自然教育園は、都市緑地における生物相のモニタリングサイトです。遷移により、陰樹林(極相林)に森林はなりつつあります。園内をあるいてみずから発見するおもしろさがあります。
シンポジウム「大都会に息づく生き物たち - 附属自然教育園の生物相調査より -」が国立科学博物館で開催されました(注1)。国立科学博物館附属自然教育園は皇居や明治神宮などにならぶおおきな都市緑地であり、天然記念物および史跡に指定され、四季折々の自然にふれられる場所としておおくの人々に したしまれています。
このたび、2016年から2018年にかけて、国立科学博物館の動物研究部・植物研究部が中心になって自然教育園の生物相調査をおこない、その調査成果の発表がありました。
自然教育園では過去にも、1977〜1979年と1998〜2000年の2回、大規模な調査をおおなっています。今回は3回目の調査となり、これまでの生物相の変遷をあきらかにするという点でも意義があります。
具体的には、以下のような報告がありました。
国立科学博物館付属自然教育園は、大都市の中心にありながらゆたかな自然がのこる貴重な都市緑地です。室町時代には、豪族「白金長者」がこの地に館をかまえ、その際にきずいた土塁跡が今でもみとめられ、そのころからはえているスダジイの巨木などもみられます。江戸時代には、高松藩主下屋敷がおかれ、老松が、当時の庭園の面影をのこしています。現在は、人の手をなるべくいれない緑地となり、都市緑地における生物相モニタリングサイトとして、また緑地の重要性をしってもらうための教育施設としておおきな役割をはたしています。
ほかの植物園とはちがい、ここには、知識をあたえられるというよりも、みずから発見するおもしろさがあります。ゆっくりと観察しながら園内をあるいてみるとよいでしょう。
▼ 注1
シンポジウム「大都会に息づく生き物たち - 附属自然教育園の生物相調査より -」
▼ 注2
国立科学博物館付属自然教育園
このたび、2016年から2018年にかけて、国立科学博物館の動物研究部・植物研究部が中心になって自然教育園の生物相調査をおこない、その調査成果の発表がありました。
自然教育園では過去にも、1977〜1979年と1998〜2000年の2回、大規模な調査をおおなっています。今回は3回目の調査となり、これまでの生物相の変遷をあきらかにするという点でも意義があります。
具体的には、以下のような報告がありました。
チョウ類とガ類
2年間、昼から夜までの調査をおこなった結果、300種以上が記載されました。都心では数がすくなくなった種が教育園内の水生植物園を中心にみつかり、貴重な生態系の姿があきらかになりました。
クモ類
数次の調査の結果、約200種のクモ類の生息が確認されました。大都会に特徴的なクモ類がふくまれます。
寄生虫
3年間の調査の結果、鳥・プランクトン・魚などに寄生するさまざまな寄生虫がみつかりました。寄生虫の種と生態にはおどろかされます。都心にいる身近な生き物からも寄生虫がみつります。
種子植物
自然教育園は、ほかの植物園とはちがい、原則として人の手をいれていないので植物の自然な変化を観察することができます。現在は、落葉広葉樹林から常緑広葉樹林への遷移がみられ、極相林になりつつあります。
菌類
不思議な菌類(カビ、キノコ)がみつかります。野外観察にくわえて、近年の DNA 分析の成果が注目されます。
鳥類
皇居・明治神宮とならんで自然教育園の森林はカラスの重要なねぐらになっています。都会のあちこちで餌をあさっていたカラスは夜になると森でねます。ただし都内のゴミ置き場、ゴミ回収システムが改善されたためにカラスの餌がへり、都内のカラスの数は以前よりもへりました。
またオオタカの繁殖が、皇居と明治神宮につぎ確認されました。2017年に、はじめて営巣が確認され、2018年には、営巣とともに、2羽の雛の巣立ちが確認されました。オオタカは、生態系の頂点に位置する種であり、食物となる小鳥類などが豊富にえられる環境でしか繁殖することができません。繁殖例は希少です。
自然教育園は、普通の植物園とはちがい、原則として人の手をいれないで、植生の「遷移」を観察できるようにしています。遷移(植生遷移)とは、植物の存在しない裸地から、一定の方向性をもって植生がうつりかわっていく現象をいいます。
遷移のうち、陸地からはじまるものを「乾性遷移」、湖沼からはじまるものを「湿性遷移」といいます。また乾性遷移のなかで、溶岩流跡地や大規模な山崩れなどの跡地からはじまるものを「一次遷移」、山火事跡や大規模な森林伐採跡からはじまるものを「二次遷移」といいます。
乾性遷移(一次遷移)はつぎのようにふつうは遷移します。
「裸地・荒原→草原→低木林→陽樹林→混交林→陰樹林(極相林)」
自然教育園では現在は、「混交林」から「陰樹林」への遷移、陰樹林(極相林)になりつつあるところをみることができます。
アカマツなどの「陽樹」は成長がはやいため陽樹林を形成しますが、陽樹林の林床はややくらいため、耐陰性のひくい陽樹の芽生えは生育できなくなります。そして耐陰性のたかいシイやカシなどの「陰樹」の芽生えが育成します。
やがて陽樹と陰樹がまじる「混交林」となり、林冠を構成していた先駆樹種の陽樹が寿命や台風でたおれると、「極相樹種」(極相種)である陰樹が林冠をつくるようになり、陽樹から陰樹への樹種の交代がおこります。これを移行期といいます。
陰樹の幼木は、くらい森林の林床でもそだつので陰樹林は安定してつづきます。この安定した状態を「極相」(クライマックス)といい、極相に達した森林を極相林といいます。
遷移の初期にあらわれる先駆樹種は乾燥につよく、成長もはやく、種子の散布力にすぐれていますが、比較的寿命はみじかく、耐陰性にもおとります。これに対して極相樹種は、成長はおそいですが寿命はながく、おおきくそだつことがしられています。
遷移の初期にあらわれる先駆樹種は乾燥につよく、成長もはやく、種子の散布力にすぐれていますが、比較的寿命はみじかく、耐陰性にもおとります。これに対して極相樹種は、成長はおそいですが寿命はながく、おおきくそだつことがしられています。
ただし極相林の林冠を構成している陰樹が台風などでたおれるなどの撹乱がおこると、林床に光がとどくようになります。この部分を「ギャップ」といい、ギャップでは、陽樹が育成して林冠まで達することがあります。ギャップがつぎつぎにできた場合は、極相林でも、さまざまな樹種がモザイク状にいりまじるようになります。
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国立科学博物館付属自然教育園は、大都市の中心にありながらゆたかな自然がのこる貴重な都市緑地です。室町時代には、豪族「白金長者」がこの地に館をかまえ、その際にきずいた土塁跡が今でもみとめられ、そのころからはえているスダジイの巨木などもみられます。江戸時代には、高松藩主下屋敷がおかれ、老松が、当時の庭園の面影をのこしています。現在は、人の手をなるべくいれない緑地となり、都市緑地における生物相モニタリングサイトとして、また緑地の重要性をしってもらうための教育施設としておおきな役割をはたしています。
ほかの植物園とはちがい、ここには、知識をあたえられるというよりも、みずから発見するおもしろさがあります。ゆっくりと観察しながら園内をあるいてみるとよいでしょう。
▼ 注1
シンポジウム「大都会に息づく生き物たち - 附属自然教育園の生物相調査より -」
▼ 注2
国立科学博物館付属自然教育園