地域とは〈主体-文化-自然環境〉系です。ヒンズー文明・重層文化・チベット文明という垂直構造がヒマラヤにはみられます。文明圏の縁辺では重層文化が発達します。
民族地理学者・川喜田二郎は、民族・文化・生態系の観点からヒマラヤ地域を調査・研究し、『ヒマラヤの文化生態学』としてその成果を集大成しました。本書には、ヒマラヤを理解するための基本事項がくわしく解説されています。
第Ⅰ部 ヒマラヤとの触れあい
ネパールの「玄関」カトマンズは、ヒマラヤ山中のネパール盆地(カトマンズ盆地)にあります。そこには、「ネワール」とよばれる人々がふるくからくらしています。
町なかをあるいていくと、家々は煉瓦づくりで3階建てや4階建て、それぞれが中庭をもっています。迷路のような大小の通りが密集家屋のあいだをぬい、数々のちいさな広場があり、祠があり、そして王宮があります。
ここには、1769年にグルカが征服するまでは、都市国家が息づいていましたい。「ネパール」とはもともとは、この都市国家があったネパール盆地のことをいいました。しかしこの盆地の西方の地・ゴルカの土侯が都市国家を征服、グルカ王朝をたて、今日につながる領土国家・ネパールをつくりました。
都市国家は、南のインド平原と北のチベット高原との中継ぎ貿易の基地の役割をはたしていました。たいへん肥沃な土地でもあったので、いろいろな出自の民族が四方からながれこんできました。さまざまな出自の人々は、盆地の生活様式を何世紀も経験するうちにしだいに同化され、ネワールといつしかよばれるようになりました。ネワールは、ひとつの出自からあらわれたひとつの民族ではありません。ネパール盆地はひとつのルツボであり、「溶鉱炉」だったのです。また物資とともに宗教もながれこんできました。ここでは、ヒンズー教と仏教がみごとに共存しています。
ネパール盆地は、ヒマラヤン・アイデンティティを確立するヒマラヤ統合のヘソとしていまでも機能しています。
そしてネパール盆地の外には、グルン族・タカリー族・タマン族・マガール族・ライ族・リンブー族など、いろいろな民族がくらしています。ネパールは多民族国家です。しかしいろいろな民族差をこえて山岳民族という共通性をもち、この山岳の共通性こそ、ネパール国民をひとつの国民たらしめるいちばん大切なものです。
ネパールの国土は、亜熱帯の低地から氷雪の世界の一歩手前まで、3つの文化地帯に垂直的に区分できます。山をのぼるにつれて植物分布帯がかわるように垂直分布帯をなしています。
海抜約1200メートル以下は亜熱帯的自然の世界であり、ヒンズー文明の地帯です。
海抜約3000メートル以上にはラマ教(チベット仏教)の世界がひろがり、そこの人々は、ヒンズー教徒系の人たちからは「ボティヤ」とよばれます。またネパールの北東部には「シェルパ」とよばれる人々がくらしており、シェルパとはチベット語で「東の人」であり、彼らは、チベットから移住してきたチベット人の一派です。
そしてヒンズー文明地帯とチベット文明地帯にはさまれる中間地帯(海抜約1200〜3000メートル)においては、グルン族・タカリー族・タマン族・マガール族・ライ族・リンブー族などの山岳諸民族がすみわけています。この中間地帯のなかの比較的低所では「土着文化+ヒンズー文明」が、比較的高所では「土着文化+チベット文明」という重層文化がみられます。これらの山岳民族では、コミュニティが優越し、コスモポリタン性はよわく、個人主義は確立しておらず、素朴さがのこります。また森林と牧野と耕地とがきってもきれない関係になっており、水源涵養や地滑り防止、家畜飼料・堆厩肥(たいきゅうひ)・林産物・鳥獣の確保のために常緑広葉樹林が大切にされています。
第Ⅱ部 マガール族とその隣人たち
ヒマラヤ山岳民族のひとつにかぞえられるマガールは伝統的な日本人とよく似ています。さらに彼らがくらす自然環境も日本と似ています。村は森にかこまれ、その森は、日本人には郷愁をおこさせる、カシ類・クスノキ・ツバキなどからなる照葉樹林です。
