配置されています。石のあいだをうめるために「間詰石(まづめいし)」がはいっているのも特徴です。

ついで五十間長屋へ。このあたりでは、いろいろな色の石をあつめ、整然とモザイク状につくった石垣にであえます。これは、利家の息子で三代・前田利常の時代の石垣であり、「割石積み」の石垣です。

そして玉泉院丸庭園内へ。「色紙短冊積み」というみごとな石垣がみえます。長方形や真四角の石が幾何学模様のようにならび、色も、青味や赤味がかった灰色や黒色など、バランスよく配置され、まるで1枚の絵のようです。ここには軍事的な意図はありません。純粋に観賞用です。

一行は、金沢城公園をあとにし、金沢市内をながれる犀川(さいがわ)へ。特別な許可をもらって砂金とりです。河床の岩盤のくぼみや裂け目、蛇行している川の流れの内側などに砂金はたまりやすいとのこと。砂をあつめてお皿にうつし、その砂を、水のなかでまわしながらすてていくのが基本です。7粒がとれました。一番おおきなものが重さ1mg、およそ5円です。金沢では砂金がとれます。これが、金沢の地名の由来にもなりました。ゴールドラッシュがおこったこともありました。金箔の製造は、16世紀末にはすでにはじまっていました。

金沢を代表する伝統工芸といえば金箔です。日本国内の金箔のほぼ100%が金沢産です。ひがし茶屋街にある金銀箔工芸「さくだ」にやってきます。金箔を、1万分の1mmの薄さになるまでのばし、それを切るなどの作業が手際よくおこなわれています。手でふれると簡単にやぶれてしまうため、竹製の道具と息をたくみにつかいます。




静電気をおびやすい金箔は、湿度のたかい場所での製造がよいとされ、また箔打紙づくりには良質な水が欠かせないため、こうした風土があって、一方で、地道な作業をねばりづよくつづけられる高度な技術をもった職人がいたために、金沢では箔打ちがさかんになりました。

金沢箔にかぎらず、江戸時代、文治政治に舵をきった加賀藩では工芸がいちじるしく発展、その職人技がいまでもうけつがれています。

たとえば加賀友禅。もともと加賀にあった伝統的技法に、江戸中期、宮崎友禅斎(みやざきゆうぜんざい)が改善をほどこして完成させました。写実的な草花模様が特徴であり、加賀五彩とよばれる藍・臙脂(えんじ)・黄土・草・古代紫の多彩調でそめあげます。

九谷焼は、17世紀中頃、加賀の支藩・大聖寺藩ではじまり、半世紀で廃窯となった古九谷に紀元があります。これを再興しようと、文化3(1806)年、陶工・青木木米を京都からまねいてはじまったのが九谷焼です。赤・青・黄・紫・紺青の五彩に金彩をくわえ、花鳥や山水などの絵柄が華麗にえがかれる色絵磁器です。日本を代表する焼物のひとつです。

加賀漆器は、三代利常が、高台寺蒔絵の巨匠・五十嵐道甫(いがらしどうほ)をまねき、技法をつたえたことがはじまりであり、加賀蒔絵の華麗さと堅牢な塗りがほどこされた、大名好みの重厚さが特徴の漆器です。調度品や茶道具・食器など、幅ひろくつくられています。

加賀繍(かがぬい)は、室町期、仏前の内敷や僧侶の袈裟の装飾として京都よりつたわり、加賀独自の技法が加味され、絹糸や金糸・銀糸をつかい立体感のある図柄をうかびあがらせるのが特徴です。

加賀百万石の伝統はいまでも息づいています。








今回のブラタモリは金沢の美のルーツをもとめる旅でした。金沢は、加賀百万石の歴史に根ざす文化都市、石垣・金箔・工芸品・・・、伝統文化のなかに美意識が息づきます。

職人たちは、自然環境からの恵みをいかしながら、うつくしい作品の数々をうみだしました。伝統文化は、城下町をとりまくゆたかな自然環境と職人の高度な技術とによってつくられました。

このような、住民の生活・文化に影響をおよぼす自然環境を日本ではとくに風土とよびます。金沢には、金沢の文化をうみだす独自の風土がありました。そこには、人間と分断された物理的な自然ではなく、自然と人間のやりとりがありました。城跡、城下町そしてその周辺地域をあるいてみれば、風土と人間のこのような交互作用によって地域の文化がはぐくまれたことがよくわかります(図)。


200825 交互作用
図 文化発展のモデル


わたしはかつて金沢を旅したときに、京都に準ずるような文化的な都市だとおもいましたが、こうして金沢をいまとらえなおしてみると、京都は朝廷の歴史都市であり、金沢は城下町であり、両者の仕組みはことなることがわかります。

金沢は、外来の技術をとりいれながらも、地域の風土をいかして独自の文化を発展させました。そこには、地域の一体性があり、文化を介して、自然環境と人間が調和する様がありました。それは、単なる “洗練文化” ではありません。

今日でも、金沢の文化的な厚みは全国の城下町のなかでトップクラスといってよいでしょう。文化施設のおおさや、美術も音楽もさかんなことからもそのことがわかります。北陸新幹線も開通し、これからますます注目される城下町です。




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▼ 参考文献
NHK「ブラタモリ」制作班著・監修『ブラタモリ(1) 長崎 金沢 鎌倉』KADOKAWA、2016年
2020-08-24 20.45.49


▼ 関連サイト
金沢城公園
兼六園
石川の伝統工芸
金沢市内の博物館


▼ 関連書籍
旅行ガイド(Amazon)
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