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テルミン(東京芸術大学 第6ホール)
(平行法で立体視ができます)
電子楽器が発明されてから100年がたちました。芸術分野にも電子機器がひろまります。技術革新の中核には規格化があります。
電子楽器100年展が国立科学博物館で開催されています(注)。

世界初の電子楽器「テルミン」が発明されてから今年で100年になります。今日、電子楽器は、わたしたちの社会にひろく普及し、音楽の演奏にかぎらず、文化の創造におおきな役割をはたしています。

今回の企画展では、展示とイベントをとおして、電子楽器の歴史をふりかえり、科学的かつ芸術的に電子音楽を体験します。

ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -



電子楽器の歴史

  • 1920 テルミン発明
  • 1928 オンドマルトゥノ
  • 1934 ハモンドオルガン
  • 1940 レスリースピーカー発売
  • 1955 RCA ミュージックシンセサイザー
  • 1959 エレクトーン D-1(ヤマハ)
  • 1969 デジタル制御シンセ EMS 発売
  • 1972 ローランド設立
  • 1976 打弦式電気ピアノ CP-70(ヤマハ)
  • 1983 MIDI(musical instrument digital interface:コンピュータで、電子楽器や楽譜データをあつかうシステムの統一規格)提唱
  • 1986 デジタルピアノ発売
  • 1988 DTM(desktop music)製品(ミュージくん)発売
  • 1991 General MIDI(GM)制定、コンピューターミュージック普及
  • 1992 通信カラオケ
  • 1998 Windows 98 に音色セット(ソフトシンセ)標準搭載
  • 2003 VOCALOID 発表
  • 2013 梯郁太郎がグラミー賞受賞



レフ=テルミン(1896〜1993)

レフ=テルミンは、ロシアの首都サンクト・ペテルブルグ(当時)でうまれ、おさないころから電気機械いじりに熱中し、一方で、9歳からピアノをならい、チェロ演奏にも興味をしめします。

ペトログラード大学に入学しましたが、第一次世界大戦のために、21歳のときに第一無線大隊に配属され、軍事技術士としてロシア革命に遭遇します。

その後、無線技術研究所開設の任務でおとずれたモスクワで、ノイズを発生する無線機にかざした手のうごきに、ノイズ音のピッチが変化することに偶然 気づき、この発見がひきがねとなり、コンデンサーの容量を制御することで音程変化につながることを発見、1920年、テルミンを発明します。



梯郁太郎(1930〜2017)

梯郁太郎(かけはしいくたろう)は大阪にうまれ、1946年、大阪府立西野田工業学校を卒業、堺工業高専(現大阪府立大学)を受験するも、健康診断で胸に影がみつかり、入学を断念します。

1951年、結核の特効薬ストレプトマイシンにより劇的に病状が回復、1954年、カケハシ無線を開業、1955年、オルガン試作第1号機を製作します。

1960年、エース電子工業株式会社を設立、1962年、電子キーボード「キャナリー S2」を生産開始します。

1972年、ローランド株式会社を設立、1977年、世界初のギター・シンセサイザー「GR-500」を開発します。

1983年、MIDI(musical instrument digital interface)規格を発表、1987年、フルデジタル・プロセッシング・シンセサイザー「D-50」を発売、1988年、DTM(desktop music)の先がけ「ミュージくん」を発売します。

1996年、マイクロソフト社に GS 音色データセットをライセンス供与します。

2013年、MIDI 規格が評価され、テクニカルグラミー賞を受賞します。


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テカニカルグラミー賞の表彰盾



冨田勲(1932〜2016)

冨田勲(とみたいさお)は6歳のころ、父親の仕事でうつりすんだ北京で「回音壁」というまるい巨大な壁にであい、音の響きに興味をもちました。湾曲した壁がつらなり、不思議な反響がおこり、おもいがけない方向から父親の声がきこえるという体験をしました。これが、生涯こだわりつづける音の響きの原点となります。

