新宿御苑の日本庭園
(Google 航空写真)
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日本庭園のうつくしさ、花壇のうつくしさ、花のうつくしさ、3重にたのしめます。うつくしさがシンクロナイズしています。階層構造になっています。
明治150年特別展示、菊花壇展が新宿御苑で開催されています(注1)。
新宿御苑の菊花壇展は、皇室由来の伝統的な展示様式をひきつぎ、日本で改良された古典菊の品種を維持しながら毎年開催されています。展示会場である日本庭園、伝統様式をまもる花壇、丹精こめて栽培された菊のすべてが一体となったみごとな景観がみられます。
会場案内図
新宿御苑の菊花壇は、回遊式の日本庭園内に特色あふれる花々を独自の様式でかざりつけたものであり、順路にそってみていくともっともうつくしく鑑賞できるようにデザインされています。 ステレオ写真はいずれも交差法で立体視で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -
日本庭園
花 壇
六角花壇(明治150年特別展示)
今年は、明治150年の年にあたるため、明治時代につくられていた「六角花壇」を特別に復刻しました。計算された幾何学的なうつくしさが360度の角度からたのしめます。懸崖作り花壇
懸崖作り花壇は、断崖の岩間にたれさがる野菊にヒントをえてつくりだされました。新宿御苑では、一重咲きの小菊をもちい、1株を枝分けして舟形にしたて、数百輪の花をさかせます。古木の台座に配色よく鉢をならべ、足もとには枯れ松葉をしき、花壇の前には水のながれをあらわし、上家(うわや)は、天然素材の魅力をいかした「竹木軸上家」、野趣に富んだ花壇になるように演出されています。周囲の景観との調和も是非たのしんでください。伊勢菊、丁子菊、嵯峨菊花壇
伊勢菊は、ちぢれた花びらがたれさがって満開になる しだれ咲きの菊であり、伊勢地方には、正座をして座敷で鑑賞するならわしがありました。丁子菊は、江戸時代にさかんに栽培されていた菊の一種です。嵯峨菊は、花びらがたちあがって満開になる菊であり、平安時代に、嵯峨天皇が嵯峨御所(現在の大覚寺)に植えたのがはじまりといわれる日本でもっともふるい歴史のある古典菊です。伊勢菊と嵯峨菊は、箒をさかさまにたてた状態を模した「箒作り」、丁子菊は、枝分けする「一六作り」の技法でしたて、特色あふれる花々を配色よく植え込んだ混植花壇です。大作り花壇
大作り花壇は、1株を枝分けして半円形にしたて、数百輪の花をさかせるものであり、ふるくは江戸菊をもちいていましたが現在は大菊でしたてています。株全体が同時に開花し、かつ花容がそろっていなければならず、高度な技術が必要です。この様式は新宿御苑独自のもので、全国の菊花展でみられる千輪作りの先駆けともなり、新宿御苑の菊花壇の白眉ともいわれます。本年は、明治150年を記念して例年よりも大規模な展示になっています。江戸菊花壇
江戸菊は、江戸時代に江戸で発達した古典菊であり、ごく一般的な菊であったことから「中菊」(ちゅうぎく)や「正菊」(せいぎく)ともよばれます。花の満開がすぎてから咲きおわるまでにさまざまに花びらが変化することから「狂菊」(くるいぎく)や「芸菊」(げいぎく)、「舞菊」(まいぎく)の別名もあります。江戸菊花壇は、新宿御苑でもっともふるい歴史のある花壇であり、4〜5株をうえた鉢から27輪に分枝させた「篠作り」の技法でしたてます。一文字菊、管物菊花壇
特色あふれる花形を鑑賞できます。一文字菊は、大輪咲きの品種のなかで唯一の一重咲きの菊であり、幅広の花びらの大きさがそろい、円形に咲きひらくのが特徴です。花びらのない数は16枚前後のものがよいとされ、御紋章に似ていることから「御紋章菊」ともよばれます。管物菊(くだものぎく)は、ほどながい管上の花びらが特徴の大輪咲きの菊であり、ここでは、花びらがとくにほそながく、雄大な花容をもつ細管物菊を展示しています。1株1花の一本仕立てとし、新宿御苑独自の「手綱植え」の技法で配色よくうえこんでいます。肥後菊花壇
