100年前にカワセミを撮影した人がいました。鳥類の保護活動がすすみます。保護区をつくるだけでなく、地域住民と鳥類が共存する方法をかんがえなければなりません。
『ナショナルジオグラフィック』2018年9月号の「日本列島、きらめく生命」(パート1)では「鳥を旅する」と題して日本の鳥たちを紹介しています。日本列島には、渡り鳥もふくめて600種以上の鳥をみることができます。
今回の記事は、日本における野鳥の写真の先駆者であり、「100年前にカワセミを撮った男」としてしられる下村兼史(1903-1967, 注1)の足跡をたどりながら旅をし、以下の保護区の経緯と現状について報告しています。
これらのほかに、静岡県駿東郡小山町の須走(富士山麓)の野鳥についても紹介しています。おりをみて、これらの保護区に実際にいってみると理解がふかまるとおもいます。
下村兼史は、18歳のときにカワセミの写真を撮ったのをきっかけに、鳥の撮影に没頭していき、佐渡、瀬戸内海、小笠原諸島、奄美大島など、日本各地にでかけて天然記念物や希少な鳥の数々を撮影しました。下村の写真の真骨頂は、鳥とその環境、自然のすばらしさを、1枚の写真に詩情ゆたかにとじこめたところにあります。
鳥類を保護しようとおもったら、鳥だけをまもろうとするのではなく、彼らの生息環境(周囲の状況)を再生していかなければなりません。鳥と環境をつねにセットにして一体的に保全していく以外に方法はありません(図1)。鳥に餌をあげればよいという問題ではありません。
日本列島ではおおくの地域で、鳥類保護区をつくらないと野生の貴重な鳥類は生きのびられなくなっています。しかもそれらの保護区はとてもせまく、鳥たちにとってはきびしい現実があります。下村兼史が現状をしったらかなしむにちがいありません。
しかし野鳥の会の人々や鳥類専門家は地道な努力をつづけています。たとえばツルの越冬地を、出水市ツル観察センター以外の数ヵ所にあらたにつくろうとしています。一ヵ所にツルが集中すると、鳥インフルエンザなどが発生した場合にツルが一気に全滅してしまうからです。リスク分散です。
あるいは最後の日本産コウノトリがいたのが兵庫県豊岡盆地に位置する兵庫県立コウノトリの郷では、1989(平成元)年に、ロシア極東のハバロフスク地方からペアをゆずりうけ、人工繁殖に成功しました。
ところがこうして保護区に鳥がふえてくると、ちかくの住民のなかに「鳥が糞をおとしてヤダ」などという者があらわれます。動物と住民の衝突です。しかし一般の人々も、鳥と共存していく方法をもうすこしかんがえてもよいのではないでしょうか。
▼ 注1
下村兼史生誕115周年 100年前にカワセミを撮った男・写真展
会期:2018年9月21日〜26日
会場:有楽町朝日ギャラリー(東京 JR有楽町駅前マリオン11F)
主催:公益財団法人山階鳥類研究所
▼ 参考文献
『ナショナルジオグラフィック日本版』(2018年9月号)日経ナショナルジオグラフィック社、2018
※ 米議会は1918年、カナダと締結した条約にもとづいて渡り鳥保護条約法を承認しました。この法律の制定100周年を記念して、ナショナルジオグラフィックは、全米オーデュボン協会、バードライフ・インターナショナル、コーネル大学鳥類学研究所の強力のもと、本年を「鳥の年」と宣言し、鳥をテーマにした記事を1年を通じて連載しています。
鹿児島県、出水市ツル観察センター
1月上旬(中略)、鹿児島市内から車を2時間ほど北西に走らせ、出水市ツル観察センターを訪れた。声の主は、シベリアから越冬に来ているツルだ。前年10月中旬に3羽のナベヅルが飛来して以来、マナヅルやクロヅルなども加わり、その数は1万5360羽に達した。(中略)昭和30年代から進んだ(日本各地の)農地の土地改良で、そこにすむ生物量が減少。また土地開発などでツルの越冬に適した土地が減っていく。(中略)「世界中に生息するナベヅルの8から9割、マナヅルの約半分がここで越冬しています。これだけ集中するのは危険です」
