「Xハ」とのべて題目を提示します。「Xハ」の「ハ」は、「ガ」「ノ」「ニ」「ヲ」を兼務します。日本語には “主語” はありません。
三上章著 『象は鼻が長い - 日本文法入門 -』(くろしお出版)は、日本語の文法的手段として重要な助詞、なかでも、ハのつかいかたをくわしく解説しています。本書にでている例文をよんで練習すれば「Xハ」と「Xガ」のつかいわけができるようになります。
第一章「ハ」の兼務
Xハの両面
日本語で典型的な文(センテンス)は「Xハ」ではじまる「題述関係」の文です。「Xハ」は、「Xニツイテ言エバ」の心持ちであり、題目を提示します(題目は提題ともいいます)。「Xニツイテ」は中身の予告、「言エバ」は話し手の態度の宣言であり文末(述部の言い切り)と呼応します。
「象ハ鼻ガ長イ」から、題目「象」を底(base)とする名詞句をつくるとつぎのようになります。
この名詞句の名詞「鼻」を底(base)とする名詞句をつくると、今度は助詞「ノ」があらわれてきます。
助詞「ノ」は、題目「象ハ」の「ハ」のかげからあらわれてきたのであり、「ハ」に潜在していました。
「象ハ鼻ガ長イ」という最初の文の中身(事柄)はつぎのようにあらわせます。
「象ノ鼻ガ長イ」ことを相手につたえたいとき、「象ニツイテ言エバ」という心持ちで「象」を題目として提示すると、「象ノ」は「象ハ」となって「ノ」は潜在化し、「象ハ鼻ガ長イ」となります。
「象ハ鼻ガ長イ」における「象ハ」の「ハ」は「ノ」を兼務しています。つまり、「象ハ鼻ガ長イ」といった場合、「象ハ」として題目を提示するとともに、「象ノ鼻ガ長イ」という事柄(内容)もしめしているのであり、「ハ」には「ノ」が潜在しているとみなせます。「象ハ鼻ガ長イ」といえば「象ハソノ鼻ガ長イ」という必要はありません。
「Xハ」の「ハ」は、「ノ」だけでなく「ガ」「ニ」「ヲ」も兼務できます。
Xガ
「Xハ」は「Xガ」を兼務することがおおいです。
「象ノ鼻ガ長クアル」ことをのべるとき、「象ノ鼻ニツイテ言エバ」という心持ちで「象ノ鼻」を題目として提示するとつぎのようになります。
「象ノ鼻ハ長イ」といえば、「ハ」が題目を提示するとともに「象ノ鼻ガ長イ」という内容をしめし、「ハ」は「ガ」を兼務もします。
という事柄をのべるとき、「父ニツイテ言エバ」という心持ちで「父」を題目として提示するとつぎのようになります。
「父ハ、酔ッテ帰ルコトガ時々アリマス」といえば、「ハ」が題目を提示するとともに「父ガ酔ッテ・・・」という内容をしめし、「ハ」は「ガ」を兼務もします。
という事柄をのべるとき、「カレニツイテ言エバ」という心持ちで「カレ」を題目にするとつぎのようになります。
「カレハ花ヲ折ッタニチガイナイ」といえば、「ハ」が題目を提示するとともに「カレガ花ヲ・・・」という内容をしめし、「ハ」は「ガ」を兼務もします。
しかし「花ニツイテ言エバ」という心持ちで「花」を題目にするとつぎのようになります。
「花ハ、カレガ折ッタニチガイナイ」といえば、「ハ」が題目を提示するとともに「花ヲ、カレガ折ッタニチガイナイ」という内容をしめし、「ハ」は「ヲ」を兼務もします。
「カレ」を提示するか(とりたてるか)、「花」を提示するか(とりたてるか)によってちがう文になります。
係助詞「ハ」は、大きくはたらいて文末まで作用しますが、格助詞「ガ」「ヲ」「ニ」などは、顕在のものも潜在のものも、動詞や形容詞の語幹まで係って役目が解消し、文末まで達する余力をもたず、連体「ノ」は名詞に係るのですからなおさら余力をもちません。
強力な「Xハ」、微力な「Xガ」ということです。あるいは「Xハ」は、ちょっとたちどまって前方を見渡すはたらきをもち、「ガ」「ノ」「ニ」「ヲ」にはこの見渡しがなく、すぐにつぎとくっつきます。「ハ」のほうが次元がたかいわけです。
Xヲ
「花ハカレガ折ッタニチガイナイ」において「花ハ」は「花ヲ」を兼務しています。「Xハ」は「Xヲ」を兼務することもできます。
「理事長ニツイテ言エバ」という心持ちで「理事長」を題目にするとつぎのようになります。
「理事長ハ」と題目を提示し、「理事長ヲ、理事ノ互選デキメル」という内容をあらわします。「理事長ハ、理事ノ互選デキメル」といえば、「理事長ハ、ソレヲ、理事ノ互選デキメル」という必要はありません。 「ハ」は題目をしめすとともに「ヲ」を兼務します。
返事の例としてつぎの文がかんがえられます。
(a)では、「ココニアッタ新聞ハ」と題目を提示し、「ココニアッタ新聞ヲ、給仕ガ片ヅケタヨウデス」という内容をあらわし、「ハ」は題目をしめすとともに「ヲ」を兼務しています。
(b)では、「ココニアッタ新聞ハ」と題目を提示し、「ココニアッタ新聞ガ、向コウノ机ノ上ニアリマス」という内容をあらわし、「ハ」は題目をしめすとともに「ガ」を兼務しています。
「ココニアッタ新聞ハ」という題目は、「ココニアッタ新聞ニツイテ言エバ」という心持ちであり、このような「Xハ」の作用は大きく文末まで達します。