彼らの村は、数十戸からなる集落が中心にあり、それをとりまいて同心円状に段々畑がひろがり、さらにそれをとりまいて、「パカ」とよばれる採草放牧地があり、それが、畑地と森林の遷移帯となり、その外側に森林がひろがっています。
彼らは、伝統的・土着的・部族的な信仰をもっていますが、他方で、表面的にはヒンズー教徒です。つまり重層信仰であり、この点でも、神仏混淆の日本人と似ています。葬儀のやり方から衣・食・住にいたるまで「重層文化」の性格がのぞいていて、「半素朴・半文明」の民といってもよいです。
一方、マガールの村よりもひくいところ(海抜1200メートル以下)にはインドより大昔に移住してきたヒンズー教徒がくらしています。彼らは、米づくりをし、マガールほどは家畜をかいません。そのうえ労働者をやとって耕作をし、みずからはあまり労働をしようとしません。ヒンズー教徒がおこなう水田農耕は畑作にくらべて施肥がいらず、森林と牧畜をあまり必要とせず、したがって彼らは、森の保存に冷淡であり、便利な集材法でももしあれば森をきって薪などにしてうりかねません。北インドの平野に発し、森を排除しつつ発展してきたヒンズー文明の本質がみられます。
第Ⅲ部 文化の垂直分布
ヒマラヤの植生は標高によって変化し、垂直分布がみられます。
また大ヒマーラヤの北側では、チベット高原からつづく乾燥地帯の景観になっていて、密集した森林はうせ、はなはだしいところでは砂漠同様です。
これらのなかで、海抜1000〜2000メートルの地帯(おもに暖温帯)に、ネパールの山岳風景としてよくしられる階段状の田んぼや畑が存在し、水稲・シコクビエ・トウモロコシなど栽培されています。東西にのびるこの地帯こそネパールの中軸です。
一方、チベット世界では、オオムギ・コムギ・ソバの3種が輪作あるいは単作で主要作物をなしています。
このような気候帯に対応して民族の分布もみられます。
亜熱帯(低地)には、ヒンズー教の人々がくらします。ヒンズー教の神々の祠が多数あり、ヒンズー教のお祭りがおこなわれ、またそこはカースト社会です。彼らは、ヒンズー語系統の一方言であったネパール語をはなし、それが、現ネパールの共通語になりました。
他方、冷温帯〜亜寒帯(高地)にはチベット人がくらします。そこでは、チベット語がはなされ、チベット仏教が信仰され、ツァンパとバター茶などのチベットの食習慣、チベット服・チベットの住居などがみられます。またカースト制は存在しません。
そしてヒンズー教徒とチベット人の間、海抜1200メートルから2500メートル(ないし3000メートル)の中間地帯に山岳諸民族がくらします。このなかには、ネパールの首都があるカトマンズ盆地の人々もふくまれます。中間地帯の比較的ひくいところでは「土着文化+ヒンズー教」、比較的たかいところでは「土着文化+仏教」という重層文化がみられ、カトマンズ盆地ではヒンズー教と仏教が共存しています。
ヒンズー文明は、インドのガンジス・インダス両河の河間地方にその故郷があります。インダス文明の直系の「子」ではなく、土着の伝統と侵入者アーリアンとの融合でうまれたとされ、稲作の重視をとおして熱帯に適応しました。ネパールで毎秋おこなわれるダサインとティハールはヒンズー教の大祭であり、ダサインはおもに謝肉祭、ティハールはおもに謝穀祭として一対に漠とかんがえられ、ヒンズー文明の基礎生業の歴史がそこにはきざみこまれています。
他方のチベット文明は、チベット高地の寒い気候に対する農牧的適応がみられ、具体的には、ヤクの家畜化がチベット文明のはじまりでした。また土着のボン教にかわり大乗仏教(チベット仏教)が根をおろし、社会組織的にみると、聖界(僧職者)と俗界(俗人)両方からなる聖俗双分制をとっており、聖俗両界の相互牽制的な相互補足にたっています。現在のチベットは中華人民共和国に占領されていますが、本来は独立国であり、チベット帝国をかつては形成していました。ネパールでも、カトマンズ盆地のボダナートをはじめ、チベット仏教寺院が各地にみられます。
