ウィリアムとアドソが謎にいどみます。暗号をよみときます。背後には何があるのか?
NHK「100分 de 名著」、今月は、ウンベルト=エーコ(1932-2016)の『薔薇の名前』をよみといています。本書の骨格は、北イタリアのベネディクト会修道院を舞台にした歴史推理小説です。指南役はイタリア文学研究者の和田忠彦さんです。
物語の舞台は14世紀初頭、対立する教皇側と皇帝側のあいだを調停するための密使として、修道士ウィリアムとその弟子のアドソが北イタリアの修道院に派遣されます。この当時、ときの教皇ヨハネス22世と、神聖ローマ帝国のルートヴィヒ4世のあいだにははげしい対立がありました。
世界は偉大な書物のごとくわたしたちに語りかけてくる。その痕跡を見分けるのだ。(修道士ウィリアム)
ウィリアムとアドソは到着早々、ある修道士の謎の死について調査してほしいと修道院長のアッボーネから依頼されます。
ある朝、この修道院の図書館で写本に挿絵を描いていた細密画家のアデルモが、図書館の塔の下の断崖の底で死体になって発見されたといいます。
事件はつづきます。
二日目の朝。第二の事件が起こります。豚の生き血の甕(かめ)に逆さに突っ込まれた死体が発見されました。ヴェナンツィオでした。第二日の深夜、図書館の探索を終えて宿坊に戻ってきたウィリアムとアドソを、修道院長アッボーネが待ちかまえていました。ベレンガーリオの姿が見当たらないと言います。
ベレンガーリオの死体を検分したウィリアムは、死体の右手の指先の内側と舌が黒ずんでいることを発見し、何かを指先でつかみ、それを口にいれたのではないかという仮説をたてます。
そんななか、教皇側から派遣された異端審問官ギーが修道院にのりこんできました。彼は、異端派たちを強引に犯人にしたてあげ、火刑に処します。皇帝側を断罪し、教皇側と皇帝側の調停は決裂しました。
そして
そんななか、教皇側から派遣された異端審問官ギーが修道院にのりこんできました。彼は、異端派たちを強引に犯人にしたてあげ、火刑に処します。皇帝側を断罪し、教皇側と皇帝側の調停は決裂しました。
そして
修道院長らが向かった施療院で見たものは、薬学僧セヴェリーノの無惨な死体でした。
セヴェリーノは、今までの死にかたとはちがい、渾天儀で頭をわられていました。しかも薬の専門家セヴェリーノは革手袋をはめていました。彼は何をしってしまったのか?
さらに
修道院の図書館長マラキーアは息を引き取りました。図書館長の右手は、親指から中指までの三本の指の内側が黒ずんでいまし
また指の内側が・・・
そしてウィリアムとアドソはついに暗号をときました。図書館の奥へはいっていきます。秘密の場所へたどりついた彼らをまっていたのは・・・
*
実は、『薔薇の名前』をエーコが書いた背景にはつぎのような事件がありました。
1978年3月、キリスト教民主党全国会議議長(事実上の党首)で元イタリア首相のアルド=モーロが極左テロ組織「赤い旅団」に誘拐されました。「赤い旅団と交渉するように」とキリスト教民主党にもとめるモーロ自身の手紙が何通もとどけられたにもかかわらず、党は黙殺、55日後に、モーロの死体が発見されました。「モーロ事件」です。保守派と改革派のはげしい対立があるなかでの事件でした。
バチカンの庇護をうけて戦後もいきのびたキリスト教民主党のなかにあって、モーロ首相は、離婚法の成立に尽力するなど、改革派で寛容な政治家としてしられていました。また同年、改革派の教皇ヨハネス=パオロ一世が急死しました。公式には病死と発表されました。わずか33日間の教皇在位でした。
イタリアは当時、テロ活動が凄惨をきわめており、モーロ事件の直後、議会は、「テロリストとそれを保護する者」をとりしまる「反テロ特措法」(正式には 「民主的秩序維持法」)を成立させました。この法律は、危険とみなされた者の予防拘束や、監視や盗聴を合法化し、密告を奨励するものです。これにより言論弾圧も横行、人々は沈黙するようになりました。「鉛の時代」です。
ところでエーコは、もともとは「記号論」の専門家でした。世の中は、実にさまざまな記号でみちあふれています。しかもそれらは、いろいろにくみあわさって何らかのメッセージを発しています。
