フォッサマグナが東日本と西日本を分断します。大規模な地殻変動がありました。データと仮説を区別して理解します。
グラフィックサイエンスマガジン『Newton』2019年5月号では「フォッサマグナ」について解説しています。フォッサマグナとはラテン語で「巨大な溝」を意味し、本州を東西に分断する巨大な地溝のことです。
はじめてフォッサマグナに注目したのは、「ナウマンゾウ」の化石の発見者としてもよくしられるハインリッヒ=エドムント=ナウマン(1854〜1927)です。ナウマンは、1875年(20歳のとき)にドイツより来日し、東京帝国大学などで地質学をおしえながら日本列島の地質調査をおこない、帰国後に、フォッサマグナに関する論文を発表しました。
フォッサマグナは、新潟県から伊豆半島にかけてのびる、本州を分断するほどの巨大な地溝であり、その西端は、「糸魚川—静岡構造線」とよばれる断層群であり、その西側には、日本アルプスの3000メートル級の山々がつらなっています。
フォッサマグナが形成されたとされる1500万年前よりも前にできた岩石の古地磁気をしらべたところ、東日本の岩石では「方位磁石」が反時計まわりにかたむいていて、西日本での岩石では時計まわりにかたむいていました。したがって1500万年前ごろに、東日本は反時計まわりに、西日本は時計まわりに回転するように折れまがって形成されたとする仮説がたてられました。これを「観音開き説」といいます。
また「北部フォッサマグナ」は、火山岩と砂や泥からなる堆積岩とでおもにできており、くわえて過去に深海にしずんでいた形跡がみとめられます。一方の「南部フォッサマグナ」は火山岩でおもにできていますが、サンゴなどの「南の海の化石」がおおく発見されます。これらのことから「北部フォッサマグナ」のエリアでは海底火山が何度も噴火し、「南部フォッサマグナ」のエリアでは、南方にあった伊豆・小笠原弧の島々が北上してきて断続的に本州に衝突したのではないかという仮説がたてられます。
これらのことから、日本列島あるいは「プレート」の比較的おおきな移動・運動が地質時代におこって、現在の日本列島が形成されたのだとかんがえられます。
日本列島は、もともとは現在のような姿ではなく、そもそも列島ではなくてユーラシア大陸の縁辺でした。その縁辺が、ユーラシア大陸から分離して日本列島が形成され、同時に、日本海も形成されたとする仮説が現在では有力です。
このような過程で、日本列島やプレートがどのように移動したのかをしるためにフォッサマグナの研究が役立ちます。
地球の内部には、熱くなったマントルが、煙(プルーム)のように上昇する「ホットプルーム」という現象があることがしられており、大規模なホットプルームは上部マントルと地殻をつきぬけて、マグマを噴出させます。フォッサマグナで確認された海底火山活動や日本列島の移動・運動などは、このような「スーパーホットプルーム」によってひきおこされたのではないかとかんがえられます。
このような大規模な地殻変動によって、日本列島は結果的に、どちらかというと南北方向に東日本はのび、東西方向に西日本はのびるという構造になり、このことが、たとえば大陸に由来する稲作文化は関東あたりまでは容易にひろがりましたが、それより北方では、気温がさがるために簡単には普及しなかったという歴史をうみだしました。東日本の人々と西日本の人々とでは気質がことなるということもこのような自然環境と歴史によって説明できるかもしれません。
地質学の話は、専門用語と情報量がおおくてわかりにくいことがおおいですが、このように、データ(事実)と仮説(解釈)を区別して整理してみると、どのようなデータからどのような仮説がたてられるのかがあきらかになり、理解がすすみます。これは推理小説の方法とおなじです。
▼ 参考文献
『Newton』(2019年5月号)、ニュートンプレス、2019年
ナウマンは、長野県から西をながめたとき、山脈が壁のようにそびえ立つ得意な景色におどろき、強い感動を覚えたといいます。
フォッサマグナは、古い岩石(約5億4200万年前〜約6600万年前)でできた溝の中に、新しい岩石(6600万年前〜約258万年前)がつまった構造をしていて、溝の深さは6000メートル以上にもおよぶと考えられています。
はじめてフォッサマグナに注目したのは、「ナウマンゾウ」の化石の発見者としてもよくしられるハインリッヒ=エドムント=ナウマン(1854〜1927)です。ナウマンは、1875年(20歳のとき)にドイツより来日し、東京帝国大学などで地質学をおしえながら日本列島の地質調査をおこない、帰国後に、フォッサマグナに関する論文を発表しました。
フォッサマグナは、新潟県から伊豆半島にかけてのびる、本州を分断するほどの巨大な地溝であり、その西端は、「糸魚川—静岡構造線」とよばれる断層群であり、その西側には、日本アルプスの3000メートル級の山々がつらなっています。
フォッサマグナが形成されたとされる1500万年前よりも前にできた岩石の古地磁気をしらべたところ、東日本の岩石では「方位磁石」が反時計まわりにかたむいていて、西日本での岩石では時計まわりにかたむいていました。したがって1500万年前ごろに、東日本は反時計まわりに、西日本は時計まわりに回転するように折れまがって形成されたとする仮説がたてられました。これを「観音開き説」といいます。
- 東日本:反時計まわり
- 西日本:時計まわり
また「北部フォッサマグナ」は、火山岩と砂や泥からなる堆積岩とでおもにできており、くわえて過去に深海にしずんでいた形跡がみとめられます。一方の「南部フォッサマグナ」は火山岩でおもにできていますが、サンゴなどの「南の海の化石」がおおく発見されます。これらのことから「北部フォッサマグナ」のエリアでは海底火山が何度も噴火し、「南部フォッサマグナ」のエリアでは、南方にあった伊豆・小笠原弧の島々が北上してきて断続的に本州に衝突したのではないかという仮説がたてられます。
- 北部フォッサマグナ:海底火山活動
- 北部フォッサマグナ:南方の島々が衝突
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これらのことから、日本列島あるいは「プレート」の比較的おおきな移動・運動が地質時代におこって、現在の日本列島が形成されたのだとかんがえられます。
日本列島は、もともとは現在のような姿ではなく、そもそも列島ではなくてユーラシア大陸の縁辺でした。その縁辺が、ユーラシア大陸から分離して日本列島が形成され、同時に、日本海も形成されたとする仮説が現在では有力です。
このような過程で、日本列島やプレートがどのように移動したのかをしるためにフォッサマグナの研究が役立ちます。
地球の内部には、熱くなったマントルが、煙(プルーム)のように上昇する「ホットプルーム」という現象があることがしられており、大規模なホットプルームは上部マントルと地殻をつきぬけて、マグマを噴出させます。フォッサマグナで確認された海底火山活動や日本列島の移動・運動などは、このような「スーパーホットプルーム」によってひきおこされたのではないかとかんがえられます。
このような大規模な地殻変動によって、日本列島は結果的に、どちらかというと南北方向に東日本はのび、東西方向に西日本はのびるという構造になり、このことが、たとえば大陸に由来する稲作文化は関東あたりまでは容易にひろがりましたが、それより北方では、気温がさがるために簡単には普及しなかったという歴史をうみだしました。東日本の人々と西日本の人々とでは気質がことなるということもこのような自然環境と歴史によって説明できるかもしれません。
地質学の話は、専門用語と情報量がおおくてわかりにくいことがおおいですが、このように、データ(事実)と仮説(解釈)を区別して整理してみると、どのようなデータからどのような仮説がたてられるのかがあきらかになり、理解がすすみます。これは推理小説の方法とおなじです。
▼ 参考文献
『Newton』(2019年5月号)、ニュートンプレス、2019年