「コノ問題ハ」は、「コノ問題ニツイテ言エバ」という心持ちで題目を提示し、「ハ」は本務として題目を提示し、文末の「アル」と呼応します。事柄の内容は「コノ問題ヲ、モットヨク考エテミル必要ガアル」ということであり、「ハ」は「ヲ」を兼務し、意味上の関与は、「コノ問題ヲ」がちいさく「考ガエテミ」に係ってそれでおしまいです。
このように、「ハ」には本務と兼務の役割があり、本務は大きく遠くまで係り、兼務は近くに係り、本務と兼務では射程がことなります。本務と兼務にわけてかんがえることはすべての「Xハ・・・」について必要です。
XニとXデ
「Xは」は、静的な位置をあらわす「Xニ」を兼務することもできます。位置といっても所ばかりでなく、時や人をさすこともあります。
「秋ハ」と題目を提示し、「秋ニ、イロンナ行事ガ続ク」ことをあららし、「ハ」は題目を提示するとともに「ニ」を兼務します。
「日本ハ」と題目を提示し、「日本ニ温泉ガ多クアル」ことをあらわし、「ハ」は題目を提示するとともに「ニ」を兼務します。
「ワタシドモハ」と題目を提示し、「ワタシドモニ、娘ガ三人トムスコガヒトリアル」ことをあらわし、「ハ」は題目を提示するとともに「ニ」を兼務します。
しかし方向をあらわす「ニ」の場合は「ハ」は「ニ」を兼務できず、題目は、「Xニハ」となって格助詞「ニ」がのこり、「ハ」は、本務としての題目だけの役割をはたします。たとえば「任三郎が東京駅に富太郎をつれていった」という事柄について、「任三郎は東京駅に富太郎をつれていった」あるいは「富太郎は任三郎が東京駅につれていった」とはいえますが、「東京駅は任三郎が富太郎をつれていった」とはいえません。「東京駅には任三郎が富太郎をつれていった」となります。
(c)では、「彼女ハ」と題目を提示し、「彼女ニ英語ガ話セル」ことをあらわします。(d)は、「彼女ニハ」と題目を提示し、「彼女ニ英語ガ話セル」ことをあらわします。どちらの文も可能ですが、(c)の「ハ」は「ニ」を兼務するのに対し、(d)の「ハ」は「ニ」を兼務しません。「Xハ」と「Xニハ」のどちらもつかえますが、「Xハ」のほうがさかんにつかわれます。せまくて明確な「Xニハ」に対し、おおまかに題目をきりだし、とくに文頭で融通がきく「Xハ」をつかう場合がおおいです。
「ニ」に由来するものに格助詞「デ」があり、場所・手段・原因をあらわし、これらのうち場所をあらわす「デ」だけが、場所の「ニ」とならんで「ハ」に兼務されます。
「会場ハ」と題目を提示し、「会場デ余興が始マッテイル」ことをあらわし、「ハ」は題目を提示するとともに「デ」を兼務します。
手段・原因をあらわす「デ」の場合は「ハ」は「デ」を兼務することはできません。たとえば「太郎が文書で事件を報告した」ことについて、「太郎は文書で事件を報告した」あるいは「事件は太郎が文書で報告した」とはいえますが、「文書は太郎が事件を報告した」とはいえません。「文書では太郎が事件を報告した」となります。
T( )(時と数詞)
時や場合をあらわす名詞はそのままで、つまり助詞をつけない「はだしの形」で動詞に係ります。
助詞がいらないことを名詞のあとを一字分あけてしめしてあります。
「キノウ 大風ガ吹イタ」ことについて「キノウ」を題目として提示すると「キノウハ」となります。
「昔 京都ガミヤコデアッタ」ことについて「昔」を題目として提示すると「昔ハ」となります。
「ウマクイッタ場合 数千円ニナル」ことについて「ウカクイッタ場合」を題目として提示すると「ウマクイッタ場合ハ」となります。
時の名詞だけでなく、数詞(不定数詞をふくむ)も助詞なしに動詞に係ります。
Xノx
「象ハ」と題目を提示し、「ハ」は「ノ」を兼務します。
「Xノx」という形によって「X」の性質や消息をあらわす場合にはその「X」を題目としてとりたてることができます。
「京都ニツイテ言エバ」という心持ちで「京都」を題目としてとりたてることができます。
「京都ノ」は「京都ハ」となり、「ハ」は「ノ」を兼務します。「京都ハ秋ガイイ」といえば「京都ハソノ秋ガイイ」という必要はありません。
「Xノ」を兼務する「Xハ」の例はたくさんあります。
「ワタシガ彼女ノ婚礼ノナコウドヲシタ」ことを相手にのべるとき、「彼女ノ婚礼」が意識の焦点にうかびあがったので、「彼女ノ婚礼ニツイテ言エバ」という心持ちで題目を提示すると「彼女ノ婚礼ハワタシガナコウドヲシタ」となります。「彼女ノ婚礼ハ」は「彼女ノ婚礼ノ」を兼務し、つまり「ハ」は題目をしめすとともに「ノ」を兼務します。
「私ニツイテ言エバ」という心持ちで「私」を題目として提示するとともに「私ノ腹ガ痛イ」ことをのべ、「私ハ」は「私ノ」を兼務しています。「私ニツイテ言エバ、私ノ腹ガ痛イ」んですというメッセージをつたえるときにこの表現がつかえます。
「Xハ」は題目を提示しているであっていわゆる主語ではありません。「Xハ・・・Xガ・・・」型の文法的処理にもなれ、この型の文も是非つかいこなしてください。
モノ(名詞の反復)
「象」を題目にして「象ハ鼻ガ長イヨ」といえます。しかし「鼻」を題目にしてつぎのようにもいえます。
