およそ40年ごとに転機がおとずれています。時代には、上り坂と下り坂があります。過去の成功体験をくりかえそうとしないほうがよいです。
日本の近現代史をふりかえってみると、およそ40年ごとに大きな転機がおとずれていたといわれることがよくあります。

  • 1867年 大政奉還(1868年 明治維新)
  • 1905年 日露戦争の勝利
  • 1945年 太平洋戦争の敗戦
  • 1985年 経済大国の実現

約40年間隔で転機をむかえていることがみとめられます。これは単なる偶然にすぎないのか、それとも何らかの意味があるのでしょうか?

おもしろいことに、約40年間隔で転換がおこることは技術革新の分野でもいえるそうです(注1)。


■ 記録技術の革新
1898年 磁気記録技術の発明
1935年頃 磁気テープの発明
1977年 垂直磁気記録方式の発明

■ 電気信号技術の革新
1906年 三極真空管
1949年 トランジスタ
1980年代 超大規模集積回路(LSI)

■ 通信技術の革新
1901年 無線通信
1940年 マイクロ波通信
1980年代 光通信


このように、ほぼ40年間隔で技術革新がおきることを、東北大学名誉教授の岩崎俊一さんは「技術革新の四十年則」とよびました。これには、研究者の世代交代、ひとつの体制や基本的なかんがえ方が維持できる期間などが関係しているのかもしれません。「技術革新の四十年則」は日本の近代化にも影響したかもしれません。

このような約40年間隔で日本の近現代史をあらためてとらえなおしてみると、単なる40年間隔ではなくて、あるときは時代の上り坂であり、あるときは時代の下り坂であったことがわかります。

たとえば大政奉還、明治維新から日露戦争までは上り坂でした。富国強兵が成功し、日露戦争で勝利しました。しかしその後、戦況は悪化、時代は下り坂になり、太平洋戦争での敗戦、どん底につきおとされました。しかし戦後復興、高度経済成長により1980年代には経済大国、その繁栄を誰もが謳歌しました。ところがバルブ崩壊、経済は衰退し、下り坂にまたはいりました。図示すると図1のようになります。


190603 近現代史 80年周期

図1 日本の近現代史の波状モデル


ほぼ40年ごとに転換がおこっており、全体的にみると約80年周期といってもよいでしょう。

明治維新〜日露戦争までは上り坂であり、そこでもちいられた方式は富国強兵でした。また太平洋戦争敗戦〜経済大国までも上り坂でした。そこでもちいられた方式は高度経済成長でした。しかしこれらの方式は、あるピークをすぎると通用しなくなります。それでも無理して、その方式をつづけようとしてもがいていると時代はくだっていきます。現在は、あきらかに下り坂であり、これは、2025年ごろまでつづくのではないでしょうか。

なんとか下り坂を脱したい。政治家や経済人が努力します。ある人は、軍需産業を復活させようとします。しかしこれは富国強兵の時代の方式であり現代には通用しません。またある人は、オリンピックや万国博覧会などをもう1回やろうとします。しかしこれは、高度経済成長のときには有効だったかもしれませんが、下り坂のときには効果があらわれません。ビッグイベントで経済を再活性化しようとするのは時代錯誤であることがこのような近現代史の図式(モデル)からもよみとれます。

人間には、過去の成功体験をくりかえそうとする癖があります。成功のよろこびがわすれられません。しかしそれこそがくるしみの原因にもなります。実際には、時代の変化をよみとらなければなりません。あたらしいことをかんがえ、創造しなければなりません。

次回の上り坂は文化的な成長ではないでしょうか。そこでは、高度情報化という時代の潮流を反映して、情報処理能力を誰もがのばしていくことがもとめられます。


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▼ 注1(参考文献)
岩崎俊一「豊かな社会のために」学士会会報、932、57-60ページ、2018