ヒンズー教徒とチベット人とにはさまれる中間地帯(温帯)にはマガールやグルンといった山岳諸民族がくらします。基本的な生活の地域単位はコミュニティであり、コミュニティをとくに重視し、コミュニティをこえて生活単位がひろがっているヒンズー文明人とはことなります。人と人とのふれあいを大切にすることも、他人をあやつることをこのむヒンズー文明人とは対照的です。山岳諸民族は、山岳諸民族同士で連帯感をもち、同緯度帯(東西方向)で連帯しています。ネパールをしるためには、垂直構造の変化とともに、東西にのびる帯状構造に注目するとよいです。
ところでカトマンズ盆地には都市国家がかつてつくられました。ここは、ヒマラヤ中間地帯でもっとも発展したところであり、本格文明とはいえないまでも「亜文明」をきずきました。ネパールの東西方向(同緯度帯)におおきな影響をおよぼし、ネパールという国の中心として機能してきました。カトマンズ盆地そしてヒマラヤ中間地帯を中軸にして、またヒマラヤ化されたヒンズー文明とヒマラヤ化されたチベット文明もとりこんで、将来、「ヒマラヤ文明」が形成される可能性があります。
目 次
第Ⅰ部 ヒマラヤとの触れあい
第Ⅱ部 マガール族とその隣人たち
第Ⅲ部 文化の垂直分布
第Ⅳ部 ヒマラヤの宗教
第Ⅴ部 ヒマラヤ・チベット・日本
第Ⅰ部 ヒマラヤとの触れあい
私が空路そこに降り立ったのは、この国が100年の鎖国を解いて間もない1953年の春だった。
空から見下ろしたネパール盆地は、まるでおとぎの国のように愛らしく、みずみずしかった。折からの乾期で褐色にひからび切った北インドの平原にくらべ、ここは豊かな緑一色で、目も覚めるよう。隅々までよく耕された耕地のなかに、おとぎの国のように密集した町々が、ところどころにある。
ネパールの「玄関」カトマンズは、ヒマラヤ山中のネパール盆地(カトマンズ盆地)にあります。そこには、「ネワール」とよばれる人々がふるくからくらしています。
町なかをあるいていくと、家々は煉瓦づくりで3階建てや4階建て、それぞれが中庭をもっています。迷路のような大小の通りが密集家屋のあいだをぬい、数々のちいさな広場があり、祠があり、そして王宮があります。
ここには、1769年にグルカが征服するまでは、都市国家が息づいていましたい。「ネパール」とはもともとは、この都市国家があったネパール盆地のことをいいました。しかしこの盆地の西方の地・ゴルカの土侯が都市国家を征服、グルカ王朝をたて、今日につながる領土国家・ネパールをつくりました。
都市国家は、南のインド平原と北のチベット高原との中継ぎ貿易の基地の役割をはたしていました。たいへん肥沃な土地でもあったので、いろいろな出自の民族が四方からながれこんできました。さまざまな出自の人々は、盆地の生活様式を何世紀も経験するうちにしだいに同化され、ネワールといつしかよばれるようになりました。ネワールは、ひとつの出自からあらわれたひとつの民族ではありません。ネパール盆地はひとつのルツボであり、「溶鉱炉」だったのです。また物資とともに宗教もながれこんできました。ここでは、ヒンズー教と仏教がみごとに共存しています。
ネパール盆地は、ヒマラヤン・アイデンティティを確立するヒマラヤ統合のヘソとしていまでも機能しています。
そしてネパール盆地の外には、グルン族・タカリー族・タマン族・マガール族・ライ族・リンブー族など、いろいろな民族がくらしています。ネパールは多民族国家です。しかしいろいろな民族差をこえて山岳民族という共通性をもち、この山岳の共通性こそ、ネパール国民をひとつの国民たらしめるいちばん大切なものです。
ネパールの国土は、亜熱帯の低地から氷雪の世界の一歩手前まで、3つの文化地帯に垂直的に区分できます。山をのぼるにつれて植物分布帯がかわるように垂直分布帯をなしています。
海抜約1200メートル以下は亜熱帯的自然の世界であり、ヒンズー文明の地帯です。
海抜約3000メートル以上にはラマ教(チベット仏教)の世界がひろがり、そこの人々は、ヒンズー教徒系の人たちからは「ボティヤ」とよばれます。またネパールの北東部には「シェルパ」とよばれる人々がくらしており、シェルパとはチベット語で「東の人」であり、彼らは、チベットから移住してきたチベット人の一派です。
