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東洋文庫ミュージアム「大宇宙展」
(平行法で立体視ができます)
観測をし、法則をみいだし、未来を予測します。イメージをふくらませて宇宙観をつくります。心の世界が宇宙に投影されます。
「大宇宙展 - 星と人の歴史 -」が東洋文庫ミュージアムで開催されています(注)。ふるくから人間は、暦をつくり、未来を予測し、運命をしるために、天体のうごきを観測してきました。本展では、そのような宇宙探究の歴史を古今東西の資料からよみときます。

ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



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バビロニア人の天文学の手引き
(ワイドナーほか、1915年、ライプチヒ刊)
図は遺物から復元されたバビロニアの暦です。バビロニアの天文学は、六十進法など、高度な数学とともに発展し、ギリシアほかの諸地域に影響をあたえました。



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古代オリエントの精神文化
  (アルフレッド=エレミアス、1913年、
ライプチヒ刊)
メソポタミア出土の遺物をしらべて、天文に関する図版を多数 掲載しました。古代ギリシア由来の星座(黄道十二星座)はバビロニアからひきついだものであること、その原型は、バビロニア以前にメソポタミアでうまれたことをしめしました。



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古代の天文学の場
 (ホドソン F.R.  、1974年、ロンドン刊)
エジプトの人々は、日の出直前にのぼるシリウスを観測することで、肥沃な土壌をはこぶナイル川の洪水を予測しました。こうした目印となる星を「デカン」といいます。女性ファラオのハトシェプスト(在位:紀元前1479〜1458年頃)につかえたセンエンムトウの墓の天井(右ページ)には、デカンなどの星々のリストや暦をしめす円、神の絵がえがかれています。



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アルマゲストの星表
(パウル=クーニッチ、1986年、
ヴィースバーデン刊)
『アルマゲスト』は、古代アレクサンドリアの学者クラウディオス=プトレマイオス(100頃〜170頃)による天文書です。プトレマイオスは、宇宙における地球の位置と形状、天体の運動などについてのべ、1000をこえる星々を紹介しました。プトレマイオスの天動説はアラブとヨーロッパでながいあいだ支持されました。



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リグ・ヴェーダ
(フリードリヒ=マックス=ミュラー/校訂・翻訳、
1849-1873年、ロンドン刊)
『ヴェーダ』は、インドのバラモン教とヒンドゥー教の聖典であり、前11世紀頃から前6世紀頃にかけて、口述で継承されていくなかで編纂されました。第10巻では、「無」も「有」もないところからはじまる宇宙の起源、天と地に二分されるとする宇宙の構造についてのべています。



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星座の書
(アブドゥッラフマーン=スーフィー、
964年成立(1954年、ハイデラバード刊))
プトレマイオスが作成した星表にみられる48の星座を絵図であらわし、アラビア半島などにつたわる星の名や伝説とあわせて解説しています。



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占星術教程の書
(ビールーニー著、ラムゼイ=ライト訳、
1934年、ロンドン刊)
占星術を初心者におしえるための書であり、数学・天文学・地理学・年代学・アストロラーベ・占星術に関する記述で構成されています。11世紀前半のイスラム科学をしることができる貴重な資料で、20世紀前半に、ドイツ語・英語に翻訳されてひろくよまれるようになりました。



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モル地図帳
(H.モル、1711-1717年、ロンドン刊)
コペルニクス、ティコ=ブラーエ、プトレマイオスなどの説にそった宇宙図をみくらべることができます。プトレマイオスの天動説とコペルニクスの地動説を比較しつつ、ケプラーやガリレオなど、主要な天文学者がとなえた説にふれています。地理書ではありますが惑星・恒星・地球に関する項目も収録されています。



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永代大雑書万暦大成
(えいだいおおざっしょまんれきたいせい)
(1924年、大阪刊)
世界の中央に「須弥山」がそびえる宇宙観をあらわします。これは、ヒンドゥー教やジャイナ教・仏教などに共通する古代インド発端の宇宙観であり、中国を通じて日本にもつたわりました。須弥山の頂上には帝釈天の宮殿、下の階層には四天王らがすみ、まわりには七重の山、そして大海がとりかこみます。右下にかかれる「南贍部洲(なんせんぶしゅう)」は人間のすむ土地です。



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蘇州文廟宋天文図
(そしゅうぶんびょうそうてんもんず)
(淳祐天文図)
(王致遠、1247(淳祐7)年)
南宋時代(1127-1279)につくられた世界最古とされる石碑天文図の拓本です。石碑は、中国の蘇州に現存します。北極が中心の円形星図であり、二十八宿の境界をしめす線が放射状にでており、黄道と天の川の輪郭などもえがかれています。石碑の下半分の碑文には、宇宙開闢論からはじまり、天体の説明などがきざまれています。



