情報のインプットは大量におこなっておいたほうがよいです。「あっ、そういえば→検索」の方法がつかえます。
NHK ラジオ英会話のテキストの連載「池上彰のこんな本どうですか」の第8回では広中平祐著『学問の発見』を紹介しています。学生のころにわたしも本書をよんで感銘をうけました。



なぜ人は苦労して学び、知識を得ようとするのか。私は、それに対して、「知恵」を身につけるためだ、と答えることにしている。学ぶという中には知恵という、目に見えないが生きていく上に非常に大切なものがつくられていくと思うのである。この知恵がつくられる限り、学んだことを忘れることは人間の非とならないのである。例えば、忘れたことをもう一度必要にせまられて取り戻そうとする時、一度も勉強したことのない、全然聞いたことも経験したこともない人と違って、最低、心の準備ぐらいはできるし、時間をかければさほど苦労しなくてもそのことを理解できることだってある。(広中平祐)


なにかを一度でも勉強したことがあると、かなり時間がたってから「あっ、そういえばあのとき!」とおもいだされることがあります。わすれていたのにどうしておもいだされたのか自分でもよくわかりません。しかしなにも勉強していなければそんなことはおこりようもありません。

勉強を、人間の情報処理と意識という観点からとらえなおしてみると、勉強するとは、見たり読んだり聞いたり、目や耳などをつかって情報を意識のなかにとりこみ、そして理解し記憶することです。情報をとりこむことはインプット、情報を理解し記憶することはプロセシングといってもよいでしょう(図1)。意識とは内面とか心といってもよいです。するとその情報は知識として心のなかに保持されます。

181128 あのとき
図1 勉強のしくみ


ところが人間には忘却があります。せっかくおぼえたのに時間がたつにつれてわすれてしまいます。おもいだせません。

しかしふとした拍子に、何かのきっかけでおもいだされることがあります。どうしてでしょうか? これは、一度インプットした情報は、表面意識からはきえていても潜在意識にはのこっていたからだとかんがえられます。潜在意識の存在は心理学などで証明されています。何かのきっかけがあると関係のありそうな情報が潜在意識から表面意識にあがってきます。そして「あっ、そういえば」ということになるわけです。

場合によっては、「あっ、そういえば」からつぎの「あっ、そういえば」がでてきます。連想がはたらきます。連想がさらなる連想をうみだします。そしてひらめきが生じたり、文章がうかんできたりすることもあります。連想の重要性について広中平祐さんも強調しています。

「あっ、そういえば」と突然おもいだされた記憶はあやふやかもしれません。すぐにはつかえないかもしれません。しかし今日は、インターネットがあります。インターネットで検索してすぐに確認することができます。むかしよんだで今はもっていなくても、検索して図書館でかりたり、アマゾンや楽天であらためて買ったりすることもできます。「あっ、そういえば→検索」という方法が重要です。これは、ネットサーフィンをやっているだけの人とはちがいます。

あっ、そういえば → 検索

「あっ、そういえば」という経験は誰にでもあるとおもいます。しかしその回数がおおい人とすくない人とがいます。インプット量がそもそもおおいとその回数がおおくなりますが、インプット量がすくないとその回数もすくなくなります。やはり、インプットは大量におこなっておいたほうがよいです。つまり勉強しておくということです。

わたしも今回、池上彰さんの記事をよんで「あっ、そういえば」となりました。広中平祐さんの本をもし昔よんでいなかったらこうはなりませんでした。


▼ 参考文献
広中平祐著『学問の発見 数学者が語る「考えること・学ぶこと」』(ブルーバックス)講談社、2018年(1982年に発行された『学問の発見』(佼成出版社)の復刻・新装版です)
『NHK ラジオ英会話 2018年11月号』(NHKテキスト)NHK出版、2018年