衣服・住居・道具・栽培・イヌ・貝塚・土偶などから縄文人の生活を垣間みることができます。縄文人と自然環境とのやりとりから自然と調和する文化がうまれました。〈人間-文化-自然環境〉システムの見方が役立ちます。
譽田亜紀子著『知られざる縄文ライフ  - え?貝塚ってごみ捨て場じゃなかったんですか!?-』(誠文堂新光社)は、縄文時代の人々の生活について考古学的な資料から想像し、解説しています。



はじめに 彼らに会いに行く前に知っておきたい縄文知識
1章 縄文人のすがたと暮らし
2章 縄文人の一生
3章 縄文人と食
4章 縄文の祈り


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縄文時代には既に植物の繊維で作られた編布(あんぎん)と呼ばれる布がありました。この布は、遺跡から発見されるわずかな繊維片や土器を作る際に底に付いた織物の痕などから存在が明らかになったのです。動物の骨や角で作った糸を使って編布を縫い合わせ、簡単な服を作り、着ていたのではないかと言われています。

当時の住まいと考えられている「竪穴住居」。(中略)夏の間は茅葺きの家に住んでいたのではないでしょうか。(中略)夏と冬では住まいを変えていてもおかしくありません。土葺きの場合、室内の温度は夏は外気よりも10℃ほど下がり、冬は暖かくなります。

石でできた皿がたくさん見つかっていますが、この皿は食器としてではなく、磨石とセットで道具として使っていたようです。この他の調理器具として、土器などがありました。

縄文人が大好きなクリは、ナラやクヌギなどに混じって存在するのが一般的で、単体で森を形成することはありません。しかし、縄文時代中期の代表的な遺跡、三内丸山遺跡の周辺にクリだけの森があったことがわかっています。

出土するイヌの骨は全身揃うことが多く、人の手によって埋葬されたと判断されます。時には人と一緒に埋葬されていることもありますから、かけがえのない存在だったことが容易に想像できます。

貝塚というぐらいですから、大量の貝殻が廃棄されています。ですが貝殻以外にも、土器や土偶、石器、骨角器、さらには縄文人やイヌの骨まで見つかっているのです。(中略)一説には、縄文人にとって不要になったもの、役目を終えたものになんらかの「送る儀礼」を執り行い、貝塚に埋めていたのではないか、ともいわれています。

祈りの道具として使われた「土偶」。


衣服
縄文時代の人々は裸で生活していたのではなく服をきていました。動物の骨や角でつくった針と植物繊維でつくった糸をつかって編布をぬいあわせて衣服をつくっていたとかんがえられます。また冬になると、イノシシやシカの毛皮などを羽織っていたのではないでしょうか。

住居
縄文遺跡からは竪穴住居跡がたくさんみつかっています。縄文時代の人々は基本的には定住していました。住居をつくって風雨をふせぎ、暑さ寒さ対策もしていたようです。

調理器具
調理器具として土器がつかわれていたことはいうまでもありません。多種多様な土器が大量に出土しています。さまざまな食材を煮炊きしてたべていました。 

植物栽培
縄文時代の人々は狩猟採集生活をしていたとこれまではかんがえれれてきましたが、植物栽培もおこなっていたことが近年あきらかになってきました。農耕とまではいえませんが、植物栽培は縄文時代からはじまっていたといえます。このことから、縄文人は狩猟採集民ではなく、「狩猟栽培民」であるという人もいます。

イヌ
イヌはすでに家畜化されていました。縄文人はイヌと一緒に生活していました。 狩りの友として、あるいはペット(?)として必要な存在でした。

貝塚
貝塚に関する認識は近年かわりつつあります。そこはゴミ捨て場ではなく、死んだ生き物やこわれた物を供養したり、再生をいのったりした場であったのでしょう。

土偶
土偶は実用品(生活必需品)ではなく、祈りや儀礼の道具であったことは十分に想像できます。土偶が出土することから、縄文人は物質的にただ生きたのではなく、高度な精神文化をもっていたとかんがえられます。




以上のように、縄文人は裸で生活していた原始人ではなく、すすんだ生活様式をもっていました。衣服と住居は、縄文人の身体と自然環境とのあいだにあって、自然環境からの作用をやわらげる緩衝装置としての役割をはたしました(図1)。

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図1 衣服と住居の位置づけ


またこれら以外にも、自然環境にある素材をつかって土器をはじめさまざまな道具をつくりだしました。さらに野生の植物から実をとるだけでなく、クリなどの栽培化にも成功しました。家畜としてイヌを飼育することもしました。これらは農耕牧畜とまではいえませんが、野生ではない半自然を生活空間のなかにつくりだしたといってよいでしょう(図2)。

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図2 道具と半自然の位置づけ


そして貝塚や土偶の存在は、縄文人が儀礼をおこなっていたことを想像させます。

このような、衣服・住居・道具・半自然・儀礼・生活様式などは総称して文化とよんでもよいでしょう。縄文人たちは、自然環境から作用をうけつつ、自然環境をたくみに利用して独自の文化を発達させました(図3)。

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図3 縄文人-文化-自然環境のモデル

縄文人が、自然環境から作用をうけたり、自然環境から素材をとったりすることは「インプット」、縄文人が、素材をつかって物をつくりだしたり、貝塚をつくったり、半自然をつくりだしたりすることは「アウトプット」といってもよいでしょう。このような、縄文人と自然環境との相互作用(やりとり)によって、自然と調和した文化がうまれました。

このような文化は、どちらかというと縄文時代の前半ほど、衣服・住居・道具といった物質的な文化が発達し、どちらかというと縄文時代の後半ほど、儀礼などの精神文化が発達したとかんがえられます。実際、後半ほど多数の土偶がつくられています。縄文時代の後半では、おどりや音楽などの無形文化もある程度は発達したにちがいありません。

おおざっぱに大局的にみると、物質文化から精神文化へ(ハードからソフトへ)という重心の移動があったのではないでしょうか。こうして文化は成長し、厚みをおびてきます。




現在、特別展「縄文」が、東京国立博物館で開催されています。会場で展示されている非常に多数の遺物をこのような観点からとらえなおしてみれば、いっけん複雑な物事の整理がつき、縄文時代の見通しがよくなるとおもいます。


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▼ 注
特別展「縄文―1万年の美の鼓動」
特設サイト
会期:2018年7月3日 ~9月2日
会場:東京国立博物館 平成館

▼ 参考文献
譽田亜紀子著・武藤康弘監修『知られざる縄文ライフ  - え?貝塚ってごみ捨て場じゃなかったんですか!?-』誠文堂新光社、2017年3月17日