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貞享暦
(渋川春海(安井算哲)、
1685(貞享元)年、書写年不明)
渋川春海(1639-1715)によって編纂された、日本人によるはじめての暦法です。元代につくられた授時暦をもとにし、中国と日本の緯度経度の差をかんがみて修正をくわえ、自身の観測結果ももりこんで完成させました。



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富嶽百景 
(葛飾北斎/画、1834-35(天保5-6)年頃)
幕府天文方の観測所であった浅草天文台がえがかれています。1782(天明2)年にたてられ、幕末まで存続していました。西洋天文学をとりいれた「寛政暦」という和暦がここでつくられ、46年間つかわれました。 

 

 






古代の天文学

いまから4000〜5000年ほどまえ、エジプト・メソポタミア・インダス・中国など、古代文明が各地で形成されたころに天文学の原型がすでにありました。人々は、農作物の収穫のために、太陽や月そのほかの星々のうごきから季節と時間を把握しました。天文学は、暦(カレンダー)をつくることと密接にかかわって発達しました。

紀元前4200年頃から約4000年におよぶ古代エジプト王朝では、紀元前3000年頃には、ナイル川の洪水の時期と日の出直前にシリウスがのぼる時期とがかさなることに気がつき、これを1年のはじまりとして、太陽のうごきから1年のながさを365.25日とする太陽暦をもうけます。

メソポタミア(現在のイラク周辺)では、アッシリア、バビロニアという強大な王朝が紀元前19世紀頃から1000年以上にわたってさかえ、記録でわかるかぎりでも、4000年ちかくまえから組織的な天体観測がおこなわれ、月の満ち欠けと太陽のうごきの両方を考慮して月日をきめる太陰太陽暦がつかわれました。また天体のうごきや位置をみて国や王の運命をうらなう占星術も発達し、星々のまとまりを星座でとらえる概念もうまれます。天文学と占星術は当時は不可分であり、これらの知識と方法は古代ギリシアへひきつがれていきます。

また星々のとらえ方や宇宙観が反映された神話も編纂されます。なかでもギリシア神話は、星にまつわる神話として現在でもなじみぶかいです。

しかし紀元前6世紀頃、古代ギリシアにおいて、神とからめずに合理的に宇宙をとらえる天文学がはじまります。タレスにはじまり、プラトン、アリストテレスといった学者たちが、宇宙の構造や天体のうごきの原則にかかわる学説を提唱します。これらの集大成がプトレマイオス(100頃〜170頃)の天文学書『アルマゲスト』です。大地は球体であるとする説や天動説などを体系化しました。

一方、インドの天文学は、インダス文明がおとろえたのち、紀元前1500年頃に中央アジアから侵入したアーリア人の文化が土着の文化と融合していくなかで発展します。バラモン教・ヒンドゥー教と連動する形で天文学も発達し、星座・占星術・数学などが独自にうみだされます。2世紀以降には、ギリシアの天文学がつたわり、インドの天文知識は、仏典をとおして中国そして日本へもつたわります。



イスラムの天文学

7世紀はじめ、アラビア半島中西部の商業都市メッカでイスラム教がおこります。イスラム教は、その後わずか1世紀ほどのあいだに、西アジア・北アフリカ・スペイン南西部さらに中央アジアへと一気に勢力を拡大します。イスラム教では、1日に5回、メッカの方をむいて礼拝をおこなうことが義務づけられており、礼拝の時間と方向を正確にしるために天文学が必要でした。

9世紀、ヨーロッパではすでにわすれられていた『アルマゲスト』がバグダッド(現在のイラクの首都)にもたらされてアラビア語に翻訳され、ギリシア天文学を基礎とした研究がイスラム文明圏ですすみます。

12世紀、『アルマゲスト』が、アラビア語からラテン語に翻訳されたことでヨーロッパで再発見され、以後17世紀頃までゆるぎない地位を確立します。12〜13世紀には、アラビア語科学書はラテン語への翻訳がすすみ、その後のヨーロッパ天文学の発展の礎となります。

イスラム天文学は、観測機器の研究・開発もすすめ、代表的なものとして、古代ギリシアに起源をもつ天体観測用の機器「アストロラーベ」があります。これは、太陽・月・惑星・恒星の位置測定、観測地時刻の算出などにつかわれる計算機のようなものであり、9世紀以降に、イスラム文明圏で改良・実用化され、遠洋航海にももちいられました。のちに、ヨーロッパでも普及します。
 


