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(平行法で立体視ができます)
漢字 4000 年の歴史がわかります。漢字は簡略化されてきました。誰にとってもわかりやすい表記・表現がもとめられます。
「漢字展 ー 4000年の旅」が東洋文庫ミュージアムで開催されています(注1)。漢字 4000 年の歴史をたどります。

古代中国で誕生した漢字は、世界でもっとも字数がおおい文字といわれています。日本へは5世紀頃に伝来しました。

ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -


1.世界の文字からみる「漢字」
2.漢字の成り立ちと発展
3.漢字の伝播
4.日本における漢字文化



1.世界の文字からみる「漢字」

紀元前3100年頃、メソポタミアで楔形文字がつかわれはじめ、おなじ頃、ヒエログリフがエジプトでは使用されはじめます。インダス文明では紀元前2500年、クレタ島では紀元前1900年、中国では紀元前1500年、中央アメリカでは紀元前600年頃、それぞれの地域で最古の文字が確認できます。




2.漢字の成り立ちと発展

漢民族の文字「漢字」は、伝説上の皇帝である黄帝の時代(前25世紀頃)に蒼頡(そうけつ)という人物が発明したといわれています。

漢字の存在が資料の形で確認できるのは殷(いん:前17〜前11世紀頃)後期のもので、殷墟(いんきょ:現在の河南省安陽県)から発掘された「甲骨」に文字がきざまれており、これが現在確認できる最古の漢字「甲骨文字」です。

中国を最初に統一した秦の始皇帝(前259〜前210年)は貨幣や単位とともに漢字も統一し、この漢字は「小篆」(しょうてん)とよばれ、いまでも印鑑などにつかわれています。

小篆は、すばやい筆記にはむいていなかったため、その後、小篆を簡略化した筆記体の文字「隷書」(れいしょ)がつくられました。

前漢(前206〜8年)の時代になると、隷書からさらに文字をくずした「草書」「行書」のはしりがみられるようになります。

六朝時代(りくちょうじだい:222〜589年)には、文字の形が明瞭にわかる「楷書」がうまれ、唐代(618〜907年)に完成しました。

草書・行書・楷書というあたらしい書体の普及には、書聖と称される王羲之(おうぎし:303〜361年)が貢献しました。王羲之の文字をお手本に誰もがしました。

隋の時代に、官吏登用試験「科挙」がはじまると、文字の統一がすすみ、ただしい字「正字」がさだめられました。異字体整理の本や字典もつくられました。



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甲骨卜辞片(こうこつぼくじへん)(甲骨文字)
(前14〜前11世紀頃、殷墟(河南省安陽県)出土)
中国最古の王朝「殷」(前17〜前11世紀)の時代に、おもに占いにもちいられた獣骨や亀の腹甲を「甲骨」といい、そこにきざまれた文字が現在確認できる最古の漢字「甲骨文字」です。甲骨を加熱して生じたヒビのはいりかたで占い、占いの内容とその結果をきざみました。

 



3.漢字の伝播

漢字は、ベトナム・朝鮮・日本におもに伝播しました。その背景には、大乗仏教のひろがりがあり、漢訳仏典をとおして漢字がひろがりました。

ベトナムは、紀元前111年からおよそ1000年にわたって中国の支配下にあったので漢字が定着しました。しかし17世紀になると、フランス人宣教師をはじめとするキリスト教関係者が、ローマ字表記にベトナム語をする方法を考案し、改良しました。これは、「クオック・グー」(国語)とよばれ、現在つかわれている書記法です。

朝鮮でも漢字がつかわれていましたが、15世紀に、世宗(せじょん:1397〜1450年)が「訓民正音」によってハングルを提案しました。ハングルが考案された当初は伝統的な学者たちは「諺文」(おんもん)(通俗的な文字)としてみくだしましたが、19世紀には、ハングルのみによる公文書がつくられるようになりました。



