弥生時代になると、稲作農耕民族が大陸から移住してきました。稲作文化は、東海地方までは一気にひろまり、その後、東北地方にも徐々に浸透しました。おおきくなったムラには豪族があらわれました。

日本の重層文化 - 東北歴史博物館 -
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弥生時代

紀元前4世紀、稲作農耕や金属器・機織りの技術をもった人々が大陸から西日本に移住してきました。「弥生時代」のはじりです。

稲作文化は九州北部にまずつたわり、東海地方までは一気にひろがりました。そして紀元前3世紀には東北地方南部、その後さらに東北地方北部まで伝播しました。温暖な東南アジアに起源をもつ稲が寒冷な東北地方までにつたわるには米づくりの技術改良もあったとかんがえられます。

こうして、狩り・漁・採集で食料をえる伝統的な生活様式は、稲作農耕の生活様式へとおおきく変化しました。

土器もかわり、あたらしい土器がしだいに普及ました。たとえば弥生時代初期の「遠賀川式土器」は、福岡県・遠賀川流域で大量に出土し、また西日本一帯に数おおく分布しますが、さらに、日本海沿岸や津軽地方、仙台平野、会津盆地などでも発見され、初期の弥生文化が東進し、そして北進するようすをこの土器の分布からうかがいしることができます。


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遠賀川式土器


当時の米は、わたしたちが今たべている米の先祖にあたり、籾はまるみをもったうるち米ジャポニカ種です。そのまま実物がのこっている例はありませんが、炭化した米や土器にのこった籾の跡でわかります。熟すと籾がすぐおちてしまうので、みのった順に穂首の部分を収穫する必要がありました。

田をおこすスキ・クワ、土をならすエブリなどは、クヌギやカシなどのかたい木でつくりました。形は、機械化される前の鉄製農具とあまりかわりません。現在は、一斉に根元から稲刈りをしますが、当時は、穂を石包丁でつみとり、ウスとキネで脱穀しました。直播きではなく、田植えをおこなったことがわかる遺跡もあります。


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クワ


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くらしの道具


この時代に金属器もつたわります。鉄では、鋭利な刃物をつくりました。西日本では、青銅で銅鐸や銅剣・銅矛をつくってまつりの道具としてつかいましたが、東北地方では、伝統的な土偶などをつかうことがおおかったようです。しかし弥生文化の影響で、青銅器の剣や矛に似た形の石器をつくってまつりの道具とすることもありました。

アクセサリーにも大陸からの影響があらわれ、あたらしい技術や材料がくわわりました。管玉の糸をとおすほそい穴は、鉄のきりをつかうなど、高度な技術をつかってあけられました。岩手県奥州市常磐遺跡や福島県会津若松市一ノ堰B遺跡の墓からはおおくの玉類が出土しています。常磐遺跡では、それまで日本ではつくられなかったガラスの小玉もみつかっています。

また「卜骨(ぼっこつ)」も中国からつたわりました。獣の骨や亀の甲に穴やくぼみをつくり、やいてできるひびわれによって吉凶や作況をうらないました。シカやイノシシの肩甲骨がよくつかわれました。

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卜骨(ぼっこつ) 










古墳時代

弥生時代のムラのいくつかはしだいにおおきくなり、その指導者たちは、ムラの人々を支配する「豪族」になりました。そしてまわりのムラもしたがえるような強大な豪族もあらわれました。「古墳時代」とは、こうした豪族が、巨大な墳丘をもつ墓である古墳を力のあかしとしてきずいた時代であり、これは、3世紀後半から7世紀はじめまでつづきました。

古墳のなかでも前方後円墳は、大和の政権とそれにしたがった地方の豪族をほうむるためにつくられました。

宮城県内では、50mをこえる大型古墳が約30基あります。これらのうち、およそ半数が4世紀代のものであり、この時期には東北各地にも豪族がうまれていたとかんがえられます。豪族のなかには、強大な権力をもったものとそれにしたがった中小の豪族がいたことが古墳の規模や形からわかります。

豪族たちのすまいは、堀や柵で周囲をかこみ、内部には、おおきな竪穴住居や掘立式の建物がたつなどの特徴がみられます。たとえば宮城県美里町山前遺跡でも、丘陵をとりまくようにほられたふかい堀が発見されました。祭祀の場所ともみられる四角形の区画もあります。

巨大な古墳をつくるような豪族は鉄製の道具を導入して農業生産力を増大させ、農民たちに農耕をやらせて富を蓄積しました。農民たちは、耕地の開発や古墳の造営など、土木工事の労働もしいられました。

また古墳時代には埴輪がさかんにつくられました。これは、古墳にたててならべられ、聖域を区画したり、葬送に関するまつりや儀式のためにつかわれました。円筒埴輪ははじめから一貫してつくられ、形象埴輪は、家形埴輪、器材埴輪、動物埴輪、人物埴輪の順に出現します。これらの出現のちがいは、まつりをおこなう支配者の変化を反映しているとかんがえられます。

 
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よろい形埴輪



朝鮮半島からつたわった技術としては「須恵器」もあります。これは、ロクロで形をつくり窯でやきあげるかたい焼き物であり、大阪府陶邑(すえむら)窯跡群で5世紀中頃に生産がはじまったことがしられ、仙台市大蓮寺窯跡では5世紀後半に生産されるようになったことがわかっています。ここにも、西日本からの技術の伝播がみられます。
 

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須恵器





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