その後、慶応高校に編入して下宿生活をおくっていたころ、ラジオ放送からきこえてきたストラビンスキー「春の祭典」に衝撃をうけ、作曲家をめざします。

1954年、NHK ラジオ第一放送と第二放送を同時に使用した初のステレオ音楽番組「立体音楽堂」の音楽を担当します。

冨田は、すでに改良のとまってしまった既存楽器のくみあわせによる音色に限界を感じ、シンセサイザーを購入、1974年、シンセサイザーの先駆的作品「Snow Flakes are Dancing」を米 RCA より発表、ビルボード誌のクラシック部門で日本人初の1位を獲得するとともに全世界で空前のヒットを記録、米グラミー賞4部門にノミネート、全米レコード販売者協会のクラシック部門最優秀レコードに選出されます。

冨田の立体音響は「トミタ・サウンド」とよばれて世界中で支持され、シンセサイザーを多用した革新的な作品はおおくのアーティストに多大なる影響をあたえています。


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シンセサイザー(東京芸術大学 第6ホール)




MIDI(musical instrument digital interface)


1983年1月の NAMA ショー(米国)で、MIDI 規格の実証実験が公開された。会場に用意された Sequential Circuits 社のシンセサイザー「PROPHET-600」とローランドの「JUPITER-6」が MIDI ケーブルで接続され、片方の鍵盤を弾くと、もう一方のシンセサイザーの音源が鳴る、という極めてシンプルな実験であった。


梯郁太郎が1983年に提唱した MIDI は、ことなる電子楽器同士をメーカーをこえてつなぐインターフェース(接続装置、規格)であり、さらにこれは、電子楽器とパソコンの接続も可能にし、単なるインターフェースをこえて、音楽データをパソコンでコントロールし、“キーボード” の「打ち込み」によって電子音楽を演奏できるようにしました。





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電子楽器100年の歴史のなかで、もっともおおきな技術革新は MIDI の登場でした。

音楽を記述する共通規格(共通形式)としては、五線譜が世界中でつかわれており、五線記譜法が確立したからこそ、楽譜がよめ音楽を演奏できる人なら誰でも、世界のどこにいても、作曲家がそばにいなくても、楽譜をよんで演奏ができます。五線譜は、音楽における「共通語」といってもよいでしょう。

それに対して MIDI は、電子音楽の共通規格であり、デジタル時代の音楽の共通形式です。これにより、電子楽器のデジタル化が一気にすすみ、DTM(desktop music)が確立しました。DTM とは、DTP(desktop publishing)の音楽版であり、コンピューター音楽といってもよいでしょう。DTM をつかえば、手元に楽器がなくても、ソロやバンドから壮大な管弦楽曲までを作曲したり演奏したりできます。

こうして、鍵盤のないシンセサイザーが普及し、音楽制作用のソフトウェアが多数 開発され、パソコンだけで音楽制作ができるようになりました。電子音楽が世界中にひろまりました。

作曲や編曲は、従来は、楽譜のよみかきができるプロの仕事でしたが、MIDI が開発されたことで、数値化したデータで音符をあつかえるようになり、パソコンの画面をみながらグラフィカルに制作ができるようになり、アマチュアでも、作曲や編曲や演奏が手軽にできるようになりました。

さらに音楽だけでなく、映像もふくめた「メディア創作」がデスクのうえで完結するようになりました。これは、音楽と映像における “革命” です。

MIDI を開発した梯郁太郎は MIDI を無償で世界に公開しました。自社の利益よりも業界全体の発展、音楽文化の創造を優先しました。目先の利益にとらわれて規格化に失敗した人は結構いますが、梯は、歴史的な英断をしました。

技術革新の中核には規格化がかならずあります。たとえばパソコンの OS(オペレーティングシステム)「Windows」もそうでした。あるいは CD も DVD も規格化によってうまれた商品です。規格化がなかったら社会は混乱します。規格化してこそ世界中にひろまります。

電子楽器の普及とあたらしい音楽文化の創造にも、あるいはその他のあらゆる分野の発展でも、背後に、規格化があったことをみのがしてはなりません。



▼ 注
開催場所:国立科学博物館(地下1階 多目的室)
開催期間:2019年12月3日(火)~2019年12月15日(日)
※ イベント(コンサート)は、東京芸術大学・第6ホール(2019年12月6日)
 

▼ 参考文献
国立科学博物館編集『電子楽器の技術発展の系統化調査』国立科学博物館発行、2019年3月31日