DNA 解析技術の進歩により系統学が発展しました。もとはひとつのものから分化・生成・発展しました。相似と相異に着眼して類縁関係をあきらかにします。
『Newton』2020年8月号の Topic では、DNA 解析をつかった最新の系統学について解説しています(注)。


進化の道のりを解き明かすためには、DNA の解析によって近縁かどうかをさぐる分子系統学と、形態などの共通点をもとに近縁かどうかをさぐる従来の系統学の手法の両方が重要なのである。

2020-07-31 21.16.05


さまざまな生物を、みた目や骨格や生態などが似ているものをグループにして整理するのが「分類学」であり、古代ギリシャの学者 アリストテレス(紀元前384〜前322)が、動物の分類をすでにおこなっていたことがしられています。

18世紀になると、スウェーデンの博物学者 カール=リンネ(1707〜1778)が生物のカテゴリーを整理しました。生物学では、おおきい分類からあげていくと、「界」「門」「綱」「目」「科」「属」「種」というカテゴリーに生物を分類します。

19世紀には、イギリスの博物学者チャールズ=ダーウィン(1809〜1882)が進化論をとなえ、どう進化して祖先から今の生物になったのかを推理する「系統学」がはじまり、進化の道のりを「系統樹」という樹上の図をつかって表現するようになります。

20世紀後半なると「分子系統学」がうまれ、生物がもつタンパク質や DNA などの「分子」の共通点や相違点をしらべることで生物の類縁関係を推定できるようになります。1953年に、ジェームズ=ワトソン(1928〜)とフランシス=クリック(1916〜2004)が生物の DNA の構造をあきらかにしました。

1980年代後半になると「PCR法」という DNA を増幅する技術が開発され、比較的あたらしい化石にふくまれる断片的な DNA も解析できるようになります。また細胞のなかにある「ミトコンドリア」という小器官がもつ DNA をもちいた分析も可能になます。

こうして分子系統学はおおきく発展し、生物の形態などに左右されずに、2つの種が遺伝的に近いのか遠いのかがわかるようになります。

たとえば20世紀のおわりごろ、核 DNA の一部を解析した結果、イルカとカバは近縁であることがわかり、いまでは、イルカもカバも「鯨偶蹄目」に属しています。イルカとカバは似ても似つかない姿をしていますが親戚関係にあったわけです。

また DNA 解析によって、カバとゾウは、姿はやや似ていますが、いまから1億年以上まえにわかれたことがあきらかになりました。カバは、「ローラシア獣類」の「鯨偶蹄目」であり、ゾウは「アフリカ獣類」の「長鼻目」であり、進化の歴史はことなります。ゾウに近い動物はマナティなどの「海牛目」や、ハイラックスなどの「イワダヌキ目」です。ゾウとハイラックスは似ても似つかない姿をしていますが親戚関係にあります。

さらにヒトともっともちかい類人猿もわかりました。ヒトは、霊長類ヒト上科に属する生き物であり、ヒト上科にはほかに、ヒトと似た大型・中型霊長類、いわゆる「類人猿」がふくまれます。

20世紀初頭は、ヒトだけが「ヒト科」に属し、それ以外のオランウータン・チンパンジー・ゴリラは「オランウータン科」に属するとかんがえられていましたが、これは当時の宗教観にもとづく非科学的な分類でした。

1963年、アメリカの動物学者 モリス=グッドマン(1925〜2010)は、血清をもちいた分子系統分析により、ヒトとチンパンジー・ゴリラが近縁で、ヒトとオランウータンはややはなれた種であることをしめします。

その後、DNA の解析技術の向上にともない、もっともヒトと近縁な類人猿はチンパンジーであり、そのつぎにゴリラが、そのつぎにオランウータンが近いことがあきらかになり、いまでは、これらの大型類人猿をすべてふくめて「ヒト科」とよびます。

またミトコンドリア DNA の解析により、全人類の共通祖先は、約20万年前にアフリカで出現したことがわかり、1987年、ニュージーランド出身の生物学者 アラン=ウィルソン(1934〜1991)らは「アフリカ単一起源説」を提唱しました。そしてここ10年で、核 DNA の解析技術も発展し、「アフリカ単一起源説」が裏づけられました。

