臨床心理学者・河合隼雄は東西のかけ橋になって心の問題にとりくみました。
NHK Eテレ「100分 de 名著」、今月は「河合隼雄スペシャル」です。河合隼雄(1928-2007)は、心の問題や人間の本質に縦横無尽にとりくんだ日本を代表する臨床心理学者であり、今回は、代表作『ユング心理学入門』『昔話と日本人の心』『神話と日本人の心』『ユング心理学と仏教』をよみときながら、心のありようや人間の再生についてかんがえています。指南役は、京都大学・こころの未来研究センター長の河合俊雄さんです。
河合隼雄の言葉にふれれば心に癒しや糧の風がふき、よりよく生きるヒントがえられるにちがいありません。
自分の知らないことやできないこと、嫌いなこと、損なことは「悪と簡単な等式で結ばれやすい」とも指摘しています。
そしてそれは個人的なレベルをこえて、普遍的なレベルに達することもあります。
他者に投影される普遍的な影の顕著な例としてヒトラーによるユダヤ人排斥があげられます。あるいは世界各地でおこっている紛争やテロ、民族差別から子供のいじめにいたるまで、集団的な影の投影をそれらの背後にみることができます。
ユングは、人間の心には三つの層があるとかんがえました。自我を中心とする「意識」の層、個人的な経験からなりたつ「個人的無意識」の層、そして心のもっとも奥深くにある「個人的ではなく、人類に、むしろ動物にさえ普遍的な無意識」の層です。
意識の世界では一定のルールで区別されているものが、意識と無意識をつなぐイメージの世界ではルールや秩序をやぶって交錯します。また普遍的無意識は個人をこえておおきくひろがり、つながりあっています。
その後、河合は、ユングの心理療法をそのまま日本人に適用することに限界を感じ、日本の昔話や神話を糸口として日本人の心の構造の問題をほりさげていきます。
このような日本人の心の構造を「中空構造」とよびました。「中空」は、単なる緩衝地帯ではなく、さまざまなものをうけとめて多様性をうみだす源泉としても機能しているとかんがえました。
そして「私とは何か」という大きな課題にとりくみ、そのひとつの答えをしめしたのが『ユング心理学と仏教』です。クライエントとのやりとりをしながらおおきな意味を仏教がもちはじめることになります。
「私とは何か?」
しかしたとえば『華厳経』では、人間をふくめてすべてのものに「自性」はないとときます。自性とは「それ自体の定まった本質」です。そもそも私などないということであり、「私とは何か?」という問い自体がナンセンスなわけです。
あるいは「何のために?」あるクライエントはつぎのようにのべたといいます。
あるいはつぎのようなこともあります。
西洋では、運命と戦うことに人生の意義を見出し、東洋では、運命を味わうことに生き甲斐を感じている。生命システムは、一つの中心によって「統合」されているわけではない。努力によって問題は解決できるものではなく、おのずと問題は解決される。解決策はむこうからやってくる・・・
これらは、西洋文明人や現代の一般的日本人の常識とはことなります。このようなことを非常識だとおもってわらう人がいるかもしれませんが、西洋と東洋を比較することによって、西洋のことも東洋のことも一層よくわかってきます。
河合隼雄は、東西のかけ橋となる仕事をしたといってもよいでしょう。実際、代表作『ユング心理学と仏教』は、英語圏の人々のために河合が英語でおこなった講演にもとづいています。
西洋文明に傾倒している人も、東洋の思想をまなんでいる人も、河合隼雄の著作をよんでみれば、西洋のことも東洋のことも再認識できます。どちらか一方ではない、世界全体の認識へアプローチできます。世界の多様性をみとめるためにはそのような努力が必要です。わたしたちに河合がのこした宿題といってもよいでしょう。
河合隼雄の座右の銘のひとつがつぎの言葉です。
東西のかけ橋がここにもあらわれています。
▼ 注
NHK 100分 de 名著「河合隼雄スペシャル」
▼ 参考文献
『100分 de 名著:河合隼雄スペシャル』NHK出版、2018年
河合隼雄著『ユング心理学入門』岩波書店、2009年
河合隼雄著『昔話と日本人の心』岩波書店、2017年
河合隼雄著『神話と日本人の心』岩波書店、2016年
河合隼雄著『ユング心理学と仏教』岩波書店、2010年
河合隼雄著『こころの処方箋』(新潮文庫)新潮社、1998年
『ユング心理学と仏教』のエピローグを、当時まだ日本ではほとんど知られていなかった西洋の詩「一〇〇〇の風」で締めくくっています。
どうか、その墓石の前で
泣かないでください。
私はそこにはいません。
私は死んでないのです。
この詩は、著者がかねてから大事にしていたもので、河合隼雄の遺言とも読めます。
河合隼雄の言葉にふれれば心に癒しや糧の風がふき、よりよく生きるヒントがえられるにちがいありません。
