のどかな風景がかつてはありました。東京は巨大都市化しました。記録をとっておくとのちの時代に役立ちます。
企画展「100年前の東京と自然 - プラントハンター ウィルソンの写真から -」が国立科学博物館で開催されています。

A.H.ウィルソンは、アジアでおもに活動したプラントハンターであり、100年前に日本にきて、植物調査のかたわら多数の写真を撮影しました。今回の企画展では、ウィルソンの写真と現在の写真をならべてみることにより、東京の今昔をみくらべることができます。

たとえば以下の地点の写真をみくらべられます。

  1. 小金井堤(小金井市)
  2. 皎月院(八王子市)
  3. 浄福字(八王子市)
  4. 王子神社(北区)
  5. 高円寺(杉並区)
  6. 目黒不動尊(目黒区)
  7. 鎌田菖蒲園(大田区)
  8. 小石川植物園(文京区)
  9. 神田川・中之橋(新宿区)
  10. 英国大使館前(千代田区)
  11. 芝公園(港区)
  12. 善福寺(港区)
  13. 吉祥寺(文京区本駒込)
  14. 谷中霊園(台東区)
  15. 寛永寺・上野公園(台東区)
  16. 吾妻橋(サッポロ・ビアガーデン大名屋敷跡)(墨田区)
  17. 靖国神社(千代田区)
  18. 日比谷公園(千代田区)

If we do not get such records of them in the shape of photographs and specimens, a hundred years hence many will have disappeared entirely.(もし写真や標本で記録を残さなかったならば、100年後にはその多くは消えてなくなってしまうだろう。)
(アーネスト・ヘンリー・ウィルソン 1920年)


ウィルソンの写真によって、いまはなき東京ののどかな風景がかいまみられ、こんな時代もあったのかとおもいしらされます。

ウィルソンは、1914(大正3)年にはじめて日本をおとずれ、屋久島から北海道・樺太まで足をのばし、また1917年に再来日し、2年かけて沖縄諸島・小笠原諸島・朝鮮半島・台湾をおとずれました。この間に採集した植物標本は5000点あまり、撮影した写真は1300点あまりにもおよびます。

当時の日本は、日清・日露戦争で勝利し、領土を拡大し、近代化の道をつきすすんでいました。東京の風景から江戸の名残が姿をけしていき、欧米風の帝都がつくられていました。ウィルソンは、「あまりに先を急ぎ過ぎている」となげきました。

それから1世紀あまり、東京は、関東大震災と東京大空襲によって壊滅と復興をくりかえし、東京オリンピックによって急激に開発されて巨大都市化しました。いまでは世界最大の「メガシティ」になっています。

ウィルソンは、小石川植物園を植物調査の拠点としました。小石川植物園は日本最古の現存する植物園であり、1684年に徳川家が御薬園(薬草園)をつくり、明治時代には、東京大学付属の植物園になりました。園内には、ウィルソンが撮影した、世界ではじめて種子植物の精子が発見されたイチョウや、薬用として植栽されたサネブトナツメなどがいまでもみられます。




ウィルソンが膨大な撮影をした背景には、個人的な興味もあったでしょうが、それ以上に、近代化のために変化していく日本の姿をのこしてしておかなければならないという使命感がありました。

わたしたち日本人とはちがい、外からの目で客観的に日本をみることができたウィルソンだったからこそ、急激に変貌していく日本の様子がよくわかったのだとおもいます。

今昔の写真をみくらべればあきらなように、東京は、想像を絶する巨大都市となりました。

しかし近代化・機械文明化をすすめるあまり、人間らしい生活空間がうしなわれ、機械に人間があわせる状況が生じ、いちじるしい人間疎外が生じています。

今後、巨大都市を運営していくにあたって、さしあたり植物をふやすことが必要です。植物がふえればいやしの空間がふえます。また植物に関心をもつ人々もすこしはふえるのではないかとおもいます。



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▼ 注1
企画展「100年前の東京と自然 - プラントハンター ウィルソンの写真から -」
会場:国立科学博物館・日本館地下1階 多目的室および地球館1階 オープンスペース
会期:2019年4月13日~6月16日
※ 写真撮影は許可されていません。



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