本書で著者は、「法隆寺は、聖徳太子一族の鎮魂寺である」という仮説を発表し、それを支持する数々の観察事実(データ)をしめしています。
ここでは、仮説がどのようにしてひらめいたのか見ていきたいとおもいます。本書は、仮説に気がつく方法(仮説法)のモデルとして非常に参考になる有用な著作です。
1.あらたな事実を発見する
あらたな事実を発見するところからはじまりました。
1970年の4月のある日であった。私は何げなく天平19年(747)に書かれた法隆寺の『資財帳』を読んでいた。そこで私は巨勢徳太(こせのとこた)が孝徳天皇に頼んで、法隆寺へ食封(へひと)三百戸を給わっているのを見た。巨勢徳太というのは、かつて法隆寺をとりかこみ、山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)はじめ、聖徳太子一族二十五人を虐殺した当の本人ではないか。
2.日本の神まつりは敗者の鎮魂である - 前提 -
著者は、日本の神まつりについておもいだしました。
日本において、多くの勝者は自らの手で葬った死者を、同じ手でうやうやしく神とまつり、その葬られた前代の支配者の鎮魂こそ、次の時代の支配者の大きな政治的、宗教的課題である。私はここに日本の神まつりのもっとも根本的な意味があると思っていた。
3.あらたな仮説をたてる
そして、仮説がひらめきました。
もしも法隆寺に太子一族の虐殺者達によって食封が与えられているとすれば、法隆寺もまた後世の怨霊神社や、天満宮と同じように、太子一族の虐殺者達によって建てられた鎮魂の寺ではないか。
以上の思考過程をまとめると、第1に、『資財帳』を見てあたらしい事実を発見し、第2に、日本の神まつり(敗者の鎮魂)の前提を想起し、そして第3に、法隆寺も鎮魂寺であるという仮説がひらめいたということになります。つまり次の通りです。
事実 → 前提 → 仮説
これは、何らかの事実を発見したら、前提にてらしあわせることにより、仮説がひらめく、ということをしめしています。言いかえると前提となる知識がしっかりしていないと適切な仮説がたてられないということです。
情報処理の観点から見ると、観察により事実を心のなかにインプットし、前提となる知識(記憶)を想起し(プロセシング)、仮説をアウトプットしたということになります。
この、〔事実→前提→仮説〕という推理法(仮説法)は一般的にも成立し、たとえば、自然環境について考察する場合は自然法則が前提になり、したがって、自然環境の保全などにとりくむ人は、自然法則全般について常日頃からよく勉強しておかなければならないということになります。
また、〔事実→前提→仮説〕という推理法では、 おなじ事実を見ても、前提がことなれば、でてくる仮説はことなってくることもしめしています。
たとえば、問題解決論や人生論などを展開する場合は、世界観や死生観といったことがが前提になってくるでしょう。
その世界観や死生観は民族や宗教によってことなることがしばしばあります。したがって、おなじ出来事を目撃しても、かんがえることは民族によってことなってくるということはよくあり、わたしは海外でこのような事例を数多く体験してきました。
その世界観や死生観は民族や宗教によってことなることがしばしばあります。したがって、おなじ出来事を目撃しても、かんがえることは民族によってことなってくるということはよくあり、わたしは海外でこのような事例を数多く体験してきました。
以上のように、仮説をめぐっては、事実のみならず、前提も重要であり、これらのそれぞれをしっかりおさえておくことがとても重要です。