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バーミアン壁画
(クローン文化財)
シルクロードの地理と歴史を概観できます。東西の交流をとおして文化が発展しました。多様性をみとめる社会をつくるためにシルクロードが参考になります。
特別展「シルクロード新世紀 - ヒトが動き、モノが動く -」が古代オリエント博物館で開催されています(注1)。シルクロードに関わる国内の主要な考古・美術・歴史資料を一挙に集成し、先史時代から中世・近代までの数千年にわたる地域間交流の一大パノラマを通観するという企画です。


第1展示室 シルクロード 創生
第2展示室 シルクロード 成長
第3展示室 シルクロード 円熟
第4展示室 シルクロード 多様化


第1展示室 シルクロード 創生
発掘された石器や土器をみながらシルクロードの源流をさぐります。先史時代に、ヒトの交流がすでにはじまっていました。

ヒトは、アフリカ大陸からユーラシア大陸へ拡散しました。旧石器時代から、文明が各地で成立する青銅器時代ごろに、地域から地域へヒトが移動をくりかえすなか、モノと技術も伝播していきました。旧石器時代のユーラシアでは、数千kmはなれた場所でよく似た石器や技術がみつかっており、それらは、ヒトが移動し交流したことの証拠かもしれません。

およそ1万2千年前に最終氷期がおわり、ユーラシア大陸の自然環境が変化すると人々の生活もおおきくかわりました。人々は、農耕牧畜という食料生産技術をうみだし、土器もつくりはじめました。この変革は大陸規模でおこったことがしられており、それぞれの核となった地域のあいだには相互関係があったかもしれません。西アジアの「麦作農耕+牧畜」文化と東アジアの「稲作農耕+牧畜」文化とのあいだでいくらかの交流があったかもしれません。



第2展示室 シルクロード 成長 - 技術革新と経済発展 -
貴石や金属器などをみながら都市や都市国家の成立と交流の様子をみていきます。

前3000年ごろから、ユーラシア大陸の中緯度地帯で都市あるいは都市国家が誕生しました。文明のあけぼのです。文明は、権威や権力を維持し荘厳にするために珍奇な品々を必要としました。神秘的な光沢をはなつ貴石はその代表的なものでした。そして金属器(青銅器・鉄器)が発明され、各地に伝播しました。文明がよりゆたかに、よりつよくなるために、そして戦争の道具として金属器は必須のものとなりました。金属器の発明は非常におおきな技術革新であったといってよいでしょう。

「シルクロード」は、このような技術革新と技術伝播と一体となって、移動経路や交易路が徐々につながっていき、ユーラシア大陸の東西をむすぶ大動脈へと発展していきました。はじめからつながった道だったのではありません。さらに車輪・騎馬という交通手段が発達し、ますます迅速にかつとおくまでモノと技術がはこべるようになりました。こうして、各地の都市や都市国家はいちじるしい経済発展をとげていきました。



第3展示室 シルクロード 円熟 - 社会と文化の発展 -
さまざまな彫刻やうつくしい工芸品などをみながら古代帝国の成立と東西交流をたどります。

紀元前後〜9世紀にかけて、西では、ローマ/ビザンツ帝国やサーサーン朝、東では漢・唐など、広大な領域を支配する古代帝国があいついで成立しました。それぞれの帝国は富と権力を掌握し、国を統治するために社会制度を整備しました。

一方で、周辺諸地域もまきこみながら、これまでにない大規模な東西交流がはじまり、モノと技術が移動するだけでなく、ユーラシア大陸の東西が影響しあってあらたな美の世界がうまれました。ガンダーラ仏教美術などはその代表例です。こうしていわゆる高等宗教も発達し、それぞれの地域で高度な精神文化が形成されていきました。



第4展示室 シルクロード 多様化 - 前近代文明の成熟 -
絹織物・壁画・陶磁器などをとおして文化の多様化と成熟をみます。

絹織物は、中国では、殷代(前1500〜前1100年ごろ)にすでに生産されていたとされ、前漢(前202〜後8年)以降に東西交易がさかんになって西へはこばれるようになるとともに、西方でも、絹糸をもちいて織物を生産するようになりました。漢の錦は経糸に色糸をつかう「経錦」(たてにしき)であり、こまやかな文様や画数のおおい漢字までもうつくしくおりだします。西方では、緯糸に色糸をつかう毛織物の技法をもちいて人物や動物などのモチーフをおおきく表現しました。ペルシアなどでおられた派手やかな「緯錦」(よこにしき)が東へはこばれたことがしられており、隋(581〜618年)から唐(618〜907年)の初めには、西方の錦の影響により、連珠円文(数珠状につらなった珠が円をえがく意匠)のなかに天馬や騎馬狩猟図などをおおきくあらわす緯錦が中国で生産されるようになります。法隆寺につたわる国宝「四騎獅子狩紋錦」(しきししかりもんきん)はそのような錦の最高級品であり、シルクロードの東西文化交流の賜物といえます。

