ヒラリーとテンジンがエベレストに登頂する前にマロリーとアービンが初登頂していたかもしれません。パイオニアワークは歴史をきざみます。真実をもとめて調査がつづきます。
今月の『ナショナルジオグラフィック』は「世界の屋根 ヒマラヤ」を総力特集しています。その第1部は「エベレスト」です。
世界最高峰エベレスト(8448メートル)は、エドモンド=ヒラリーとテンジン=ノルゲイによって1953年に初登頂されました。しかしその29年も前、もしかしたら初登頂していたかもしれない者たちがいました。ジョージ=マロリーとアンドリュー=アービンです。アービンは小型カメラを携行していたとみられ、もし、そのカメラがみつかり、頂上の写真がおさめられていたならば、世界最高峰の登山史がかきかえられることになります。
1999年、「マロリー&アービン捜索遠征隊」は、エベレスト北壁、少数の登山家しか いどんだことのないルートでマロリーの遺体を発見しました。きれたロープが腰にまきつけられ、くいこんだ痕がのこっていたことから、どこかの地点ではげしく体がゆれ、ロープがきれて転落したとかんがえられます。遺体は、アービンのピッケルが発見された尾根のほぼ真下にあったので、当初は、アービンの遺体だとおもわれましたがそうではなく、マロリーであり、したがってアービンの遺体はそのちかくでみつかるのではないだろうかとかんがえられました。
2001年、1960年にエベレスト北側ルートから登頂した中国の遠征隊の副隊長だった許競(シュウジン)は、標高8300メートル付近のクレバスにふるい遺体があるのをみたという目撃談をかたりました。許競が遺体をみた時点では、エベレスト北壁のこの高度で死亡した登山者はマロリーとアービンの2人だけであり、マロリーの遺体はすでに発見されたので、許競がみた遺体はアービンだということになります。
2018年、「マロリー&アービン捜索遠征隊」を1986年にひきいたホルツェルの自宅をたずねると、彼は、消去法と地形の分析から、アービンの遺体があるとおもわれるクレバスを特定し、その緯度と軽度をしめしました。
そして2019年、マーク=シノットら「ナショナルジオグラフィック遠征隊」は、登山史をくつがえす証拠をもとめてエベレストにいどみました。
シノットは、エベレストに登頂してから下山をはじめ、8440メートル地点でハーネスのフックをはずして固定ロープからはなれます。そしてGPS(全地球測位システム)で確認しながら目的地に到達します。ところが、ドローンで事前に撮影した画像をみてクレバスだとおもったのはくろっぽい地層であり、実際の裂け目は幅20センチほどしかなく、人ひとりはいることもままならないおおきさで、中はからっぽでした。
シノットは、エベレストの謎をとくために手がかりはすべてあたり、命も賭しました。
しかしアービンはどこでねむっているのか? 挑戦はつづきます。
マロリーとアービンはエベレストに初登頂していたのではないだろうか? この仮説を実証するためには、アービンが撮影した頂上の写真を発見することが必要です。証拠がなければいつまでもそれは仮説にすぎません。謎はのこります。
こうして幾度となく、マロリー&アービン捜索遠征隊がエベレストに派遣されました。そしてマロリーの遺体は発見されました。しかしアービンの遺体とカメラはいまだに発見されていません。ただしエベレストのどこで遭難したのか、場所は特定されました。したがって今後とも捜索はつづくでしょう。
それにしても初登頂の登山史がどうしてここまで重要なのでしょうか? 初登頂になぜこだわるのでしょうか?
