ロバート=ボイル(1627-1691)
『懐疑的化学者』
ロンドン, 1661年(初版)
(平行法で立体視ができます)
(平行法で立体視ができます)
ボイル、ラヴォアジェによって、錬金術の時代がおわり、近代化学がはじまりました。
[世界を変えた書物]展が上野の森美術館で開催されています(注1)。化学関連書も展示されています。
ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -
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▼ 注1
[世界を変えた書物]展
特設サイト
会場:上野の森美術館
会期:2018年9月8日〜 9月24日
▼ 参考サイト
世界を変えた書物「工学の曙文庫」所蔵110選(金沢工業大学)
ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -
ボイル『懐疑的化学者』:古代ギリシアでは、物質は、土・火・空気・水の4元素からなるとかんがえられていました。このようなかんがえかたは、中世には、錬金術師によって形をかえながらもうけつがれ、元素は、神秘的な力をもっていて、魔法のようなもので結合して物質ができているとかんがえられました。
ボイルは、このようなかんがえかたを否定し、元素は分割不可能な極微粒子であると主張、実験によって、簡単な成分に化合物を分解できることをしめしました。そして物質は、極微粒子の形・位置・運動・あつまりかたによってことなると推論しました。
ボイルは、今日しられている分子と原子の区別などについては気づいていませんでしたが、中世の錬金術から近代化学への道をきりひらいたのでした。
*
アントワヌ=ラヴォアジェ(1743-1794)
『化学要論』
パリ, 1789年(初版)
ラヴォアジェは、ボイルによってはじまった化学という分野をおおきく発展させ、「近代化学の父」とよばれます。
当時の化学の課題のほとんどについて実験をして検証し、さまざまな化合物の重量を正確に計測、その結果から多数の結論をみちびきました。
たとえばスズと鉛を密閉容器中で燃焼させ、生じた金属の灰の重量はもとのものよりも増し、一方、空気の重量は減ることを発見しました。このような実験をくりかえし、空気中に存在するある種の気体が金属と結合するとかんがえ、その気体を「酸素」と命名しました。燃焼のあとにのこっていた気体は「アゾート」(窒素)とよびました。
ラヴォアジェはこのようにして定量的な実験方法を確立し、いかなる化学反応においても物質の全質量は反応の前後で変化しないという「質量保存の法則」をあきらかにしました。さらに化学現象は、元素の結合の法則によって整理できることをしめし、化合物は、その成分元素に準拠して命名すべきであるという化学物質の命名法の原則も提案しました。この原則は今日でももちいられています。
その後、さまざまな実験結果にもとづいて化学の理論を体系化して『化学要論』を出版、これは、世界最初の化学の教科書になりました。
ラヴォアジェは、1768年頃より、フランス王国の徴税請負人の仕事についていました。しかし1789年にフランス革命が勃発、1794年、革命裁判所における審判で「フランス人民に対する陰謀」との罪で死刑判決がくだり、その日のうちにギロチンで処刑されました。ラヴォアジェの弁護人は、ラヴォアジェの科学的な実績をもちだして弁論しましたが、「共和国には科学は不要である」と裁判長がのべました。同国出身の科学者は、「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」とラヴォアジエの才能をおしみました。
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会期:2018年9月8日〜 9月24日
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世界を変えた書物「工学の曙文庫」所蔵110選(金沢工業大学)