シルクロードがもっともかがやいていたのは唐代といってよいでしょう。唐の繁栄が最高潮に達し、シルクロードの東半分がそっくり唐の領土になっていました。

この時代のシルクロード交易をほぼ独占していた民族がソグド人です。現在のウズベキスタンのサマルカンドを中心とした地域に定住していたイラン系の民族であり、彼らのはなすソグド語は、シルクロードの共通語の役割をはたしていました。ソグド商人は単独で行動していたのではなく、キャラバンをくんで移動していました。そのリーダーは中国では「薩宝」とよばれ、ソグド後の語源は「sartpaw」で、「キャラバンのリーダー」という意味です。正倉院や法隆寺にはソグド人の面がたくさんのこされており、中国で当時流行していたソグド人が登場する仮面劇が日本にもはいってきていたとかんがえられます。

ソグド人は、ゾロアスター教(別名拝火教)を信仰しており、これは中国にもつたわりました。長安の西のバザールのまわりにゾロアスター教の祠が5ヵ所 確認されています。またシルクロードを経由してマニ教とキリスト教も中国につたわりました。マニ教とキリスト教は布教もおこなったので中国人のなかにも一定の信者がうまれました。一方 仏教は、紀元後1世紀、クシャーン朝の支配するガンダーラ地方から中国につたえられて以来、いろいろなタイプの仏教が断続的にインドから中国にはいってきました。西域南道のコータンでは大乗仏教がさかんでした。北道のクチャや焉耆(えんぎ)では小乗仏教が信仰されました。そして中国から日本に仏教がつたえられたことはいうまでもありません。

シルクロード上では数多くの石窟寺院がきずかれ、彫塑や壁画がのこされました。アフガニスタンのバーミヤン石窟はよくしられていましたが過激派により破壊されました。タクラマカン砂漠周辺にも遺跡が点在し、西域北道のクチャには、中央アジア最大規模のキジルの仏教石窟があります。西域南道ぞいの仏教遺跡のひとつが、ホータン北東に位置し、オアシス都市・于闐国(うてんこく)と関係のふかいダンダンウイリク遺跡です。魅惑的な流し目をみせる、通称「西域のモナリザ」などが注目されます。シルクロードの壁画を構成する主要素は色と線であり、あざやかな青はラピスラズリがつかわれ、白や緑・赤色がアクセントとなります。ほどよい緊張感をあたえる「鉄線描」は、日本の法隆寺金堂の旧壁画にもつたわっています。

しかし15世紀になると遠洋航海技術が発達し、いわゆる大航海時代がはじまります。西欧諸国が大洋に進出、それまでの大陸横断型の交易は衰退し、シルクロードは歴史の表舞台からしずかに消えていきました。




本展は、シルクロードの地理と歴史を概観できるたいへんよい機会になっています。本をよむだけで理解しようとするのとはちがい、具体的なモノをとおして認識をふかめ、記憶できるのがよいです。

「東西動脈」の地理的な拡大と歴史的な発展をみていると、技術革新、経済発展、社会制度と精神文化の発達という段階をへて、ユーラシア大陸に、中国文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、ヨーロッパ文明といった、大文明(前近代文明)が形成されてきた様子もわかります。

技術革新→経済発展→社会制度→精神文化

  • 中国文明
  • ヒンドゥー文明
  • イスラム文明
  • ヨーロッパ文明

これらの大文明はそれぞれまったく独立に発達したのではなく、あるていど相互に影響をおよぼしあっていたことがわかります。とくに中国の都市では多彩な文化が影響しあい、異文化が集積・混交し、コスモポリタンがたくさんいました。

しかし遠洋航海技術が15世紀に発明されると歴史的な転換がおこりはじめます。あらたな歴史は技術革新からいつもはじまります。これは同時に、いわゆる前近代文明の時代がおわり、近代化がはじまり、近代文明(機械文明)が発展するというつぎの歴史的段階にはいっていったことを意味します。シルクロードの終焉はこのような文脈でとらえることができるでしょう。

シルクロードの時代はおわりましたが、異文化の交流、文明の発展、異民族の共存、多様性の容認といった現代の大問題をかんがえるための素材と教訓を、シルクロードはわたしたちに提供しつづけています。


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▼ 注1
開館四十周年記念特別展「シルクロード新世紀 - ヒトが動き、モノが動く -」
会場:古代オリエント博物館
会期:2018年9月29日(土)〜12月2日(日)
※ 1ヵ所をのぞき写真撮影は許可されていません。
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▼ 参考文献
特別展「シルクロード新世紀 - ヒトが動き、モノが動く -」(図録)岡山市立オリエント美術館・古代オリエント博物館編集・発行、2018年7月14日