象につぐ長鼻動物がいた場合にそれと比較したいいかたです。「象ノ鼻ガ長クアル」ことにおいて、「ガ長イ」が短絡によって一つとんで前の「象」という名詞にくっついた例です。
「日本は、師走ノアワタダシサハガ特別ハゲシイヨウダ」ともいえますし、「師走ノアワタダシサハ、日本ガ特別ハゲシイヨウダ」ともいえます。「日本」についてのべるのか、「師走ノアワタダシサ」についてのべるのかによって文がことなります。あなたのメッセージの題目(主題)は何なのか? 明確にしておく必要があります。
「鼻ハ、象ガ長イヨ」は、名詞をくりかえしてのべてもよいです。
このような名詞の反復は、ある名詞を題目としてとりたてたあとの空所( )をおなじ名詞でふさぐとみるとわかりやすいです。
( )には「辞書」がはいります。しかし「モノ」や「ノ」をいれることもできます。
「モノ」や「ノ」はさかんにつかわれています。あらためて確認してみるとよいでしょう。
第二章「ハ」の本務
ピリオド越え
「Xハ」が、ピリオド(マル、句点)を越えて次々の文までおよんでいく例があります。
一文一文をしいて完全独立させればつぎのようになります。
最初の文の題目(吾輩は)におんぶして、そのあとの文では題目を省略しています。最初の題目(Xハ)にはピリオドをこえる能力があり、極端にならないかぎり、このような「略題」も日本語としては正当さをもちます。略題の文は “主語” のない不完全な文ということではなく、日本語にはそもそも “主語” はありません。
題目「Xハ」は、相手にわかっているとおもえばいちいちくりかえさなくてもよく、場面の状況で了解が成立していればはじめから一回もいわなくてすむこともあります。
このような場合には略題が可能です。
コンマ越え
「Xハ」は、ピリオドにさえぎられないのですから、コンマ(テン、読点)にもさえぎられません。たとえばつぎの文をみてください。
「人ハ」は、3つの動詞につぎつぎと対等に係っていきます。
つぎの文はどうでしょうか。
この文は、つぎの3つの事柄をのべています。
「ソノ本ハ」は、コンマを越えて3つの動詞に係ります。「Xハ」は普通は、途中の副次句をとばして文末の主要句に係るものですが、「通りがけに」途中の動詞にも係ることがあり、それを「コンマ越え」といいます。しかも「ハ」の兼務は、上記の例の「ヲ」「ガ」のように、一種類の助詞にかぎらず、複数の助詞を複数回(数格数回を)やってのけます。
このような数格数回はピリオド越えの場合にもおこります。
つぎの例文もみてください。
この前半の文は悪文の例です。コンマ越えがはたらいて、その米飛行機は・・・(何かを)撃ち落としたということになってしまいます。ソ連の発表は、その米飛行機が、ウラル山中の上空まで侵入してきたので、ロケットの一撃でその米軍機をそこで撃ち落としたということでしょう。修正例文はつぎのようになります。
ところがソ連の発表はまるで違う。その米飛行機が、ウラル山中の上空まで侵入してきたので、ロケットの一撃でそこで撃ち落としたのだという。しかも操縦士は生きており、モスクワに連れてこられ、名前まで発表されている。
コレとソレ
この文は、つぎのように簡潔に表現することもできます。
日本の現代文学は、始まってから伝統ができたと言える程の時間もたっていない。
「Xハ」と題目を提示(提題)しているのですから「ソレガ」「ソノ」がなくてもわかります。提題とは、「ソレ」の領域に題目をさしだすことだともいえます。だから「X」をもしさしたいなら「ソレ」をつかうべきであり、そこへさしだしたばかりの「X」を「コレ」でさすのはおだやかではありません。
第三章「ハ」の周囲
Xナラ(条件法)
つぎの2文をみてください。
はじめの文は「条件法」であり、相手の立場(新聞ガ要イルカ要ラナイカ)に気をくばっているのに対し、つぎの文は「提示法」であり、相手の立場を不問にして「新聞」だけを正面にすえています。条件法(新聞ガ要レバ)は条件つきの題目を提示し、提示法(新聞ハ)は一般的な題目を無条件で提示します。
つぎの例も同様です。
このように題目には、条件つきの題目と一般的な無条件の題目とがあります。条件法の末尾の「バ」と提示法の「ハ」とはもともとはおなじ助詞だったという推定があります。
Xモ、Xデモ
「彼ハ」は単独な提題、「彼モ」は追加の提題です。「モ」は、「ハ」に何かをくわえたものであり、形のうえでこそ「ハ」をふくみませんが、意味のうえでは「ハ」のうえに追加する場合につかいます。
条件法の場合はつぎのようになります。
「個人的参加ハ、ソレヲ許可スル」、「個人的参加モ、ソレヲ許可シナイ」とはいえませんので注意してください。
X—
「Xハ」は、助詞をともなわない「X—」(はだしの名詞)が題目の役目をすることがあります。格助詞でよくぬけるのは「ガ」「ヲ」「二」であり、これは、「ハ」や「モ」が兼務する「ガ」「ヲ」「二」です。例文の空カッコのなかにはどんな助詞が本来ははいるでしょうか?
