死について、生命科学的に解説しています。死とは過程であり、生と死のあいだに一線をひくことはできません。どこに死を設定するか? みずから決めます。
グラフィックサイエンスマガジン『Newton』2018年10月号では「死とは何か」を特集しています。



今日、運転免許証の裏に、「臓器提供に関する意思」を表示する欄があります。あなたはどのような意思表示をするでしょうか?


脳幹の機能停止(脳死)を確かめる七つの方法
    1. 瞳孔が動かない
    2. まぶたを反射的に閉じない
    3. 痛みに反応しない
    4. 耳の中まで水が入っても反応しない
    5. 目が動かない
    6. 咳をしない
    7. 嘔吐をしない

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脳死の判定基準では、脳幹の機能が停止していることが重要視されています。脳幹の機能が停止すると自発的な呼吸はとまります。痛みなどにも反応しなくなります。顔をうごかしてみても眼球の反射運動がみられません。

しかし自発的な呼吸がとまっても人工呼吸器をつければ、心臓がうごいているあいだは血液と酸素の循環をたもてます。食事をとれなくても、水分や栄養を点滴で補給することができます。脳が機能をうしなっても体は「生かす」ことができます。

すなわち脳死とは、脳という臓器が機能を停止するということであり、生物(動物)としてはまだ生きているということになります。脳以外の臓器はまだ機能しているからこそ、脳死患者から臓器移植ができるわけです。

したがって脳死とは人為的な生と死の境界であり、これをみとめるかどうかはあなた次第です。

ある統計調査では、「脳死は、ヒトの死として妥当だとおもう」という回答者の割合は、アメリカやフランス・ドイツ・イギリスでは 60〜71 %だったのに対し、日本では 43 % にすぎませんでした。




アメリカ人やフランス人・ドイツ人・イギリス人はいずれも「ヨーロッパ・キリスト教文明」人であり、ヨーロッパ文明は、機械文明あるいは物質文明という特色をもち、人間だけが、神から精神をあたえられた特別な存在であり、動物(や自然)は自動機械にすぎないとかんがえます。したがって精神をうみだす特別な物質である脳に執着し、脳が機能しなくなったということは、動物や自然とおなじになった、人間ではなくなったとみなします。

これに対して日本人や東洋人は、人間と動物、人間と自然のあいだに一線をひくのではなく、人間も自然の一部であるとかんがえ、人間だけでなく、山や川や海にも生命力があるとします。「一寸の虫にも五分の魂」ともいいます。このようなことから、人間と自然は対峙する存在ではなく、人間と自然環境は調和すべきであり、また脳という物質にとらわれるのではなく、環境にまでおおきくひろがった生命の場を重視する思想がうまれます。




『ニュートン』の今回の特集をみればあきらかなように、現状では、生きている人間の都合で死をきめているだけであり、実際には、生と死のあいだに境界線をひくことは不可能で、そこには、死にゆく過程があるだけです。

たとえば「植物状態」はどうでしょうか。それは、3ヵ月以上つづく「意識障害」の一種であり、その診断基準は、「目を開いていても意思疎通は行えない」こと、「排泄をコントロールできない」ことなどです。「自発的に呼吸ができ」、「目を開けている時間と閉じている時間がある」ことなどから死ではありません。実際、「6か月間は回復の可能性があり」、「8〜10 年という長期間をへて植物状態から回復したケースがときどきみられる」そうです。

あるいは「閉じこめ症候群」もあります。これは一見、植物状態とみわけがつきません。コミュニケーションはとることができませんが意識ははっきしている状態です。その人は死にちかいどころか、生きているのです。しかしそのことに誰にも気づいてもらえなかったら、たいへんなことになります。

一方、細胞に注目してみると、人体をつくる細胞は日々 死んでいっています。そしてあたらしい細胞がうまれてきます。死んだ皮膚の細胞は垢として、死んだ腸の細胞は糞便として体からすてられます。人体のなかで生と死がくりかえされているわけです。命がつきたようにみえても、ある程度の時間なら細胞は生きつづけ、だからこそ臓器の移植ができるのです。個人の死と細胞の死、臓器の死はことなります。

以上のように死とは過程であり、生と死のあいだに一線をひくことはできません。みずからの死をどこに設定するか? あなた自身が主体的にきめればよいことです。ヨーロッパ型の機械文明人の思想にあわせる必要もありません。

ただし自分の死を設定するにあたり、どのように人生をおわらせるか、人生のしまい方あるいは死生観については前もってかんがえておく必要があるでしょう。


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▼ 参考文献
『Newton』(2018年10月号)ニュートンプレス、2018年10月7日