渡りをする蝶、アサギマダラについて科学的に研究しています。福島から台湾まで飛びます。アサギマダラの集団をくるむ「雲」の移動に注目します。
アサギマダラの謎にせまっています。



アサギマダラはタテハチョウ科の蝶です。この蝶が旅(渡り)をする蝶であることがわかってきたのは1980年代の初頭です。それを確認するために、標識を翅に書いてとばして遠隔地で再捕獲をするという「マーキング調査」が同好の人たちの間ではじまりました。


マークキングの仕方
 標識、すなわち翅へのマーキングは、具体的にはどのようにするのでしょうか。(中略)
 再捕獲した人に、「どこで、何月何日に、誰が、何番目に標識したか」がわかるように記載すればよいのです。
 すなわち「場所、月日、標識者、番号」を記入します。


30年あまりにわたるマーキング調査の結果、アサギマダラは、春と秋で世代交代をしながら、春には北上の旅、秋には南下の旅をすることがあきらかになってきました。

『謎の蝶アサギマダラはなぜ海を渡るのか?』の第3章では、「アサギマダラの不思議な旅」と題して、福島県デコ平でえられた成果を報告しています。たとえば「遠方で再確認された例」のひとつとして以下のような報告をしています。


  2005年秋の最捕獲結果(総マーキング数:1万2000頭)
 最捕獲された個体数は166例で、最捕獲率は1.4%です。22府県で最捕獲されました。
 再確認地の内容を以下に示します。
 このうち、[ ]内は筆者自身が最捕獲した例(自己最捕獲例)で、合計は23例でした。(以下、同様)(中略)
 山形県6、福島県7、栃木県1、茨城県1、群馬県 22[2]、埼玉県1、神奈川県1、長野県9[1]、富山県1、大阪府1、京都府2、山梨県1、静岡県3、愛知県72[16]、三重県12、奈良県1、和歌山県3、徳島県4、高知県4、宮崎県1、屋久島1、奄美大島4[2]、喜界島7[2]、沖縄県1。


2010年までのデータが詳細に記載されており、このようなマーキング調査の結果、福島県デコ平から国境をこえて台湾まで、2231kmも移動した例も確認されました。またアサギマダラが本州を南下する際には、さだまったひとつの経路があるわけではなく、その年ごとの気象条件や地域ごとの植生などに応じて臨機応変にあらたな経路をたどってひろがっていくことがあきらかになりました。




ちいさな蝶が、福島から台湾まで飛んでいく。想像できますか? まったくの驚異です。しかしそれが事実であることは本書に記載されたデータがしめしています。これは科学的な調査・研究の結果です。

アサギマダラは、ひろい空間をとらえる特殊な能力をもっているとしかかんがえられません。わたしたち人間にはない能力です。

しばしば昆虫は、おどろくべき特殊な能力をもっています。昆虫を馬鹿にすることはできません。人間だけが、特別すぐれた能力をもっているという常識がありますがそれはまちがいです。ほかの生物を人間はもっと尊重すべきです。

アサギマダラが、春に北上するのは暑さをさけるためであり、秋に南下するのは寒さをさけるためでしょう。これは、気温(気候)の変動に対応する、つまり環境の変化に適応しているのだとかんがえられます。

普通の生物はある範囲内で生息しており、アサギマダラのように短期間で長距離を移動することはなく、特定の地域の環境に適応して生きているとかんがえらます。環境への適応とはそういうものだと誰もがおもってきました。

しかしアサギマダラのような「移動生物」の実態が近年あきらかになってきました。渡り鳥の調査・研究も重要です。移動生物は、環境と適応をかんがえるうえであたらしい観点をわたしたちにあたえてくれます。動物保護や環境保全活動にとりくんでいく場合にも考慮しておかなければならないことです。

本書では、アサギマダラの移動についてつぎのうなモデルを提唱しています。


私はアサギマダラの南下移動を「群雲モデル」で説明しています。(中略)
その時、一つひとつの雲の中では比較的自由に動いているのですが、全体としての雲の移動経路や移動のスケジュールはかなり厳密に決まっています。


アサギマダラを1頭1頭みるのではなく、アサギマダラの集団をみて、それをくるんでいる「雲」のようなものをみています。その雲がどのように変化し、どのような経路をたどり、どこにいつ行くのかをとらえるようにします。これは、個体にとらわれた従来の生物学とはちがいます。「群雲モデル」が、あたらしい生物学をきりひらいていくのではないでしょうか。





先日、国立科学博物館で特別展「昆虫」が開催されていました。昆虫の驚異的な能力とともに昆虫の研究方法についてもくわしくまなぶことができました。

昆虫の分類学的研究、実験室での実験的研究、その先に、昆虫の野外研究があります。アサギマダラの移動に関する研究はまさに野外研究です。
 
死んだ生物(標本)の形をみて分類するだけではなく、環境からきりはなして実験をするだけでもなく、野外で実際に生きている生物を、生きているままに環境のなかで研究するのがこれからの生物学です。

フィールドワークをして自然を自然のままに、ありのままに研究する分野が近年発展していきています。これらはフィールドサイエンス(野外科学)といってよいでしょう。あたらしい総合的なフィールドサイエンスに今後とも注目していきたいとおもいます。


IMG_6725_6
アサギマダラ
(特別展「昆虫」、国立科学博物館で撮影)
(平行法で立体視ができます)



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▼ 参考文献
栗田昌裕著『謎の蝶 アサギマダラはなぜ海を渡るのか?』(ベスト新書)ベストセラーズ、2018年
※ 昆虫について、あたらしい観点からさらにふかく知りたい方に本書をおすすめします。