「ト」や「カラ」は、ぬけると混乱・誤解がおこるのでぬかすことはできません。ぬかすことができる助詞どもと「ハ」の兼務する助詞どもとが一致するのは偶然ではありません。
たとえば、
ことを相手につたえたいとき、「亀」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
となります。しかし「足」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
となります。しかし「亀の足」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
となります。
これらの語と語の関係を構造的にあらわすとつぎのようになります。
あるいは、
ことを相手につたえたいとき、「広島」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
となります。しかし「大雨」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
となります。
これらの語と語の関係を構造的にあらわすとつぎのようになります。
例文)名古屋の会社に勤務している太郎さんは、きのうは広島に出張して1泊して、さきほど帰宅しました。太郎さんは、「広島は大雨がふった。びっくりしたよ」と家族に報告しました。一方、広島にすんでいる花子さんは東京にすんでいる姉に電話をして、「大雨は広島にふったの。でも山口や島根は小雨だったみたい。天気予報ははずれたわ」といいました。
つぎの例もみてください。
ことを相手につたえたいとき、「海辺の村」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
となります。しかし「アザラシ」を題目として提示すると、
となります。「海辺の村の大きな男たち」を題目とすると、
となります。
語と語の関係を構造的にあらわすとつぎのようになります。
題目として何をとりあげればよいか? たとえばこの文では、行政マンだったら「海辺の村」を、生物学者だったら「アザラシ」を、民族学者だったら「海辺の村の大きな男たち」をとりあげるかもしれません。
「Xハ」は、「Xニツイテ言エバ」の心持ちで題目を提示するのですから、何について相手にのべたいのか、「X」に何をいれるのかがそもそもきまっていなければなりません。すなわち文を書く(アウトプットする)まえに、題目あるいは課題・主題をはっきりさせる、心のなかのプロセシングをすすめておくことが肝要です。
三上章著『象は鼻が長い』は、「Xハ・・・」という文のつくり方をたくさんの例文をあげてくわしく解説しています。「Xハ」と「Xガ」のつかいわけで混乱してしまっている人がいるかもしれませんが、本書をよんで練習すれば、「Xハ」と「Xガ」のつかいわけが確実にできるようになります。
「象は鼻が長い」「亀は足が短い」「広島は大雨がふった」という文をよんで “主語” が二重になっていて日本語はあいまいな言葉だと誤解した人がいましたが、日本語にはそもそも “主語” はありません。「Xハ」も「Xガ」も “主語” ではなく、日本語にみられる「Xハ・・・」という文は、「主語-述語」という主述関係では理解できず、“主語” という観念をすてないかぎりわかりやすい日本語を書くことはできません。
このような日本語の語順は世界的にみて特殊なものでは決してなく、ペルシャ語・ヒンディー語・ネパール語・ビルマ語・チベット語・バスク語・ラテン語・朝鮮語・アイヌ語なども、語順として、目的語が動詞の前にあらわれる言語です。他方、イギリス語・ドイツ語・スペイン語・フランス語・ベトナム語・ロシア語・中国語などは、語順として、動詞が目的語の前にあらわれます。
世界のそれぞれの言語には、それぞれの語順あるいは文法があるのであって、イギリス語やフランス語の語順や文法は日本語にはあてはまりません。これまで、ヨーロッパ語の文法を日本語に無理にあてはめた教育のために、どれだけおおくの日本人が日本語の作文で苦労する結果になったことか。
三上章(1903〜1971)は「主語廃止論」を首尾一貫して主張した言語学者です。主語廃止ときいてびっくりする人もいるかもしれませんが、今日ではひろくうけいれられています。『象は鼻が長い』は三上の代表作であり、わかりやすい日本語を書くために是非ともよんでおきたい一冊です。
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わかりやすい日本語を書く(練習4の修正例) - 日本語の作文技術 -
▼ 参考文献
三上章著 『象は鼻が長い - 日本文法入門 -』くろしお出版、1960年
▼ 関連書籍
第一章「ハ」の兼務
1.Xハの両面
2.無題化ということ
3.Xガ
4.Xヲ
5.Xに、Xデ
6.T( )
7.Xのx
8.モノ
9.雑例
第二章「ハ」の本務
1.題述の呼応
2.ピリオド越え
3.コンマ越え
4.コレとソレ
第三章「ハ」の周囲
1.Xナラ
2.Xモ、Xデモ
3.X—
第一章「ハ」の兼務
Xハの両面
象ハ鼻ガ長イ。
日本語で典型的な文(センテンス)は「Xハ」ではじまる「題述関係」の文です。「Xハ」は、「Xニツイテ言エバ」の心持ちであり、題目を提示します(題目は提題ともいいます)。「Xニツイテ」は中身の予告、「言エバ」は話し手の態度の宣言であり文末(述部の言い切り)と呼応します。
「象ハ鼻ガ長イ」から、題目「象」を底(base)とする名詞句をつくるとつぎのようになります。
鼻ガ長イ象
この名詞句の名詞「鼻」を底(base)とする名詞句をつくると、今度は助詞「ノ」があらわれてきます。
象ノ長イ鼻
助詞「ノ」は、題目「象ハ」の「ハ」のかげからあらわれてきたのであり、「ハ」に潜在していました。
「象ハ鼻ガ長イ」という最初の文の中身(事柄)はつぎのようにあらわせます。
象ノ鼻ガ長イ koto
「象ノ鼻ガ長イ」ことを相手につたえたいとき、「象ニツイテ言エバ」という心持ちで「象」を題目として提示すると、「象ノ」は「象ハ」となって「ノ」は潜在化し、「象ハ鼻ガ長イ」となります。
「象ハ鼻ガ長イ」における「象ハ」の「ハ」は「ノ」を兼務しています。つまり、「象ハ鼻ガ長イ」といった場合、「象ハ」として題目を提示するとともに、「象ノ鼻ガ長イ」という事柄(内容)もしめしているのであり、「ハ」には「ノ」が潜在しているとみなせます。「象ハ鼻ガ長イ」といえば「象ハソノ鼻ガ長イ」という必要はありません。
「Xハ」の「ハ」は、「ノ」だけでなく「ガ」「ニ」「ヲ」も兼務できます。
Xガ
「Xハ」は「Xガ」を兼務することがおおいです。
象ノ鼻ガ長クアル koto
「象ノ鼻ガ長クアル」ことをのべるとき、「象ノ鼻ニツイテ言エバ」という心持ちで「象ノ鼻」を題目として提示するとつぎのようになります。
象ノ鼻ハ長イ。
「象ノ鼻ハ長イ」といえば、「ハ」が題目を提示するとともに「象ノ鼻ガ長イ」という内容をしめし、「ハ」は「ガ」を兼務もします。