そしてヒンズー文明地帯とチベット文明地帯にはさまれる中間地帯(海抜約1200〜3000メートル)においては、グルン族・タカリー族・タマン族・マガール族・ライ族・リンブー族などの山岳諸民族がすみわけています。この中間地帯のなかの比較的低所では「土着文化+ヒンズー文明」が、比較的高所では「土着文化+チベット文明」という重層文化がみられます。これらの山岳民族では、コミュニティが優越し、コスモポリタン性はよわく、個人主義は確立しておらず、素朴さがのこります。また森林と牧野と耕地とがきってもきれない関係になっており、水源涵養や地滑り防止、家畜飼料・堆厩肥(たいきゅうひ)・林産物・鳥獣の確保のために常緑広葉樹林が大切にされています。
第Ⅱ部 マガール族とその隣人たち
マガールはネパールヒマラヤにいくつか住む山岳民族のひとつである。そこを訪ねてみれば、彼らが日本人そっくりなのに驚くだろう。顔つき身体つきばかりか、その気質まで伝統的日本人にそっくりなのだ。そのはにかみぶり。控え目な人づきあい。素朴な人なつっこさと楽天性。胸襟を開けば素直で飾らない人柄。気を許せば他人に誠実なこと。どれをとっても、大正期以前の日本農民、とくに山地民とそっくりなのである。
ヒマラヤ山岳民族のひとつにかぞえられるマガールは伝統的な日本人とよく似ています。さらに彼らがくらす自然環境も日本と似ています。村は森にかこまれ、その森は、日本人には郷愁をおこさせる、カシ類・クスノキ・ツバキなどからなる照葉樹林です。
彼らの村は、数十戸からなる集落が中心にあり、それをとりまいて同心円状に段々畑がひろがり、さらにそれをとりまいて、「パカ」とよばれる採草放牧地があり、それが、畑地と森林の遷移帯となり、その外側に森林がひろがっています。
彼らは、伝統的・土着的・部族的な信仰をもっていますが、他方で、表面的にはヒンズー教徒です。つまり重層信仰であり、この点でも、神仏混淆の日本人と似ています。葬儀のやり方から衣・食・住にいたるまで「重層文化」の性格がのぞいていて、「半素朴・半文明」の民といってもよいです。
一方、マガールの村よりもひくいところ(海抜1200メートル以下)にはインドより大昔に移住してきたヒンズー教徒がくらしています。彼らは、米づくりをし、マガールほどは家畜をかいません。そのうえ労働者をやとって耕作をし、みずからはあまり労働をしようとしません。ヒンズー教徒がおこなう水田農耕は畑作にくらべて施肥がいらず、森林と牧畜をあまり必要とせず、したがって彼らは、森の保存に冷淡であり、便利な集材法でももしあれば森をきって薪などにしてうりかねません。北インドの平野に発し、森を排除しつつ発展してきたヒンズー文明の本質がみられます。
第Ⅲ部 文化の垂直分布
中部ネパールの領内を、チベット国境よりに、ヒマラヤの主稜たる大ヒマーラヤ山脈がほぼ東西に走っている。それと並行してインド平野にのぞむ最前線には、小ヒマラヤ山脈(またはマハーバーラタ山脈)とシワリーク山脈というのがある。大ヒマーラヤ山脈の南側は案外低い河谷が多くて、沙羅双樹を極相樹種とする亜熱帯森林が、海抜1200メートル以下の丘谷をしめていたらしい。1200メートルから1900メートルまでは、熱帯性植物と温帯性植物との混合森林で無性格である。水平分布では暖温帯に対比される。1900メートルから2500メートルまでは、常緑カシ類を優占種とする純温帯である。
ヒマラヤの植生は標高によって変化し、垂直分布がみられます。
- 約4600〜約5200m:ほとんど無植物
- 3900〜約4600m:灌木や草本〔高山帯〕
- 2900〜3900m:針葉樹林〔亜寒帯〕
- 2500〜2900m:針葉樹林と広葉樹林の混淆〔冷温帯〕
- 1900〜2500m:常緑カシ類を優占種とする〔純温帯〕
- 1200〜1900m:熱帯性植物と温帯性植物との混合森林〔暖温帯〕