ヨーロッパの天文学

14世紀、ルネサンスがイタリアではじまります。それにともなってヨーロッパ天文学も飛躍的に発展します。

ニコラウス=コペルニクス(1473-1543)は、プトレマイオスがとなえ、ヨーロッパの宇宙観をながく支配してきた「天動説」に疑問をもち、「太陽中心説(地動説)」を提唱します。惑星の不規則なうごきは地球の運動に起因するとかんがえます。

1576年、ティコ=ブラーエ(1546-1601)は、建設費や運営費の支援をデンマーク国王からうけて「天の城(ウラニボルク)」という天文台を建設します。これは、ヨーロッパで最初の本格的な近代天文台です。

ヨハネス=ケプラー(1571-1630)は、ティコとともに1年間 観測をおこない、ティコの死後、膨大なデータをひきついで研究をつづけ、惑星の運動に関する3つの法則「ケプラーの3法則」をあきらかにします。これにより地動説は数学的に証明されます。

ガリレオ=ガリレイ(1564-1642)は望遠鏡の改良をおこない、よりよく星を観察し、月のクレーター、天の川の星々、木星の衛星、土星のこぶ(のちの環)、太陽の黒点、金星の満ち欠けなど、天文学上の重大な発見をします。しかしコペルニクスを擁護したことにより宗教裁判にかけられ、有罪判決をうけます。

しかしその後、アイザック=ニュートン(1642-1727)は「万有引力の法則」をあきらかにし、これにより、ケプラーの法則も説明され、地動説がひろくうけいれられるようになります。



中国の天文学

中国では、紀元前5000年から紀元前4000年頃のあいだに初期の農耕社会がはじまり、暦や天文現象の把握が必要になります。

殷代(紀元前17世紀頃-紀元前1046)には、暦や日食・月食などの現象が甲骨にきざまれていることから、天文の研究がかなりすすんでいたことがわかります。

つづく周の時代(紀元前1046頃-紀元前256)には、のちの漢代の国立天文台の原型ともよべるものが設置されます。天は、ひらいた傘のように大地をおおい、大地は四角い方形である、もしくはひっくりかえした鉢のようになっているとする宇宙観「蓋天説(がいてんせつ)」がうまれます。

戦国時代(紀元前5世紀-紀元前221)には暦法のほかに占星術がうまれ、とくに、木星の位置によって国々の運命をうらないます。

秦(紀元前778-紀元前206)では度量衡がさだめられ、度量衡の常数を暦法の常数にあわせ、さらに楽器(笛)の基本音にあわせて長さ・重さ・容量の単位をきめます。

前漢(紀元前206-8)の武帝の頃には国立天文台の制度が確立 し、天文台の長官は「太史令」とよばれ、『史記』の作者である司馬遷も太史令でした。『史記』の「天官書」(天官は星座という意味)は、占星術とともに星座について総括的にのべています。前漢の末期には、天も地も球体であるとする宇宙観「渾天説(こんてんせつ)」が有力となります。 

元(1271-1368)は、中国の統一を完成するときに、天文学者の 郭守敬(かくしゅけい)らによってつくられた「授時暦」を採用します。授時暦の特色は、精密な天体観測がもととなっている点にあり、中国では、王朝がかわるたびに暦がかわり、唐宋時代の暦法などは十分な観測をおこなわないで計算したために天文現象の予測がおおきくはずれました。しかし授時暦は精密に観測をし、計算方法も画期的に進歩したため、その後400年にわたってつかわれつづけます。

1644年、清が、政権をきずくと、それまでの中国暦法とイスラム法は日食の予報をはずし、西洋暦法は予報を的中させたことにより、1645年、西洋天文学にもとづく太陰太陽暦「時憲暦」が施行されます。明の末期に改暦のため入国していたアダム=シャール(1591-1666)が国立天文台の長官に任命されます。中国では、太陽暦に移行するまでこの時憲暦がつかわれます。



日本の天文学

6〜7世紀、大和朝廷が支配を強化し、中国の制度を参考にして政治機構をととのえていくなかで中国の天文学がつたわります。

奈良県高市郡明日香村にあるキトラ古墳内でみつかった天文図は東アジア最古のものであり、この古墳は、7世紀末から8世紀はじめにつくられたとかんがえられ、石室の壁面には、青龍・朱雀・白虎・玄武の四神と十二支らしき6体の獣頭人身像がえがかれ、天井には、金箔で星を表現した天文図がえがかれています。キトラ古墳がつくられた時代は、天文図をえがけるほどの天体観測は日本ではおこなわれていなかったとおもわれ、中国か朝鮮半島でもとの図がつくられたと推測されます。