「父ガ酔ッテ帰ル事」ソウイウ事ガ時々アル koto
という事柄をのべるとき、「父ニツイテ言エバ」という心持ちで「父」を題目として提示するとつぎのようになります。
父ハ、酔ッテ帰ルコトガ時々アリマス。
「父ハ、酔ッテ帰ルコトガ時々アリマス」といえば、「ハ」が題目を提示するとともに「父ガ酔ッテ・・・」という内容をしめし、「ハ」は「ガ」を兼務もします。
「カレガ花ヲ折ッ」タニチガイナイ koto
という事柄をのべるとき、「カレニツイテ言エバ」という心持ちで「カレ」を題目にするとつぎのようになります。
カレハ花ヲ折ッタニチガイナイ。
「カレハ花ヲ折ッタニチガイナイ」といえば、「ハ」が題目を提示するとともに「カレガ花ヲ・・・」という内容をしめし、「ハ」は「ガ」を兼務もします。
しかし「花ニツイテ言エバ」という心持ちで「花」を題目にするとつぎのようになります。
花ハ、カレガ折ッタニチガイナイ。
「花ハ、カレガ折ッタニチガイナイ」といえば、「ハ」が題目を提示するとともに「花ヲ、カレガ折ッタニチガイナイ」という内容をしめし、「ハ」は「ヲ」を兼務もします。
「カレ」を提示するか(とりたてるか)、「花」を提示するか(とりたてるか)によってちがう文になります。
係助詞「ハ」は、大きくはたらいて文末まで作用しますが、格助詞「ガ」「ヲ」「ニ」などは、顕在のものも潜在のものも、動詞や形容詞の語幹まで係って役目が解消し、文末まで達する余力をもたず、連体「ノ」は名詞に係るのですからなおさら余力をもちません。
「ハ」は大きく大まかに係る。
ガノニヲは小さくきちんと係る。
強力な「Xハ」、微力な「Xガ」ということです。あるいは「Xハ」は、ちょっとたちどまって前方を見渡すはたらきをもち、「ガ」「ノ」「ニ」「ヲ」にはこの見渡しがなく、すぐにつぎとくっつきます。「ハ」のほうが次元がたかいわけです。
Xヲ
「花ハカレガ折ッタニチガイナイ」において「花ハ」は「花ヲ」を兼務しています。「Xハ」は「Xヲ」を兼務することもできます。
理事ノ互選デ理事長ヲキメル koto
「理事長ニツイテ言エバ」という心持ちで「理事長」を題目にするとつぎのようになります。
理事長ハ、理事ノ互選デキメル。
「理事長ハ」と題目を提示し、「理事長ヲ、理事ノ互選デキメル」という内容をあらわします。「理事長ハ、理事ノ互選デキメル」といえば、「理事長ハ、ソレヲ、理事ノ互選デキメル」という必要はありません。 「ハ」は題目をしめすとともに「ヲ」を兼務します。
ココニアッタ新聞ハ?
返事の例としてつぎの文がかんがえられます。
(a)ココニアッタ新聞ハ、給仕ガ片ヅケタヨウデス。
(b)ココニアッタ新聞ハ、向コウノ机ノ上ニアリマス。
(a)では、「ココニアッタ新聞ハ」と題目を提示し、「ココニアッタ新聞ヲ、給仕ガ片ヅケタヨウデス」という内容をあらわし、「ハ」は題目をしめすとともに「ヲ」を兼務しています。
(b)では、「ココニアッタ新聞ハ」と題目を提示し、「ココニアッタ新聞ガ、向コウノ机ノ上ニアリマス」という内容をあらわし、「ハ」は題目をしめすとともに「ガ」を兼務しています。
「ココニアッタ新聞ハ」という題目は、「ココニアッタ新聞ニツイテ言エバ」という心持ちであり、このような「Xハ」の作用は大きく文末まで達します。
コノ問題ハ、モットヨク考エテミル必要ガアル。
「コノ問題ハ」は、「コノ問題ニツイテ言エバ」という心持ちで題目を提示し、「ハ」は本務として題目を提示し、文末の「アル」と呼応します。事柄の内容は「コノ問題ヲ、モットヨク考エテミル必要ガアル」ということであり、「ハ」は「ヲ」を兼務し、意味上の関与は、「コノ問題ヲ」がちいさく「考ガエテミ」に係ってそれでおしまいです。
このように、「ハ」には本務と兼務の役割があり、本務は大きく遠くまで係り、兼務は近くに係り、本務と兼務では射程がことなります。本務と兼務にわけてかんがえることはすべての「Xハ・・・」について必要です。
XニとXデ
「Xは」は、静的な位置をあらわす「Xニ」を兼務することもできます。位置といっても所ばかりでなく、時や人をさすこともあります。
秋ニ、イロンナ行事ガ続ク koto
秋ハ、イロンナ行事ガ続キマス。
「秋ハ」と題目を提示し、「秋ニ、イロンナ行事ガ続ク」ことをあららし、「ハ」は題目を提示するとともに「ニ」を兼務します。
日本ニ温泉ガ多クアル koto
日本ハ温泉ガ多イ。
「日本ハ」と題目を提示し、「日本ニ温泉ガ多クアル」ことをあらわし、「ハ」は題目を提示するとともに「ニ」を兼務します。
ワタシドモニ娘ガ三人トムスコガヒトリアル koto
ワタシドモハ、娘ガ三人トムスコガヒトリゴザイマス。
「ワタシドモハ」と題目を提示し、「ワタシドモニ、娘ガ三人トムスコガヒトリアル」ことをあらわし、「ハ」は題目を提示するとともに「ニ」を兼務します。
しかし方向をあらわす「ニ」の場合は「ハ」は「ニ」を兼務できず、題目は、「Xニハ」となって格助詞「ニ」がのこり、「ハ」は、本務としての題目だけの役割をはたします。たとえば「任三郎が東京駅に富太郎をつれていった」という事柄について、「任三郎は東京駅に富太郎をつれていった」あるいは「富太郎は任三郎が東京駅につれていった」とはいえますが、「東京駅は任三郎が富太郎をつれていった」とはいえません。「東京駅には任三郎が富太郎をつれていった」となります。
(c)彼女ハ英語ガ話セマス。
(d)彼女ニハ英語ガ話セマス。
(c)では、「彼女ハ」と題目を提示し、「彼女ニ英語ガ話セル」ことをあらわします。(d)は、「彼女ニハ」と題目を提示し、「彼女ニ英語ガ話セル」ことをあらわします。どちらの文も可能ですが、(c)の「ハ」は「ニ」を兼務するのに対し、(d)の「ハ」は「ニ」を兼務しません。「Xハ」と「Xニハ」のどちらもつかえますが、「Xハ」のほうがさかんにつかわれます。せまくて明確な「Xニハ」に対し、おおまかに題目をきりだし、とくに文頭で融通がきく「Xハ」をつかう場合がおおいです。
「ニ」に由来するものに格助詞「デ」があり、場所・手段・原因をあらわし、これらのうち場所をあらわす「デ」だけが、場所の「ニ」とならんで「ハ」に兼務されます。
会場デ余興ガ始マッテイル koto
会場ハ余興ガ始マッテイル。
「会場ハ」と題目を提示し、「会場デ余興が始マッテイル」ことをあらわし、「ハ」は題目を提示するとともに「デ」を兼務します。
手段・原因をあらわす「デ」の場合は「ハ」は「デ」を兼務することはできません。たとえば「太郎が文書で事件を報告した」ことについて、「太郎は文書で事件を報告した」あるいは「事件は太郎が文書で報告した」とはいえますが、「文書は太郎が事件を報告した」とはいえません。「文書では太郎が事件を報告した」となります。
T( )(時と数詞)
時や場合をあらわす名詞はそのままで、つまり助詞をつけない「はだしの形」で動詞に係ります。
アス 京都ヘ行キマス。
ツバメハ、春 来テ、秋 帰リマス。
気ガツイタ時 ワタシハ病院ノ一室ニイタ。
ソンナ場合 キミナラドウスル?