- 0〜1200m:沙羅双樹を極相樹種とする亜熱帯森林〔亜熱帯〕
また大ヒマーラヤの北側では、チベット高原からつづく乾燥地帯の景観になっていて、密集した森林はうせ、はなはだしいところでは砂漠同様です。
これらのなかで、海抜1000〜2000メートルの地帯(おもに暖温帯)に、ネパールの山岳風景としてよくしられる階段状の田んぼや畑が存在し、水稲・シコクビエ・トウモロコシなど栽培されています。東西にのびるこの地帯こそネパールの中軸です。
一方、チベット世界では、オオムギ・コムギ・ソバの3種が輪作あるいは単作で主要作物をなしています。
このような気候帯に対応して民族の分布もみられます。
亜熱帯(低地)には、ヒンズー教の人々がくらします。ヒンズー教の神々の祠が多数あり、ヒンズー教のお祭りがおこなわれ、またそこはカースト社会です。彼らは、ヒンズー語系統の一方言であったネパール語をはなし、それが、現ネパールの共通語になりました。
他方、冷温帯〜亜寒帯(高地)にはチベット人がくらします。そこでは、チベット語がはなされ、チベット仏教が信仰され、ツァンパとバター茶などのチベットの食習慣、チベット服・チベットの住居などがみられます。またカースト制は存在しません。
そしてヒンズー教徒とチベット人の間、海抜1200メートルから2500メートル(ないし3000メートル)の中間地帯に山岳諸民族がくらします。このなかには、ネパールの首都があるカトマンズ盆地の人々もふくまれます。中間地帯の比較的ひくいところでは「土着文化+ヒンズー教」、比較的たかいところでは「土着文化+仏教」という重層文化がみられ、カトマンズ盆地ではヒンズー教と仏教が共存しています。
ヒンズー文明は、インドのガンジス・インダス両河の河間地方にその故郷があります。インダス文明の直系の「子」ではなく、土着の伝統と侵入者アーリアンとの融合でうまれたとされ、稲作の重視をとおして熱帯に適応しました。ネパールで毎秋おこなわれるダサインとティハールはヒンズー教の大祭であり、ダサインはおもに謝肉祭、ティハールはおもに謝穀祭として一対に漠とかんがえられ、ヒンズー文明の基礎生業の歴史がそこにはきざみこまれています。
他方のチベット文明は、チベット高地の寒い気候に対する農牧的適応がみられ、具体的には、ヤクの家畜化がチベット文明のはじまりでした。また土着のボン教にかわり大乗仏教(チベット仏教)が根をおろし、社会組織的にみると、聖界(僧職者)と俗界(俗人)両方からなる聖俗双分制をとっており、聖俗両界の相互牽制的な相互補足にたっています。現在のチベットは中華人民共和国に占領されていますが、本来は独立国であり、チベット帝国をかつては形成していました。ネパールでも、カトマンズ盆地のボダナートをはじめ、チベット仏教寺院が各地にみられます。
ヒンズー教徒とチベット人とにはさまれる中間地帯(温帯)にはマガールやグルンといった山岳諸民族がくらします。基本的な生活の地域単位はコミュニティであり、コミュニティをとくに重視し、コミュニティをこえて生活単位がひろがっているヒンズー文明人とはことなります。人と人とのふれあいを大切にすることも、他人をあやつることをこのむヒンズー文明人とは対照的です。山岳諸民族は、山岳諸民族同士で連帯感をもち、同緯度帯(東西方向)で連帯しています。ネパールをしるためには、垂直構造の変化とともに、東西にのびる帯状構造に注目するとよいです。
ところでカトマンズ盆地には都市国家がかつてつくられました。ここは、ヒマラヤ中間地帯でもっとも発展したところであり、本格文明とはいえないまでも「亜文明」をきずきました。ネパールの東西方向(同緯度帯)におおきな影響をおよぼし、ネパールという国の中心として機能してきました。カトマンズ盆地そしてヒマラヤ中間地帯を中軸にして、またヒマラヤ化されたヒンズー文明とヒマラヤ化されたチベット文明もとりこんで、将来、「ヒマラヤ文明」が形成される可能性があります。
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