マロリー(1886〜1924)は、イギリスの第1回エベレスト遠征(1921年)以来、エベレスト登山につづけて参加しましたが、第3回の遠征(1924年)で第6キャンプを出発したまま行方不明になりました。
彼が、第2回の遠征(1922年)からかえってきて、アメリカ・フィラデルフィアで講演をしたおりに聴衆のなかからひとりの夫人が質問しました。
「なぜ(それほどにも)あなたはエベレストに登りたいんでしょうか?」
マロリーはつぎのようにこたえました。
「Because it is there.」
この「it」はエベレストをうけており、つまり、世界にただひとつの最高峰であるエベレストにのぼる理由に対してこたえ、まだ誰ものぼったことがない未踏峰エベレストにのぼる理由を説明したのでした。
これは、一般の登山愛好家がつかう「そこに山があるから」という意味ではありません。誤解している人が非常におおいです。
マロリーがもっていたのはパイオニア精神であり、やろうとしたのは他人がやらぬことをやる創造行為でした。「山があるから」式の大多数の登山者とはまったくことなります。いいかえると初登頂にこそ意義があるのであって、2回目、3回目ではパイオニアワークにはなりません。世界最高峰かつ未踏峰の登攀こそ、山における最大のパイオニアワークだったのです。
このようなパイオニアワークは、たとえば極地到達もそうでした。北極点へは、1909年、アメリカのロバート=ピアリーらが初到達(あるいは1926年、ノルウェーのロアール=アムンセンらが飛行船で初到達)、南極点へは、1911年、ノルウェーのロアール=アムンセンらが初到達しました。
このようにかんがえると、地球の「第3の極地」であるエベレストの初登頂をめざして各国の登山隊がしのぎをけずったこともうなずけます。日本隊も初登頂をめざしていました。
そして1953年、イギリス隊のエドモンド=ヒラリーとテンジン=ノルゲイによってにエベレストは “初登頂” されました。
日本の登山家もこうのべました。
このように、パイオニアワークは歴史をきざみ、歴史をつくります。ここに、エベレスト初登頂の意義もうかびあがってきます。
そして謎がある以上、本当の歴史をしるためにこれからも調査がつづきます。
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3D ネパール旅行
▼ 参考文献
『ナショナル ジオグラフィック日本版』(2020年7月号)日経ナショナルジオグラフィック社、2020年
本多勝一著『新版 山を考える』(朝日文庫)朝日新聞社、1993年
世界最高峰エベレスト(8448メートル)は、エドモンド=ヒラリーとテンジン=ノルゲイによって1953年に初登頂されました。しかしその29年も前、もしかしたら初登頂していたかもしれない者たちがいました。ジョージ=マロリーとアンドリュー=アービンです。アービンは小型カメラを携行していたとみられ、もし、そのカメラがみつかり、頂上の写真がおさめられていたならば、世界最高峰の登山史がかきかえられることになります。
マロリーとアービンの姿を最後に見たのは、同じ遠征隊の一員だったノエル・オデールだ。1924年6月8日、彼は標高8000メートル付近で立ち止まり、山頂を見上げた。昼の12時50分、それまで山頂付近を覆っていた厚い雲が一時的に晴れ上がり、頂上まであと250メートルほどのところを「速やかに移動する」二人の姿が見えたと、オデールは報告している。
「小さな雪稜を背景に、黒い点のような人影が目にくぎ付けになった」と、オデールは7月14日付で英国に郵送した報告書に記している。「ステップ」と呼ばれる切り立った大きな岩に最初の一人が近づき、その上に姿を現すと、二人目も後に続いた。「そして再び雲が辺りを包み、その魅惑的な光景はかき消された」
1999年、「マロリー&アービン捜索遠征隊」は、エベレスト北壁、少数の登山家しか いどんだことのないルートでマロリーの遺体を発見しました。きれたロープが腰にまきつけられ、くいこんだ痕がのこっていたことから、どこかの地点ではげしく体がゆれ、ロープがきれて転落したとかんがえられます。遺体は、アービンのピッケルが発見された尾根のほぼ真下にあったので、当初は、アービンの遺体だとおもわれましたがそうではなく、マロリーであり、したがってアービンの遺体はそのちかくでみつかるのではないだろうかとかんがえられました。
2001年、1960年にエベレスト北側ルートから登頂した中国の遠征隊の副隊長だった許競(シュウジン)は、標高8300メートル付近のクレバスにふるい遺体があるのをみたという目撃談をかたりました。許競が遺体をみた時点では、エベレスト北壁のこの高度で死亡した登山者はマロリーとアービンの2人だけであり、マロリーの遺体はすでに発見されたので、許競がみた遺体はアービンだということになります。
2018年、「マロリー&アービン捜索遠征隊」を1986年にひきいたホルツェルの自宅をたずねると、彼は、消去法と地形の分析から、アービンの遺体があるとおもわれるクレバスを特定し、その緯度と軽度をしめしました。
そして2019年、マーク=シノットら「ナショナルジオグラフィック遠征隊」は、登山史をくつがえす証拠をもとめてエベレストにいどみました。
シノットは、エベレストに登頂してから下山をはじめ、8440メートル地点でハーネスのフックをはずして固定ロープからはなれます。そしてGPS(全地球測位システム)で確認しながら目的地に到達します。ところが、ドローンで事前に撮影した画像をみてクレバスだとおもったのはくろっぽい地層であり、実際の裂け目は幅20センチほどしかなく、人ひとりはいることもままならないおおきさで、中はからっぽでした。
シノットは、エベレストの謎をとくために手がかりはすべてあたり、命も賭しました。
しかしアービンはどこでねむっているのか? 挑戦はつづきます。
*
マロリーとアービンはエベレストに初登頂していたのではないだろうか? この仮説を実証するためには、アービンが撮影した頂上の写真を発見することが必要です。証拠がなければいつまでもそれは仮説にすぎません。謎はのこります。
こうして幾度となく、マロリー&アービン捜索遠征隊がエベレストに派遣されました。そしてマロリーの遺体は発見されました。しかしアービンの遺体とカメラはいまだに発見されていません。ただしエベレストのどこで遭難したのか、場所は特定されました。したがって今後とも捜索はつづくでしょう。
それにしても初登頂の登山史がどうしてここまで重要なのでしょうか? 初登頂になぜこだわるのでしょうか?