また日本人の DNA 解析もすすんでいます。日本人は、樺太島・千島列島・北海道を中心とした地域にすんでいた「アイヌ人」、本州・四国・九州にすんでいた「ヤマト人」、沖縄などの南西諸島にすんでいた「オキナワ人」の3つの集団にわけられます。

各集団の DNA をくらべたところ、ヤマト人にもっとも近いのは韓国人であり、そのつぎに近いのはオキナワ人であり、アイヌ人はかなり遠いことがわかりました。

考古学的・人類学的研究によると、アイヌ人とヤマト人の祖先は「縄文人」と「弥生人」であるとかんがえられ、いまから約3万8000年前、東南アジアにすんでいた人々が日本列島に移住し、のちの縄文人になり、その後、弥生時代(紀元前10世紀ごろ〜紀元後3世紀中ごろ)になると、北東アジアの人々の一部が日本列島に渡来し、弥生人になったとかんがえられます。

最近の DNA 解析から、アイヌ人は縄文人の直径の子孫であることがわかりました。一方、ヤマト人は、縄文人の子孫と弥生人の子孫の混血であり、またオキナワ人は、縄文人の子孫とヤマト人の混血だとわかりました。

このようなことからつぎの歴史が想像できます。縄文時代(新石器時代)の日本列島には南方から移住してきた縄文人がくらしていましたが、弥生時代になると北東アジアから弥生人が渡来します。弥生人とその子孫がしだいに勢力を拡大すると、東日本にすんでいた縄文人の子孫は北方へおいやられ、のちにアイヌ人になります。一方、九州・四国・本州では、縄文人の子孫と弥生人の子孫の混血がすすんでヤマト人となり、ヤマト人が南下して、縄文人の子孫と混血してオキナワ人となりました。








このように、DNA 解析技術の進歩によって系統学はおおきく発展し、生物の進化や人類の歴史があきらかになってきました。

たとえばイルカとカバはともに鯨偶蹄目に属するとか、ヒト・チンパンジー・ゴリラ・オランウータンはすべてヒト科に属するとか、みかけや骨格の相似と相異ではわからなかったことが DNA 解析でわかるようになりました。

日本人の系統もわかってきて、ヤマト人(ほとんどの日本人)は韓国人に非常に近く、日本人と韓国人は近縁関係にあります。ヤマト人は、縄文人(先住民)の子孫と弥生人(渡来人)の子孫との混血ですが、その混血の割合は「1:9」ぐらいだと現在のところ推定されており、圧倒的に韓国人に近いことがわかります。

明治維新以後、韓国人を差別し、日本人は特別な存在であるとする偏見が日本国にはありますが、これは、ヒトは、チンパンジー・ゴリラ・オランウータンとは別物であり、ヒト科とオランウータン科をかつて区別した偏見とよく似ており、根拠のない非科学的な分類にすぎません。これからは、データにもとづく客観的な判断が必要です。

このように系統学が進歩して、生物の歴史、霊長類の歴史、人類の歴史、日本人の歴史などが急速に解明されつつあります。

同時に、系統樹をみればあきらかなように、もとはひとつのものから分化・生成・発展してきたという生物進化のしくみが裏づけられました。そもそも生物や地球をふくむ宇宙は、ビッグバンからはじまって今日の姿になったのであり、宇宙そのものが、もとはひとつのものから分化・生成・発展してきたのであり、この原理が、生物学的にも裏づけられたといってもよいでしょう。

このような、もとはひとつのものから分化・生成・発展してきたという原理があるため、生物も宇宙も類縁関係で秩序づけられているのであり、類縁関係をしらべることによって生物も宇宙も認識できます。

類縁関係をしらべるという方法は類比法といってもよく、類比法や類推がなりたつ根拠がここにあります。したがって物事をみるときに、できるだけ多様なものをみて、近いか遠いか、似ているか異なるかに着眼して、相似と相異によって類縁関係をあきらかにすることは認識のもっとも基本的な方法だといえます。

相似と相異に着眼することを認識の方法として最初に明確にしめしたのは自然学者 今西錦司であり、この方法は、彼の弟子の川喜田二郎や梅棹忠夫らにひきつがれ、おおきな成果をうみだしています。 



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▼ 注:参考文献
『Newton』(2020年8月号)ニュートンプレス、2020年 


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