千葉県、行徳鳥獣保護区
保護区がある一帶はかつて「新浜」(しんはま)と呼ばれ、干潟が広がる漁業のさかんな土地だった。(中略)しかし、戦争を挟んで20年ほど後、楽園に危機が訪れる。1960年代になって東京湾の埋め立てが進み、新しくできた土地に多くの工場や倉庫、住宅が建っていった。
兵県立コウノトリの郷公園
コウノトリは全長1メートルを超える大型の鳥で、水田のドジョウやカエル、魚、ヘビなど、里山の動物を食べる。かつては日本各地で見られたが、明治時代に乱獲されて個体数が激減し、戦後の生息環境の悪化が追い打ちをかけた。その結果、1971(昭和46)年までに日本産のコウノトリはいなくなってしまった。
今回の記事は、日本における野鳥の写真の先駆者であり、「100年前にカワセミを撮った男」としてしられる下村兼史(1903-1967, 注1)の足跡をたどりながら旅をし、以下の保護区の経緯と現状について報告しています。
これらのほかに、静岡県駿東郡小山町の須走(富士山麓)の野鳥についても紹介しています。おりをみて、これらの保護区に実際にいってみると理解がふかまるとおもいます。
下村兼史は、18歳のときにカワセミの写真を撮ったのをきっかけに、鳥の撮影に没頭していき、佐渡、瀬戸内海、小笠原諸島、奄美大島など、日本各地にでかけて天然記念物や希少な鳥の数々を撮影しました。下村の写真の真骨頂は、鳥とその環境、自然のすばらしさを、1枚の写真に詩情ゆたかにとじこめたところにあります。
鳥類を保護しようとおもったら、鳥だけをまもろうとするのではなく、彼らの生息環境(周囲の状況)を再生していかなければなりません。鳥と環境をつねにセットにして一体的に保全していく以外に方法はありません(図1)。鳥に餌をあげればよいという問題ではありません。
図1 鳥と環境をセットにする
日本列島ではおおくの地域で、鳥類保護区をつくらないと野生の貴重な鳥類は生きのびられなくなっています。しかもそれらの保護区はとてもせまく、鳥たちにとってはきびしい現実があります。下村兼史が現状をしったらかなしむにちがいありません。
しかし野鳥の会の人々や鳥類専門家は地道な努力をつづけています。たとえばツルの越冬地を、出水市ツル観察センター以外の数ヵ所にあらたにつくろうとしています。一ヵ所にツルが集中すると、鳥インフルエンザなどが発生した場合にツルが一気に全滅してしまうからです。リスク分散です。
あるいは最後の日本産コウノトリがいたのが兵庫県豊岡盆地に位置する兵庫県立コウノトリの郷では、1989(平成元)年に、ロシア極東のハバロフスク地方からペアをゆずりうけ、人工繁殖に成功しました。
ところがこうして保護区に鳥がふえてくると、ちかくの住民のなかに「鳥が糞をおとしてヤダ」などという者があらわれます。動物と住民の衝突です。しかし一般の人々も、鳥と共存していく方法をもうすこしかんがえてもよいのではないでしょうか。
▼ 注1
下村兼史生誕115周年 100年前にカワセミを撮った男・写真展
会期:2018年9月21日〜26日
会場:有楽町朝日ギャラリー(東京 JR有楽町駅前マリオン11F)
主催:公益財団法人山階鳥類研究所
▼ 参考文献
『ナショナルジオグラフィック日本版』(2018年9月号)日経ナショナルジオグラフィック社、2018
※ 米議会は1918年、カナダと締結した条約にもとづいて渡り鳥保護条約法を承認しました。この法律の制定100周年を記念して、ナショナルジオグラフィックは、全米オーデュボン協会、バードライフ・インターナショナル、コーネル大学鳥類学研究所の強力のもと、本年を「鳥の年」と宣言し、鳥をテーマにした記事を1年を通じて連載しています。