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四谷大木戸水番屋の模型(縮尺:1/60)
(玉川上水の流末、現在の新宿御苑大木戸門付近)
(平行法で立体視ができます)
玉川上水は江戸市中に水を供給しました。人口増加にともなう水不足の問題を解消しました。江戸時代にすでに、すぐれた測量・土木技術がありました。
「玉川上水」の特集展示が江戸東京博物館でおこなわれています(注1)。ステレオ写真はいずれも平行法で立体視ができます。
立体視のやり方 - ステレオグラムとステレオ写真 -


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木樋(汐留遺跡から出土)
木材をくりぬいてつくられた上水をとおすための配水管です。水につよい松か檜がおおくの場合つかわれました。



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上水井戸(汐留遺跡から出土)
木樋をとおって供給された上水をくみあげるための井戸です。2段か3段 桶をつみかさねたものがおおく、上部の数十 cm が地上にでていました。上水井戸は、掘り抜き井戸とちがってふかくないため、滑車をもちいる必要はなく、竹の柄のついた汲み桶(竿釣瓶)で水をくむことができました。



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玉川上水流域図

江戸時代、江戸の人口増加にともなう水不足を解消するためにつくられたのが玉川上水です。多摩川の中流域の羽村を取水口とし、43 km にわたって武蔵野を横切り、四谷大木戸に到達、そこからは網の目にはりめぐらされた地下水路をとおって江戸市中の人々に水を供給しました。

羽村から四谷大木戸までの高低差は約 90 m あまりであり、その傾斜は、100 m につき 20 cm さがるというきわめてゆるやかなものでした。既存の河川を利用せずに取水口から流末まであらたに開削した人工河川であり、着工から1年たらずという異例のはやさで承応3年(1654)に完成したとつたえられます。すでに当時、高度に発達した測量および土木技術があったことがわかります。

玉川上水は、江戸時代のみならず明治以降も、東京の上水道の重要な供給源として大きな役割をはたしました。

このように、当時としては最高レベルの土木技術(civil engineering)が日本にはあり、都市インフラが江戸に整備されました。明治維新以後の東京の近代化はこの基盤のうえですすめられたことがわかります。


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▼ 注1
特集展示「玉川上水」
会場:江戸東京博物館
期間:2018年8月28日~2018年9月24日
※ 常設展示場で展示しています。写真撮影が許可されています。