肥後菊は、江戸時代の肥後(現在の熊本)の藩主の細川重賢公がはじめた古典菊であり、独特の栽培方法とかざり方があります。新宿御苑では、ひらたい花びらの「陽の木」と管上の花びらの「陰の木」のことなる2つの品種をしたてています。黒土のうえに苔で化粧をほどこした土間の風雅なおもむきや菊花の清楚なたたずまいがきよらかな精神世界を連想させます。大菊花壇
大菊は、菊の代表的な品種であり、大菊花壇では、花びらが中心につつみこむようにかさなりあってふっくらともりあがる「厚物」を一列一品種ずつ黄・白・紅の花色の順にうえこんでいます。この配列は、神馬(しんめ)の手綱にみたてたことに由来する「手綱植え」とよばれる新宿御苑独特の技法です。一花一花と花壇全体が調和して独特のうつくしさがうまれています。菊の花
丁子菊
嵯峨菊
大菊(紅葉狩)(明治150年特別展示)
江戸菊
肥後菊
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庭園、花壇、花、それぞれがうつくしく、順路にそって回遊していくとこれらを3重にたのしむことができます。庭園と花壇と花はシンクロナイズし、庭園と花壇と花の相乗効果で重層的な美的景観がつくりだされています。
ここで、庭園をみるのは大局的なみかた(大局観)、花壇をみるのは中局的なみかた(中局観)、花をみるのは小局的なみかた(小局観)といってもよいでしょう。大局観は大観、小局観は観察といってもいいです。
- 大局観:庭園(大観)
- 中局観:花壇
- 小局観:花(観察)
庭園と花壇と花は階層になっているのであり、これらがつくりだす階層構造のうつくしさを最終的に味わうことができます。
このような階層的なみかたは応用範囲がひろく、たとえば植物園や動物園にいったときも、植物園や動物園全体の空間と、それぞれの区画(ゾーン)、個々の植物や動物、といった階層をとらえるようにすると物事の理解が一気にすすみます。
- 大局観:空間全体
- 中局観:区画やゾーン
- 小局観:個々の植物や動物
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新宿御苑の菊の栽培と菊花壇展は皇室行事「観菊会」とともに発展をとげてきました。
菊が、中国から日本に渡来したのは奈良時代後期であり、当時は、延命長寿の薬としてもちいられました。平安時代になると宮廷では、中国の故事にならって陰暦の9月9日に「重陽の観菊宴」がもよおされました。
明治11年(1878)、菊を観賞する行事「菊花拝観」が赤坂の仮皇居でおこなわれました。明治13年からは「観菊会」と名称を変更してほぼ毎年おこなわれるようになりました。
観菊会用の菊の栽培は仮皇居内でおこなわれていましたが、明治37年からはは新宿御苑でも菊の栽培がはじまり、大正10年ごろから栽培用施設は新宿御苑にすべて移設され、大正14年(1925)からはすべての菊を新宿御苑で栽培するようになりました。
春の観桜会は大正6年(1917)、浜離宮から新宿御苑へ会場がうつり、観菊会も、昭和4年(1929)から新宿御苑でおこなわれるようになりました。皇室の恒例行事であったこれらの二大行事によって、パレスガーデンとして新宿御苑は海外にもしられるようになりました。
昭和24年、新宿御苑は国民公園として開放され、庭園の復興整備とともに、11月には、日本庭園内に菊花壇をもうけ、はじめて一般に公開されました。
新宿御苑では、すべての菊を御苑内の苗圃で栽培し、花壇においては、ほかではみることのできない、皇室ゆかりの格式ある様式をいまでもひきついでいます。
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▼ 注1
会場:新宿御苑・日本庭園
会期:2018年11月1日〜11月15日
※ 菊花壇展のみどころ情報▼ 注2
新宿御苑