7世紀後半には、「陰陽寮(おんようりょう)」 という役所が朝廷にもうけられ、天空のうごきや現象を記録して、それらの意味を、地上でおこる出来事と関連づけて解釈する「天文占い」と、日食・月食や季節を、暦法という計算方法で算出して1年の暦をつくることが組織的におこなわれます。

『日本書紀』には、675年に「占星台」とよばれる観測台がもうけられたとあり、日食や彗星などの現象や星の名などの記述がみられます。

占いや暦の教科書には中国の天文暦書が使用され、暦は、唐代の中国で作成された「宣明暦」が 862年に採用され、江戸時代にいたるまで約800年ものあいだつかわれます。

鎌倉時代には、藤原定家(1162-1241)の日記『明月記』に、1154年の超新星の観測、1204年の京都におけるオーロラの観測など、新旧の天文現象が記録されています。

このように日本でも、天体観測は古代から継続的におこなわれてきましたが、その目的は、天空の異変を監視して吉凶をうらなうことが中心でした。

16世紀後半、宣教師などのヨーロッパ人の渡来とともに西洋天文学がもたらされます。しかし儒学者や僧侶などの知識人層にうけいれられず、西洋天文学が本格的にまなばれるのは18世紀後半になります。

1779(安永8)年、長久保赤水は、当時としては精度のたかい日本地図を刊行します。正確な地図の作製には、天体観測によって経度と緯度をもとめることが不可欠です。

その後、伊能忠敬は、幕府天文方の高橋室時のもとで50歳をすぎてから天文学と測量術をまなび、55歳から没するまで17年の歳月をかけて日本全国の海岸線をあるいて測量し、日本地図「伊能図」を作製します。忠敬は、測量地点の緯度経度を天体観測によってはかって地図上に基準となる位置をかき、これに、実測による距離の記録をくわえていきました。忠敬の偉業にも、天文学の知識と方法が必要でした。  






以上のように、天文学は、農耕のはじまりとともにうまれ、文明の発達とともに進歩しました。天文学は、宇宙を探究する基礎学問であると同時に、暦(カレンダー)をつくったり、自分の位置をしったり、未来や運命を予測したりする実学でもありました。

天文学は、天体の観測からはじまります。観測をしてデータを蓄積します。そして膨大なデータを帰納して(計算して)、現象の奥にある法則を発見します。法則がわかれば未来が予測できます。これが天文学の基本的なしくみです。暦は、未来を予測するための基礎的な道具といってよいでしょう。

権力者とはかぎらず、誰でも、自分の未来が気になります。みずからの運命をしりたくなります。
「わたしはこれからどうなるのだろうか?」
「運命をかえられないだろうか?」
あらかじめ運命がわかれば対策をたてられます。

また宇宙の探究をとおして、人々は、それぞれの時代にそれぞれの地域で、イメージをふくらませて宇宙観をつくりだしました。古代人の宇宙観はいまからみると素朴なものですが、彼らは、想像力がとてもゆたかでした。天文学は、人間が、イメージを拡大してきた歴史でもあり、人々は、それぞれの宇宙観にもとづいて文化を形成し、文明を発展させました。

そしてヨーロッパ天文学がもたらした、地動説から天動説への転換は、宇宙観の大転換でした。これによって、ひとつの天体としての地球がイメージされ、世界共通の意識の基盤ができました。

ところが今日、それをうわまわる宇宙観の転換がおこりつつあります。階層構造、マルチバース、パラレルワールド、ホログラフィー、高次元、ダークマター、人間原理・・・。あらたな「コペルニクス的転回」です。現代人の意識の場は宇宙大にひろがりつつあります。あらたな宇宙観が万人に共有されたとき、地動説が常識になったときのように、文明の方向も転換するのでしょう。

わたしたちが宇宙をみるとき、電磁波(のなか光)を目でうけて、電磁波は、電気信号に変換されて神経をとおって脳におくられ、信号を脳が処理すると宇宙の映像が生じます。このような現象をしるだけでも、わたしたちがみる宇宙は本当の宇宙ではなく、みえている映像は人間独自の情報処理の結果であり、みかけの宇宙、人間の宇宙であることがわかります。このような人間の情報処理のしくみを心のはたらきといいかえると、心のなかに、わたしたちの宇宙があるとみることもできます。

宇宙の探究はこうして、法則の追求、未来の予測にとどまらず、みずからの立ち位置をしり、心のはたらきをさぐることにもつながります。これほど奥ぶかい世界はほかにはありません。


 
 

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▼ 注
大宇宙展 - 星と人の歴史 -
会場:東洋文庫ミュージアム
会期:2020年6月24日 〜2020年9月22日