時代には波があります。平成は下り坂の時代でした。つぎの上り坂にそなえ、ポテンシャルをたかめておきます。
平成とは何だったのか?『ナショナルジオグラフィック』2019年5月号に、ジャーナリストの池上彰さんが特別寄稿しています。



昭和の終わりの1月7日、NHK 社会部の記者だった私は、皇居の中にある宮内庁から「天皇崩御」を中継で伝えた。(中略)

昭和は、戦争で彩られていた。その戦争の呪縛から解放された。平成は、そんな解放感を与えてくれる元号だった。



日本人は、「明治には」「大正には」「昭和には」といったいいかたをし、元号がかわると時代がかわったとうけとめます。昭和から平成に時代がかわったのは1989年のことでした。

この年に、ベルリンの壁が崩壊し、平成3(1991)年12月には、ソビエト社会主義共和国連邦が消滅、東西冷戦が終結し、世界秩序がおおきくかわりました。

一方、同年3月には、日本経済はバブルがはじけ、長期デフレに突入しました。

平成7(1995)年1月には、阪神・淡路大震災が発生、「関西に大地震は起きない」とおもいこんでいたなか、6434人が死亡、4万3792人が重軽傷をおう大災害となりました。

同年3月には、地下鉄サリン事件が発生、「史上初の化学兵器による無差別テロ」と海外では報道され、世界に激震がはしりました。この事件は、「銃や爆弾を持っていなくても大量殺人は可能だ」というヒントを世界の過激組織にあたえた可能性があります。

他方、同年11月には、マイクロソフトの Windows 95 が発売され(英語版は8月)、情報産業革命が一気にすすみました。

平成11(1999)年9月には、無差別殺傷事件が東京・池袋で発生しました。同年同月には山口県下関市で、平成13(2001)年6月には大阪教育大付属池田小で、平成17(2005)年2月には愛知県安城市で、同年4月には仙台市青葉区で、平成20(2008)年3月には茨城県土浦市で、同年6月には東京・秋葉原で、同年7月には東京・八王子で、平成22(2010)年6月には広島県で、平成24(2012)年6月には大阪ミナミで、平成26(2014)年3月には千葉県柏市で、平成28(2016)年7月には相模原障害者施設で、そして先月の川崎無差別殺傷事件にいたるまで、無差別殺傷事件が後をたたない国に日本はなりました。

また平成23(2011)年3月には東日本大震災が発生、空前の大災害となり、原子力発電所の「安全神話」も崩壊しました。

一方、東西冷戦がおわって、米軍基地が沖縄に存続する意味がうすれたかに一時はみえましたが、北朝鮮の核開発や中国の海洋進出をうけて日本政府の認識はかわりました。沖縄県民にとっては、「危険と隣り合わせ」の状態が今でもつづいています。

さらに日本政府は「女性活用」といいだし、その後、「女性活躍」と用語を修正、女性が活躍できる社会をめざす方針をしめしました。財務省事務次官が、みずからのセクハラ発言で辞任においこまれるという前代未聞の事件もおきました。「女性の意識と、女性に対する男性の態度」が平成になってからかわりました。






これほど急激でおおきな変化はかつてはありませんでした。「解放感」とは裏腹に、平成は激動の時代であり、同時に非常におもくるしい不安な時代でした。平成は下り坂の時代であったのであり、その下り坂は今でもつづいています。

日本のながい歴史をみても、上り坂と下り坂があり、時代には波があります。

たとえば江戸時代は、ごく大局的にみれば、元禄期までが上り坂、そのご下り坂になります。元禄期が時代のピークでした。

作家で評論家の堺屋太一は、NHK 大河ドラマの原作にもなった『峠の群像』において、元禄期を時代の「峠」ととらえ、そこでいきた人々をえがきました。

現代おいては、第二次世界大戦での敗戦によるどん底から、戦後復興、高度経済成長をなしとげ、「峠」をこえたところでやってきたのが平成でした。この下り坂はいつまでつづくのでしょうか? 堺屋太一は、2020年代の後半には上向きに転ずると予測しています。そのときにそなえてわたしたちは、ポテンシャルをたかめる努力を今はすべきです。



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▼ 参考文献
『ナショナルジオグラフィック 日本版』(2019年5月号)日経ナショナルジオグラフィック社、2019年


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