助詞がいらないことを名詞のあとを一字分あけてしめしてあります。
キノウ 大風ガ吹イタ koto
キノウハ大風ガ吹イタ。
「キノウ 大風ガ吹イタ」ことについて「キノウ」を題目として提示すると「キノウハ」となります。
昔 京都ガミヤコデアッタ koto
昔ハ、京都ガミヤコデシタ。
「昔 京都ガミヤコデアッタ」ことについて「昔」を題目として提示すると「昔ハ」となります。
ウマクイッタ場合 数千円ニナル koto
ウマクイッタ場合ハ数千円ニナル。
「ウマクイッタ場合 数千円ニナル」ことについて「ウカクイッタ場合」を題目として提示すると「ウマクイッタ場合ハ」となります。
時の名詞だけでなく、数詞(不定数詞をふくむ)も助詞なしに動詞に係ります。
ハエガ一匹 死ンダ。
ハエヲ一匹 殺シタ。
手ガ少シ 汚レテイマスカラ、
手ヲ少シ 汚シテイマスカラ、
Xノx
象ハ鼻ガ長イナア!
「象ハ」と題目を提示し、「ハ」は「ノ」を兼務します。
「Xノx」という形によって「X」の性質や消息をあらわす場合にはその「X」を題目としてとりたてることができます。
京都ノ秋がイイ koto
「京都ニツイテ言エバ」という心持ちで「京都」を題目としてとりたてることができます。
京都ハ秋ガイイ。
「京都ノ」は「京都ハ」となり、「ハ」は「ノ」を兼務します。「京都ハ秋ガイイ」といえば「京都ハソノ秋ガイイ」という必要はありません。
「Xノ」を兼務する「Xハ」の例はたくさんあります。
カレノ笑イガ止マラナカッタ koto
カレハ笑イガ止マラナカッタ。
コノてすとノ問題ノ出シ方がマズクアル koto
コノてすとハ、問題ノ出シ方がマズイヨ。
市町村長ガ市町村ノ代表者トナル koto
市町村ハ、市町村長ガ代表者トナル。
広島ガカキ料理ノ本場デアル koto
カキ料理ハ広島ガ本場デス。
ソノ返事ガカレノ気ニ入ッタ koto
カレハ、ソノ返事ガ気ニ入ッタ。
ワタシガ彼女ノ婚礼ノナコウドヲシタ koto
彼女ノ婚礼ハワタシガナコウドヲシタ。
「ワタシガ彼女ノ婚礼ノナコウドヲシタ」ことを相手にのべるとき、「彼女ノ婚礼」が意識の焦点にうかびあがったので、「彼女ノ婚礼ニツイテ言エバ」という心持ちで題目を提示すると「彼女ノ婚礼ハワタシガナコウドヲシタ」となります。「彼女ノ婚礼ハ」は「彼女ノ婚礼ノ」を兼務し、つまり「ハ」は題目をしめすとともに「ノ」を兼務します。
私ハ腹ガ痛イ。
「私ニツイテ言エバ」という心持ちで「私」を題目として提示するとともに「私ノ腹ガ痛イ」ことをのべ、「私ハ」は「私ノ」を兼務しています。「私ニツイテ言エバ、私ノ腹ガ痛イ」んですというメッセージをつたえるときにこの表現がつかえます。
「Xハ」は題目を提示しているであっていわゆる主語ではありません。「Xハ・・・Xガ・・・」型の文法的処理にもなれ、この型の文も是非つかいこなしてください。
モノ(名詞の反復)
象ノ鼻ガ長クアル koto
「象」を題目にして「象ハ鼻ガ長イヨ」といえます。しかし「鼻」を題目にしてつぎのようにもいえます。
鼻ハ、象ガ長イヨ。
象につぐ長鼻動物がいた場合にそれと比較したいいかたです。「象ノ鼻ガ長クアル」ことにおいて、「ガ長イ」が短絡によって一つとんで前の「象」という名詞にくっついた例です。
日本ノ師走ノアワタダシサガ特別ハゲシクアル koto
師走ノアワタダシサハ、日本ガ特別ハゲシイヨウダ。
「日本は、師走ノアワタダシサハガ特別ハゲシイヨウダ」ともいえますし、「師走ノアワタダシサハ、日本ガ特別ハゲシイヨウダ」ともいえます。「日本」についてのべるのか、「師走ノアワタダシサ」についてのべるのかによって文がことなります。あなたのメッセージの題目(主題)は何なのか? 明確にしておく必要があります。
「鼻ハ、象ガ長イヨ」は、名詞をくりかえしてのべてもよいです。
鼻ハ、象ノ鼻ガ長イヨ。
このような名詞の反復は、ある名詞を題目としてとりたてたあとの空所( )をおなじ名詞でふさぐとみるとわかりやすいです。
ナルベク新シイ辞書ヲ買ウ koto
辞書ハ、ナルベク新シイ( )ヲ買イタマエ。
( )には「辞書」がはいります。しかし「モノ」や「ノ」をいれることもできます。
辞書ハ、ナルベク新シイモノヲ辞書イタマエ。
辞書ハ、ナルベク新シイノヲ買イタマエ。
「モノ」や「ノ」はさかんにつかわれています。あらためて確認してみるとよいでしょう。
オ酒ハ、先日買ッタモノがマダ少シ残ッテオリマス。
オ酒ハ、先日買ッタノがマダ少シ残ッテオリマス。
貝ニハ、大キイモノヤラ小サイモノヤラアリマス。
貝ニハ、大キイノヤラ小サイノヤラアリマス。
天体望遠鏡ハ、近年スグレタモノガ作ラレルヨウニナッタ。
天体望遠鏡ハ、近年スグレタノガ作ラレルヨウニナッタ。
第二章「ハ」の本務
ピリオド越え
「Xハ」が、ピリオド(マル、句点)を越えて次々の文までおよんでいく例があります。
我輩は猫である。名前はまだ無い。
どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニヤーニヤーと泣いて居た事丈は記憶して居る。吾輩はここで始めて人間といふものを見た。・・・