たとえば言語の分野では単語が記号です。しかし単語がわかっただけでは文章はわかりません。文法もしらなければなりません。しかし単語とともに文法もわかれば、どんな言語であってもよみとくことができます。
このように、記号とともに規則(コード)もわかればメッセージがよみとれます。暗号がとけるというわけです。このようなコードをどのようにして手にいれればよいか、記号論の中心的な課題です。
修道院にのりこんだウィリアムとアドソも「記号」をしるだけでなく、「コード」を発見しようと努力しました。「暗号」をときながら核心にせまっていきました。
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ところでエーコは、もともとは「記号論」の専門家でした。世の中は、実にさまざまな記号でみちあふれています。しかもそれらは、いろいろにくみあわさって何らかのメッセージを発しています。
たとえば言語の分野では単語が記号です。しかし単語がわかっただけでは文章はわかりません。文法もしらなければなりません。しかし単語とともに文法もわかれば、どんな言語であってもよみとくことができます。
このように、記号とともに規則(コード)もわかればメッセージがよみとれます。暗号がとけるというわけです。このようなコードをどのようにして手にいれればよいか、記号論の中心的な課題です。
- 記 号:単語
- コード:文法
修道院にのりこんだウィリアムとアドソも「記号」をしるだけでなく、「コード」を発見しようと努力しました。「暗号」をときながら核心にせまっていきました。
推理小説では、どのように暗号をといていくか、主人公とともに、このような推理の過程がたのしめます。核心にせまっていくことができます。そして真実をしったとき、その事件の全容があきらかになり、背後にかくれていたものが一気にみえてきます。
世の中にはさまざまな記号があります。表面的な出来事をみるだけではなく、それらを支配するコードを発見すれば、世の中がもっとよくみえてきます。『薔薇の名前』はイタリア人だけの問題ではありません。今日の日本人こそよまねばならない名著です。
▼ 注1
NHK Eテレ「100分 de 名著:ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』」
▼ 参考文献
和田忠彦著『NHK 100分 de 名著 2018年9月』(ウンベルト=エーコ『薔薇の名前』)NHK出版、2018年9月1日
ウンベルト=エーコ著・河島英昭訳『薔薇の名前』(上)東京創元社、1990年
ウンベルト=エーコ著・河島英昭訳『薔薇の名前』(下)東京創元社、1990年
▼ 追記:アリストテレス『詩学』第二部について
アリストテレス(前384〜322)は古代ギリシャの学者であり、自然・人文・社会の諸学を体系化した「万学の祖」です。11世紀末からの十字軍派遣をきっかけに東西交流がさかんになると、ながらくわすれられていたアリストテレスの書籍が、ギリシャ語・アラビア語から中世西欧の共通語・ラテン語に翻訳されました。13世紀には、アリストテレスの哲学とキリスト教神学をむすびつけたスコラ学が大成したこともあり、アリストテレスの学問がヨーロッパにひろまりました。そしてアリストテレスの思想は、ヨーロッパ・キリスト教世界にとっての思想的基盤となり、大きな影響力をもつことになります。
アリストテレス『詩学』は古代ギリシャ劇について論じた著書であり、現代でいう「詩」について論じたものではなく、一種の創作論です。今にのこるのは前半部分(第一部)のみであり、悲劇について論じています。後半部分(第二部)は喜劇について論じていたと推定されていますがのこっていません。
もしも、アリストテレス『第二部』がのこっていたなら、アリストテレスは、もっとよく事物をみつめるようにわたしたちを仕向け、「なるほど、確かにそのとおり」と、知らずにいたのは自分のほうだったことに気づかせるようにしたかもしれません。常識をうたがわせ、真理をあきらかにさせようとしたかもしれません。
しかし一方で、このようなひらかれた知というものは信仰のさまたげになるという立場をとる人もいます。神(God)のイメージが転覆をまぬがれず、神への畏怖を人々がわすれてしまうというのです。