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龍龕手鑑(りょうがんしゅかん)
(行均編、997年成立、刊行年不明、朝鮮刊)
中国遼代の僧侶である行鈞が仏典の文字を中心に編集した字典で、26000余の文字が収録されています。展示資料は、中国の版本が朝鮮半島に伝来したのち、15世紀以降に刊行された朝鮮版です。





4.日本における漢字文化

1世紀頃、漢字がきざまれた中国の貨幣などが日本に到来しましす。

3世紀頃になると、漢字を文字として認識するようになり、5世紀頃からは、儒教の経典や字典が朝鮮半島から伝来するなどして本格的に漢字をなまぶようになります。

7世紀には、日本独自の漢字「国字」がつくられ、日本語の用法にあわせた漢字のつかいかたが発展します。

8世紀頃には、それぞれの文字の意味をきりはなして、音のみをかりて日本語を表記する「万葉仮名」が成立します。

10世紀には、万葉仮名を読みやすく書きやすくするために漢字の簡略化がすすみ、「平仮名」がうまれます。平仮名に先行して、漢字の一部をぬいた「片仮名」もつくられました。たとえば「多」の字の上をとって「タ」としました。

また漢文を、日本語の語順でよむ「訓読」もおこなわれてきました。

11世紀には、平仮名による和文と漢文の書き下しとを混合させた文章の形式が確立します。

第二次大戦後の1946年には、内閣告示にっよって、使用頻度のたかい1850字が漢字のなかからえらばれ、「当用漢字表」として基準とされ、これらで書きあらわせない語は仮名表記にすることがすすめられます。

1981年には、1945字からなる「常用漢字表」が制定されます。

2010年には、常用漢字表が改定され、常用漢字は2136字になります。

近年では、コンピューターの普及によって、漢字は、書くことよりも打って変換する機会がふえ、漢字のつかいかたがおおきくかわりました。



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万葉集
(大伴家持ほか編、8世紀後半成立)
日本最古の歌集です。漢字の読みを利用して日本語(大和言葉)あらわす「万葉仮名」という表記法をもちいています。








漢字は、前25世紀頃に発明されたといわれています。

それは、イメージをシンボル化したものであり、シンボルをつかえば、メッセージをつたえるときにいちいち絵をえがかなくてすみます。情報のとりあつかいが容易になります。情報が「かるく」なるといってもよいです。たとえばコンピューターによる現代の情報処理でも、テキストのほうがイメージよりもはるかにすくない容量ですみ、情報のとりあつかいが容易です。

このように漢字の発明(文字の発明)は人間の情報処理にとって画期的なできごとでした。

そして1世紀頃以降には日本にも漢字が伝来してきました。

日本では、8世紀頃に万葉仮名がつかわれ、10世紀にはカナがつくられ、表意文字から表音文字への流れがおこりました。しかしその後も漢字はつかわれつづけ、11世紀には、漢字カナまじりという世界的にみてもめずらしい表記形式が確立しました。

ただし現在では、常用漢字がさだめられ、むずかしい漢字はほとんどつかわれなくなりました。

世界的にみても文字の歴史は、表意文字から、より簡単な表音文字へという流れがみられます。ごく一部の権力者や役人・学者だけでなく、誰もが読み書きできる表音文字のほうが普及しやすいことはあきらかです。朝鮮半島でもハングルが発明されました。

日本語をとりまく近年の状況としては日本語をまなぶ外国人が急増しているということがあります(注2)。このこともあり今後は、より簡単な漢字をつかう傾向、なるべくカナをつかう動向がますますつよまるでしょう。日本語を勉強している外国人にも理解してもらえる一層わかりやすい表記・表現がもとめられます。この方針にしたがってわたしも作文をしています。

 

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▼ 注1
漢字展ー4000年の旅
会場:東洋文庫ミュージアム
会期:2019年5月29日(水)〜9月23日(月・祝)




▼ 注2
2015年度 海外日本語教育機関調査(国際交流基金)によると、海外で、日本語学校などで日本語を勉強している外国人は約366万人います(独学者はふくみません)。