一文一文をしいて完全独立させればつぎのようになります。
我輩は猫である。
吾輩(に)は名前はまだ無い。
吾輩は、どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。
吾輩は、何でも薄暗いじめじめした所でニヤーニヤーと泣いて居た事丈は記憶して居る。
最初の文の題目(吾輩は)におんぶして、そのあとの文では題目を省略しています。最初の題目(Xハ)にはピリオドをこえる能力があり、極端にならないかぎり、このような「略題」も日本語としては正当さをもちます。略題の文は “主語” のない不完全な文ということではなく、日本語にはそもそも “主語” はありません。
題目「Xハ」は、相手にわかっているとおもえばいちいちくりかえさなくてもよく、場面の状況で了解が成立していればはじめから一回もいわなくてすむこともあります。
- 前文や前々文の題目が響きつづけているとき
- 提示の形ではなくても前文で注意の焦点にあった単語が、題目の地位に自然にせりあがったとき
- 暗黙の了解が成立したとき
このような場合には略題が可能です。
コンマ越え
「Xハ」は、ピリオドにさえぎられないのですから、コンマ(テン、読点)にもさえぎられません。たとえばつぎの文をみてください。
人は生まれて、苦しんで、そうして死ぬ。
「人ハ」は、3つの動詞につぎつぎと対等に係っていきます。
つぎの文はどうでしょうか。
その本は僕も読んだが、たいへんおもしろかったから、君もぜひ読んでみたまえ。
この文は、つぎの3つの事柄をのべています。
ソノ本ヲ僕モ読ンダ koto
ソノ本ガタイヘンオモシロカッタ koto
ソノ本ヲ君モ読ンデミル koto
「ソノ本ハ」は、コンマを越えて3つの動詞に係ります。「Xハ」は普通は、途中の副次句をとばして文末の主要句に係るものですが、「通りがけに」途中の動詞にも係ることがあり、それを「コンマ越え」といいます。しかも「ハ」の兼務は、上記の例の「ヲ」「ガ」のように、一種類の助詞にかぎらず、複数の助詞を複数回(数格数回を)やってのけます。
このような数格数回はピリオド越えの場合にもおこります。
つぎの例文もみてください。
ところがソ連の発表はまるで違う。その米飛行機はウラル山中の上空まで侵入し、そこでロケットの一撃で撃ち落としたのだという。しかも操縦士は生きており、モスクワに連れてこられたと、その名前まで発表している。
この前半の文は悪文の例です。コンマ越えがはたらいて、その米飛行機は・・・(何かを)撃ち落としたということになってしまいます。ソ連の発表は、その米飛行機が、ウラル山中の上空まで侵入してきたので、ロケットの一撃でその米軍機をそこで撃ち落としたということでしょう。修正例文はつぎのようになります。
ところがソ連の発表はまるで違う。その米飛行機が、ウラル山中の上空まで侵入してきたので、ロケットの一撃でそこで撃ち落としたのだという。しかも操縦士は生きており、モスクワに連れてこられ、名前まで発表されている。
コレとソレ
日本の現代文学は、それが始まってからその伝統ができたと言える程の時間もたっていない。
この文は、つぎのように簡潔に表現することもできます。
日本の現代文学は、始まってから伝統ができたと言える程の時間もたっていない。
「Xハ」と題目を提示(提題)しているのですから「ソレガ」「ソノ」がなくてもわかります。提題とは、「ソレ」の領域に題目をさしだすことだともいえます。だから「X」をもしさしたいなら「ソレ」をつかうべきであり、そこへさしだしたばかりの「X」を「コレ」でさすのはおだやかではありません。
母たちが教師に託している期待というものは、僕はそれを考えると、自分がこわくなります。
第三章「ハ」の周囲
Xナラ(条件法)
つぎの2文をみてください。
新聞ガ要レバ、ココニアリマスヨ。
新聞ハ、ココニアリマスヨ。
はじめの文は「条件法」であり、相手の立場(新聞ガ要イルカ要ラナイカ)に気をくばっているのに対し、つぎの文は「提示法」であり、相手の立場を不問にして「新聞」だけを正面にすえています。条件法(新聞ガ要レバ)は条件つきの題目を提示し、提示法(新聞ハ)は一般的な題目を無条件で提示します。
つぎの例も同様です。
ワカラナイコトガアレバ、何デモ聞キタマエ。
ワカラナイコトハ、何デモ聞キタマエ。
このように題目には、条件つきの題目と一般的な無条件の題目とがあります。条件法の末尾の「バ」と提示法の「ハ」とはもともとはおなじ助詞だったという推定があります。
Xモ、Xデモ
彼ハ来タ。
彼モ来タ。
「彼ハ」は単独な提題、「彼モ」は追加の提題です。「モ」は、「ハ」に何かをくわえたものであり、形のうえでこそ「ハ」をふくみませんが、意味のうえでは「ハ」のうえに追加する場合につかいます。
条件法の場合はつぎのようになります。
個人的参加ナラ、ソレヲ許可スル。
個人的参加デモ、ソレヲ許可シナイ。
「個人的参加ハ、ソレヲ許可スル」、「個人的参加モ、ソレヲ許可シナイ」とはいえませんので注意してください。
X—
アノ映画( )トテモヨカッタワ。
ソンナコト( )イヤヨ。
アノヒト( )これ( )読メルカシラ?