自分の影のイメージを、実在しているひとのなかに探すのは、それほどむずかしいことではない。自分の周囲にあって、何となくきらいなひとや、平素はうまくゆくのに、ある点でだけむやみと腹が立つようなとき、それらは自分が無意識内にもっている欠点ではないかと考えてみると、思い当たることが多いに違いない。
自分の知らないことやできないこと、嫌いなこと、損なことは「悪と簡単な等式で結ばれやすい」とも指摘しています。
そしてそれは個人的なレベルをこえて、普遍的なレベルに達することもあります。
他者に投影される普遍的な影の顕著な例としてヒトラーによるユダヤ人排斥があげられます。あるいは世界各地でおこっている紛争やテロ、民族差別から子供のいじめにいたるまで、集団的な影の投影をそれらの背後にみることができます。
ユングは、人間の心には三つの層があるとかんがえました。自我を中心とする「意識」の層、個人的な経験からなりたつ「個人的無意識」の層、そして心のもっとも奥深くにある「個人的ではなく、人類に、むしろ動物にさえ普遍的な無意識」の層です。
心の三層構造
- 意識
- 個人的無意識
- 普遍的無意識
意識の世界では一定のルールで区別されているものが、意識と無意識をつなぐイメージの世界ではルールや秩序をやぶって交錯します。また普遍的無意識は個人をこえておおきくひろがり、つながりあっています。
その後、河合は、ユングの心理療法をそのまま日本人に適用することに限界を感じ、日本の昔話や神話を糸口として日本人の心の構造の問題をほりさげていきます。
中心を「空」にしているからこそ、相対立する二つのもの──神話でいえば三神のうちの活躍する二神、心の構造でいえば意識と無意識、男性性と女性性などを均衡させ、深刻な対立を回避する構造になっているのではないか。
このような日本人の心の構造を「中空構造」とよびました。「中空」は、単なる緩衝地帯ではなく、さまざまなものをうけとめて多様性をうみだす源泉としても機能しているとかんがえました。
そして「私とは何か」という大きな課題にとりくみ、そのひとつの答えをしめしたのが『ユング心理学と仏教』です。クライエントとのやりとりをしながらおおきな意味を仏教がもちはじめることになります。
心理療法によって誰かを「治す」ことなどできない、と私は思っています。(略) 心理療法で最も大切なことは、二人の人間が共にそこに「いる」ことであります。(略) そうなると、いったい治療者は何をしているのでしょうか、治療者の役割は何なのでしょうか。このあたりのことを真剣に考えはじめたところで、私にとって仏教ということが大きい意味をもちはじめました。
「私とは何か?」
しかしたとえば『華厳経』では、人間をふくめてすべてのものに「自性」はないとときます。自性とは「それ自体の定まった本質」です。そもそも私などないということであり、「私とは何か?」という問い自体がナンセンスなわけです。
あるいは「何のために?」あるクライエントはつぎのようにのべたといいます。
私はここに治してもらうために来ているのではありません。ここに来ているのは、ここに来るために来ているだけです。
あるいはつぎのようなこともあります。
西洋では、運命と戦うことに人生の意義を見出し、東洋では、運命を味わうことに生き甲斐を感じている。生命システムは、一つの中心によって「統合」されているわけではない。努力によって問題は解決できるものではなく、おのずと問題は解決される。解決策はむこうからやってくる・・・
これらは、西洋文明人や現代の一般的日本人の常識とはことなります。このようなことを非常識だとおもってわらう人がいるかもしれませんが、西洋と東洋を比較することによって、西洋のことも東洋のことも一層よくわかってきます。
河合隼雄は、東西のかけ橋となる仕事をしたといってもよいでしょう。実際、代表作『ユング心理学と仏教』は、英語圏の人々のために河合が英語でおこなった講演にもとづいています。
西洋文明に傾倒している人も、東洋の思想をまなんでいる人も、河合隼雄の著作をよんでみれば、西洋のことも東洋のことも再認識できます。どちらか一方ではない、世界全体の認識へアプローチできます。世界の多様性をみとめるためにはそのような努力が必要です。わたしたちに河合がのこした宿題といってもよいでしょう。
河合隼雄の座右の銘のひとつがつぎの言葉です。
待て、しかして希望せよ!
東西のかけ橋がここにもあらわれています。
▼ 注
NHK 100分 de 名著「河合隼雄スペシャル」
▼ 参考文献
『100分 de 名著:河合隼雄スペシャル』NHK出版、2018年
河合隼雄著『ユング心理学入門』岩波書店、2009年
河合隼雄著『昔話と日本人の心』岩波書店、2017年
河合隼雄著『神話と日本人の心』岩波書店、2016年
河合隼雄著『ユング心理学と仏教』岩波書店、2010年
河合隼雄著『こころの処方箋』(新潮文庫)新潮社、1998年