マロリー(1886〜1924)は、イギリスの第1回エベレスト遠征(1921年)以来、エベレスト登山につづけて参加しましたが、第3回の遠征(1924年)で第6キャンプを出発したまま行方不明になりました。
彼が、第2回の遠征(1922年)からかえってきて、アメリカ・フィラデルフィアで講演をしたおりに聴衆のなかからひとりの夫人が質問しました。
「なぜ(それほどにも)あなたはエベレストに登りたいんでしょうか?」
マロリーはつぎのようにこたえました。
「Because it is there.」
この「it」はエベレストをうけており、つまり、世界にただひとつの最高峰であるエベレストにのぼる理由に対してこたえ、まだ誰ものぼったことがない未踏峰エベレストにのぼる理由を説明したのでした。
これは、一般の登山愛好家がつかう「そこに山があるから」という意味ではありません。誤解している人が非常におおいです。
マロリーがもっていたのはパイオニア精神であり、やろうとしたのは他人がやらぬことをやる創造行為でした。「山があるから」式の大多数の登山者とはまったくことなります。いいかえると初登頂にこそ意義があるのであって、2回目、3回目ではパイオニアワークにはなりません。世界最高峰かつ未踏峰の登攀こそ、山における最大のパイオニアワークだったのです。
このようなパイオニアワークは、たとえば極地到達もそうでした。北極点へは、1909年、アメリカのロバート=ピアリーらが初到達(あるいは1926年、ノルウェーのロアール=アムンセンらが飛行船で初到達)、南極点へは、1911年、ノルウェーのロアール=アムンセンらが初到達しました。
このようにかんがえると、地球の「第3の極地」であるエベレストの初登頂をめざして各国の登山隊がしのぎをけずったこともうなずけます。日本隊も初登頂をめざしていました。
そして1953年、イギリス隊のエドモンド=ヒラリーとテンジン=ノルゲイによってにエベレストは “初登頂” されました。
ついにエベレストが陥落したのだ。失望落胆やる方なし。私はこの晩を決して忘れないだろう。(川喜田二郎)
今や幕は下りた。一つの時代が終わったのである。(梅棹忠夫)
日本の登山家もこうのべました。
このように、パイオニアワークは歴史をきざみ、歴史をつくります。ここに、エベレスト初登頂の意義もうかびあがってきます。
そして謎がある以上、本当の歴史をしるためにこれからも調査がつづきます。
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パイオニアワークが歴史をきざむ -「エベレスト 幻の初登頂」(ナショナルジオグラフィック 2020.07号)-
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民族と環境 -『ヒマラヤの環境誌 -山岳地域の自然とシェルパの世界-』-
地球温暖化と氷河湖決壊 -「ヒマラヤ 危険が潜む氷河湖」(ナショナルジオグラフィック 2019.12号)-
ヒマラヤの垂直構造と重層文化 - 川喜田二郎『ヒマラヤの文化生態学』-
3D ネパール旅行
▼ 参考文献
『ナショナル ジオグラフィック日本版』(2020年7月号)日経ナショナルジオグラフィック社、2020年
本多勝一著『新版 山を考える』(朝日文庫)朝日新聞社、1993年