「Xハ」は、助詞をともなわない「X—」(はだしの名詞)が題目の役目をすることがあります。格助詞でよくぬけるのは「ガ」「ヲ」「二」であり、これは、「ハ」や「モ」が兼務する「ガ」「ヲ」「二」です。例文の空カッコのなかにはどんな助詞が本来ははいるでしょうか?
「ト」や「カラ」は、ぬけると混乱・誤解がおこるのでぬかすことはできません。ぬかすことができる助詞どもと「ハ」の兼務する助詞どもとが一致するのは偶然ではありません。
*
たとえば、
亀の足が短い
ことを相手につたえたいとき、「亀」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
亀は足が短い。
となります。しかし「足」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
足は亀が短い。
となります。しかし「亀の足」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
亀の足は短い。
となります。
これらの語と語の関係を構造的にあらわすとつぎのようになります。
あるいは、
大雨が広島にふった
ことを相手につたえたいとき、「広島」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
広島は大雨がふった。
となります。しかし「大雨」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
大雨は広島にふった。
となります。
これらの語と語の関係を構造的にあらわすとつぎのようになります。
例文)名古屋の会社に勤務している太郎さんは、きのうは広島に出張して1泊して、さきほど帰宅しました。太郎さんは、「広島は大雨がふった。びっくりしたよ」と家族に報告しました。一方、広島にすんでいる花子さんは東京にすんでいる姉に電話をして、「大雨は広島にふったの。でも山口や島根は小雨だったみたい。天気予報ははずれたわ」といいました。
つぎの例もみてください。
海辺の村の大きな男たちがアザラシをつかまえて食べる
ことを相手につたえたいとき、「海辺の村」についていえば、という心持ちで題目を提示すると、
海辺の村は、大きな男たちがアザラシをつかまえて食べる。
となります。しかし「アザラシ」を題目として提示すると、
アザラシは、海辺の村の大きな男たちがつかまえて食べる。
となります。「海辺の村の大きな男たち」を題目とすると、
海辺の村の大きな男たちはアザラシをつかまえて食べる。
となります。
語と語の関係を構造的にあらわすとつぎのようになります。
題目として何をとりあげればよいか? たとえばこの文では、行政マンだったら「海辺の村」を、生物学者だったら「アザラシ」を、民族学者だったら「海辺の村の大きな男たち」をとりあげるかもしれません。
「Xハ」は、「Xニツイテ言エバ」の心持ちで題目を提示するのですから、何について相手にのべたいのか、「X」に何をいれるのかがそもそもきまっていなければなりません。すなわち文を書く(アウトプットする)まえに、題目あるいは課題・主題をはっきりさせる、心のなかのプロセシングをすすめておくことが肝要です。
三上章著『象は鼻が長い』は、「Xハ・・・」という文のつくり方をたくさんの例文をあげてくわしく解説しています。「Xハ」と「Xガ」のつかいわけで混乱してしまっている人がいるかもしれませんが、本書をよんで練習すれば、「Xハ」と「Xガ」のつかいわけが確実にできるようになります。
「象は鼻が長い」「亀は足が短い」「広島は大雨がふった」という文をよんで “主語” が二重になっていて日本語はあいまいな言葉だと誤解した人がいましたが、日本語にはそもそも “主語” はありません。「Xハ」も「Xガ」も “主語” ではなく、日本語にみられる「Xハ・・・」という文は、「主語-述語」という主述関係では理解できず、“主語” という観念をすてないかぎりわかりやすい日本語を書くことはできません。
このような日本語の語順は世界的にみて特殊なものでは決してなく、ペルシャ語・ヒンディー語・ネパール語・ビルマ語・チベット語・バスク語・ラテン語・朝鮮語・アイヌ語なども、語順として、目的語が動詞の前にあらわれる言語です。他方、イギリス語・ドイツ語・スペイン語・フランス語・ベトナム語・ロシア語・中国語などは、語順として、動詞が目的語の前にあらわれます。
世界のそれぞれの言語には、それぞれの語順あるいは文法があるのであって、イギリス語やフランス語の語順や文法は日本語にはあてはまりません。これまで、ヨーロッパ語の文法を日本語に無理にあてはめた教育のために、どれだけおおくの日本人が日本語の作文で苦労する結果になったことか。
三上章(1903〜1971)は「主語廃止論」を首尾一貫して主張した言語学者です。主語廃止ときいてびっくりする人もいるかもしれませんが、今日ではひろくうけいれられています。『象は鼻が長い』は三上の代表作であり、わかりやすい日本語を書くために是非ともよんでおきたい一冊です。
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▼ 参考文献
三上章著 『象は鼻が長い - 日本文法入門 -』くろしお出版、1960年
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